褐色エジプト猫耳ロリ転生~私は永遠に恋をする~
「婚約を破棄してくれないだろうか?」
王子の言葉に衝撃を受け脳が破壊される。
神聖な瞳を見開き愕然としたその瞬間――
突如私の脳内に溢れ出した。前世の記憶。
生気のないくたびれた人々と共に、電車にすし詰めにされる日々。
なぜ? なぜ私は働くのか? 愛する者はいない。守るべき者もいない。
スケジュールはいつもデスマーチ。心身をカフェインでごまかし働き続ける。
仕事を終え帰宅すると、柔らかなベッドに倒れ込むようにしてその身を沈めた。
スマホを取り出しSNSを確認する。
「褐色エジプト猫耳ロリ……」
なぜかはわからないが、最近流行っているハッシュタグ。
〝神絵師になりたい人、褐色エジプト猫耳ロリだけ描けばOK!〟
謎めいた人物による大号令。
神々のいたずらであろうか?
ネットの海に埋もれるかに思えた言葉は、極東の島国を震撼させた。
今では絵師たちが褐色エジプト猫耳ロリを競うように描いては、その魅惑の筆致で社会に疲れた人々を楽しませていた。
褐色キャラにそこまで思い入れなどなかったのに、私はすっかり魅了されて完全に目覚めてしまった。
思い思いの褐色エジプト猫耳ロリが、私の渇いた心をじんわりと癒してくれる。
「猫耳いいよね」
独りごちる。ワンルームに私の声が響く。独身者の戯言に答える者はいない。
AIに話しかけようかと思ったが、虚しくて泣いてしまいそうなのでやめた。
突然、私の心が壊れて涙が溢れて零れる。
嗚咽が止まらない。誰も聞く者などいないのに、声を潜めて静かに泣いた。
「ね、猫耳……いない……いないよ……っ」
悲しい。なぜ現実に存在しないのか?
褐色エジプト猫耳ロリに会いたいッ!!
会いたい会いたい会いたい会い……たい?
痛い!? 痛い痛い痛い痛い痛いぃいいい!
意識が薄れる。あ、これダメなやつだ……日頃の不摂生のせいだろうか?
闇に包まれる。体の感覚はなくなり、私の人生が終わりを迎えるのを実感した。
悔やんでも……いや、悔しくはない。褐色エジプト猫耳ロリがいない世界なんてこちらから願い下げである。
いっそ清々しい。私は解放されたのだ……現実というくそったれな地獄から。
ああ、神よ。もし生まれ変われるのなら!
褐色エジプト猫耳ロリに会いたいな……。
――猫耳がピクピク動き、黒髪が震える。
己に目をやる。小さな褐色の体に纏う衣は豪華に彩られているが、あられもない姿と言うしかないほどに際どい恰好だった。股間も胸も恥部しか隠れていない。
「褐色エジプト猫耳ロリ! 私がぁ!?」
石造りの神殿に私の叫び声が木霊した。
尻尾がピンと立つ。会うどころではない。なった、褐色エジプト猫耳ロリに!
「何を言っておる? ついにボケたか?」
王子の辛辣な一言が突き刺さる。王子に目をやるが……目のやり場に困る。
上半身は装飾品で飾られているものの、褐色の肌を露にし裸同然の格好だ。
下半身は豪華で色彩豊かな腰布に覆われているが、肌色面積が多すぎませんか?
恥ずかしくて顔に熱が昇る。前世の記憶のせいか、倫理観が混乱し眩暈がした。
なんだか股間が落ち着かないと思ったら、下着をはいてないではないか!?
股間を手で押さえる。動いたら見えてしまいそうなほど布面積が頼りないのだ。
まるで心臓が早鐘のよう。落ち着くため、深呼吸をしてから王子に話しかけた。
「王子……いや、ファラオ」
もう王子ではない。王位を継ぎ立派なファラオとなったのだ。私は話を続ける。
「約束したではないか! お嫁さんにしてくれるって……大好きだって……」
瞳が潤み視界が霞む。豪奢なネメス頭巾の美丈夫、ファラオが呆れた声で諭す。
「我が幼き頃の口約束ではないか」
小さな手をぎゅっと握りしめる。確かにそうだけれども、私は食い下がった。
「神に誓ったではないか!」
「だが、おまえは女神ではないか! 神と人が交わってはならぬ……ならぬのだ」
涙がとめどなく流れる。小さな体が震え、猫耳が後ろに倒れ、尻尾がバタつく。
「でも! でも……」
「口約束とはいえ、神に誓い婚約をしたのは事実。しかし女神よ、わかってくれ」
それ以上言葉が出なかった。ファラオは私の頭を優しくなでると言葉を続けた。
「政略結婚をせねば国を保てぬのだ。民の安寧のためにも、婚約を破棄してくれ」
民の安寧のため。それを言われてしまうとぐうの音も出ない。ファラオの守護神として、これ以上駄々をこねて困らせるわけにはいかなかった。
「わ、わがっだ……っ……婚約破棄ずりゅ」
涙と鼻水で汚れた顔を見せたくなくて俯くと、私たちの足が視界に入った。
ファラオが赤子の頃はあんなに小さかったのに、今では私よりも遥かに大きい。
ファラオの逞しい腕が私を包むと、震える体をそっと抱きしめてくれた。
綺麗に割れた腹筋に顔を埋める。いつの間にかこんなに大きく成長したんだね。
心の奥底から甘い温もりが溢れて零れる。けれども、私の恋は終わりを告げた。
◇
ファラオの結婚式は滞りなく終わった。
西の帝国から嫁いだ皇帝の娘は、ファラオと知己の仲であった。
幼い頃にファラオと皇帝の娘が出会うと、その後は文通で絆を深めていった。
離れ離れになった幼馴染。遠い異国の地に住む娘に、私は完全敗北したのだ。
何が政略結婚だ。両想いではないか!
呪ってやろうかと思っていたが……。
仲睦まじい二人を目の当たりにしては、考えを改めざるを得なかった。
しばらく時が経ち、一年が過ぎた。
王妃の部屋で赤子が産声を上げる。
様子を見に見舞いに行ったら急に産気づき慌てたが、王妃は無事出産を終えた。
だがしかし、大問題に直面する。ファラオが複雑な面持ちで呟いた。
「双子か……」
王妃が産んだのは男と女の二卵性双生児。
双子は凶兆とはいえ、それだけならば問題はない。ファラオが言葉を続ける。
「息子は美しい褐色の肌なのに、どうして娘はありえぬほど白い肌なのか?」
アルビノ――先天的に体内のメラニン色素が欠乏する遺伝子疾患。
この世界の人々にとっては衝撃的なことなのだろう。
双子に初乳を与えている王妃ですら、不安を隠せず言葉を失っている。
その時、産婆がファラオに囁いた。
「双子は凶兆……アアルにお返しなされ」
アアル――死者の楽園。そこに返すということは、赤子を殺すということ!?
「ならぬ!」
とっさに怒鳴る。猫耳が後ろに倒れ、尻尾が総毛立つ。
怒りを露にする私に産婆は気圧されるも、すぐに諌めるような口調で反論した。
「女神様、ですが――」
「ならぬ、ならぬ、ならぬ、絶対にならぬ! なんとかするからバカを申すな!」
感情的にまくし立て威嚇する。そんな私にファラオが詰め寄り縋るように問う。
「女神よ、どうするつもりであるか?」
なんとかすると言ったものの、考えがあるわけではない。
知恵を絞れ……みんなが納得し、ファラオの名を汚さぬ妙案は……。
「女の子の名は決めておるのか?」
ファラオの目を見据えて問い返す。
「いや、まだ……」
ファラオは男の子の名しか決めていなかった。世継ぎを求めての願掛けだろう。
王妃に許可を取り女の子の赤子をそっと抱き上げると、声を張り上げて告げた。
「私が名付け親となる! 神の言葉が祝福を与え、王国に繫栄をもたらすだろう」
周囲の面々がざわつく。ファラオの守護神であるとはいえ、私が名付け親となるなんて前代未聞のことであった。
「それで、我が娘の名は?」
ファラオに尋ねられるも……どうしよう!? ええと、ええと、う、ぐぬぬ……。
「この子の名は――」
◇
「――きて、ねぇ起きて女神様」
はっと目が覚めてあたりを見回す。神殿にある見慣れた私の部屋。
部屋の中央部では、褐色の肌の美しい男児が敷物に座り木の玩具で遊んでいた。
まだ幼い双子が遊び疲れたので、ベッドで一緒にお昼寝してたんだっけ……。
「わあ! 女神様が起きたよ、お兄ちゃん」
仰向けに寝る私の上で、神秘的なほど白い肌の美しい女児が私を尻に敷く。
白いワンピースの彼女が花のように微笑む。赤い瞳が宝石のように輝いた。
「女神様から離れろバカ! みだりに触れたらいけないんだぞ」
白い腰布を巻いた褐色の肌の男児が叱るものの、彼女は全く気にもしていない。
彼女は鈴を転がすように笑うと私に抱きついた。平らな胸に彼女の顔が埋まる。
ぎゅっと抱きしめ返して白い髪をなでてやると、彼女は甘えた声で私に囁いた。
「女神様と結婚するの……だから、触ってもいいんだもん」
胸が高鳴る。猫耳が僅かに外向きになり、尻尾がピンとなる。
聞き間違いか? 念のため一応確認する。
「け、結婚してくれるの?」
「うん! 女神様と結婚するー!」
つ、ついに結婚できる!
苦節何千年……いや、何万年?
「ふざけるな!」
黒髪を怒りに震わせた彼が走り寄り、勢いそのままに私に飛びつき抱きついた。
双子が私の体の上で領土を取りあうように喧嘩する。もう、仕方がない子たち。
双子を抱き寄せると、優しい声で宥めた。
「喧嘩しないの。二人共、めっだよ」
黒い髪と白い髪、わしゃわしゃとなでる。
「僕も……僕も女神様と結婚したい!」
青い瞳の彼が私を見つめて言った。
「やだやだ、女神様はあたしのなの!」
赤い瞳の彼女が私を見つめて言った。
これは大問題。どっちと結婚すればいい?
双子を抱きしめあやしながら悩みに悩む。そして、私が出した結論は――
「どっちも大好き! 二人と結婚する!」
――双子をぎゅーっと力強く抱きしめる。
褐色の肌と純白の肌、二人の可愛い顔に咲く唇から笑い声が漏れた。
幸せな時間、いつか終わってしまう私の恋。それでも今だけは浸っていたい。
叶わないとしても、甘い温もりを感じていたい。永遠に……。