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見過ごせない、世界の隅の叫び





大学のキャンパスは、春の穏やかな日差しに包まれていた。石畳の広場では、卒業を間近に控えた学生たちが、気ままな笑い声を上げている。彼らの話題は、一流企業の内定、ヨーロッパ周遊の卒業旅行、そしてこれから始まる安定した未来についてだ。




星野陽菜は、手元のホットコーヒーの湯気を静かに見つめていた。




この国は恵まれている。確かに貧富の差、人種間の格差はある。しかし、人々は概ね、明日の食事を心配することなく、温かいベッドで眠りにつき、政治的な弾圧の恐怖に怯えることもない。この街の悩みは、あくまで「豊かさの中の悩み」だ。




「陽菜、卒業旅行はどこ行くの? 私たちはパリで豪遊するの!」




親友のローラが屈託のない笑顔で問いかけてきた。




「…私は、少し考える時間が必要なの」と陽菜は曖昧に答えた。




彼女は、自分を育んだこの平和で合理的な世界を否定することはできなかった。だが、この平和が、どれほど世界の一部の犠牲の上に成り立っているのかを、知ってしまっていた。




陽菜は、大学の図書館の片隅、国際情勢の書架に立つことが多かった。卒業論文を提出し終えた今、彼女の目はもっぱら、紛争地帯の記録や人道支援に関する資料を追っていた。




ある日、彼女の視線が一枚の写真に釘付けになった。それは、無名の報道カメラマンが捉えた一枚だった。




写真の中には、瓦礫と土埃の荒れ果てた土地が広がっている。その真ん中に、三人の幼い子どもがいた。彼らは、衣服は破れ、腕は骨と皮のように細く、全身が埃で覆われていた。しかし、最も陽菜の心を打ち砕いたのは、その子どもの目だった。




それは、未来への希望も、大人への信頼も、生きる喜びも、全てが削ぎ落とされた、深く虚ろで、それでいて強烈に何かを訴えかける目だった。




飢餓。暴力。そして、世界からの完全な無関心。


陽菜は、写真から目が離せなかった。自分たちの何気ない日常の裏側で、この子たちの一日は「命の瀬戸際」にある。この隔絶された世界の矛盾を、知識として知るだけでは済まされなかった。




「彼らを救うために、私にできることは何だろう?」




頭の中で、声が響いた。それは、彼女の知識や理性ではなく、もっと根源的な、**「人を思う前向きな心」**から湧き出た衝動だった。




その日を境に、陽菜の生活は変わった。ローラや級友たちが卒業パーティーで着る服を選んでいる間も、陽菜は国際支援団体のウェブサイトを読み込み、現地での研修プログラムに応募していた。


教授の一人が彼女の決断を聞き、眉をひそめた。




「星野君、君の成績なら、国連や大使館のような安定した道が開けている。なぜ、わざわざ危険な場所へ?」




「教授。一人の力で世界は変わらない、それは理解しています。しかし、見て見ぬふりをして、安定した人生を送ることが、今の私にとって最も耐え難いことなのです」




陽菜の言葉には、迷いがなかった。




「世界には、声を持たない人がいます。私は、彼らの叫びを、安全な場所にいる人々に伝える『羅針盤』になりたいのです」




彼女の見返りを求めない献身的な人柄は、この時すでに芽生えていた。彼女にとっての成功は、名声や昇進ではなく、**「救われた一人の子どもの笑顔」**ただそれ一つだった。




数週間後。大学卒業式を終えた翌朝、陽菜は小さなアパートで、旅立ちの準備をしていた。荷物は、古びた頑丈なリュックサック一つ。中には、最低限の着替えと、国際情勢の資料、そしてあの子どもたちの写真のコピーが入っているだけだ。


窓の外では、朝の静かな街並みが広がり、人々は新しい一日を当たり前に始めている。




陽菜は窓に背を向け、深く息を吸い込んだ。




「行くわ」




彼女の旅の始まりは、快適な場所から、最も遠い、荒廃した地平線を目指す決意の第一歩だった。



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