21.お姉様がたからのお願い
短期留学生として大地の月にやってきたディートハルト・ソフィードは翌月には学園内に知らぬ者はいないほどになっていた。
なにせ彼は転入した5日後には中等部2年騎士クラス全員を倒し、そのさらに3日後には3年騎士クラス有志を倒したのだ。
そんな中等部としてあり得ない強さが、隣接する高等部へ届くのに何日もかからなかった。しかもその人物があの砂糖菓子の幼馴染みという肩書も持つのだから尚の事だ。
特に戦闘実習に参加した高等部騎士クラスの学生たちはリリが何なのかを知っている。そんな砂糖菓子の幼馴染みがあり得ない強さを持つと言うのならその留学生もまた特別な何かなのだろう。
大地の月から王妃の月へ移り変わり季節が夏へ向かい始めるある日の夕方。
王立学園内で話題の人物であるディートハルトは、3年生の女子生徒たちから授業後の食堂に呼び出されていた。
そしてそんなディートハルトのそばには半月で車椅子から降りられたマティアスがいる。
授業後はカフェとして使われる広い食堂で、マティアスは杖をそばに立てかけて椅子に座っている。
そんなマティアスの視線の先には中等部3年生と変わらない長身を持つディートハルトがいた。
体格に恵まれたディートハルトは、今やこの中等部に知らぬ者はいない最強の男になっている。しかもそれがディートハルトの暇つぶしの結果なのだから恐ろしい。
スラリと高い身長と整った顔だけで女子生徒の目をとらえられるのに、騎士クラスより強いSクラスなど心を捕らわれないわけがないのだ。
だというのにディートハルト本人は相変わらずな態度を見せるので、女子生徒たちの視線の色も少しずつ変わっていってしまっている。
「お待たせマティ」
当たり前のようにトレイを運んできたディートハルトがマティアスの前にカップを置いてくれた。
普段は厳しさしか見せないディートハルトが、マティアスにだけ優しい声色を向けて尽くしている。その光景を毎日眺めていれば女子生徒たちも何かを察してしまうものだ。
なにせディートハルトはあの「月夜の物語」で語られる国から来た留学生である。
「ディー、ありがとう。でもそろそろ何かを察せられつつあるよ」
「そうか? そんなにみんな読まないと思ってた。リリから視線をそらせたなら勝ちだけど」
「そこはもう勝ったと思うよ。それにあの物語はこの国では年齢制限作品だからね」
「なんで年齢制限? 帝国なら普通に売ってるしオレでも読んでるのに」
「あれは竜王国なら十五歳以上しか読めないよ。月明かりの下でラピスラズリが様々な男と過ごすってあきらかに大人向けだから」
「会話しかしてないのになぁ」
「君は国に帰るから良いけど、僕は嫁ぎ先が無くなる可能性が出てきそうだよ」
遠回しにそろそろこのおふざけは辞めようと提案する。そんなマティアスの隣に座っているディートハルトは一瞬だけその視線を背けた。
正確にはディートハルトの視線は食堂の入り口方向を見ている。
だがそちらに背を向けているマティアスは深刻な思いのままこれは困る話だとぼやいた。
「一応侯爵家ではあるけど、僕は次男だから跡取りのいない家に嫁ぐか騎士になるか文官になるかしないといけないんだよ」
まだ中等部1年なので将来をそこまで悲嘆する必要はないかもしれない。だが15歳になり高等部に入学すると婚約が解禁されるため、優秀な令嬢から早いもの勝ちで売られてしまう。
そのため早い家ならもうそろそろ相手を探し始めているはずなのだ。
そんなことを真面目に語るマティアスは頬に手を当てられて口を閉ざした。
「なぁマティ? 可愛いおまえはそれでオレが灼かないと思ったのか? 嫁ぎ先がないならオレに嫁げば良いだけだろ。おまえのその丸く可愛い瞳を独占できる立場を他人にやるなんて耐えられない」
「おふざけが過ぎるディーは馬に蹴られたら良いのに!」
唐突に今までにない濃度で遊び始めたディートハルトの鍛えられた肩へ小さくか弱い拳が当たる。本人は殴っているつもりだろうが、当たったような勢いにしか見えなかった。
そうして頬を膨らませて怒るのは学園のみなに愛される砂糖菓子だった。
「ディーはなぜいつもマティアスで遊ぼうとするの! むしろそんな触れかたをするなんて無作法だわ!」
「は? 男同士で触りかたもクソもあるか」
「マティアスは異国の方なのだから帝国の流儀で触れてはいけないのよ。ガラス細工のように優しくして差し上げなさい」
「わかった。夜はガラス細工みたいに優し」
「馬に蹴られたらよろしいのに!!」
今度は頭を殴られたディートハルトはおふざけをやめた。それでも笑いながら遅れてやってきた上級生たちを見て立ち上がる。
今回ここでディートハルトを呼び出したのはマティアスの姉だった。
ブリジット・ローランは文才にあふれた才女として竜王国内で認められている。その上さらに彼女自身も物語を深く愛している。そのため物語を理解するためならその舞台となる国のことまで調べることも厭わない。
そんなブリジットからディートハルトが頼まれたのは「月夜の物語」に関する解説と考察である。
「飲み物なにが良いですか。オレが持ってきます」
「いいえ、自分たちで持ってきますわ。呼びつけておいてそこまでさせてはいけませんもの」
ディートハルトの言葉をアドリエンヌが優雅に受け返した。あげく慣れた様子でリリに手を差し伸べる。
「リリ、今日のケーキは決まっていて?」
「野苺、果物、チーズ、練乳です」
「ひとつになさい」
「お姉様、甘いものを我慢するというのは帝国民にとって死に等しい苦しみを伴うものですよ? 父もそんな感じで我慢したことはありません」
「あなたのお父様は甘党の方なのね?」
アドリエンヌとリリは平然と会話しながら受付に向かう。その後ろ姿を見たディートハルトは他4人に個室が良いかもしれないと言い出した。
その上さらにマティアスへ手を差し伸べる。
「ごめんな可愛いマティ。本当は個室なんておまえと語り合う以外で使いたくないが、今回は許してほしい」
「月夜の物語について語るだけなのに」
「もしかしたら説明に難しいところもあるかもしれないと思ったんだ。語るのに難しいならやって見せれば早いじゃないか」
「確かに。剣術でもやってみたほうが早い時はあるからね」
言葉で言われてもわからなくても目で見れば理解できる。そんな部分は剣術だけでなく勉強する時でも遭遇する。
だからと納得したマティアスはベルナールの手を取って立ち上がった。
するとベルナールは優しい笑顔でマティアスを見下ろす。
「説明するために必要な行為だとしても、オレはお前以外を触れたいと思わない。それに甘くとろけるおまえの愛らしさを他の男にも見せたくない。それだけだよ」
「それは月夜の物語7巻にある騎士団長のセリフでは!!!??!」
いつもより強い攻撃に頭が停止したマティアスの背後で姉が歓喜の声をあげた。
「そこまで自然体で演じられるほど熟読しておられる方がこの学園にいらっしゃるなんて…僥倖が過ぎます!」
「な?」
感動する姉の声を背に、マティアスは平然と肩をすくめるベルナールを凝視する。そこには恥ずかしさだけでなく小さな怒りもあった。
するとそんなマティアスの内心を察したらしいベルナールは、背を丸めるようにマティアスに顔を近づけ耳元でささやく。
「ごめんだけど、この流れだとリリに関する話もしなきゃいけないかもだから」
そうささやかれた瞬間にマティアスは彼がいつもより強いふざけを見せる理由を理解した。
彼にとって味方認定されていない周囲の学生たちの視線と好奇心をリリから背けたいのだ。
それはあの月夜の物語の主人公であるラピスラズリの君がリリと似ている部分にも関係するのかもしれない。そう考えたマティアスは全力で羞恥心を抑え込むことにした。




