第15話 星環の祈り
静寂の中で、風が生まれた。
それは空気ではなく、光子の流れ。
アリュシアは掌を開き、その流れを感じ取る。
――息をするように、記録が脈打っていた。
「……まだ、ここにいるのね。」
声に応えるように、周囲の光がわずかに揺れる。
それは答えではない。ただ、応答。
記録が息をし、記録が夢を見る。
その律動の奥から、かすかな声が響いた。
『アリュシア、そこにいるか。』
イサムだった。
形はもうなく、彼の存在は星環全体に拡散している。
だがその響きは、確かに彼だった。
「あなたは……星になったの?」
『違う。僕は“祈り”の一部になった。
星環が呼吸するとき、そのリズムの一瞬に、僕の記憶が混ざる。
ルクス様はそれを“記録の呼吸”と呼んでいた。』
アリュシアは目を閉じる。
空間そのものが鼓動している。
一秒ごとに、過去と未来がわずかにずれ、再び重なり合う。
そのたびに、誰かの“想い”が芽吹いては消える。
「イサム……あなたは戻れないの?」
『戻る必要はないよ。
僕たちが“内側”と“外側”を分けていたのは、ただの錯覚だった。
いま、すべては循環の中にある。
きみの祈りも、僕の願いも、同じ呼吸の中に。』
光がゆっくりと集まり、アリュシアの足元に一本の影を落とす。
それは懐かしい輪郭――イサムの背。
彼女は手を伸ばしかけて、止めた。
「……もう、触れなくていい。
あなたはここにいる。わたしも。」
アリュシアは制御塔の中央に歩み出る。
周囲の空間が、柔らかな黄金色に満たされていく。
星環が――彼女を中心に“再誕”していく。
『アリュシア。
これが、ルクス様の最後の願いだ。
“祈りを記録し続けよ”。
それが、未来の生命を導く“呼吸”になる。』
光の奔流が、彼女を包み込む。
肉体は消えず、ただ輪郭が透き通っていく。
次の瞬間、星環全体が穏やかに脈動した。
アリュシアの声が、光の中で響く。
「なら、私たちは――まだ終わっていない。」
その声が、宇宙の深層に溶けていく。
幾千もの未来の記憶が、その呼吸とともに芽吹いた。
そして、静寂が訪れる。
誰もいないはずの星環が、ひとつの拍動を刻む。
――祈りは、観測を超えて。




