113.ローラン侯爵家の遺伝子
ロドルフ・オーブリー侯爵は政務長官を担う国政のトップである。竜王国を政治面で支えており、その手腕も周囲から認められていた。
そんな侯爵は、その日の昼に受けた「竜神殿への不法侵入者」との報告には眉をひそめる。
不法侵入者の対処は竜王国騎士団の管轄で、政務長官まで報告をあげる必要はないからだ。
むしろそんな報告はこれまでなかった。そのため今回はなぜ報告したのかと問えば、膝を屈した騎士は政務長官であるオーブリー侯爵から視点を移す。
そうして騎士の視線の先に立つ人物はにこやかに笑う。
現在この謁見の間には3人の人間と、ひとりの竜がいる。そのひとりである彼は青い瞳を細めて報告に来た騎士へ礼を述べた。
「不法侵入者は王立学園にいる騎士のどちらかなんだろう。甲冑の色はなんだった?」
「はっ! 黒だと聞いております!」
「なるほど。彼はなぜ竜神殿へ現れたのだろうか」
「治癒師をひとり借り受けると告げて飛んでいきました。ですので目的はそれだろうと現場は判断しております。件の治癒師は3年前にも王立学園関係者の治癒を担当しておりましたので」
「では王立学園内で負傷者が出るようなことが発生した。そして信頼できる人物を必要としたということだろう。竜王国騎士団も、その治癒師を探す名目で王立学園へ人員を送ってくれると助かる」
「承知しました!」
現在竜王陛下の代理を務めているのは、人の腹から生まれた竜であるカイン・ブレストンだ。彼は元グレイロード王国近衛副隊長を務めていたこともあって、どんな時も騎士に対して敬意を見せる。
そのため代理を始めて8ヶ月経つ今では、すべての竜王国騎士がカイン・ブレストンの信奉者になっていた。
彼の誠実さを含める性格は、竜であることを除いても騎士の心を惹きつけてやまないらしい。
騎士が立ち去るとオーブリー侯爵はカインと文官長であるデュフール侯爵とを見る。
「王立学園で魔女が動いたということだろうか? 今日は音楽祭が行われているはずだが」
「治癒をアニエスではなく竜神殿の治癒師に頼む。この時点で魔女案件ではなく政治案件だということでしょう」
問題の原因といえばこれまでは魔女を中心としたものだった。だがカインから政治案件と言われて自然と眉を寄せる。
「まさかオリヴィエ・アンベールが何かしたと」
「Aクラスに転落したまま3年生を迎えた彼の私憤がどこへ向けられるか、オレにはわかりません。ですがディートハルトがわざと政治案件に持ち込んだのなら、お二方も気をつけたほうが良いかもしれませんよ」
「どういうことですか?」
「ディートハルト・ソフィードの父親はあのグレイドル・ソフィードでしょう。我々も子供の頃に知り合っていますが常識的で知性的な男でしたよ」
素直に問いかけるトリスタン・デュフール侯爵のそばで、来たところで問題はないとオーブリー侯爵も告げる。
オーブリー侯爵は学生時代に夏季休暇中の1か月だけだが、今の帝国騎士団長と共に過ごしていた。むしろ竜王国に留学名目で来ていた彼の知識欲を満たす手伝いをしたと言っても良い。オーブリー侯爵より1つ年下だと言う彼は、それだけなんでも吸収して帰ったのだ。
しかも1年で古代語を習得するほどの頭脳を、なぜか彼はその後の人生で出すことをしていないらしい。彼の武勇は竜王国にも届いているが、そんな彼が聡明だという話はひとつも聞かない。
だがオーブリー侯爵は知っているのだ。今では大陸最強と謳われる男が、少年時代にはトリスタン・デュフールすらも驚かせるほどの知性を持っていたことを。
「ディートハルトは父親似の賢い子です。そんな彼がわざと政治案件にしたということは、本気で潰そうとしているということでしょう。帝国側もそれを読み取り行動してくるので、グレイドルが来るとは限りません」
「それは頭の痛い話ですな」
帝国宰相を相手に、王立学園の戦闘実習における謝礼云々と交渉したのはつい5ヶ月前のことだ。あの時の苦悩を思い出したオーブリー侯爵の元へ新たに文官がやってきた。
「政務長官様、王立学園から使者が参りました。ご息女の使いとのことですが、どういたしましょうか」
「ここへ呼んでくれ」
娘の依頼で王立学園の職員が来たとなれば、いま起きている問題に関することだろう。そう即座に考えたオーブリー侯爵は謁見の間へ通すよう指示した。
指示を受けた文官が立ち去ると、オーブリー侯爵は改めてカインを見る。
「これで詳細を知ることができるやもしれません。カイン様も聞かれますか」
「聞かれた場合にどちらの側につくかが求められますが」
「オレは竜王陛下の代理なので」
オーブリー侯爵だけでなくデュフール侯爵からも案じられたのは、話を聞いてしまった後に求められるものだった。そのためカインは問題無いと返しつつ、やってきた王立学園の職員に目を向ける。
そして謁見の間にやってきた職員は、カインの色彩を見るや緊張のためか歩を止めた。だが案内役の騎士にうながされて3人のそばへ進み出る。
「自分は王立学園職員のギヨーム・ボワです! カイン様におかれましてはごきげんうるわしく」
「挨拶は良いから報告をしてくれ」
緊張なのか嬉しいからか裏声で早口に挨拶をする職員へ、オーブリー侯爵が口を挟む。途端に職員は真っ赤な顔で頭を下げた。
そんな職員は緊張をほぐすためか深く息を吐き出すと、王立学園で発生した「爆発事件」について説明を始める。だが現場の有様を見た人間が爆発したと認識しただけで、誰も爆発の瞬間を見ていない。
なぜならその時刻、現場となった高等部では音楽祭が行われておりほとんどの人間が会場である大講堂にいたためだ。
生徒の中には空腹を満たすため食堂にいた者もいたが、現場となった第三校舎付近にいた者はいない。
ただ現場となった音楽室にいたルヴランシュ侯爵子息によれば、オリヴィエ・アンベール侯爵子息が殺されかけた事案であり、竜王国に対する反逆行為であるらしい。
そしてその話を聞いた生徒会長のアドリエンヌは、まず筆頭侯爵である父に報告をと考えた。だが同時に、子息の要請によりアンベール侯爵家とルヴランシュ侯爵家にも連絡をしなければならない。
それら報告を受けたオーブリー侯爵はこめかみを指で押さえた。
「あの家は本当に厄介事ばかり起こす」
「……もしかしたら、これは、ディートハルトの大切なものに危害を加えたから報復を受けた流れなのでは? そうなると帝国だけでなくローラン侯爵の対応もしなければなりませんが…彼はどのような人柄の方ですか」
頭痛に耐えるオーブリー侯爵のそばで、カインも戸惑いを隠すことなくデュフール侯爵へ問いかける。そしてデュフール侯トリスタンは難しい相手だと答えた。
「シメオンは本当に何を考えているのかわかりにくい。彼は何十年も我々に対して己は凡愚だと騙し続けていたわけだからな。しかも実兄のマルクと繋がっていたと欠片も認識させなかった。その辺りはやはりマルクの弟ということなのだろうが」
「もし宰相閣下に似ているのなら話し合う余地はありそうですね」
「話し合いだけで竜王国に対して伯爵位の返上を成した方の弟だ。アンベールの爵位返上ぐらいは言いそうではあるが…」
「どうせ今の代で終わる家なのでは?」
難しいと考えるデュフール侯爵の目の前でカインは首を傾げ問いかけた。その冷淡にも見える問いかけにデュフール侯爵は眉を浮かせる。
「カイン殿は侯爵家を7つに減らせと仰せか?」
「どのような国でも爵位の増減はありえます。そして侯爵家の後継者が国家に仇なす思想の持ち主であるなら、オレが代理をしている間に消しますよ。この国の要は侯爵家ではなく竜王陛下ですから」
「それが正しいとはわかるのだが…。しかし魔女の妙薬がなければここまでのことにはなるまいとも思うのだ」
「もし今回の事でマティアス・ローランを負傷させていたなら、それは魔女の指示ではなく己の決めた行動でしょう。ミリュエル・バルニエの一件も魔女が指示したとは思えません。もし魔女が彼らを害そうと思っていたなら、戦闘実習の中でやっていたはずですから」
それだけの力があるのだから、他人を使って学園内で害する必要はない。それにミリュエルの一件もわざわざ売るようなことをする必要もなかった。
そう断言するカインにデュフール侯爵もうなずきつつも複雑な顔を見せる。
竜王国は長く9つの侯爵家が折り合いをつけて国家を支えてきた。もちろんそれは竜王陛下が守る平和の下だからこそできたことだ。
ただだからこそ己の代での変化を避けたいと思う部分もある。
そんなデュフール侯爵の表情を眺めた後に、カインは真面目なその瞳を学園職員へ向けた。
「報告ありがとう。事情はわかりました。ですが、まずは被害者の容態を第一にしたいとオレは思っています。ですので王立学園側からも、侯爵家間の話し合いは数日の後にと連絡をしてくれると助かります」
「かしこまりました! カイン様のお気持ちは重々学園長に伝えさせていただきます!」
カインから感謝を受けた職員は、赤らんだ顔で頭を下げると謁見の間を去っていく。案内役の騎士と共に去る背を笑顔で見送ったカインは、ふたりの侯爵の腕を軽くたたく。
「すべての侯爵家から新たな侯爵として立てる人材を探してください。その者たちを、アンベールとルヴランシュの新たな当主とできたら9つの侯爵家という体面は守られます」
「マルセル・アンベールやマクシム・ルヴランシュを更生させる道はないとお考えなのですな」
カインの言葉に、それまで思案していたオーブリー侯爵が問いかけた。するとカインは首を横に振る。
「そもそも国家反逆罪は一族みな処刑が原則です。竜王陛下がおられるのに、新たな女王をと望む愚か者を製造した側も責任を取らねばなりません。そして高い地位を有する者ほど厳罰を与えなければ、国民の支持を失います」
それでなくとも竜王国では貴族の存在価値が低いのだ。そう言われた気がしたオーブリー侯爵は腹をくくりながらうなずいた。
「では他の侯爵らを集めて話し合いましょう。場合によっては伯爵家からの養子受け入れも視野に入れねばなりません」
「優秀な人材の心当たりがないということですね」
「男に限りますとそうですな。我が息子を含め幼い者が多いのです。ならば王立学園のSクラスにいる伯爵家の者を引き抜いたほうが確実でしょう。なにせ彼らは現実として、魔女の影響を阻む知性を持っているそうなので」
魔女を疑い、魔女にはべる侯爵子息たちの言葉も疑う。そうして魔女の妙薬入りの何かを食べないから影響も受けない。
そんな者たちは上位クラスほど多くいるという。中には真のラピスラズリが誰なのか知りながら黙することで守っている者もいると聞く。ならばそこから新たな侯爵を探すほうが良いだろう。
そう考えたオーブリー侯爵の言葉にカインは嬉しそうに安堵したように微笑む。
その柔らかな笑顔は、やはり王立学園にいるあの苛烈な砂糖菓子によく似て見えた。
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王立学園内が騒ぎに包まれている中、ブリジット・ローランは校舎から寮へ向かう途中で父親と出くわした。
王立学園高等部は広い敷地を有するが、寮への道はひとつしかない。男女の寮は離れていて、道も途中の噴水広場で分岐するがそこまでは同じ道を歩くことになる。
「なぜお父様がこちらに? この先には寮しかありませんが?」
「マティアスの部屋にいた」
「なぜ?」
高等部のどこかで爆破事故が起きたとはブリジットも聞いている。生徒会長であるアドリエンヌがその知らせを受けたため、ブリジットは音楽祭の後片付けを引き受けた。
だからまだ爆破事故のことは何も知らされていない。そしてだからこそ弟の部屋に父がいたという言葉に緊張を抱く。
「なぜマティアスの部屋にいたのですか? 爆破事故に巻き込まれたということですか?」
「それは爆破ではなくディートハルト君が壁を破壊したものだろう」
「なぜそんなことになるのですか」
「オリヴィエ・アンベールがマティアスを殺そうとしたからだ。ああ、最初はマティアスを社会的に殺そうとしたようだがな」
「社会的に殺す……って、アレですか」
令嬢として口にすることもはばかられる行為を行う。この国では、誰が作ったのか男女問わず貞淑さが求められてきた。
女性の場合はわからなくもないが、男性のそれはまったく無意味で確認しょうもないことだ。だというのに大昔の暇人がそのような文化を生み出し、実際に「男に犯された」という理由で紳士扱いされず愛人か男娼として生きた者もいたという。
そして今回のオリヴィエは、その悪趣味な文化を使ってマティアスを紳士で無くそうとしたのだ。そうすれば立場を失い、王立学園も辞めなければならないとわかっていて。
「ねぇ、お父様。兄がいないのだから、わたしが殴り返して良いですよね?」
にこやかな顔で問いかけたブリジットを胡乱げに見たローラン侯爵だが、すぐに目を背けてため息を吐き出した。
「やりたいのなら急いでせねばならんぞ。アンベールもルヴランシュもじきになくなる」
「あら、お父様ったらやっとその重い腰をあげられるのですね」
「根ごと枯らすには準備が必要だからな。件の魔女は都合が良かった」
「愚か者をさらに愚かにしてくださいましたものね?」
「それはどうだろうな。魔女の妙薬とは魅了するのであって、人を愚かにはしないのだろう。だが愚かさを露呈するきっかけにはなった。ただあの魔女は今年度で始末する」
「あら」
魔女はまだ高等部2年生なのだから、まだ1年は放置すると思っていた。そんなブリジットは首を傾げたまま、そばにやってきた父を見上げる。
「お父様がそこまで関与されるのは帝国宰相様のためですか?」
「魔女は2年前の祝祭月に王都中の井戸へ穢れをばらまいた。それで何人死んだと思う」
「それは…把握しておりませんが」
「14人だ。そのうちの8人は下層の赤子だった。たとえ魔力を持って生まれたとしても、赤子は強い瘴気を受ければ死んでしまう。そういうものだ」
ブリジットは自分の父親をよく知らない。幼い頃は父を厳格な性格だと認識して会話もあまりしてこなかった。そして全寮制の王立学園に入るとさらにその距離は遠ざかる。
だというのにあの帝国宰相が、父のことをこの世界で唯一愛を向ける相手だと言っていた。もちろんそれは肉親という意味での愛だが、ブリジットは父の兄がどこにいるとも知らなかった。
むしろ父は、己の子だけでなくすべての人間に対して兄のことを隠し続けていたらしい。
同様に父は平民のために、私財と労力をなげうって精霊石を集めていたと聞く。その奉仕の心は簡単にまねできるものではない。
「お父様」
「なんだ」
「マティアスは大丈夫ですか?」
「ディートハルト君たちがついている問題ない」
「お父様は心配ではないと?」
父のことを知りたい一心で問いかけたブリジットに、ローラン侯爵は嘆息を吐き出す。
「我々が心配したところでマティアスの痛みが消えるわけではない。ディートハルト君が治癒師を呼び、治療も始まっている」
「だから父は、心配することをしないと」
「おまえも心配を理由にマティアスのそばへつくことはしないだろう。それよりも殴り返すことを選択したな」
「確かにそうです。つまりわたしたちは似ているのですね」
「母親に似たのはマティアスだけだったな」
残念だ。そう語る父親にブリジットは声をあげて笑ってしまった。
何が起きても動じない厳格で冷たいと思っていた父は、実はそうではなかった。しかも上ふたりの子供が己に似たことを残念だと評する。それはまさにブリジットの兄に酷似した言動だったからだ。
「あー、おかしい。お父様って愉快な方だったのね。でも王立学園内はお任せください。お父様によく似たこのわたしが、愚物を社会的に殺して差し上げますから」
「ああ、それに踏まえ、もし事件の状況が知りたいなら絵の得意なあの親友に聞くと良い」
事件の状況を知りたいならとヒントを提示したローラン侯爵はその場を立ち去るように歩き出す。その背を見送ったブリジットは、笑みをこぼすと己の住む寮へ向かつべく駆け出した。




