112.いじめられた側は忘れないものだ
手足は重く、音も遠く聞こえてよくわからない。ただ硬い何かに抱えられて運ばれていることはわかった。だとするなら誰かに救われたのかと思い、礼を言おうとするが喉もうまく動かせない。
そうしているうちに柔らかな場所に寝かされて、頬に手が触れる。
「大丈夫だよ。もう部屋についたから」
その落ち着いた声にうながされるように安堵が身を包んで、マティアスはゆっくりと息を吐き出した。
そんなマティアスの顔は赤い。いつもの彼のように照れて赤らめたのではなく、殴られた痕が赤く残っているのだ。
いずれ赤黒く変色するだろう頬に口づけたディートハルトは、耳元で優しく「おやすみ」とささやく。
あれだけ殴られて、あんなふうに首まで絞められればダメージが大きくて当然だ。そのダメージから意識が保っていられないのも仕方ない。
だがきっとこれはすぐに治癒してはいけないものだ。本音のところでは今すぐ治してやりたい。マティアスから痛みや苦しみを消してやりたい。なんならアニエスに治癒を頼んで、自分はオリヴィエを殺しに行きたい。
でもきっとそれは駄目なのだと、ディートハルトは歯を噛み締めながら心を抑え込む。
そんなディートハルトは部屋の扉を叩く音に思考を止める。
少しの間を開けて部屋の入り口に向かったディートハルトはゆっくりと扉を開かせる。するとあきらかにマティアスと似た顔の男性がいた。
「寮に部外者って入れましたっけ」
「今は非常事態で学園関係者はほとんど第三校舎にいるよ。爆破事故現場の野次馬に集まる生徒たちの対処もあるのだろう」
「なるほど」
爆破事故扱いになったのかと思いながらローラン侯爵を部屋に引き入れた。
ディートハルトはアニエスの報告書によって、ローラン侯爵が長年何をしてきたのか知っている。
「先に言いますけど、3年前のオレはあなたを殴りたかったんです。オレのマティアスを怯えさせて自己肯定感を底辺に落とす存在だから」
「マティアスの自己肯定感を貶めた犯人は君に蹴り飛ばされたな」
「見てたんですか」
「隣に監督室があるからな。君が現れて助かった」
「なんですぐに助けなかった?」
息子が殺されかけていたのに父親が助けに入らないなんて理解できない。殺されかけていないとしても、一方的に殴られた時点で助けに入るだろう。
怒りに理性が半分支配されたディートハルトは、いまだ殺意に見開いたままの目でローラン侯爵を見た。
「助けに入ってどうする?」
「は? 助けなきゃ殴られるし殺されるじゃないか」
「殴られている段階で助けたとして、子供同士のいさかいだったと言われたら終わる。この国には9つの侯爵家がいて、それなりに折り合いをつけて生きている。少なくとも子供同士のいさかいに大人は口出ししないものだ」
「そのせいでマティアスはこんなことになってる」
「君はまだ激情に飲まれているのだろうが、大人には大人のやり方がある。そして君はあの鎧をまとえば空を飛んでどこにでもいけるのだろう?」
「そうだけど? トドメをさせというならやるよ」
「竜神殿を多少は破壊しても良いから騒ぎを起こしながら治癒師を拉致してきたまえ。そうすればマティアスのこの状態を書面で残せる」
どこまても冷静なローラン侯爵に言われたディートハルトは殺意の目もそのままにうなずき、ゆっくりと息を吐き出した。
「オレは冷静じゃないから、竜神殿を壊しちゃっても問題ないな。だってマティアスを治癒してもらうのに焦ってるから」
「だが、夏季休暇に君がばらまいたという装置を壊さぬ程度に頼むよ。我らが陛下が笑って許せる程度の被害が望ましい」
「カインセルスさんもカイザーさんも、オレのやることはだいたい許してくれる。でもふたりに負担はかけないよ」
「では好きなだけ暴れるが良い。そしてできるだけ早く戻りたまえ」
「わかった。ベルナールお兄様が父親似なのもわかった」
どんな時も冷静で、何事も俯瞰で見られ判断力もある。そんなベルナール・ローランの元になった部分を見つけたディートハルトはバルコニーに飛び出していった。黒い甲冑をまとうと手すりを蹴って飛んでいく。
それを見送ったローラン侯爵はため息を吐きながら寝台の息子を見た。ただ喉がヒューヒューと鳴っているのに気づくと、意識のない息子の身体の向きを横向きに変える。
そうして動かしても息子は小さく喘ぐように咳をこぼすだけで目を覚ます様子もない。
殴られ殺されかけた次男を眺めながら、ローラン侯爵は表情を変えることなくポケットから紫色の石を取り出す。
すると小さな音を立ててバルコニーから女性がひとり室内にやってきた。藍色のワンピースをまとったその女性はきらめくアースカラーの瞳で寝台を見る。
「愛がないと、ここまで残酷になれるのね」
「過剰な愛を受けた結果がアレなのだよ。父親も弱い相手には加虐的な性格だ」
悲しげな顔で告げる女性に石を差し出す。すると女性はローラン侯爵に顔を向け両手でそれを受け取った。
「撮影できたかしら?」
「その辺りはわからないが、君に言われた通り見える場所に置いておいた」
「ありがとう。音楽祭のほうは大成功よ」
ローラン侯爵は、息子を追いかけ校舎へ向かう途中で彼女と出くわしていた。そして石を与えられ、問題が発生した時には現場が見える場所にその石を置くよう頼まれている。
「君の愛するリトル・プリンセスたちが報われたなら良いがね」
「スッキリした顔をしていたから大丈夫よ。それよりマティアス君、治したほうがいい?」
「ここは竜神殿から治癒師を連れてくる手はずになっている。竜王国騎士団に殺人未遂事件として把握させるつもりだ」
「そう……」
息子の被害を表沙汰にする。その言葉に聴願士の姿をした女性はローラン侯爵の肩に手を添えた。
「あなたの我慢強さには敬意を払うわ。それにわたしに長く協力してくれたことも」
「君がわたしに何かさせたことがあったか? せいぜいが、君に触発された娘の創作に必要な道具を揃えさせた程度だろう。協力をと言うならもっとこき使ってくれて構わんよ」
「あら? 15年前にわたしという愛人を作ったと誤解されて奥様に殴られたじゃない」
「それは夫婦間の問題で、君へ協力することと関係のないことだ」
「わかったわ。でもあと少しでこの協力関係も終わるから、最後までこそこそやりましょ」
ローラン侯爵の肩を軽く叩いて離れようとした女性は、不意に手をつかまれ振り向いた。だが女性の手をつかみ引き止めたローラン侯爵は今も寝台を見ていて女性を見ていない。
「終わった後の君の行く末はどこにある」
「決めてないけど、シメオンが愛人にしたいなら聞いてあげる」
「あり得ない」
女性の挑発に拒絶で返したローラン侯爵の手が離れる。そのため女性はにこやかな顔で「またね」と告げてバルコニーへ去っていった。
そうしてまた独りになったローラン侯爵は嘆息を漏らす。
「兄上に相談できないのがもどかしいな……」
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音楽祭が終わった直後に生徒会長であるアドリエンヌは、爆破事故が発生したと聞き駆けつける。
現場となる第三校舎2階には多くの生徒たちがいて室内を見ようとしていた。だがそれを教師たちが推しとどめて、危険だから寮へ戻るようにと指示を出している。
失禁してるらしいとささやき笑う生徒たちをかき分け進んだアドリエンヌは、音楽室の入り口に立って己が呼ばれた理由を理解した。
音楽室の入り口も原型を留めず破壊されているが、何より室内が酷い。壁には巨大な穴が空き、近づけば転落しかねない状態だ。それに床も大きくえぐれていて、なぜか大剣が突き刺さっている。
だがなにより、床に倒れた状態で嘔吐したらしいオリヴィエ・アンベールが問題なのだ。侯爵家子息である彼を教師たちの独断で扱うことはできない。
オリヴィエはそばで座り込むシェルマンに呼びかけ肩を叩く。すると茫然自失だったシェルマンは、ややあって我に返りアドリエンヌを見上げた。
「アドリエンヌ・オーブリー……?」
「何があったのかわからないけれど、あなたは動けるかしら? 動けるのならオリヴィエを安全な場所へ運んでくれると助かるわ。それと、あなたがたはこの爆破事故に巻き込まれたのよね?」
「爆破事故?」
怪訝な顔で問い返されたアドリエンヌは目をしばたかせる。
「ええ、わたしはそのように聞いてここに駆けつけたのよ。どのような魔法なのかわからないけれど、ひとまずオリヴィエの安全確保が第一よ。それと状態によってはアンベール侯爵家に連絡をしなければならないわね」
「それは当然だ。これは爆破事故なんかじゃない。オリヴィエは殺されかけたんだ!」
「ええ?」
「そうだ。こうしてはいられない。君からアンベール侯爵家と僕の家へ急ぎの知らせを送ってくれ。これは竜王国に対する反逆行為だ!」
怒りに火がついたらしいシェルマンは立ち上がると、オリヴィエを抱き起こして立たせようとしている。その様子からオリヴィエが怪我をしている様子はないのだろう。
その点を安堵したアドリエンヌは教師たちに音楽室周辺への立入禁止処置を頼んだ。怪我人がいなかったとしても、これほど破壊された場所に近づけば二次被害が発生してしまう。
その上で野次馬として残っていた生徒たちにも、今は寮へ戻るよう指示を出す。そこでやっと生徒会が侯爵家で構成される理由を理解した。
王立学園は王国が運営し、国の未来を担う人材を育成する場である。そんな学園内で、生徒の代表となるのは為政者になる練習をしているようなものだ。
誰が認める認めないに関わらず、侯爵家の人間は竜王国の重鎮たる9つの侯爵の1人として立たねばならぬ。あるいは侯爵を継がなくとも竜王国の中枢で働き国を支えることになる。
その練習を、生徒会というお遊びの肩書を手にした代々の侯爵家の人間がやってきたのだ。
だがそんな生徒会の存在理由もわからず、アドリエンヌは音楽祭が終わるまで女である己では無理なのではと悩んでいた。それこそが愚かの極地であるとも気づかないで。
そこまで考えたアドリエンヌは己の頬をひっぱたいて気合を入れると、毅然とした顔で学園の職員に今すぐオーブリー侯爵に連絡をと頼みを向けた。
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第三校舎で爆破事故が発生したため、安全を配慮して生徒は全員寮へ帰るようにと指示を受ける。そうして1年の男子寮に戻った者たちの一部がバルコニーに降り立つ黒い甲冑騎士を見た。
特にバルコニー付きの個室を持つSクラスの生徒たちは、外で話していたそのそばに降り立つ甲冑騎士な驚く。
しかも甲冑騎士は藍色の衣装をまとった竜神殿の職員を抱きかかえ、着地するなりマティアスの部屋に飛び込んでいく。そのため生徒たちもつられるようにマティアスの部屋の前へ移動した。
すると抱きかかえられていた職員は、降ろされるなり寝台にいるマティアスへ駆け寄る。
「診断書類の前に治癒します。このままでは呼吸が危うい。君は紙とペンの用意を」
自分は手ぶらで拉致されているからと皮肉る職員に黒い甲冑を消したディートハルトは周囲に視線を走らせ、そしてバルコニーにいたクラスメイトに気づいた。
「紙とペンちょうだい!」
「待ってろ!」
事情は知らないが、マティアスが酷い怪我を負っているのはわかる。赤黒くなっている顔より何より首元にある大きな紫色の痕が怖い。それを瞬時に察したクラスメイトたちはそれぞれ紙やペンだけでなく、食堂で氷を貰ってくると走り出した。
そんな賢い仲間に安堵しつつ、ディートハルトは切れた息もそのままにネクタイを緩める。その様子を目にしたローラン侯爵は眉を寄せた。
「魔法武具を使っていても息が切れるものなのか」
「魔法剣の速度じゃ、足りないから…、一緒に魔法使ってた」
さすがに疲れたと床に座り込んだディートハルトにローラン侯爵は眉を寄せる。すると拉致されてきた治癒師がそんな侯爵を見やった。
「戦闘型の魔法武具は、移動用ではありませんから相応に疲労するんですよ。なのにこの子はその上で風の上位魔法である飛行を高速度で行うんです。恐ろしい子ですよ」
「帝国宮廷魔術師殿のご子息だからできた無茶ということか」
「そうでしょうね。ですがその判断は正しかったと言えます。この子は喉が潰れて気管を塞いでしまっているので」
「妙な音を立てていたのはそのためか」
「そうです。気管が狭まったところが音を立てるのです。横向きにされたのも正解でした」
危うく死んでいたところだと告げる治癒師の手元は淡く光り、治癒魔法の発動が目に見えてわかる。
その後、紙やペンを手に戻ったクラスメイトたちは床に座り込むディートハルトに驚いた。その上で魔力を最大に使って治癒師を拉致したのだと教えられてまた驚く。
ただそんなクラスメイトたちは、部屋にいる侯爵には恐縮していた。なにせ息子が死にそうな怪我を負わされていると聞いてもローラン侯爵は顔色ひとつ変えないのだ。
そんなローラン侯爵に床に座ったままのディートハルトが問いかける。
「お父様、ここからどうしよ。オレはもうちょっとぶん殴りたいんだけど、やっていい?」
「それは物理的な話かね? 政治的にも殴りたいから、わざわざあそこまで破壊したのだと思ったのだがね」
「わー、バレてる。そうなんだよ。あれだけ壊したら親呼び出しとかなりそうじゃん? うちの父親が来ても勝てるけど、こういう時に来るのは父親じゃないと思うからさ」
「君の親族にはくわしくないが、竜王国でのことなら宰相が動くのではないのかね」
「オレの従兄さんが、宰相ずるいってずっとダダこねてたからそっちだと思う。で、従兄さんが来たらオレの勝ち。竜王国への反逆行為だぞーってほざいてた権威主義が勝てるわけない。でもそこまでやって良いと思う?」
「今回の被害者はマティアスなのだから、君の親戚とやらがどうしようと結果は変わらんよ。今回の加害者ふたりに関しては不問に処される」
「ええ???」
ローラン侯爵の言葉にディートハルトは笑みを歪ませ首を傾げた。
「オレのマティが殺されかけたのに?」
「マティアスは10年以上前からずっと被害を受けているよ。ただこれまではベルナールが守っていただけの話だ」
「じゃあなおのこと潰したくなるじゃん!」
「加害者たちがあのようになったのは、親の育て方の問題だ。そういう意味では彼らも被害者だろう」
「いやいや、アイツらは加害者だよ。なんでそんな甘いこと言うの? マティアスのお父様は、マティアスが泣いちゃうくらい怖い人のはずじゃん」
「君は子供だから知らんだろうが、雑草は見える範囲を刈り取っても意味がない。根まで刈り取り枯らしてしまわねばまた増える」
「なるほど、オレちょっと頭が落ち着けてない気がしてきた。加害者ふたりだけじゃダメだから、親も殺せってことだよね?」
ローラン侯爵の言葉を理解したディートハルトは、自分が感情的になっていたことを反省した。その上で目の前にいるのはやはりベルナール・ローランの父親なのだと納得する。
いつでもどこでも冷静で、何事も俯瞰で見る。そんな男が10年以上も息子への加害を放置するわけがないのだ。
「今回のことはわたしから宰相殿へ知らせを飛ばす。だが君も学園へ校舎を破壊したことを告げた上で親を呼びたまえ。オリヴィエ・アンベール云々以前に、破壊した箇所の損害賠償の話になる」
「うん、わかった。お父様ありがとう」
「お互い様だ」
ディートハルトが礼を言ってもまだ表情が変わらない。そんなローラン侯爵は治癒師にも学園側と話をしてくると告げて部屋を出て行った。
それを見送ったディートハルトは、改めて治癒師を見やる。
「オレのマティはなんとかなりそう? もうひとり治癒師がいるなら拉致してくるよ?」
「わたしひとりで問題ないから、空から竜神殿へ侵入するのは辞めなさい。不法侵入だよ」
「非常事態だったじゃん! 治癒師さんはオレとマティの関係を知ってるでしょ! 3年前も今もラブラブなんだよ! 不法侵入くらいします!」
「わかったわかった。まだ15歳だから仕方ないのかな」
愛する云々とディートハルトが誤魔化したところ、まだ若いからかと妥協してくれる。そんなふたりのやり取りを眺めていたクラスメイトたちは顔を見合わせる。
ディートハルトはけっしてマティアスとラブラブな関係ではない。なんなら『ラピスラズリごっこ』からして、リリという存在を隠すために3年前に始めたことだ。
だがそこを利用して竜神殿への不法侵入や、治癒師を強引に招くことを良しとさせるのはさすがとしか言いようがない。




