134. 現在のダニエル・ヴァセランは蒼の部隊所属
「おー! 砂糖菓子ちゃんじゃないか! 大きくなったなぁ」
昼休憩に入り食堂へやってきたリリは、青い竜の刺繍を腕につけた大柄な男に迎えられた。その姿を見たリリは珍しく驚いたように目をしばたかせる。
「大昔にベルナール・ローランを撫でたいほど可愛いと言っていた変態ダニエル・ヴァセラン先輩ではありませんの。とうとう騎竜に嫌われて王立学園へ出戻りに?」
「第一声からめっちゃえぐって来るところは変わらないなぁ。おれはいまも騎竜と仲良しだよ。それにベルナールは可愛い弟みたいなもんだから撫でるのだって問題ない。それよりちょっと話があるから一緒に飯食って良い?」
「その誘いに下世話なものがないのなら良いわよ」
「ないない。マティアスだって撫でたいくらい可愛い弟みたいなもんだし」
「あなたは弟がたくさんいるのね」
「侯爵家の連中なんてそんなもんだよ」
藍色の騎士団服は他の部隊と違い丈が短く、上衣は腰の部分までしかない。それは騎竜に乗っても邪魔にならないように計算されてのことだろう。
王立学園を2年前に卒業したダニエル・ヴァセランは、竜王国騎士団の花形である蒼の部隊に入った。侯爵家の人間ではあるが、そもそもヴァセラン侯爵家は騎士の家系だから格式や礼儀より合理性を取るらしい。
その説明も、きっとあのテオバルト・ヴェルと出会ってなければリリも納得しなかっただろう。現在の彼はこの国で平民を名乗っているが、8年前の彼はアンベールを名乗っていたのだ。
そして傭兵団の生き残りなのに帝国貴族も唸るほどの礼儀作法を持ち合わせた彼は、確実に竜王国の侯爵家らしい所作の人だった。
だが彼と違い貴族らしい所作を持たないダニエルは、テーブルに着くと高等部食堂名物らしい厚切りステーキを平然と食べようとしている。
「もしかしたらアドリエンヌも知らないかもなんだけど、侯爵家の序列って意味があるんだよ」
ステーキにナイフを刺しながら、ダニエルは平然と竜王国の侯爵家について語りだした。そのため向かい側に座るアドリエンヌは眉を浮かせる。
「竜王国において、より昔から国を支えた順であると学びましたけれど」
「それはそれで正解なんだけど、竜王国の歴史の中で果たした役割みたいなものもある。例えば筆頭のオーブリー侯爵家の始まりは為政者としてこの国の根幹を築いたとこからだとか」
「それは……デュフール侯爵家が知識の家系と言われているのと同じなのです?」
「そうそう。国を立ち上げる時に序列3位のローラン侯爵家までが、政治と知識と経済で根幹を支えた。この国は竜の加護を得るために人が集まって、自然発生的に発展した歴史があるだろ? だからこそその時に功績を残した家が侯爵になった感じなんだわ」
ダニエルの説明はわかりやすい。ディートハルトもなるほどとつぶやき、建国に必要なのはその3つだからと言う。
「そうなると次は軍事力? でも騎士の家系なヴァセランは序列5位だった気がしてる」
「正解。おれの家は序列5位。人が集まって発展していく中で、外敵が来るんだよな。竜は魔物を消せるけど人は消せないから、海から海賊が来たり陸から山賊やらが来たり。そんな時に序列4位のアンベールが立った。アンベールは昔から破壊を司る家で、アンベールを殺せるのはアンベールって言われるくらいなんだよ」
「今の代はそんな強そうには見えないな?」
「オリヴィエは甘やかされてるからなぁ。でも先々代はまさにアンベールって感じで、趣味は水竜退治とか言ってたんだよ。面白いじいちゃんだった。まぁけどそういう強い家だからこそ、後継者争いも怖くなる。今の侯爵の弟たちはごっそり消えてるし。なんならマティアスがやられたソレも、おれはなかなか納得してるよ。アンベールだなぁって」
オリヴィエ・アンベールによるマティアス殺人未遂事件すらも、ダニエルは家の名を理由に納得するらしい。
魚のムニエルを食べる手を止めたリリは、冷ややかな目をダニエルへ向ける。
「アンベールだから、わたくしの可愛い子犬を傷つけた愚か者を見逃せとは言わないわね?」
「それは言わない。けど砂糖菓子ちゃんなら、もうひとりのアンベールも知ってそうだからどうなんかなぁって聞きに来たんだよ」
「テオバルト・アンベールのことね」
「そう、マジで知ってると思わなくて驚いたけど正解」
テオバルト・ヴェルの本名を知っている前提で聞きながら、知っているとわかると驚く。その奇妙な反応にリリは首を傾げた。
「わたくしが知らない可能性もあったのに、なぜわざわざこちらへ?」
「ぶっちゃけると、おれはユルリーシュさんに頼まれてここにいる。で、ユルリーシュさんが、琥珀の君なら存じていることでしょうが……とか前置きしてた」
「ええ、知っているわ。それで?」
「最近、うちの親父がテオさんを追いかけ回して対話しようってバカみたいなことしてるんだよ。で、テオさんも仕事の邪魔だってスルーしてた。それは正解だからいいよ。でもその親父、昨日は大量の書類を届けさせられたんだって。書類の届け先はユルリーシュさん。つまり騎士団の副団長なら誰にも止められず上級官僚へ書類が届くだろっていう、テオさんの人使いの怖さな」
「合理性を尊ぶテオバルト・ヴェルらしい行動ね。でもそこまでして上級官僚に何をさせようとしたの?」
「孤児院の予算計画の組み直し。一箇所いくらってやってたら、世話する子供の多い孤児院は赤字になるからやり直せって。つまりテオさん、今度は古い行政を壊し始めてんの」
「彼の有能さは称賛に値するわね。そしてだから今日はまだここに現れないのね。多忙だから」
「おれは今この瞬間まで、テオさんがここで昼飯食ってることを知らなかったよ。知ってたら熱烈ハグしたい」
「視界が暑苦しいからやめてちょうだい。でも、この国の行政を壊そうがどうしようが、わたくしには無縁の話ね。なぜその者は、あえてわたくしにその話を聞かせようとしているの?」
「ユルリーシュさんはこの4年間、ずっとテオさんを見てたんだって。だから壊れてるらしいテオさんを直すことも諦めてるし、自由にしててくれれば良いって。でもそっちは違うんじゃねぇーかなーって」
ダニエルから出た「そっち」という言葉にリリの隣でアニエスが笑う。
「テオバルト殿ほど有能な方を帝国騎士団が引き抜かないはずがないですからね」
「そうだろ? ユルリーシュさんとしては、テオさんが過ごしやすければどこでも良いわけよ。でも親父含め上はそう思わない。なのに今回のテオさんは行政まで壊して作り変えさせようとしてる。だから砂糖菓子ちゃんも、テオさんの居心地第一で勧誘してくれって」
「ではその者に伝えてちょうだい。居心地などと言う本人にしかわからないものを、天秤に乗せることはしないと。でもテオバルト・ヴェルが、わたくしにエーム大陸のお菓子を食べさせる役目に就くことは決定していてよ」
「なるほど。テオさんは菓子職人になるのか」
「ええ、帝国騎士団がどうしてもとわたくしに頭を垂れた時は、本人の意思を確認した後に貸してあげることもやぶさかではないけれど」
「砂糖菓子ちゃんのその強さだよなぁ」
帝国騎士団に頭を下げろなどと凡人に言えることではない。その瞬間に彼女の正体など知られるだろうが、そもそも彼女はそれを隠すつもりすらないのだろう。
ただきっと彼女は本名を名乗る気がない上に、己の意思を無視して公女扱いする無礼者を許さないだけで。
「じゃあ、テオさんのことは砂糖菓子ちゃんに任せたってユルリーシュさんに伝えておくよ。たぶんこれ以上の味方はないだろうし」
「確かに侯爵どもを黙らせられるのは、王立学園ではわたくしだけだものね。父がどうするかはわからないけれど」
「うーん、おれも竜王陛下代理とは面識ないからなぁ。ああでも、マティアスが傷つけられた時……じゃなくて、竜神殿を壊した時か? その関連の時に王立学園へ第二部隊長を向かわせるよう指示したのは竜王陛下代理なんだって聞いたよ。だからあの方、竜王国騎士団の内部事情把握してそうで怖い」
「それは父を王城に入れた時点で諦めるべき部分だわ。父は元近衛副隊長だもの。異国の情勢を誰より早く把握するのが仕事なのよ」
「砂糖菓子ちゃんの言う近衛騎士の仕事ってもう間者じゃん。帝国騎士団だってそこは区別してると思うよ」
むしろそこまで近衛騎士に負担させたら可哀想だろ。そう笑ったダニエルは、同意を求めるようにアニエスを見やった。
「さすがに間者みたいなことはしないよな?」
「相手を籠絡して情報を引き出す。あるいは母国に引き抜く程度のことなら」
「アニエスちゃん、そのハニトラ余裕発言は駄目だぞ。兄ちゃんマジでそこは止めるわ。ベルナールが広域魔法で殺すとか言い出すから」
とうとうアニエスの兄を名乗り始めたダニエルは、ハニトラは良くないと繰り返す。そしてそれを聞いていたミリュエルが「嫉妬だわ」とつぶやいた。
「でもあの天然ボケた唐変木さんはともかく、リリのお父様は間者という感じではなかったわ」
「ん? アニエスちゃんみたいに籠絡して調べ上げる的なことはしない感じ?」
「ええ」
ダニエルの問いかけに竜王国一の美少女と名高いミリュエルが満面の笑みで返した。
「リリのお父様は、何もしなくても周囲が勝手に心を奪われて情報を垂れ流しそうだもの。立場が違えば傾国の美女にもなれそうな方よ」
「そっちのが怖いじゃないか」
ミリュエルの説明に笑ったダニエルは、自分は竜王陛下代理には会わないようにしておくよと宣言した。
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竜王国王城は大きく2つの区画に分かれている。主に行政を司る地上2階建ての施設と、国防を司る地上2階と地下5階建ての施設だ。その下には独自の港もあり竜王国騎士団の船が停泊している。
ダニエル・ヴァセランの職場は地上1階にある蒼の部隊の区域だが、そこには騎竜の宿舎もある。
王立学園から王城へ戻る途中、ダニエルは竜神殿へ続く血痕を見つけた。地面に点々と落ちた血液は石畳を汚したまま竜神殿の聖堂横に向かっている。
なにか殺傷沙汰でも起きたのかと足を向けたダニエルは、王都の平民たちが集まっているのを尻目に血痕を追う。
竜神殿は王城と違って平民も自由に出入りできる施設である。だがその居心地の良さからか、王都下層の者が長居をすることが王城内では問題視されていた。
やがて血痕は聖堂横にある白壁の建物に入っていき、それを追ったダニエルは青いマントを背にした騎士を見つけた。その騎士の鮮やかな白金色には、ダニエルも自然と目を見開く。
「隊長様が手傷を負うなんてなかなかな気がしますけれども、どうされたんす?」
「芋は丸いだろう」
「はい? まぁそうですね。丸くない芋は見たことがありません。それよりまずは消毒しますね」
衝立の隙間から覗いたダニエルの視界の中に、首から青い石をさげた治癒師がいる。そしてその向かい側の椅子に座っているのは確かに幼馴染みだった。
ただ彼の横顔はとてつもなくけわしい。
「隊長様、消毒しただけですが痛みますか」
「痛くない。痛いと思った瞬間に心が折れる」
「それはどういうことですか。痛みは適切に訴えてくださらないと治癒の妨げになりますよ」
「痛くない」
「治癒魔法って痛みを伴うのご存知ですか?」
「本気で痛くない。大丈夫だ。ひと思いにやってくれ」
「殺すのではなく治癒するんですけど!?」
愉快な会話をしながらも治癒師は適切に処理をした上で手のひらに治癒魔法をかける。その瞬間、騎士が治癒師の腕をつかんだ。
だが治癒師は慣れているのか、魔法の放つ光がぶれない。
「隊長様はお顔が大変よろしいので、そのちょっと泣きそうなお顔も可愛くてらっしゃいますね」
「泣いてない」
「ところでこの傷は芋と戦い殺傷沙汰に?」
「皮を剥くという子供でもできるようなことが、俺にはできなかっただけだ」
「なるほど。それはきっと包丁の向きが少しちがったのでしょう。子供などはそういうものを目で見て覚えるので、誰それに言葉で教えたりいたしませんし。隊長様がそれを知らずに手傷を負うのは致し方ないことでしょう。しかしどこで傷を負ったにせよ、竜神殿は遠くないですか?」
「王都下層にある孤児院から走ってきた」
「遠すぎます。港地区や商業地区に医療施設があるでしょうに」
なぜ民間の医療施設に行かないのか。それはきっと誰もが思うことだ。だがダニエルは、自分の幼馴染みがそれらを使わない理由を知っている。
「騎士が民間の医療施設を使うことは認められない」
「いやいや、ここまでの傷であれば非常時として利用は認められますよ」
「こんな小さな切り傷で」
「手のひらを包丁でざっくりやったものを軽傷扱いしてはいけません。殺傷沙汰だと言ったではないですか。こういうものは時間との戦いですから、速やかに近くの医療施設に行くべきですよ」
この治癒師は真面目に常識を解いている。だがおそらくそんな言葉はこの幼馴染みには届かない。そんなことはダニエルもユルリーシュから聞いていた。
この4年間、変わらずこの幼馴染みは竜王国内で誰のことも信用していないのだと。
「治癒とは、その者の命に関わることだ」
「そうですよ? だからこれほどの傷を負ったときは速やかにと言っているのです」
「俺は君以外の治癒師に命を預けることはしない」
「なるほど。今からわたしは隊長様のそのお綺麗なお顔をつねりますが怒らないでくださいね」
誰のことも信用していないから傷の手当すらさせない。そんな痛々しい告白をそうと理解しないらしい治癒師は、幼馴染みの頬をつねった。
「いいですか、隊長様? あなたのその発言はすべての治癒師に対する侮辱です。わたしのことを信頼くださるのは嬉しいことですが、他の者もきちんと治癒師なのです。ですからこんな殺傷沙汰の時はすぐそばの治癒師を頼ってください」
「……この程度の傷で」
「ですからこれは殺傷沙汰レベルですって。なぜ隊長様がお芋の皮むきをしたのかは存じませんが、しばらくそういった事は避けてくださいね。手のひらも筋組織の多い箇所ですから一度で完治はできません。包帯をガッチリ巻きますので明日もいらしてください」
「君が怒らないなら来る」
「来なかったら怒ります」
「わかった。早朝の仕事の後で来ることにする」
「早朝の仕事という言葉が不穏なので、就業時刻まで安静にした後にこちらへいらしてください。そして朝のうちに治してしまったなら、何食わぬ顔で王立学園に行けますよ」
「あ」
忘れていた、とつぶやいた幼馴染みに治癒師が忘れ物が多いと笑った。そうして治療が終わる前にダニエルは建物の外に出る。
すると間もなくダニエルにとっては懐かしい幼馴染みが出てきた。
「いまこの瞬間まで忘れてたけど、テオさんって四兄弟の末っ子だったんだよな」
「それがどうした」
治癒師とのやり取りなど無かったかのような涼しい顔で出てきた幼馴染みに、どこか遠くで女物の声が飛ぶ。
「下から慕われるより、あんな感じでお説教されるのに弱かった気がしたなって」
「そうかもしれないが、もう得られないものでもある。俺の兄弟は全員死んだからな」
「ガスパールさんはどっかで元気にしてそうな気がするけど?」
「5年前、子供を売買目的で拉致しようとした犯罪者に刺されて死んだ」
思わぬ告白にダニエルは素直に驚かされた。
「それってこの街で、ってこと? 犯人は?」
「誰が犯人なのかわからないから、2年かけて王都下層にあるそれら組織すべて潰した。そしてそれら犯罪組織を放置している無能なこの国を信用していない。君の父親も含めてな」
「うちの親父は空しか見てないからなぁ。まあけど、騎士団長が変わってからいろいろ変わったとは聞いてるよ。でもそれも親父が副団長になる前の話だから詳しくは知らない。なんなら親父を副団長にしたのは今の騎士団長なんだよな」
「空にしか興味を持たない無能を管理職に据える理由はひとつだな」
「正論が痛いけどそうだよな。騎士団長が何をしてても親父は気にしないし」
「ああ……」
ダニエルの言葉にうなずきながら、幼馴染みは不意に笑みをこぼす。
「ついでに首を落としておくか」
「綺麗な笑顔で言うことじゃないけど、仲間に入れてくれるならなんでもするよ。おれもだけど、ユルリーシュさんも」
「君の父親は再教育可能か?」
「テオさんに怒られたからって、楽しげに規約を隅から隅まで読んで学んでる親父だよ。厳しい誰かの下にいたほうが輝けそう」
「それなら俺からロシュ様に頼みを向けておく」
「え?????」
ヴァセラン侯爵の対応策を出した幼馴染みにダニエルは驚きのままその腕をつかんだ。
「待って待って、テオさん? それってあのロシアルト・イル・リズロット様? テオさんなんでそんな凄い人を愛称呼びしちゃってるの?」
「子供の頃、よくお会いしたからだが?」
「えーーー!!! ずるいじゃーーーん!!」
「祖父がロシュ様と親しかったんだから仕方ないだろう。俺は祖父に荷物のように抱えられて連れてこられただけだよ」
「その時点で羨ましいからね。おれも一度くらいは、祖父の趣味は水竜退治です、とか言ってみたい」
「俺はそんなこと言ったことがない」
「じゃあ今度、あの治癒師さんに話してみて。面白い反応が来そうな気がする」
水竜退治なんて普通はやらないから。そう告げたダニエルの幼馴染みは、先程とは違う優しい笑みをこぼす。
「それは楽しそうだな」
再びの侯爵家説明です
竜王国1000年の歴史の中で侯爵家はその都度活躍した者が授爵されました。
オーブリー侯爵家は政治の家系
デュフール侯爵家は知識の家系
ローラン侯爵家は経済の家系
アンベール侯爵家は破壊の家系
ヴァセラン侯爵家は騎士の家系
ルヴランシュ侯爵家は外交の家系
マイヤール侯爵家は産業の家系
トリベール侯爵家は医療の家系
オリヴェタン侯爵家は何も持たない
それら功績で得た侯爵家ですが数百年の平和の中で大半の貴族がそれを忘れています。
しかし40年前に竜王国近郊に現れた水竜を素手で退治した当時のアンベール侯ギルグランの存在は、王都下層に広く知られています。




