107.ご令嬢にモテるその人は
竜の月は1か月間に及ぶ長い期間を祝祭で彩るが、それは王立学園の生徒たちにとって恋人を見つける期間でもある。
竜王国の若者たちは秋の終わりである竜の月に恋人を見つけ、冬の間にその関係を深めていく。そして春が始まる白の月の初日に開かれる花祭りに告白して婚約者へ昇格するのが恋の王道とされていた。
そのため竜の月に入ってからの高等部はにわかに活気づき、下位クラスの人間たちがSクラスへやってくるようになる。
そんな竜の月半ばに1年SクラスとAクラス合同のダンスレッスンが行われる。竜王国にいまもある男尊女卑の意識により、Sクラスは男子が多く、Aクラスは女子が多い。そのため昔からダンスレッスンは合同で行われていた。
もちろん昨年の中等部3年生の時も同様に、ダンスレッスンは2クラス合同で行われている。ただ中等部3年生の時よりAクラスの人数が10人多く、中には高等部で外部入学した者もいた。
そのため教師たちも、生徒間でダンススキルに差があると最初に言う。その上で相手の不手際を責めないようにと忠告するのだ。
ただ教師たちがその言葉で守ろうとしているのは、あくまでSクラスの男子生徒たちだ。勉強ばかりしている男子生徒たちがダンスをうまく踊れるはずがない。
その点では家庭教師から習ってきた外部入学者たちのほうがよっぽど上手だろうと考える。むしろ例年がそうなのだから、今年もそうなると教師たちは経験上考えていた。
かくして合同ダンスレッスンが始まると、男女がペアになって昨年行った基本を思い出すように緩やかな曲で踊り始める。
Aクラスの大半の女子生徒たちは昨年の授業を思い出すように踊るが、外部入学者たちは慣れた様子で鮮やかにワンピースをひるがえしていた。
それを見た教師陣は、やはり家庭教師を招いて徹底的にやってきた令嬢は強いと思う。外部入学者たちは下位貴族がほとんどだが、だからこそこの王立学園へ全力で挑んでいる。しかも外部入学でAクラスに入る者は、本気でより良い結婚相手を手に入れに来ているのだ。
その思いの強さは中等部をのんきに過ごしてきた上位貴族の比ではない。
だがそうして例年通りの光景と眺めていた教師たちは違和感を覚える。いつもなら足を踏まれた令嬢が曲の合間に何人か止まるはずだ。しかし今年はそれがない。
むしろSクラスの男子生徒たちは見事な姿勢を保ち、女子生徒たちの支えとして機能していた。
そのまま一曲目が終わり、踊っていた生徒たちと、壁際にいた生徒たちとが入れ替わる。教室の中央に立った男女の生徒たちは曲が流れ始めると先ほどと同じようにミスなく踊り始めた。
あげく教師たちは、一際優雅に踊る女子生徒に目を奪われる。白いワンピースを緩やかに揺らした女子生徒は、琥珀色の長い髪を背中で揺らして緩やかに微笑み踊っていた。その姿は自信に満ちていて、ステップや足元を気にする様子もない。
かくして高等部1年生の初回ダンスレッスンは教師たちに驚きを与えて終了する。ひとりふたり完成度の高い生徒がいることはこれまでもあった。だが勉強しかしていないはずのSクラスの男子生徒たちが、見事に女子生徒の支えていられたのは驚くべきことだ。
ダンスレッスン後、Sクラスの生徒たちは教師に褒められながら教室に戻る。そしてこの2ヶ月やり続けた厳しいトレーニングを思い返す。
獅子の月から2ヶ月、暑い日も涼しい日も誰に笑われようと昼にはアニエスの特訓を受け続けた。その結果として教師だけでなく女子生徒からも「安定感があった」と褒められたのだ。
「これはアニエスのおかげと言っても過言じゃないな」
「でもおれらは安定感とか言われたけどアレじゃん。アニエスはやっぱり素敵ですぅされてたな」
「まあ実際になぁ?」
素敵じゃんと笑うクラスメイトたちが目を向けた先で、アニエス本人が仕方ないよねと笑う。
「君たちはまだ筋肉が足りないからね」
「絶対そこじゃないよ!」
「顔だよ顔! あと乙女の騎士ってあだ名!」
アニエスのおかしな評価に反論したクラスメイトたちは、そろってディートハルトを呼んだ。するとブレザーを脱いでいた彼はネクタイを緩めながらやってくる。
「アニエスのモテモテなアレの話?」
「そうそう。ディートハルトもさっきのダンスレッスンで見たろ? 女子生徒たちの浮かれたアレ」
「まぁうん。まだマシだと思った」
「は?」
「女子総取りしてるあれをまだマシだって?」
ディートハルトの言葉が信じられないクラスメイトは目を見開きアニエスを指差す。
「乙女の騎士様の人気、もう見たよな?」
「わかるよ。マジで。でもアニエスは、帝国ではもっとヤバかったんだよ。アニエスが宮廷大広間に颯爽と現れたら、女の子たちみんなそっち行っちゃう。誰が最初にアニエスと踊るかって争いが始まってダンスレッスンが成立しない。それと比べたらまだ良かったよな? レッスンができてたから」
「ああ……なるほど。授業が成立してたからマシなんだ。帝国って貴族が多いらしいから、アニエス争奪戦が酷くなるってことだよな」
「そう。宮廷大広間でのダンスレッスンは秋に2回しか行われない子供向けのやつなんだよ。帝国内の同世代の子供たちが集められて本場の宮廷大広間でっていう大規模なやつ。だから地方から来たヤツとか初対面がほとんどなのに、みんな初回はアニエスに一目惚れして奪い合い。2回目もダンスパートナー奪い合い。たぶんAクラスの女子たちはアニエスに慣れてるから良かったのかも」
女子寮とかで会話するチャンスもあるだろうから、奪い合いは発生しない。妙に冷静な解説をするディートハルトにクラスメイトたちもなるほどとうなった。
「筋肉じゃどうにもならないってことだな」
「ちょっと筋肉を鍛えただけじゃ、アニエスの努力には届かないって意味ならそうだけど、違うよな? オレらのゴールって卒業レセプションでカッコよく女子をエスコートして求婚だろ? じゃあ今から頑張れば、来年や再来年には年下の可愛い女の子から頼れる素敵ってされるかもだ」
「なるほど!」
「3年でムキムキになって帰ってきた男は違うな」
「違わないよ! オレの筋肉はまだ足りてないんだよ!」
照れ顔でまだ足りないから褒めるなと叫ぶ。そんなディートハルトにクラスメイトたちも笑った。
そんな中でクラスメイトが思い出したように言い出す。
「そういえば来月の音楽祭あるだろ? 参加者募集してるけどディートハルトは演奏いけるくち?」
「ディートハルトも侯爵家の長男なんだよな?」
「いやーー、そういうの苦手だもん。でもその音楽祭ってなに? 初めて聞いた」
「高等部の中だけだから、中等部は関係なかったんだよ。これは成績と関係あるわけじゃないけど、国から表彰されたり賞金も出る。なにより栄誉とかかな。これで表彰されると、結婚相手を探すのに特技として言えるよな」
「なるほど? 音楽の才能を評価に乗せて婚約話に持ち込んだりするわけだな? でも、そんなあって当たり前のものを武器にできる竜王国チョロいな」
「おーい、チョロいって言うなよ」
ディートハルトの言葉もクラスメイトたちは笑って流す。だが帝国ではできて当たり前という彼の言葉には優秀な彼らも引っかかった。
竜王国民である自分たちは10代のほとんどを王立学園で過ごす。しかし帝国の若者たちはその時点で学生を終えて騎士になっていた。
早い時期にすべて履修する利点は、まさに目の前にいる騎士ふたりの有能さでわかる。だがそんな彼らに難点はないのかと思うのだ。
「ディートハルトもアニエスも、帝国にいて疲れない?」
「うーん、でも世界最強の騎士国家って、つまり人の手で世界を守るってことだろ。その武力を保つには帝国の方法しかないから仕方ないところはあるよ。あと、オレもアニエスも王位継承権持ってるからこうなだけで、普通の貴族はもっと緩いよ」
「砂糖菓子ちゃん、めっちゃ緩いのに完璧な令嬢だもんな。さっきのダンスレッスンで先生たちめっちゃ砂糖菓子ちゃんのこと見てたし」
「帝国最高の公女だからな。何万いる貴族の女の中でトップってそういうことだよ。あーー、でもみんな誤解するなよ? 帝国の女はあんな中身凶暴なモンスターじゃないから!」
途中から大声で侮辱を始めたディートハルトに、席でクッキーを食べていたリリが立ち上がった。
勢いよくディートハルトの元にやってくるとポコポコと叩き始める。しかし口の中にクッキーが入っているからか、リリからいつもの文句は出てこなかった。そして叩かれるディートハルトも痛くないけど辞めろと笑った。
そうしてゆっくりと日々を過ごし竜の月も下旬に近づくと、様々な場所でカップルを見るようになる。そして様々な女子生徒たちがディートハルトに声をかけるようになっていた。
高等部1年生ながら体格に優れたディートハルトは、短く切った黒髪のためか学生の中では精悍に見えがちだ。しかし15歳という年齢が見せる無邪気な態度は女子生徒たちには可愛らしくも見える。
その点ですべての女子生徒たちの憧れであるアニエスとは対極の魅力を持っていた。
職員室から食堂へ向かうべく階段を降りた広いホールの一角。ディートハルトを囲んで話しかけていた女子生徒たちは、やってきた水色頭の2年生に気づき引き下がる。
そうして女子生徒たちが道を開ける中、悠然とやってきた水色頭の女はディートハルトの前に立った。
「ねぇねぇ君、ディートハルトって言うんだね。祝祭で会ったの覚えてる? 今日はクッキー焼いてきたから君にもあげようと思ってたんだ。マティアスと一緒に食べてよ」
「気持ち悪いからいらない。つーか、祝祭で他の男と宿帰りしてた娼婦がここにいることに驚くんだけど。ああけど王立学園って平等がなんちゃらだもんな? 3年の生徒相手に娼婦してても在籍できるのもまぁしゃーないか。けどキモいからムリ」
「ねぇ本気で君は何も知らないからそういう誤解してるんだと思うよ。でもわたしはオリヴィエたちとそういう関係じゃないし、マティアスのことだって心配っていうか」
「おまえに心配されるいわれはない」
女の言葉を遮るようにディートハルトは笑顔を消して言い放った。
「マティアスはオレが3年前に見つけた、オレのラピスラズリなんだよ。おまえみたいな発情した獣みたいなオンナが目を向けて許される男じゃない」
「ホントに君は誤解が酷いんだよ! だって君が知らないだけで、ここではわたしがラピスラズリなんだから!」
「なんでおまえみたいな魔力垂れ流したヤツがラピスラズリ扱いされるんだよ。勘違いするのもいい加減にしろ。あとそのクッキーとやらも、おまえの魔力がこびりついてキモいんだけど、それを食わせるつもりじゃないよな? おまえが頭のおかしい娼婦でも、毒物混入事件は死罪だぞ」
「なんでなのよ! 毒なんて入ってないし、手作りなんだからわたしの魔力がついちゃうのは仕方ないよ」
「じゃあ、ラピスラズリじゃないことは認めるってことだな。人の腹から生まれた竜は魔力を持たないんだ。あとオレ、グレイロードの王位継承権持ってるから他人の作ったものは食わない。それにオレの大事なラピスラズリにも、何が入ってるかわからないものは食わせない。その悪い頭で理解できたらさっさと消えてくれ」
多くの生徒がいる前でラピスラズリであることを全否定された女は、顔をしかめると逃げるように去っていく。それを見送ったディートハルトは大きなため息と共に腕を組み周囲を見た。
「ごめんな。怖かったよな? アイツらはちょっと強めにお断りしないとって思ってたからさ」
自分がばらまいた威圧感は、令嬢たちには刺激が強かっただろう。そう心配するディートハルトの視界の中にいたのは頬を赤らめた令嬢たちだった。
「アニエス様とは違う方向で素敵過ぎる…」
「「マティアス君が羨ましすぎるぅううう」」
好きだなんだと叫んだ令嬢たちは散り散りに去っていく。その様子に恐怖などはなかったことに安堵しつつも、ディートハルトは苦笑いを浮かべた。
母国ではアニエスだけがモテていたが、竜王国では少し違うらしい。
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昼休憩の食堂で高等部騎士科の1年生から模擬戦を申し込まれる。それはアニエスにとっては既視感どころか記憶にしっかり刻まれた例年恒例行事のようなものだ。
そして目の前で勇ましく立つ外部入学者だろう見知らぬ男の見下したような目も変わらない。
「おまえみたいな、オンナを垂らしこんで良い気になってる優男が騎士科トップ扱いだなんて理解できない。先輩方は寛容だから、おまえがトップを名乗る事を許してるんだろうが騎士科1年としておれが認めない。おまえの都合の良い時に模擬戦でその実力を見せろ」
「では今から修練場に行きましょうか」
「は? ファンだかいうオンナたちを呼ぶとか、医務室に連絡しておくとか心の準備とかあるだろ」
「ははは、そちらに心の準備が必要ならどうぞいつまでも待ちますよ。そうでないなら有志の皆様でどうぞいらしてください」
笑顔で言い放つアニエスに騎士科の男子生徒は奮然と声を上げた。
「バカにしやがって! 逃げるなよ!」
怒りに肩をあげ立ち去る後ろ姿を笑顔で眺めたアニエスは、そばのテーブルにいる女性陣を見やる。
「というわけで、リリはディートハルトが戻ってきたら報告してくれるかい? 私は修練場で駄犬の調教をしていると」
「ええ、でも調教は全力でなさいね。犬ごときがどうなろうと関係ないけれど、乙女の騎士たるあなたが舐められてはいけないわ」
この学園の女子たちのために叩き潰せ。緩やかな笑顔でケーキにフォークを突き刺し告げたリリに、アニエスは軽く笑った。
「そうだね。へし折ってくるよ」
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2時間半と長い高等部の昼休憩に中庭で行われている筋肉トレーニングは、もはや恒例行事になっていた。同時に中庭で行われるそれを見物する女子生徒たちの存在も噂として広がる。
もちろん彼女たちの目当ては、男子生徒たちを鍛えるべく指揮しているアニエスだ。
悲鳴をあげながらトレーニングしている男子生徒たちに紛れながらも、涼やかな笑顔ですべてをこなす。その光る汗も爽やかな笑顔も、ブレザーを脱ぎ袖をまくる珍しい姿も、何もかもが女子生徒たちの心をときめかせた。
しかもアニエスはそんな女子生徒たちの呼びかけを無視しない優しい騎士なのだ。名を呼べば笑顔で手を振り返してくれる。さらにそばで転ぶ女子生徒がいたら駆け寄り手を差し伸べる。
それは月日を重ねるごとに観客も増え、2ヶ月が経つ頃にはその噂が騎士科にも届いていた。
そんな騎士科1年Aクラスにいるクロード・ヴァセランは先月頭からトレーニングに参加している。アニエスが帝国近衛騎士であることも、その実力も知る彼は強くなれるヒントが得たいと参加していた。
だがその日の昼休憩中、誰よりも早く中庭に来ていたクロードの元へディートハルトがやってくる。
「ちょっと手を貸してくれ! いやその前に修練場の近道教えて!」
「どうした? なんで修練場に?」
「アニエスが騎士科の連中に模擬戦を挑まれたんだって!」
「へぇ、今年もバカがいたってことか。でもそんなことは初めてでもない、慌てることじゃない」
「いやたぶん違う。だって去年までのそれは相手が年上だったろ?」
「ああ…まぁ、中等部には騎士科がないからな。去年は力試しがしたいってアニエスに挑んだ形だったよ。もちろんみんな倒されたんたが、それを見た教師から頼まれてアニエスの臨時授業が行われたんだ。そういう意味では模擬戦を頼んだ先輩たちは正解だったと思ってる」
「年上相手なら敬意もあるし手を抜くんだよ。だから模擬戦の相手をしただけで、調教なんて言わないだろ」
「調教? 何を?」
「駄犬とかザコとかウジ虫とか」
「おれたち、人間の話をしてたよな?」
「そうだけど違うんだよ! とにかくヤバいから止めたい! 修練場はどっちですか!」
高等部に入学して2か月が経っても場所を覚えていない。そして修練場の方向からわからないらしいディートハルトに急かされてクロードは西の方向を指差した。
その頃には1年Sクラスの空気が読める面々も、担任を呼ぶべきかとディートハルトに問いかける。だがディートハルトは、焦った顔でそれはヤバいと返した。
「素人に血まみれの惨状を見せるなんて可哀想すぎる」
「血まみれの惨状ってなんだよ!!」
「本気の騎士科の団体を相手にしたらアニエスがヤバい的なことだろ! ヤバいよ!」
「とにかくクロード君行こうよ! おれたち軟弱なSクラスじゃ死んじゃうから!」
アニエスの危機だと察したSクラスの面々がクロードの背を押して走り出す。そのためディートハルトは、彼らの誤解を解くことなくついていった。
広大な高等部敷地内の西側に中等部よりもはるかに巨大な剣術修練場がある。1000人規模を収容できる観客席をそなえたそこは基本的に剣術の授業で使われていた。だが生徒会主催の剣術大会が行われた際には、竜王国騎士団を観客席に招いて盛大に行われるらしい。
広大な修練場に飛び込んだディートハルトは、死屍累々と言った光景に苦笑いを浮かべる。そんな彼の耳にアニエスのいつもより低い怒声が響いた。
「主への忠誠。善悪を安易に決めつけない公正さ。己や他者の蛮行を止める勇気。弱者や令嬢に対する礼節。小さな過ちを許す寛容。そして他者に尽くす奉仕の心。貴様らは騎士が持つべき心得をなにひとつ持たず。そのゴミのような能力を過信し、相手を嘲笑した。その結果がこれだ!」
30人近い騎士科の生徒たちを見下ろし、ひとり立つアニエスが言葉を並べる。Sクラスのクラスメイトたちはその光景を指差してディートハルトを見た。
「マジで?」
「そう。だから止めるって言った」
騎士科の生徒たちは全員がメンタルを殺された。おおよそ傷は打撲程度だろうが、たったひとりに打ちのめされるのはショックだろう。
しかもアニエスは、物理的に手加減しても、その口撃は止めない。
「私は駄犬の調教をするつもりでいたが、貴様らは駄犬にも劣る。犬ですら相手の身の危険を感じれば逃走するが、貴様らにはその判断力すらないからだ! 床にはいつくばることしかできない貴様らは、踏み潰されることしかできないうじ虫でしかない。わかるか? うじ虫ども」
そう述べたアニエスはそばに転がる騎士科生徒の背中を踏みつけた。
そんなアニエスの元へクロードが駆け込み、横に立つ。
「こいつらは何をした?」
「私に模擬戦を申し込んだ以外でか?」
「ああ、アニエスがそこまで怒るのは珍しい…いや、初めて見る」
「騎士として必要な資質をひとつも持ち得ないうじ虫に現実を教えてやっているだけだよ。敬い守るべき令嬢たちを見下しオンナ呼ばわりするこのうじ虫どもに、この世で最も無価値なのは貴様らだと」
「なるほど。礼節云々はそういうことか。だが許して欲しい。連中は騎士科の中でも下位クラスなんだ。きっとまだ資質も学んでない」
中等部から騎士クラスにいた生徒たちならやっていることを、彼らはまだ履修していない。そう訴えたクロードをアニエスは軽く笑って返した。
「己で学ぶ能力もないゴミどもが、この私に挑むとは滑稽な話だね」
「自分で知る能力があるなら、アニエスがグレイロード帝国の近衛騎士だと知れるだろ。2年や3年の先輩に聞くだけでわかる。学園内で唯一の現役騎士だから騎士科のトップとして扱われることも」
クロードのその言葉を床に倒れたまま聞いた死屍累々たちが絶句する。
「知能のないゴミは死ねば良いのに」
「アニー!!」
嘲笑のまま悪意を吐き出したアニエスへディートハルトが抱きついた。
「ストップストップ! 近衛騎士に戻らないと、こいつらはどうでもいいけど、女の子たちの夢と希望まで死んじゃう。むしろいつものトレーニングのとこで女の子たち待ってるから!」
「ああ、そうだった。ゴミ掃除にかまけてる時間はなかったね」
「そうそう! なんだっけ、鳥たちを? 可愛がるアレのほうが大事だな!」
「愛らしい小鳥たちのさえずりを聞く時間は大事だよ。ディートハルトもそこを覚えられたらいいね」
「おれ礼節はちょっとアレなんだよ。恥ずかしい」
話をそらし誘導したディートハルトは、アニエスの腕をつかみ連れ出そうとする。そんなディートハルトに手を振られ後を任されたクロードはため息を吐き出した。
クロード・ヴァセランは騎士科1年だが、Aクラスでこの連中と面識はない。なにせ騎士科は6クラスあり総勢で290人もいるのだ。
昨年の中等部3年騎士クラスは70人しかいなかったから仲間意識もあったが、外部入学者たちなどまだ顔も把握できていない。
「おれはAクラスのクロード・ヴァセラン。中等部から騎士クラスにいるから、あのアニエスが何なのかも知ってるし、その強さも知ってる。彼女は、昨年の騎士科筆頭よりもさらに強い騎士だ」
クロードのその言葉に死屍累々だった者たちが彼を見た。その言葉のどの部分に驚いたのか、中には驚愕に目を見開く者もいる。
「去年ってことは、あいつは中等部だろ?」
「いやまて、いまあいつのこと彼女って言った?」
ざわめく中でその事実に気づいた生徒が起き上がり、絶望したような顔でクロードを見つめる。
「アレはオンナなのか?」
「グレイロード帝国騎士団では女騎士は珍しくない。けど彼女は年にひとりしか扉を叩くことが許されない近衛騎士団の扉を叩けた。つまり帝国の騎士見習いの中でトップだったってことだ」
「オンナだから、礼節がどうとかキレたってことか」
「いやおまえが知らないだけで、普通に騎士だからだろ。というか近衛騎士ってのは国を出れば母国の顔になる立場なんだ。だから帝国近衛騎士であるアニエスが、竜王国の令嬢に優しくするのは当然だろ。任務なんだから」
「任務? オンナにチヤホヤされることが? オンナにモテる任務なんて意味がわからない!」
「その結果として、実際に、帝国騎士団の好感度がかなりあがってる。むしろそんなだからおまえはうじ虫とか言われてるんだよ。オンナにモテないのをひがむ前に鏡見ろ。そもそも騎士の資質すら知らないおまえは騎士見習いですらないんだ」
そんなことで令嬢たちから目を向けられるわけがない。そこまで言い放ち、クロードはまたため息を吐き出す。
「まあけど、何が足りないかおまえたちに教えてくれるところはさすがだな」
アニエスが騎士科にいたら良いのになと思いながら、クロードは踵を返して修練場を立ち去る。
その翌日以降、昼休憩中に中庭で行われるトレーニングに騎士科の人間が数十人加わった。




