138. 竜王国騎士団の変化
白の月下旬になると王立学園では恒例の月末試験が行われる。
そのため中旬頃から昼休憩でのトレーニングが一時的に中断となった。見物していた女子生徒たちはそれを聞いて嘆いたが、すぐに新たな情報を得る。
いつの間にか30人に膨らんでいる騎士科のトレーニング組は場所を図書室に変えて、試験勉強という修練を積むことになっているからだ。
もちろんそちらでの教官も変わらず『乙女の騎士』であるアニエス・ディランである。
アニエスは現役騎士として学内の誰よりも強い。だが同時に現役騎士だからこそ、学業も高等部卒業レベルまで終えている。
そのためアニエスは学力も剣術も学内トップという状態になっていた。その点は帝国魔法兵団所属のディートハルトも同じ立場ではある。
しかし彼は騎士科の生徒たちと同様に、勉強より身体を動かしたいと嘆くタイプの男だった。
そうして中庭と違い、身の入らない騎士科の生徒たちを見た現役の第二部隊長は薄く笑う。
「何も知らず何も考えず、上の命令だけ聞く道具のように生きたいのならそれでも構わない。どの部隊もそのような便利な駒を必要としているからな」
テオバルトから出た道具や駒という言葉が騎士科の生徒たちを騒然とさせる。だがテオバルトは平然と言葉を続ける。
「どの国の騎士団も優秀な者を必要としている。その優秀な者とは、現場において己の考えで問題を処理できる人間のことを言う。では問題を処理する時に必要なものは何か。それは知識と経験だ」
淡々と、だが10代半ばの少年たちにもわかるように、テオバルトはいつもよりゆっくりと言葉を並べる。
「過去に起きた事例の資料を読み解くには、読解力だけでなく知識が必要となる。例えば昨年度、王立学園の戦闘実習で発生した事案がそうだな。闇竜を含めた多くの魔物が現れた際に、君たちの先輩がどのように動いたのか。これは読解力と想像力だけでは正しく理解できない。なぜなら君たちは闇竜を知らないからだ。そして同じく何も知らない君たちは、その場に立っても何もできない。だが昨年度の騎士科3年生は違っていたな。闇竜のことまで調べ上げ、すべてに対応できる陣を敷くことまでした」
ここで騎士科の生徒何人かが立ち上がり、図書室内にある資料棚から戦闘実習における報告書をまとめたものを持ってくる。
それは毎年作成される資料で、騎士科筆頭や生徒会長が作成する事になっていた。ただそれを面倒と思う者などは、賢い普通科の生徒や後方支援の女子にやらせることもある。
「この事案でわかることはひとつだ。ただひとり優秀な者がいただけで、まだ騎士ですらない君たちのような人間でも一個師団に匹敵する戦力になれる。しかも報告書によれば、彼らは全員が下位貴族や平民で構成されていた。上位貴族のような特別な人間は誰ひとりとして存在しない。つまりここにいる君たちと同じ条件だ。では、これから努力することで昨年度の3年生のような精鋭部隊にもなれるということだな」
テオバルトがそう告げると「おおお…」と、低く響くような複数の声があふれ出る。あげくその声は膨らみ興奮した騎士科の生徒たちがはしゃぎ始めた。
そしてそれを見ていた女子生徒たちも騎士科のはしゃぎように笑う。
その騒がしい室内で司書が立ち上がったところで、アニエスがパンパンと手を叩いた。
「ここは図書室だ。騒がず勉学に励む場所だよ」
アニエスの叱責に騎士科たちは返事をしながらも、「やってやるぜ!」と声を上げて勉強を始める。いちいち声に出すのは理性より何かが強いためだろう。
そこでアニエスの隣で静かに読書していたリリが、「頭の中まで筋肉だわ」とつぶやくと複数の笑い声がこぼれた。
王立学園で月末試験が行われるのと同時期、王都内全域と同じ発表が校内の掲示板に貼り出された。
それは前騎士団長が不正行為により罷免と免職となったこと。さらに同日付けで新騎士団長が就任したことを知らせるものだった。
その掲示を見た生徒たちは、騎士団長の不正行為という見慣れない言葉に眉をひそめる。悪を取り締まる側が不正行為をしていては王都の治安など守られるわけがないからだ。
だがその不信感はさらに下へ読み進めたことで払拭される。
新騎士団長の名はロシアルト・イル・リズロット。
かつて竜王国騎士団の騎士団長と、さらに蒼の部隊長を務めたのは王国民なら誰もが知ることだ。
さらに彼は人でありながら、『戦神の羽をその身に宿した』アリシア・ブレストンと唯一対等の実力を持つほどの人物として知られている。
だがそんな竜王国最強の男も相棒だった騎竜の死を理由に7年前に引退してしまった。
けれど今回、そんな生きた伝説のような男が再び騎士団のトップとして復帰する。その強い衝撃は王都内に歓声を巻き起こし、前騎士団長の不正が何だったのかなどすぐに話題から消え去った。
なぜならあの『ロシュ様』なら、どんな不正も見逃さず厳罰に処してくれると信じているからだ。
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竜王国騎士団内は騎士団長こそ交代したが、それ以下の人事は変わっていない。ただ騎士団内にあった権威主義や差別意識は急速に消滅しようとしている。
なぜなら新騎士団長は、平民でありながら騎士として数々の功績を残し伯爵位を賜った男だからだ。
むしろその部分が生きた伝説と言われる所以である。
さらにもうひとつの原因は第一部隊長たちの、第二部隊長への態度の変化だった。
「第二部隊長殿!」
昼下がりの王城へ戻ったテオバルトは慌ただしい声に呼び止められて足を止める。すると勢いよく駆け込んできたのは第一部隊四班のフレデリク・シャンボールだった。
「貴殿があの方を口説き落としたと聞きました。どのような方法で距離を詰めたのですか。方法を教えてください」
「正直に元騎士団長の不正行為を説明して、戻ってほしいと頼んだだけだが」
「お土産など渡しましたよね?」
「……家を訪れる際には」
そんなことは最低限の礼儀のはずだがと首を傾げるテオバルトの目の前で、フレデリクは真っ赤な顔で周囲に人がいないことを確認する。
その上でさらに半歩テオバルトに近づき、密着すると小声で問いかけた。
「あの方の好みを教えてください」
「くるみパイ」
「甘い物がお好きなんですか?」
あのいかつい見た目でと吐露するフレデリクを見つめたまま、テオバルトは淡い青色の瞳を細めた。
「くるみはロシュ様の騎竜の好物だ。だからあの方は若い頃からくるみパイを食べて、その匂いを身にまとうようにしていた。騎竜が喜ぶからだ。そしてあの方は今もそのまま生きておられる。騎竜を駆り空を飛ぶ他の竜騎士すら見ていられないと、騎士団に背を向けた7年前のまま。だが今回の愚か者どもの不正も見逃せず立ってくださった」
「それは」
実際のところ四班のフレデリクは不正行為とは無縁の立場だ。騎士団長のように当時の侯爵に頼まれ利益供与となる行為もしていない。そして一班や二班のように、闇竜が現れたという通報を無視する件にも関与していない。
だがそれは第一部隊全体の責任として扱われている。
「ロシュ様を想うなら、好物を渡すことよりまずその身を持って示すべきだ。第一部隊は正常に機能し、王都の治安は守られていると」
「現状で王都中層は治安が改善されています。自分が何もしなくとも、王都下層にいた犯罪者が駆逐されればそうなります。つまりあなたの功績です」
「だが俺は夏には騎士ではなくなる」
テオバルトが告げたところ、フレデリクは酷く驚いた顔を見せた。
「え???? なぜです???」
「知らないのか? 俺は件の殺人未遂事件捜査の中で解雇処分の辞令書を出されている。前騎士団長による利益供与の証拠そのものだ」
「いえいえいえいえ、それはおかしい。それがまさに不正の証拠なのだから、辞令書だって撤回されるものでしょう。辞める必要がない」
「貴殿も承知しているように、王都下層の犯罪者は駆逐された。騎士団も壊した。もうこの先にやることがない」
「やること? 隊長職として安定した生活をされたら良いではないですか。それがあなたの作り上げた平和なのですから」
「無理だな。退屈すぎる」
「それが平和ということなのに……」
それがアンベールというものなのですね。独りごちるようにつぶやいたフレデリクは、なぜかテオバルトを抱きしめてきた。あげく背中をたたき、礼を口にする。
「今の時代にあなたがいてくださったこと、感謝します」
「まだそれは早いと思うが。辞めるまで5ヶ月あるからな」
「では第二部隊長殿とお会いするたびにやります!」
「それは俺ではなくロシュ様にやってほしい」
「そんな恥ずかしいことはできない!」
「だったら俺にもやらないでくれ」
真っ赤な顔で「いやでもしかし」とごねるフレデリクに抱きしめられたまま、テオバルトは死んだ魚のような目でため息を吐き出した。




