第8話 最初の揺らぎ
ルクス様の言葉が結ばれてから、広間は深い静寂に沈んだ。
イサムは胸の奥で脈打つ熱を押さえつけるように、そっと息を吐く。
信仰の対象が自分たちに「形を与えよ」と命じた──その意味の重さが、遅れて全身へ染み込んでくる。
アリュシアはイサムの横顔をひと瞥し、わずかに眉を寄せた。
彼女ですら、いまの揺らぎを飲み込むのに時間が必要らしい。
その時、微かな震動が足元を走った。
床材が軋んだわけではない。
音はしない。
ただ、世界そのものが一息だけ、僅かに“波打つ”。
アリュシアが振り返る。
広間の外、遥か遠くの通路に敷かれた白磁質の床面が、瞬間だけ光の焦点を歪ませた。
熱ではない。
破損でもない。
リングのデータ層が、深層から押し上げられたかのように揺らいでいる。
「……ルクス様のお言葉に応答が起きているのか?」
アリュシアが呟く。
「異常と捉える必要はない。」
ルクス様の光がかすかに脈動した。
「この環は閉じて久しい。変化を受け入れる準備が整った結果だ。」
その声には恐怖も焦りもない。
ただ淡々と事実だけを紡ぐ響き。
イサムは深く頭を垂れた。
「ルクス様。
我らは、どこへ向かえばよろしいのですか。」
「中央区画へ。」
ひときわ大きな光輪が背後に浮かびあがる。
「そこに、次代の“核”がある。」
イサムは返答を胸に刻む。
アリュシアは短く頷き、踵を返した。
広間の扉が開くと、外気がふっと動いた。
リング管理層の空気はいつも一定に保たれているはずなのに、今日は微細な“乱れ”が混じっている。
粒子が舞い、光を裂く。
「やっぱり……何かが始まってる。」
アリュシアが息を飲む。
イサムは通路を見渡した。
光は安定している。
だが奥遠く、壁面のラインがわずかにねじれるのを視界の端で捉えた。
ゆらり──。
生き物のように。
ルクス様が最後に声をかける。
「恐れる必要はない。
環の揺らぎは、汝らの進むべき路を示す。」
イサムは一瞬だけ振り返り、光の主を仰ぐ。
信仰の深奥に触れた心が、静かに燃える。
「ルクス様の望まれる形を──必ず。」
二人は歩き出した。
揺らぎは、確かに前方へ向かって流れている。
その中心、中央区画の奥深くへ。
世界が呼吸を始める音が、微かに追いかけてきた。




