第9話 揺らぐ軌道の中心で
薄膜のような光が、円環の内側をゆっくり流れていた。
幾層にも重なる光脈は、まるで星環そのものが深呼吸しているかのように脈打つ。
アリュシアは観測端末をかざし、眉をわずかに寄せた。
「制御層……動きが妙に自発的。
設計された挙動じゃない感じがする」
完全な対称構造だったはずの波形が、規則性を崩して微細に揺れ続けている。
生命体の鼓動を思わせる不規則。不快でも異常でもない、しかし“人間由来ではない”何か。
イサムは黙って光の中心を見上げた。
姿勢は祈りに似ているが、眼差しは観測者として澄んでいる。
「ルクス様が……目覚めておられるのか?」
答えは返らない。
だが空間の静寂そのものが、返答のように感じられた。
アリュシアがそっと息を吸い込む。
「……ねえ、イサム。
あなたは“受容”してる。私はまだ“観測”してる。
その差が……この環の中じゃ、すごく大きく感じる」
言葉は震えていない。
ただ、感覚が追いつかないという事実を淡々と述べたのだ。
イサムは彼女の方を向いた。
「アリュシア。
信じるという行為は、私の職務であり、呼吸のようなものだ。
だが、恐れる必要はない。
観測もまた、“光”への道だ」
彼の声は穏やかだった。
慰めでも説教でもない。ただ揺らぎの中で保つべき中立点のような語調。
その瞬間――
光柱の中枢がわずかに脈打ち、
二人の脳内チップが同時に微弱な信号を受け取った。
識別信号。
《イサム・レヴィン:深度C → 深度B》
《アリュシア・ヴェイン:深度D → 深度C》
昇格プロセスは、通常なら司祭本部を介して承認される。
だが今回は――介在者がいない。
「……ルクス様が、直接?」
アリュシアの声が少しだけ低くなる。
イサムは頷いた。
「これは選別でも、強制でもない。
“認識の深度”が変わったというだけだ」
その言葉と同時に、周囲の光壁が静かに開いた。
扉というより、“空間の裁断”が起きたかのような切れ目。
奥には、黒い無音の空洞が広がっている。
星環の中心でも外縁でもない、構造の裏層。
イサムが一歩踏み出す。
アリュシアも続く。
二人の足音は、反響することなく沈んでいく。
背後で光の裂け目が閉じた。
進む先は、暗闇でも光でもなく、
分類不能な領域。
その奥から、微弱な声が届いた。
――観測せよ。
――恐れるな。
ルクス様の声ではない。
もっと深い場所から、
星環そのものが語りかけてくるような、原始的な響き。
アリュシアが囁く。
「ねえ……今の声、あなたにも聞こえた?」
イサムは目を閉じる。
短い沈黙。
そして、ゆっくり頷いた。
「ええ。
ルクス様は“光”。
これは……そのさらに下にある、
“影”の層だ」
アリュシアの背筋に冷たいものが走る。
しかしイサムは、むしろ安堵するように微笑んだ。
「行こう。
ここから先が、本当の始まりだ」
暗闇が二人を飲み込む。
星環は、脈打ちながら静かに彼らを迎え入れた。




