16.ローラン侯爵家の落ちこぼれ
マティアス・ローランはローラン侯爵家の次男として生まれている。
4つ上の兄は幼い頃から優秀で5歳の時には座学と剣の修練を始めていた。さらに楽器演奏をさせればどんな楽器も弾いて見せ、10歳になる頃には古代語も習得している。
そんな兄の存在だけでローラン侯爵家の未来は安泰だと誰もが言う。
だというのに2つ上の姉も優秀で、7歳の時に書いた詩が宮廷内で表彰された。それを引き金にして姉は様々な詩集や物語を書いては発表して貴族夫人たちから絶賛されているという。
そのため必然的にそんな2人の下に生まれたマティアスも周囲の大人たちから同様のものを求められる。
だがマティアスは何も持っていなかった。
何でも飲み込む優秀な頭だけでなく、剣の才能も音楽の才能も讃えられるような文を書く才能もない。
泣き虫で臆病者で、赤子でもないのに枕元へぬいぐるみを置いている。
そんなマティアスが周囲の大人からの関心を失い、両親を幻滅させ落ちこぼれと言われるのは必然のことだった。
だからマティアスは願ってしまった。中等部入学祝いに何か1つ買うことを許された時に。
自分用に製作する魔法武具は流行に乗った色彩操作の効果が良い。そう魔法武具の技師に依頼しながら語ってしまった。
自分は強くなりたい。その魔法武具を身につけることで別人のように強い何かになりたい。
それこそ戦神ロールグレンの生まれ変わりであるノワール・ブレストンのように。
落ちこぼれと言われない強さを。落ちこぼれな自分でも兄の誇りと思ってもらえるような強さを。何をしなくても姉から物語の素材にと望まれるような強さを。
マティアス・ローランの失態はその願望すべてを技師に語ってしまったことだろう。
11歳のか弱い少年が思うままに高すぎる望みを出してしまった。そしてローラン侯爵家が依頼したその技師はそれを叶えられるほど優秀だった。
けれどマティアスは、そうして生まれた強すぎる魔法武具に飲まれてしまった。
魔法武具を装着しただけでマティアスは万能感に支配される。髪や瞳の色が変わるように、性格も塗り替えられ頭の中まで変わっていく。
あげく不思議なことに赤く染まったその目は、それまで無かったものを見ることができるようになった。
人から放たれる靄のようなもの。人によって大小さまざまな上に色も違う。あげくその霞は人によっては歩く道筋を残していた。
だからマティアスは入学式から毎日、いつどんな時もあの砂糖菓子を見つけることができた。広い学内のどんな場所だろうが、砂糖菓子の歩いた後には淡く白い霞が残る。
だからクラスが違ってもどこにいても砂糖菓子を見つけられたのだ。
そして今もマティアスは広大な森の中に白く細い霞を見つけて走り続けていた。
魔法武具の生み出す万能感は頭を狂わせるため、疲労を感じることなく活動し続けられる。睡眠時間など取らなくても勉学に励むことができるし、走れと言われればいつまでも走り続けていられる。
実際のところ2つあるAクラスの下位側にいたマティアスが2度の試験を抜けSクラスに行けたのはそれを利用したからだ。
睡眠時間を取らず勉強し続ければ、マティアスのような落ちこぼれでもSクラスに上がることができる。
だがそれは魔法武具で頭が狂わされた前提の話だ。身体は人間のままなのだから、休息しないでいればいつか壊れる。
だからマティアスは、兄から魔法武具を奪われた瞬間に昏倒したらしい。
そうして2日ほど発熱を伴いながら寝込んだ。そして兄からも姉からも叱られた。
そうして無価値な落ちこぼれに戻ったのに、あの砂糖菓子はマティアスを見てくれた。
見た目以外はまったく甘くない砂糖菓子。
でもきっと彼女は自覚していないだろうが、マティアスは彼女からたくさん甘いものをもらっている。
男のくせに情けなくも泣くマティアスを、彼女は情けないとも言わず慰めてくれた。
どんな相手にも及び腰で姉にすら頭が上がらない情けないマティアスを可愛い子犬と許してくれる。
己の時間を割いてまで試験勉強を見てくれるのに、それでも学力首位を奪われない。あげく彼女はその順位をもって、マティアスのことが負担ではないという証しだと笑った。
優しくて甘くて、でも放たれる言葉はかなり苦い砂糖菓子。
馬車で逃げる前から、彼女は怖いと言っていた。
そして馬車の車内で彼女は泣いていた。
そんな彼女の、「竜王国を生み出す深く広い海」と称される藍に近い青色の瞳からきらめく涙をこぼしていた。
そんな彼女は魔物の餌になると言う。
自分がまとう魔法武具はすべて自分をこの世から守るものだと。
そんな綺麗な彼女に魔法武具を返さなければならない。落ちこぼれのマティアスには無理でも、魔法武具なら彼女を守ることができる。
そのためなら広大な森の中を何時間走ろうが問題ない。魔物に襲われても倒す自信だけはある。
そうして夜が更けて周囲が真っ暗になった頃。
月明かりも届かない深い森の中でマティアスは砂糖菓子を見つけた。
暗すぎて傷の具合も何もわかない。だからと疲労をかき消した状態のまま小柄な彼女を抱えて明るい場所へ移動する。
木々の隙間から弱い月明かりが届く場所で見れば、彼女に血痕らしいものがないことはわかる。それでも身体の冷たさは無視できないのでマティアスは上着を脱いで彼女を包んだ。
そうして地面に横たえると、まずは彼女のペンダントを首につける。次におそるおそる耳朶に触れて小さなイヤリングを。
最後に左手の中指に指輪をはめれば、それぞれ3種の魔法武具から淡い光があふれ出る。
月明かりの下でその神秘的な光景を見ていると彼女の髪の色が見てわかるほど変化した。
脆弱な月明かりでもわかる青色から見慣れた砂糖菓子の色合いに。
だとするなら魔法武具は無事に発動して、彼女が告げた彼女自身を守る機能も動いているのだろう。
そう安堵したマティアスは自分の右手首を見やった。
魔法武具は今も正しくマティアスを狂わせて、万能感と引き換えに身体疲労を知らせる警告をかき消している。
でも今はまだそのままで良い。
無理を続ければ身体が壊れるという兄の言葉は正しい。だがこの砂糖菓子とマティアス自身とを天秤にかけるつもりはかった。
留学でやってきた異国人である砂糖菓子は、怖いと言いながら泣きながら、それでも竜王国の人間を守るために己の犠牲を顧みなかった。
その事実を無視して己の身体を救おうとするなら、マティアスはもう二度と誰かに憧れているなどと言えなくなる。




