12.竜信仰と現実
戦闘実習を行う学生たちは森の奥まで進むことなく待機して、木々の隙間にいる小型の魔物を駆除する。小型の魔物と言っても、最も小さいウサギ型の魔物は素早く動き人の足へ食らいつき肉をえぐるほどの力を持つ。さらに野犬が魔物になった類なら人の首を狙い襲撃するものがいる。
どれも俊敏性のある魔物で、小さいから危険度が低いわけではない。
少なくともグレイロード帝国では小型の魔物ほど気を配って対処するものだ。小さな魔物は茂みの裏に隠れられてしまうし、森の中など小型の魔物に有利な場所でしかない。
それでも王立学園が学生に戦闘実習をさせるのは、相応の理由があるのだろう。リリはそう思いながらも後方支援として待機する中等部3年生たちと合流した。
リリが最愛と称している上級生たちは、高等部の女子生徒たちと変わらない制服姿でそこにいた。
聡明であるはずの彼女らのその服装にリリは素直に驚かされる。
「お姉様がた、なぜ動きにくい制服姿なのですか?」
「それはこれが授業で、学びの場だからよ」
安全性を考えるならスカートで参加するなど愚かでしかない。けれど上級生5人はそれが当然であるかのように言う。
「戦闘実習ですよね?」
「リリ、魔物はいつ何時現れるのかわからないのよ。だから私たちは普段の服装で後方支援ができるようにしなければならないの」
「それは……確かに、そうですね」
アドリエンヌの言葉に驚いたリリは素直に自分の服装に目を落とした。するとミリュエルが今日のリリも可愛らしいわよと褒めてくれる。
「ですがわたくしは授業の意図をはき違えておりました」
「あなたは見学者なのだからそれで良いのよ。もしもの時には誰よりも先に避難すべきなのだから、走りやすいほうが良いわ」
「いいえ、その時はわたくしもお姉様がたをお助けします。そうして恩を売った後にコルセットを着けておられないお姉様に抱きしめてもらうのです」
「リリ!ここは外なのよ!」
他の人がいるのだからと赤い顔のアドリエンヌに叱られた。その声に周囲の高等部学生たちがリリを見て可愛らしいと微笑む。
「お姉様! ここには女性しかいません! なのでコルセットの話をしても問題ないのです!」
「リリは背後を見なさい! マティアスを泣かせたいのですか!」
「マティアスなら慣れているので大丈夫です!」
「なんですって!!!?」
リリの慣れている発言に、マティアスは上級生5人だけでなく周囲の高等部学生たちからも凝視される。そのためマティアスはそんな馬鹿なことはないと叫びながら首を横に振り続けた。
そうしてマティアスを生贄として場を和ませたリリは平然とした顔でアナベルを見上げて問いかける。
「アナベルお姉様、わたくしずっと疑問があったのですがよろしいでしょうか?」
「ええ、構わないわ。今はまだ支援も必要ないから」
後方支援とは基本的に負傷者の手当てのことを言う。魔力を持つ学生であれば、授業を受けることで中等部3年生時点で簡単な治癒魔法程度なら扱えるようになる。さらに高等部3年生になれば重傷者を治癒できて、さらに身体欠損まで癒せる実力者も現れるらしい。
だがどれほど才能があろうと現場を知らなければ意味がない。残酷な現場に怯え何もできないでは意味がないからだ。
そんな淑女たちを場馴れさせるために今日があるのだとか。
だがリリが聞きたいのはそのようなことではない。
「つい先ほどマティアスの兄君であられるベルナール様へご挨拶してきたのです。その時に少しお話させていただいたのですが、高等部の先輩であられるベルナール様は、魔物の駆除に関する資料が少ないことを問題視しておりました」
話の途中でマティアスの姉であるブリジットにも目を向けつつリリは話を進める。
「けれどそんなベルナール様でも、最終的に竜王様を頼るような言葉が出ていたのです」
「それは私たち竜王国の民なら自然なことよ。リリは陛下のことをまだ学んでおられないから知らないのでしょうけど、青竜は竜の王と呼ばれるほど強大で尊い存在なの」
「お姉様、それがおかしいのです。だって竜は竜でしかないのですから」
「リリ!」
その言葉を不敬と取ったのかアドリエンヌが慌てて声を上げる。そうしてリリを黙らせたアドリエンヌは周囲に謝罪をしながらも、背を丸めてリリに顔を近づける。
「どのような場でも陛下への不敬は許されないわ」
「いいえお姉様。違います。わたくしは、人間が竜王を守ろうとしないことに疑念を抱いているのです。だってカインセルス様はまだ100年しか生きておられないのです。20年前までは竜の雛だったのですよ? お姉様がた竜王国の方々は竜の雛というものをご存知ですか?」
不敬の意図はなく、人間側のおかしさに疑念を持っている。そんなリリの言葉にアドリエンヌは怪訝な顔でアナベルを見た。
5人の中で最も博識なのはアナベルなのだから、その反応は正しい。そしてリリも同じ思いでアナベルを見やった。
「アナベルお姉様。竜の雛とは守られなければならない存在です」
「わかるわ。雛は成竜と比べれば脆弱だから他の竜に守られる。それは多くの書物に刻まれているもの。でもそれでも竜王と呼ばれる青い鱗の竜と人間とを比べたらどう? 人間のほうが弱いでしょう?」
「お姉様、わたくしはグレイロード帝国から来ています。人間も組織を作り訓練を重ね経験を積めば、青い鱗の竜の雛を守り通せることを知っています。グレイロード帝国はかつて闇王と呼ばれる魔神種からも雛を守り通したのですから。もちろんそれは多くの助けがあってこそですけど……しかし、この国はどうでしょうか? 竜王の強さに頼りすぎて、竜を守り慈しむという心が根本から失われていませんか?」
異国から来た幼い留学生。その愛らしい姿から放たれるのは竜王国貴族に対する強い疑念と不審感だった。
その可憐な声から放たれる強い発言を聞いていた周囲の生徒たちもいつの間にか視線を向けている。だがリリはそれら視線を気にすることなくまっすぐにアナベルを見つめる。
「竜は雛であっても瘴気を浄化する貴重な存在です。けれどその反面で竜の雛は瘴気に弱く、魔物が生まれるような高濃度の瘴気などに触れればたちまちに衰弱死するそうです。わたくしはそれを話でしか聞いたことがありませんので、実際にどうなるのかわかりません。でも40年近くもグレイロードは雛を守り続けてきました。そして竜王国のカインセルス陛下はそれを見てこられましたよね? だから思うのです。この戦闘実習すらも陛下が人間を試す手段のひとつではないかと。竜王国の民が陛下を思いやる時を待っているのか…あるいは既に諦めてしまっておられるのかはわかりませんが」
「リリ…待って。その諦めているというのは、どういう意味なの? あなたは何を考えてそのような答えに行き着いたの?」
「陛下が後継者を生むことをされないからです」
「竜の巫女がお産みになられて、今はグレイロードにおられる方が次代を担うご予定よね? ご本人は既に王位継承権を放棄されているけれど、その方にお子様がおられるらしいと少し前からお父様たちが動いておられるわ」
「そうですね。グレイロード帝国のブレストン公爵家に生まれ、竜王国になんら愛着を持たない方がおられると思います。6大公のひとつであられるブレストン公のご子息として王族の方々と仲睦まじく過ごされていると評判ですよ」
「お父様たちがおっしゃっていたのはその方ね。お年がわかれば娘を婚約者として向かわせられると言っていたのだけれど」
「こういってはなんですが、竜の雛は人類では太刀打ちできないほどの美貌の持ち主なのです。異国の娘が努力した程度で口説き落とせるような半端な外見ではございません」
「リリのその言いようは、母国の公爵家への不敬にならない?」
「お姉様! わたくしは事実を述べているのです!! お姉様は竜をなめておられます!」
本当にとんでもない外見なのだと熱弁を振るうリリにアナベルはつい笑ってしまった。
「ではその方をお招きするのは難しいのね」
「そもそも民が守ってくれないとわかっていて子を行かせる親はいないかと」
竜というと人と違う生き物に思えてしまう。そして竜王と言うと特別な何かにも思えてしまうだろう。
だが竜の巫女が産んだ青い竜は、人の腹から生まれた竜でしかない。竜の姿になることもなく、人の中で生きるしかない脆弱な存在だ。
そうして生きて家庭を持った者が、竜を敬うだけで大切にしない国へ我が子を送り込むだろうか。
そんな疑念を素直に吐き出せば目の前で起こる何度目かの絶句を見た。
きっと竜王国の民にとって、竜は自分たちを守って当然の存在なのだろう。だから小型の魔物程度と軽んじて学生を向かわせるし、もしもの時は竜王が助けてくれると思っている。
「お姉様、わたくしはお姉様がたのことを大切に思っています。けれど同時に恐ろしくもあるのです」
「何を怖いと言うの? いいえ、リリは恐れなくても良いのよ。もしもの時は逃げれば良いの」
「そうしてわたくしが逃げた先に何があるのでしょうか」
「…それはどういうことなの? あなたは中等部の1年生で、ここでは見学者なのだから、誰よりも守られるべきで真っ先に逃げるべきなのよ。責任だとかそういうのはいらないのよ」
「そうよ。あなたはわたしたちの可愛い砂糖菓子なのだもの。危険なことがあったならマティアスに守られて最優先で馬車へ駆け込みなさいな」
アナベルだけでなくミリュエルまで優しい言葉を向けてくれる。さらにミリュエルはリリを包み込むように抱きしめてくれた。その温かさと柔らかさにリリは目に涙をにじませてしまう。
「お姉様、コルセット着けてない」
柔らかくて温かいその抱き心地は母にも似て嬉しい。そんな思いでつぶやいたリリにミリュエルが笑った。さらにブリジットもリリの背中を優しく撫ぜながらマティアスを見やる。
「もしもの時なんて起こらないでしょうけど、あなたがリリを守るのよ」
「はい、姉上」
姉から指示を受けたマティアスはそんなことはないだろうと思いながら返した。
リリは知識欲の権化でどんな疑問も解決したいタイプの美少女だ。だから今のような場でも疑問を解決したいあまり様々な事を問いかける。
だがそんなリリがもしもの時は魔法武具を使うと言っている。そして3個の魔法武具でなければ支えられないほどの強い魔法ならどんな魔物でも倒せるだろう。
だからもしもなんてありえない。
そんなマティアスの危機感のない考えは、背後に響いた鳥にも似た異様な奇声に吹き飛ばされた。




