23.月夜の物語の裏側
「リリの父親さんは5歳で母親を殺されて海を越えただろ? たぶんそこはこの国でも知られてると思う。竜王国が王位継承者を亡くしたのは、人間が雛を誘拐するために巫女を殺したからだから」
「それは…」
竜王国民として知らない者はいない事件。それは原罪のように、マティアスも小さな頃から心の奥底に持ち続けた罪悪感そのものだった。
なにせ犯人は竜王国の民でありながら竜の雛を知らず、さらに強盗目的で近づき拉致しようとしたのだ。その結果として雛の母親である竜の巫女も護衛たちとともに殺されている。
「オレはそこを責める気はないよ」
マティアスだけでなく女子たちも青ざめたのをみかねてディートハルトが告げた。
「でも海の向こう側は竜のいない土地なんだよ。大陸南端の小国だったグレイロード王国はまだ竜王国と交流があったから良かったけど。でも内陸部にあるビタン王国にとって竜は敵でしかない。ビタン王国は北部に現れた緑竜討伐で騎士団上層部を皆殺しにされてるからね。だからきっとそのまま何もなかったら、グレイロード帝国になったとしてもリリの父親さんは受け入れられなかった。少なくともリリの父親さんは元近衛騎士として騎士団の手伝いはしたけど、宮廷貴族と関わる機会は少なかったから」
「でもリリの父上も、リリと同じ色彩だったんだよね? その場合は名乗らなければビタンの人たちに竜の雛だと知られないままでいられると思うけど」
「リリの父親さんは竜王国を離れてから偽名を使って別人として生きてきた。マティが言う通り何も言わなかったなら、何も知られなかったと思う」
「でも…」
マティアスはつぶやきながら、この会話など興味がないような素振りでケーキを食べるリリを一瞥する。
「リリはこの学園に通称で入学してる。でも本名はきちんとブレストン公爵なら、リリの父上も本名を名乗ることにしたんだよね?」
「うん。でも好きで名乗ったわけじゃない。闇王と呼ばれる魔神種を呼び出して、帝国王都に放つことで大量の生贄を得ようとした連中が現れたから。普通に考えたらわかるけど、生贄にされかけた王都の民はそのまんまビタン王国の民だよ。グレイロード王国の人間からしたら生贄になろうがどうでもいいじゃん。その時だってリリの父親さんは燃える王都に母国が燃えたこと思い出して動けなくなったらしいし。そういう大災害みたいな状態になって」
闇王と呼ばれる魔神種が現れ王都が燃え、父親が心の傷のため動けなくなった。
それら説明にフォークを止めたリリが琥珀の瞳をマティアスに向けた。
「そこに颯爽と現れたのは紅蓮の翼を背にした戦神ロールグレン。グレイロード王家の嫡流として生まれながら国を焼かれてなお、敵であったビタンの民も今は帝国民だからと多くの魔物から守ってくださった青騎士。だから高濃度の瘴気そのものであるソレに近づけば命を縮めるとわかっていて戦った。そしてノワール・ブレストンが死んだから、父はブレストン公爵にならなければならなかったの」
淡々と語るリリにマティアスは素直に驚かされた。
「そんな簡単に割り切れるの? だって戦神ロールグレンを失うなんて世界の希望を失うようなもので」
「そうね。しかも闇王の魔神種は高濃度の瘴気。そんなものを呼び出せたのは王都が瘴気に満ちていたから。つまり人間の欲が招いた結果なのよ。だから生贄になろうがどうなろうが自業自得でしかなかったの」
「そんな」
「人間などそんなものよ。己の欲を満たすため竜の巫女を殺し、己の欲のために周囲の国を焼き。その結果として生贄にされようとも、それは人間が選択した結果よね」
リリのどこまでも突き放した物言いにマティアスは返す言葉を失った。
そうして黙り込むマティアスの隣を見たリリはディートハルトが眉間にシワ寄せるのを目にする。
もちろんこの幼馴染みはわかっているのだ。リリの父親がどれほど聡明で慈しみ深いかを。
「わたくしの父は素直で無垢で慈愛に満ちていて、他人の機微に聡い方よ。元近衛騎士隊長として周辺国の礼儀作法も完璧でなにより賢い。そのような方だから公爵となる前に心を痛めてしまうの。だって父は5歳からずっと偽名を使い、周囲を騙してきたのだもの。己が決めたことではない嘘なのに、それをすることが苦しくて周囲の誰にも心を開けない。そんな優しい人なの。だからわたくしは月夜の物語を読んだことはないけれど、物語のヒロインにふさわしい人ではあるわ」
「恋物語のヒロインとして多くの男から寵愛を向けられるのもわかる?」
「わかるわ。それにディーの話を聞く限り、その物語も裏があるのでしょう」
リリがそう告げたので周囲の視線は再びディートハルトへ戻された。
「月夜の物語は恋物語として売られてる。竜王国の読者はそれをビタン王国特有の偏愛の名残だとして、建国当時の文化の混ざりを記した資料扱いをしてるよ」
「そこも間違ってない。人間しかいないビタン王国。男同士の愛だのもあった。ただ現実でのラピスラズリは、騎士団長っていう鉄壁の砦があって誰も口説けなかった。それでもあの綺麗な顔を照れさせたいっていう煩悩を、あの物語はかなえてるよな。自分らでは手が届かないけど、王だの何だのならこうなるんだろうって物語を通して疑似体験できる。むしろ主な読者層である貴族夫人や淑女さんたちはこういうの大好きなんだよ。帝国では女が騎士団内に立ち入ることなんてできないから、見ることのできない世界を想像して楽しもうとする」
そもそも部外者の立ち入りは禁止されてるから仕方ない。そんな正当な理由を出したディートハルトはマティアスから向かい側の女性陣に視線を移す。
「オレは報告書を読んだだけだけど、戦闘実習にもたくさん来てたよな? 高等部騎士科の姿を見たい女子生徒とかが」
「たくさんいらしてたわね。もちろん治癒魔法の練習のため、訓練のために参加した生徒もいたけれど」
「それと似たようなものだよ。宮廷貴族の令嬢さんたちからしたら十将軍は憧れの対象だし。でもビタンの騎士って土地柄かめちゃくちゃデカいんだよ。元は山岳地帯で鉱山掘ってたらしくてみんな骨格からおかしい。だから旧ビタン騎士と旧グレイロード騎士で体格差ができるわけ。で、そんな中にリリみたいなのがいるんだよ」
そう告げてディートハルトはリリを指さした。しかしどんな話も受け止めるつもりの女子5人もそれは受け止められなかった。
「リリのお父様は元騎士なのでしょう? いくらなんでも私たちの可愛い砂糖菓子と同じ外見であるはずがないわ」
「竜って筋肉つきにくいらしいから騎士としては細い。しなやかな筋肉っていうのかな。それに顔立ちはリリより甘い。そこは性格が出てるんだと思う。リリは公爵令嬢として作り笑いが完璧だけど、父親さんは天然でふわふわ笑ってるタイプだから」
「そ…えっ、作り笑い…いえ、公爵令嬢であればそうよね…」
普段リリが見えている笑顔が作りものだと知り衝撃を受ける。だが同じ令嬢として納得もできるのだろう。そんな彼女たちにうなずいて返したディートハルトはちらりと隣のマティアスを見やる。
「リリだったらケンカを売られたら自分で殴りに行くだろうけど、父親さんはいけない。まず自分の立場と、殴った場合の影響を考えてやめる。そんなだから自分から周りに受け入れてもらおうなんて思うわけがないよな」
「受け身な性格だったらそうかも。知らない人となじむだけで大変だから」
「月夜の物語が3巻まで出た頃なんだよ。リリの父親さんが宮廷に行くようになったのは。もちろんその時はまだ公爵としてじゃないよ。騎士団の手伝いをする中で使いっ走りとかしてたらしい。で、宮廷貴族たちはその人が近衛騎士団長と会話する姿を見て何かと重ねる」
「作者がリリの父上をモデルに書いたなら、重なるのは自然なことだね」
「しかも自分が好きで読んでる本の主人公だからな。どうしたって好意的に受け止める。そうやって恋物語という形態で広まった作品のおかげで竜を受け入れる下地も形成されてったんだよ。リリの父親さんが竜の力を使う時に目の色だの変わっても驚かない」
「ラピスラズリのきらめきだからだね」
「そう。それ。そういう方向で驚く人ならたくさんいる。なんなら魔物倒した後もリリの父親さんはめちゃくちゃ心配される。可愛いラピスラズリに傷なんてついたら困るって」
「確かにそれは僕もわかる。むしろ生ラピスラズリは僕も見たいよ」
「中身が凶暴で良いならそこにいるよ」
嬉しそうに微笑むマティアスにディートハルトはリリを指さす。そのためマティアスが見やれば、フォークを口に含んだリリが上目に見つめてきた。
「うーん。今のリリは砂糖菓子って感じかな」
「竜王国の砂糖菓子って雑草並のエグみと苦味でも入ってるのか?」
「そんなわけない! 甘くて可愛いから砂糖菓子なんだよ!」
「なあマティ」
リリは誰よりも小柄で甘く可愛らしい。その事実がわからないのかと義憤を膨らませるマティアスにディートハルトは真面目な顔で返した。
「本気で考えろ。甘くて可愛いオンナは、幼馴染みに死ねとか言わない」
「それは…いやでも、ディートハルト君もわざとそう言わせてるよね?」
「ははは、そんなわけないだろ。オレは正直なだけだよ」
わざと暴言を吐かせるようなことはしていない。そう言いながらディートハルトの手がおもむろにマティアスの前髪をかきあげた。
「オレの可愛いマティ。おまえが可愛いから可愛いと言ってるだけなのにあいつは」
「誰彼構わずそうされるディーは死んだらよろしいのに」
「そう言いつつ、リリもマティのことは可愛いと思ってるんだろ?」
「マティアスは子犬ですもの。可愛くないわけがないわ」
「よしよし、やっと意見があったな」
「わたくしが見つけた子犬で遊ぶディーに怒っておりますよ」
「でも仕方ないじゃないか。オレはここで月夜の物語を流行らせて帰るつもりだからな。そうすればいつかおまえの凶暴さがバレた時の助けになる」
ディートハルトのその言葉はリリの素性をいつまでも隠しておけないと言っているようにも見える。だからリリはそれに同意できるのに返さざるをえなくなった。
「戦闘実習の時は隠してくださいましたよ」
「そうしたのはその場に高等部Sクラスの首位がいたからだろ。非常時で混乱した学生たちの統率が取れる有能すぎる学生って書かれてたぞ。でもソイツがいつもおまえを守れるわけじゃないし、人の口なんて簡単に閉ざせないもんだ」
唐突に兄を褒められたマティアスの顔が真っ赤に染まる。そしてそんなマティアスの反応を見たディートハルトとリリは同じタイミングで目を見開いた。
「お兄様を褒められて照れてしまうなんて可愛らしい」
「そんな可愛い顔ができるなんて聞いてない。なんだその可愛さは」
「竜王国の男に可愛いは褒め言葉にならないんだよ!」
ふたりの言葉がふざけたものかどうかわからない。それでも羞恥心に耐えられなくなったマティアスはもう辞めてくれと声を上げた。
そしてその素直で贅沢な叫びにマティアスの姉たちも笑っていた。




