17.砂糖菓子の恐ろしい保護者
大地の月はグレイロード帝国においては芽吹きの季節となる。
だが竜王国においては芽吹いた草花が咲き乱れる季節だ。竜王国王都にいくつかある庭園を歩けば色とりどりの花が楽しめるだろう。
それになによりこの時期は白く可憐な花びらをたくさんまとわせたシャラの木が、その風に花びらを舞わせて人の目を楽しませてくれる。
そんな花々の甘い香りを乗せた風に鼻をくすぐられてリリはうつろな目を開かせる。
開かれた窓には白いレースのカーテンが揺れていた。淡い水色を混ぜた白壁と木目が残る白い木製の天井。
「おはよう、僕の可愛い姫君」
強すぎる疲労感にまだぼんやりとするリリに優しいけれど笑うような声色が落ちる。
そのためゆっくりと目を動かせば、苦労の気配すらないきれいな白い手がリリの頬に触れた。
「あの現場は、たった12年しか生きていない脆弱な雛でしかない君には荷の重すぎる状況だったろう。君はまだ幼く感情に振り回されてしまったのだろうけど、あの時の君は逃げるべきだったよね」
「…い、え」
乾ききった喉を無理やりにでも言葉を通して、かすれた声でも否定を向ける。
するとやはり相手は愚かだなぁと笑った。その反応からやはり自分の考えは正しかったのだと、リリも認識してしまう。
この方は既にこの国の人間を諦めている。
だから次の代にお荷物を背負わせないため子を成さないのだ。
「おじさま…」
「君は僕の可愛い姫君だけど、なによりこの広い世界においても唯一無二である雌の青竜。数多いる人間なんてもののために犠牲になって許される存在ではないよ」
「わたくしの最愛が、いますの」
優しく美しく可愛らしく温かいお姉様がた。けれどそれだけではない。あの時、あの場には同じようにリリを守り救おうとした女性たちがたくさんいた。
自分も避難すべき身であったのにリリが年下だから小さいから最優先でと馬車を譲ってくれた。
みな愛おしいリリの先輩たちだ。
そう語りたいのに喉が枯れてうまく話せる気がない。だというのに目の前の方はなぜか真顔で黙り込んでしまった。
「それ、不敬罪で殺してもいいよね?」
「やです」
「だけどね。可愛いセレン。僕の姫君。それだけは駄目だよ。だって」
「だって?」
大切な部分ないつも濁して教えてくれない。この国の唯一であり、この世のすべての竜種をもすべる唯一無二の青い成竜は今も微苦笑で何かを飲み込んだ。
「…今は君が無事であることを喜ぶべきだね。だけど君は覚えておかなければならない。あの場でもし君が死んでいたなら、君という宝を守れなかった王立学園の生徒は全員が死罪だった。さらに言うと、君の正体を表に出すことで己の家に利益をと求める生徒がいたなら一族全員死罪だ」
「わたくし…見られましたよ?」
「そうだろうね。だが現場にいた騎士見習いからそのような報告は上がっていない。毎年恒例の実習報告をなぞったように平凡でつまらない報告書だったからね。もちろん学園側からもなにも報告はなかった。だけどそういうことなんだよ」
「そういうこと?」
「現場の騎士見習いたちは、己の判断で君を隠して守ろうとしている。高等部騎士科の者たちも、後方支援として参加した女子生徒たちも全員ね」
「あ」
とうとうリリの喉は何の言葉も出せなくなった。
あの場でリリは上級生たちと言葉を交わし、竜の雛が守られないという現実に恐怖した。リリ自身、己が未熟で脆弱であることは承知している。
まさに目の前におられる本物の青い宝玉そのものが言う通りなのだ。
なのに誰からも守られず、竜の雛という理由で魔物から極上の餌扱いされ狙われ食われて死ぬのだと震えた。
けれど現実は違った。
あの広大な森のどこかで力尽きたリリは彼らに見つけてもらえた。その上で学園の大人たちから隠し守り運ばれ、今こうして寮の部屋にいる。
リリはきちんと皆から守られていた。
その喜びが言葉ではなく涙となってあふれてしまう。
「ほんとうに…愛すべきものなの」
「うん、殺したい。本気で殺したい。でも可愛い僕の姫君の命の恩人である事実は曲げられない。足の骨が折れて組織を壊してまで君を運んだ労を保護者として認めなきゃならない」
「おじさま…? どういうことです?」
「大丈夫。僕は君のパパの100倍は大人げないけど一応は保護者だからね。そっちの対応もきちんとしてるよ」
自分のために負傷した者がいるのかと不安がるリリに彼が言う。
「だけど交際は認めない。これは絶対だ。そんなことは高等部に進んでからやるべきなんだ。だから今の君は、おじさまありがとう大好きって言わなければ駄目だ」
「おじさまありがとうだいすき?」
状況を何も理解できないリリは促されるまま感謝の言葉を吐き出す。
するとリリの視界の中でこの国の頂点たる方が拳を突き上げて喜んだ。
「よし!じゃあ、おじさまは城に帰るからね。リリもしばらくはおとなしくしてるんだよ。君に治癒魔法は使えないし、使えたとしても身体の衰弱を癒す魔法はないんだからね。まあ竜の術でなんやかんややったから日常生活くらいならいけるけど」
「はい、ありがとうございます」
「可愛い姫君。ご飯はたくさん食べるんだよ。君の立場を抜きにしても、今は身体を休める時期だ」
「承知いたしました」
最後まで優しい気遣いを向けた方はあっさりと窓を飛び降りて去っていく。あるいは成竜たるあの方ならそのまま飛び去ったのかもしれない。
でもあえてベッドを離れて確認する気力がないリリは深い安堵とともに目を閉ざした。
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そうして小さな寝息をこぼし始めた甥の娘を窓の外から見た彼は安堵の息をこぼした。
幼く小さな彼女の身を蝕む瘴気はすべてかき消した。その上で引きこもりの金竜に説明し作らせた薬も飲ませている。
後は人間と同じように栄養と休息を取ることで回復させていくしかない。
竜の強さは相手の魔力を瘴気ごとかき消すことにある。そうすることで魔物なら存在ごと消し炭にされ、魔族も魔法武具もその意味をなさなくなる。
すべての魔法も魔術も呪詛も何もかもをかき消す絶対的な浄化の力。それが竜の強さである反面、竜の弱さでもあった。
竜の血肉を食らえば何かが強くなるわけではない。けれど魔物たちにとって竜の肉は何よりも美味いものであるらしい。だから竜は魔物から餌として狙われる。
もちろん竜は魔物などかき消せるほどの力を持つので問題はない。だが未熟で脆弱な竜の雛はまったく違う。
この世界にいる竜の個体数が少ないのは、竜が孵化したとたんに食われるからだと言われている。だから成竜は雛を見つけた時には鱗の色を問わず救い守ることとしている。
そしてこの大陸には竜王国にいる彼自身以外にも竜がいる。大陸中央部にそびえ立つ高い山脈の奥地に金竜の里があるのだ。
そして竜王国の青い竜と金竜は、古来からこの温暖な大陸で共存してきた。
グレイロード帝国に生まれた幼いセレンティーヌを留学生として迎えられたのは実はここが大きい。
山奥に引きこもりがちな金竜たちでも、人の腹から生まれた竜は特別だと知っている。なので数十年前に生まれた竜の雛は金竜にも守られてきた。
ならばその娘であるセレンティーヌも守られるだろうと誰もが思った。
ただ今回の事案は、竜王国の民である人間が魔物というものを甘く見ていたために招いたことである。
小型の魔物しか現れないから戦闘実習は安全だと人間たちは思い込んでいた。だから中等部1年の幼い子でも申請すれば見学が許される。
あげく安全だという思い込みにより、セレンティーヌが見学に行くという報告もしなかった。
そのためセレンティーヌが安全な王都から遠く離れた地に行くことを王城が把握できなかった。
だが多くの大人たちの愚かさが招いた事案ではあるが、その中で賢明な学生たちの姿を知ることはできた。
今年の戦闘実習に参加した学生たちは、大人と違って守るべきものをわかっているらしい。
その点は評価に値する。
そしてもうひとり。
中等部の敷地内を歩く彼は黒くなった自身の前髪をいじりながら嘆息を漏らした。
最大の問題はローラン侯爵家の次男だ。
竜独自の凶暴な本性の部分が、セレンティーヌに最愛と言わせた愚物を殺したいと唸っている。しかしそんな事をしたら可愛い彼女を泣かせ嫌われる結果しか招かない。
だから仕方ないと思いながら男性寮へ向かえば、こちらの玄関は竜王国騎士が立っている。
もちろんその表向きの理由は砂竜の声を聞いた学生への聞き取り調査だ。
むしろその一点を強調して竜王国騎士団を介入させ、しばらく安静にすべき姫君の安全を、現場の騎士へ何も知らせぬまま守らせる形にした。
男性寮に入った彼は騎士から、2階にあるというマティアス・ローランの部屋に案内される。
マティアスに関しては不具合を起こす魔法武具を所持、使用したとして聴取済みだ。そして同様の理由で兄や姉も部屋に呼ばせておいた。
もちろん女子生徒を男性寮に入れるという校則違反への苦情も騎士団に潰さている。
部屋に入るとベッドに黒髪の学生が座り治療を受けていた。骨だけでなく筋組織を壊した彼は1度の治癒魔法で治せない状態だと聞く。今も白衣をまとった騎士から治癒魔法を受けていた。
そのそばにはその辺りの事情も説明されただろう黒髪の女子学生と金髪の男子学生がいる。
「お疲れ様」
治療が行われているのを尻目に彼はそばに控える兄姉のほうへ声をかけた。
「ベルナール・ローランとブリジット・ローランで間違いない?」
「はい。自分は高等部1年のベルナール・ローランです」
「じゃあ報告書を書いたのは君だね」
報告書という言葉を出した途端にベルナールの目がわかりやすく揺れた。
学内でどれほど優秀でも、そのため仲間を説得して大人を騙し通せたとしてもしょせんは16歳の子供なのだろう。
「僕のことはロシュと呼んで。それで報告書のことなんだけど、よく書けていたよ」
わかりやすい形で褒めたというのに、ベルナールは真っ青な顔でこちらを見つめている。そのためロシュと名乗った彼は笑顔を見せることにした。
「そんな緊張しなくて大丈夫。僕は君の判断力と行動力と努力に感心してるんだよ。だってあの報告書は本当に良くできていたんだ。毎年こちらに提出される愚かさと無能さにあふれた報告書と代わり映えしない出来だった」
愚かで無能な報告書と酷評されたと思い込んだ他二人が驚きの目でベルナールを凝視する。優秀と言われる兄がそのように評されれば驚いて当然だろう。
「君は過去十年の報告書をすべて調べ上げたうえで、最高の妥協点なところを突いてきたよね。おかげで君の報告書は僕以外の全員を騙し通せていたんだ。君はその実力を誇って良いよ」
「おそれながら…」
「恐れなくて良いよ。言いたいことがあればどうぞ」
優秀なベルナールは偽名を出した瞬間からすべてを理解している。だから今もなお緊張のあまり顔を青白くさせているのだろう。
自分は国家を欺いたという自覚があるからこそ。
「今回のことを提案したのは自分です。報告書も何もかも自分ひとりでやりました」
「うん。ん? それは手柄の独り占めという話かな?」
「……いえ、責任の所在に関する」
「責任なんて取らせるわけがないよ。だって君は初めての戦闘実習で非常事態に巻き込まれたという危機的状況で大正解を出したんだ。だってそうだろう? 君が愚かにもすべての事実を外に出していたらどうなる? さらに愚かな人間は僕の姫君を己の欲に利用しようとするだろう? 」
「それは…はい。自分もそのように考えました。彼女には自由に学ぶ権利があります」
「そうだね。でもそれ以前に、人間ごときが僕の姫君を好きに使おうなんて愚かしいよね。僕は人間たちが近くで生きることは認めてるけど、それだけだからね。守る義理も救う義理も愛着も何もない人間ごとき殺せば済む話ではあるけど、それで僕の可愛い姫君の心が傷ついては困る。だから君は素晴らしい判断をしたんだよ」
ロシュにとって人間は近隣で生きているだけの異物でしかない。そんなものが何人死のうが気にしないが、セレンティーヌは違うだろう。
その辺りの事情を口にすればベルナールは妙に安堵したような苦笑いを見せた。
「だけど君の弟はどうなのかな」
「はい。自分の弟は彼女を救うために足を壊していますが」
「僕の可愛い姫君が、最愛の人って言ってたよ。だから本音のところでは今すぐにでも殺したいけど駄目だよね」
「え……え?????」
それまで年齢を感じさせない礼儀作法を見せていた真面目な優等生が壊れたように目を見開きベッドを見た。
「マティアス!!! おまえ!!!?」
「ちがいますちがいますちがいます違いますそれは僕ではないです!!!姉上たちのことです!!リリは僕のことを子犬と言いますが、姉上たちのことは最愛のお姉様だと言ってます!!!」
兄から責められた次男は既に半泣きの顔で叫んでいた。その様子に偽りがないと認識したロシュはその黒い瞳を同じく黒髪の女子学生へ向ける。
「あの子は君たちを最愛だって?」
「はい。私を含めた5人いるのですが、平等に全員を姉と呼び慕ってくださいます。特に筆頭侯爵家の御息女でもあるアドリエンヌ様とは本当の姉妹のようで、叱責される時も嬉しそうになさっておいでです」
「なるほどねぇ…。たしかにあの子は長女として生まれてて、親戚関係で唯一の女の子な扱いを受けてるからね。姉という存在に憧れてもおかしくないか」
「そうなのですね。ご親戚に至るまでみな殿方では幼い頃から寂しい思いをなさったのでしょうか。遊びも違ってきますでしょうし」
「逆に幸せだったからこそ、こっちで寂しくなっているんじゃないかな。そしてその寂しさをお姉様とやらで埋めてるんだよ。だって考えてもみなよ。こんな身内は誰もいない異国の地で、自分に悪いことは悪いと言ってくれる人なんて他にいないよ? だから君たちお姉様を母親のように思えてしまうんだろうね」
赤の他人であれば批判や顰蹙は向けても、わざわざ叱ってまで教えてくれることはないから。そう語ったロシュにブリジットは同意するように微笑んだ。
「私たちにとって彼女は何より愛すべき砂糖菓子なのです。そんなあの子が喜んでくれるならいくらでも触れ合いたいと思っています」
「うん、ありがたいよ。僕は彼女の保護者だけど、母親役はできないからね。だけど君たちはあの手負いの子犬の世話もきちんとするんだよ? 人間の常識なんて知らない僕だけど異性との交際は高等部からだと決めてるから」
「はい。それに関しても同意見でございます」
ロシュの言葉にブリジットはにこやかな顔で同意する。そのためロシュは安心した顔で良かったと素直に口にした。
「じゃあ僕はそろそろ帰るよ。きっともう謁見の間で誰かが叫んでると思うから」
「多忙な陛下にご足労をおかけいたしまして」
「可愛い雛の最愛と言葉を交わすことより大切なことはないから大丈夫だよ。それにベルナール・ローランという将来有望な人物を知り得たのも公務より価値あることだからね」
そういうことだから、卒業後は城に来るんだよ。ベルナールの肩を叩いてそう告げたロシュは今度こそ城へ帰るべく部屋を出た。
そうして廊下を歩きながら、ふと先ほどの兄弟のことを思い出す。
特にあのマティアス・ローランは魔法武具の不具合を起こしたと報告されている。だが彼ほどの魔力量で不具合を起こす魔法武具などあるのかと思えたのだ。
もしそうなら魔法武具に性能を乗せすぎたのか。あるいは技師が彼の魔力量を少なく見積もり魔芒石を選んでしまったのか。
何にしてもローラン侯爵に話をしてみようかと考えながら、ロシュは男子寮の玄関を出た。




