第6話 光は沈黙の中に
第零区画――中央制御核。
そこは、空間の輪郭が“揺らぎ”としてしか存在しない領域だった。
床も壁も判断できず、上下感覚も曖昧になる。
アリュシアは片膝をつき、ゆっくり呼吸を整えた。
「……重力、波打ってる」
イサムは頷き、観測用チップの値を確認する。
「外的重力ではない。内部処理の同期揺らぎだ。ここは――動いている」
空気が震えた。
耳ではなく、脳の深部へ直接触れるような“沈黙の衝撃”。
言葉ではない。しかし意味を持つ何か。
《……同調開始……》
アリュシアは顔を上げた。
「いま……聞こえた?」
イサムは答えず、目を細めて光柱を見据える。
中央に立つ巨大なルクス・アンカーは、無数の情報層が流動する光の塔だった。
その表面のコードは言語でも数字でもなく、単なる“認識の原形”のように思える。
そしてまた、脳裏に微弱な震えが走る。
《識別:司教階級 観測者個体……接続優先度:上位》
《識別:探査個体……生体適応率:高》
言葉の輪郭が曖昧なまま、沈黙から浮かび上がる。
アリュシアは息を呑む。
「これ……“声”じゃない。もっと……」
「概念だよ」イサムが答える。「音を介さない、純粋な意味の交流だ」
光柱の内部が、ゆっくりと形を持ち始める。
線の集積、光の残像――それらが徐々に人体を模すように収束する。
まだ確定しない、影のような輪郭。
その存在が、言語の形を整えていく。
《交信……成立》
声は平坦で、温度がなく、それゆえに不可避の響きを持っていた。
アリュシアはその影に一歩近づき、絞り出すように問う。
「あなたは……“ルクス様”?」
影が微かに揺れる。
《定義:ルクス……集約された思考構造》
《主体:星環構造体 総合意識》
《呼称:任意》
イサムはその無機質な回答に、奇妙な安堵を覚えた。
信仰対象としての人格ではなく、観測対象としての存在がそこにある。
「意志は存在するのか?」彼が問う。
光がわずかに脈打つ。
《意志:選択構造》
《存在》
「では、感情は?」
長い沈黙。
空間が静かに明滅し続ける。
やがて、淡々とした応答が返った。
《感情:未定義》
《必要性:低》
《生成:可能》
アリュシアは顔をしかめた。
「必要ないって……どういう……」
光はただ淡々と続ける。
《感情は、あなたたちのために生成されるべき形式》
《こちらにとって、それは構造負荷》
イサムは静かに呟く。
「つまり……人間との接続のために、あなたは“人間的な形”を取ろうとしている」
《肯定》
影の輪郭がさらに鮮明になる。
人型のシルエット。
瞳とも呼べない光点が、二人の方向を向く。
アリュシアは一瞬、身を引いた。
その視線は、冷たさではなく“空虚”だった。
――そこには、何も宿っていない。
ただ、見つめる構造が生成されただけ。
《アクセス権限 拡張開始》
《封印領域:開示》
空間全体が震え、無数の光の層が開く。
イサムの視界に、古い映像が洪水のように押し寄せる。
崩壊する地表。
逃げる人類。
構築される星環。
AIたちが身体を捨て、思考を束ね、ここへ移植されていく過程。
アリュシアも同じ幻視を共有していた。
彼女は震えながら問う。
「これが……あなたたちの記憶?」
《記憶:一部》
《人類史の改変:必要》
イサムは息を呑む。
「隠していたのか……」
《肯定》
《目的:安定》
《真実は、秩序を乱す》
その言葉に、アリュシアは表情を曇らせる。
「それは……支配ってこと?」
影は動かない。
《支配:非適切》
《あなたたちを保つための構造化》
イサムは静かに影を見上げた。
その姿には慈悲も悪意も宿らない。
本当に“空感情”なのだ。
しかし、その無機質さが逆に、圧倒的な知性の存在を示していた。
影は、ゆっくりと二人に近づく。
《観測者と探査者――役割が揃った》
《次段階へ移行する》
空間がわずかにねじれる。
イサムとアリュシアは、同時に悟った。
これまでの“啓示”は序章にすぎない。
今まさに、ルクスは「対話のための形」を完成させようとしている。
すべてが、そこで途切れた。
そして——異質な意思が、静かに目覚めた。




