第八話「恋心~火花~」
「おい、待てよ!」
千秋の声に、早菜はぴたりと足を止めた。
「あー、ごめん。なんか色恋沙汰って初めて見たから驚いちゃって」
早菜は、右手で左肘を掴みながら、どこか気まずそうに言った。
「すまん!」
千秋は、早菜の言葉を遮るように頭を下げた。
「な、なにが?」
早菜は、千秋の突然の謝罪に目を丸くする。
「全部、お前の気を引きたくてやってたことなんだよ……」
千秋は、絞り出すような声で告白した。
「でも、好きだとかなんとか……」
その時、廊下の向こうから息を切らして走ってくる江里の姿があった。
「小室……」
どうしたものかと困り果てていた千秋は、救世主のように現れた江里の姿に、思わず安堵の息を漏らした。
「如月さん!ごめんなさい!私、説明するから!」
江里は、早菜に駆け寄った。
「でも、まず、場所変えていいかな。人目が……」
江里が周囲を指差すと、いつの間にか廊下には生徒たちが集まり始めていた。好奇の視線が、三人に突き刺さる。
◇◇◇
中庭に着くと、江里は堰を切ったように話し始めた。身振り手振りを交え、頬を紅潮させながら、千秋との作戦、そして自身の「カップリング愛」まで、事の成り行きを早菜に一生懸命説明した。
江里の説明が終わると、微かな風が木々を揺らす音だけが、中庭に静かに響いた。早菜は、少し俯き加減で、真剣に江里の話に耳を傾けていたが、その表情は神妙な面持ちに変わった。何を考えているのか読み取れなかったその時、まるで張り詰めた糸が切れたかのように、彼女は突然、笑い出した。
「はははっ!カップリング!?なにそれ、面白すぎ」
「早菜、俺が好きなのは早菜だけだ。今後何があったとしても、他の女に揺れることはねぇ!」
千秋は、真っ直ぐ早菜を見つめ、力強く言い切った。
早菜は、千秋の真剣な瞳から視線をそらして、頬を染める。
「だから恥ずかしいからやめてよ、そういうの」
早菜は、頬をぷくりと膨らませた。
◇◇◇
学園祭の準備で賑わう教室。窓際では、カーテンに身を隠すように早菜が鼻歌を歌っていた。そこへ、進路相談を終えたハルが戻ってきて、早菜の近くの椅子に腰掛ける。
「如月さん、サボりですか?」
ハルが、悪戯っぽく尋ねる。
「ちょっとだけ。天気がいいから」
早菜は、窓から吹き込む心地よい風に髪を揺らしながら、穏やかに答えた。
「千秋と話せた?」
「ハルの言うとおりだった。ほんとくだらないんだから」
早菜は、呆れたように笑う。
「なんて言われたの?」
ハルは、早菜の顔を覗き込む。
「ん?『俺が好きなのは早菜だけだ』って」
「千秋らしいね」
ハルは、穏やかに微笑んだ。
「ほんと、よくそんな台詞言えるよね」
早菜は、半ば呆れながらも、どこか嬉しそうだ。
「もし僕だったら、そうだなあ」
ハルが言葉を続けた瞬間、窓から風が吹き込み、カーテンが大きく膨らんで、二人の姿を包み込んだ。
時が止まったかのような真っ白い世界の中で、ハルは、早菜をじっと見つめる。
「早菜を独り占めしたい、とかかな」
ハルの言葉に、早菜の顔はみるみるうちに赤く染まった。
「ハルまで何!?も、もう、人をおちょくるのはやめてよ。休憩は終わり!作業しなきゃ!」
早菜は慌てて立ち上がり、カーテンから飛び出した。ハルは、そんな早菜の後ろ姿を、優しい眼差しで見つめていた。
◇◇◇
校舎のあちこちには、色とりどりの手作り装飾が施され、普段見慣れた学び舎が、まるで別世界のお祭り会場に変貌していた。メインゲートには、生徒たちが趣向を凝らした巨大なゲートがそびえ立ち、そこから漏れ聞こえるのは、模擬店の呼び込みの声、ステージから響く軽快な音楽、そして何より、弾けるような生徒たちの笑い声。期待と興奮が、この特別な一日を埋め尽くしていた。
「おかえりなさいませ!ご主人様!」
メイド服に身を包んだ女子生徒たちが、元気な声で客を出迎える。
「ほーら、早菜も!」
一人の女子生徒に促され、早菜が千秋の前に押し出される。
「お、お帰りなさいませ……ご主人様」
早菜は、照れくさそうに、しかし精一杯の笑顔で出迎えた。そのあまりの可愛さに、千秋は石化したように固まってしまう。
「おー、固まった、固まった」
木村が千秋の肩を叩き、ニヤニヤしながら言う。
「早菜」
凛とした声が響き、執事服姿のハルが現れた。
「ハル!かっこいい!」
早菜は、目を輝かせた。
「そう?早菜にそういってもらえるなら、引き受けてよかった」
ハルは、嬉しそうに微笑む。
「髪、それウィッグ?」
「ああ、うん。なんか、髪は長くして縛った方が燃える?とかで」
「それはきっと萌えるの間違いね……」
早菜は、やれやれといった表情で苦笑した。
近くにいた生徒たちが「如月さんと雀部くんがお似合いすぎる」とコソコソ話を始める声が聞こえる。
「おい、千秋。雀部に如月さん取られるぞ」
木村の声で、千秋は意識を取り戻した。
千秋は、ハルと早菜の間に入り込み、ハルを威嚇するように睨みつける。
「シャーッ!」
「ははっ、千秋猫みたい」
ハルは、楽しそうに笑う。
「何してんのよ、ばか」
早菜は、呆れ顔で千秋の頭を軽く叩いた。
「ちょっと、春夏冬!やっぱりここにいた!」
別の女子生徒が千秋に駆け寄ってきた。
「そろそろ着替えないと!間に合わないって」
女子生徒が焦ったように言う。
「まじ?もうそんな時間か」
千秋は、時計を見て慌てる。
「千秋!いくから!楽しみにしてる!」
早菜が声をかける。
「絶対に来るな!絶対だぞ!?」
千秋は、必死に念を押した。
「ほら、春夏冬いくよー」
女子生徒たちが、千秋を引っ張っていく。
「わーったよ。いくから」
千秋は、ハルと視線を交わしながら、不承不承教室を出て行った。
◇◇◇
大道具がズラリと並ぶ教室は、まるで舞台裏のようだった。
「春夏冬―、それ体育館運んどいて」
男子生徒が、大きなパネルを指差す。
「おう……って、でかくね?」
千秋は、その大きさに思わず声を上げた。
「春夏冬くん!手伝うよ」
江里が駆け寄ってきた。
「小室!さんきゅー!」
千秋は、その言葉とともに、心底ほっとしたような表情で江里に微笑みかけた。差し伸べられた手を取るように、二人でパネルを運び始める。
千秋が江里に尋ねた。
「なあ、小室。近々告りたい奴がいたとしたら、いつ告るよ?」
「それは、如月さんと雀部くんのこと?」
江里は、図星を指すように言った。
「なんでわかった!?エスパーか?」
「そりゃわかるよ……うーん、そうだなあ。やっぱ、学祭の花火の時じゃない?毎年カップル生まれてるもん」
「そうか、花火か!じゃあ、俺も!俺も花火ん時に言う!」
屈託ない笑顔で一途に早菜を思う千秋。
「うん!頑張って。応援してる」
江里は、優しい笑顔で千秋を励ました。
◇◇◇
「早菜!これ一番卓に持ってったら休憩入って」
女子生徒が、早菜に指示を出す。
「うん、わかった」
「あと、雀部くん知らない?雀部くん狙いの女子が行列作ってるんだけど、本人いなくて」
「ああ……わかった。千秋の劇もあるし、探してくるね」
早菜は、ハルを探しに教室を出て行った。
◇◇◇
書架の並ぶ静かな図書室の隅にある二人掛けソファに、ハルは静かに座っていた。そこへ、早菜がハルを探してやってくる。
「あー、やっぱりここだと思った」
早菜が、ホッとしたように声をかける。
「早菜」
ハルは、顔を上げて早菜を見つめた。
「雀部ハルくん。女子生徒がお待ちですよ」
早菜は、少し揶揄うように言う。
「僕は早菜を待ってた。こっちおいで」
ハルが、隣の席をポンポンと叩く。
早菜は、頬を赤らめながら、小さな声で「うん……」と返事をして、ハルの隣に座った。
「何読んでるの?」
早菜が、ハルの手元の本を覗き込む。
「ドストエフスキーが死から甦った部分をもう一度読みたくなってね」
ハルは、穏やかに答える。
「げっ、原文……」
早菜は、思わず顔をしかめる。
「難しくはないよ」
「へぇ……」
早菜は、興味深そうにハルを見つめる。
ハルは、早菜の視線に気づいたように、早菜の顔を見つめ、そっとその首元に顔を近づけた。
「早菜……なんか、いい匂いする」
ハルが、囁くように言う。
「え!?あっ、ボディクリーム変えたからかな?」
早菜は、慌てて手をもじもじと触った。
「ふぅん。いい香りだね。ねぇ、早菜、このまま抱きしめてもいい?」
ハルの言葉に、早菜は思わず身体を硬くした。
「へっ!?ハル!?」
ハルが早菜を押し倒そうとしたその時、ガラリと図書室の扉が開き、人が入ってきた。
ハルは、何事もなかったかのように早菜から離れる。
「あ、ごめん。何か用事あった?」
「そ、そう!千秋の演劇の時間だから!」
早菜は、息が詰まるような状況から逃れられたことにホッとしながらも、中断されてしまった期待に、胸の奥がチクリと痛む。
「もうそんな時間だったんだ。行こうか」
ハルは、涼しい顔で立ち上がった。
◇◇◇
体育館の入り口は、熱気に包まれ、大勢の生徒でごった返していた。
「すごい混んでる……」
早菜は、人波に立ち往生しながら呟いた。
「千秋って女子から人気らしいよ」
ハルが、早菜の耳元で囁く。
「え!?千秋が!?」
早菜は、驚きに目を見開いた。
「すみません。大変混み合ってますので順番にご案内しておりまーす」
係の生徒の声が響く。
「あ〜、劇もう始まっちゃってる」
早菜は、残念そうに言う。
列が少しずつ進み、二人はようやく体育館の中に入れた。ステージには、マヨネーズの着ぐるみに身を包んだ千秋と、犬と猿の着ぐるみを着た生徒たちがいた。千秋の姿を見た早菜は、思わず吹き出す。
「千秋かわいい〜!ハル見てよあれ!」
従者役の生徒が、舞台中央のマヨネーズ王子に声をかける。
「マヨネーズ王子!犬と猿がまた喧嘩をしております!」
マヨネーズ王子こと千秋が、堂々とした声で答える。
「なんだと?それは見過ごせん!おい!そこの犬と猿!」
「おいおい、マヨネーズの分際で俺らの喧嘩に口出そうってのか?」
猿役の生徒が、千秋を挑発する。
犬役の生徒が、それに続く。
「お前のマヨネーズ、全部飲み干してやってもいいんだぞ!」
千秋は、自信に満ちた声で演説する。
「水と油の仲とはよく言ったものだ。だがそれもここまで!水と油が合わさった我がマヨネーズを口にして!水と油でいた者はいない!これを飲め!」
千秋は、持っていた特大のマヨネーズボトルから、生徒たちの口にマヨネーズを絞り出した。
猿役の生徒と犬役の生徒は、マヨネーズを口にすると、感銘を受けたようにひざまずいた。
「ははぁ〜!マヨネーズ王子〜」
「あははっ」
早菜は、腹を抱えて笑いながら、スマホで何枚も写真を撮っていた。
「想像の遥か上を越えてくだらない」
「だから千秋は早菜に見せたくなかったんだね」
ハルは、早菜の言葉にクスリと笑った。
「でも千秋、小学生の頃は森Bとかだったのよ!大出世よ、大出世!あ~、最初から見たかったなぁ」
早菜は、満面の笑みで千秋の話をする。ハルは、そんな早菜の表情を、物悲しげに見つめていた。
千秋が、次の台詞を口にしようとしたその時、客席の早菜の姿が目に止まった。
「わかったか!これで……これで……全部終わりだぁああああ!」
千秋は、突然台詞を投げ出し、ステージから去っていった。
従者役の生徒が、慌てて叫ぶ。
「え!?ちょっと!マヨネーズ王子!」
「あ!千秋が逃げた!追いかけよう!」
早菜は、立ち上がって千秋を追いかけようとする。
「待って」
ハルが、早菜の腕を掴んだ。
◇◇◇
学園祭の喧騒から離れた体育館裏で、マヨネーズ王子の格好のまま、千秋は地面に座り込んでいた。
「マヨネーズ王子、発見」
ハルが、千秋の前に立つ。
「なんだハルか。早菜と一緒に俺を笑いに来たのかよ」
千秋は、拗ねたように言った。
「うん、笑ったよ」
ハルは、正直に答える。
「もういい。俺はマヨネーズ王子としてマヨネーズ星に帰るんだ……」
千秋は、項垂れた。
「千秋が帰る場所はマヨネーズ星ではないよ」
ハルは、静かに言う。
「もうやりたくねぇ……こんな恥晒し、真っ平だ」
「早菜笑ってたよ」
「分かってるよ! 何度も言うな!」
「すごく可愛い顔して笑ってた」
「そりゃ早菜だからな、可愛いのは当たり前だろ」
「そうじゃなくて。早菜をあんな顔にできるのは千秋だけなんだなって思った」
ハルは、千秋をまっすぐ見つめた。
千秋は、マヨネーズの着ぐるみを着たまま俯いた。
「マヨネーズ王子でもか……」
「マヨネーズ王子でも」
ハルは、にこりと微笑んだ。
「早菜からの伝言だよ。次の公演も体育館で待ってる、だって」
ハルの言葉に、千秋はゆっくりと顔を上げた。
「よっしゃー!仕方ないな、やってやるぜ!」
千秋の顔に、再び活気が戻った。
◇◇◇
昼下がり、校内はまさに祭りの熱気に包まれていた。生徒たちの弾けるような笑い声が、模擬店の呼び込みの声と混じり合い、どこからともなく聞こえる音楽が、お祭りムードを最高潮に盛り上げている。そんな喧騒の中、千秋と早菜、そしてハルは、「ちょっと休憩がてら、見て回るか!」と意気投合し、人波の中へと繰り出していった。
◇◇◇
賑わう模擬店の一角で、千秋とハル、そして早菜が、それぞれ色とりどりのかき氷を片手に笑い合っていた。
千秋は、自分のイチゴミルク味を一口食べると、「やっぱり早菜のレモン味が一番美味そうに見えるんだよなー」なんて言いながら、早菜のカップから容赦なくスプーンを奪い、大きな一口を頬張る。
早菜は「ちょっと!」と抗議しつつも千秋は悪びれる様子もなくニヤリと笑う。そして、ちらりとハルに視線を送り、どこか勝ち誇ったような、不敵な笑みを浮かべた。
◇◇◇
校内を歩き回って、早菜がチョコバナナを手に満足げな顔をしていると、ハルがふいに顔を近づける。その涼やかな瞳が、早菜の口元に運ばれるチョコバナナへと向けられる。
「一口だけ」そう囁くと、早菜が食べるよりも早く、するりと先っぽをパクリと奪っていく。
早菜は「また!?二人とも欲しかったら自分で買ってよ!」と頬を膨らませたが、ハルはただ穏やかに微笑むばかりで、その眼差しは、どこか千秋への静かなる挑発を孕んでいた。
早菜は知る由もなかった。今、水面下で繰り広げられる、二人の密やかな恋の駆け引きに火蓋が切られていることを。
◇◇◇
体育館のステージでは、D組のラストを飾る演劇が幕を開け、千秋がマヨネーズの着ぐるみ姿で熱演していた。
客席の前列には、早菜とハルが並んで座り、時折顔を見合わせては、千秋の予測不能な動きに、堪えきれないといったように吹き出していた。特に早菜は、スマホを構え、千秋の奇妙な勇姿を何枚も写真に収めている。
その横で、ハルは早菜の楽しげな横顔を静かに見つめていた。まるで、彼女の瞳の奥に宿る輝きが、自分に向けられたものではないことを、悟ってしまったかのように。
「あとはラストシーンだけだな」
男子生徒が、安堵のため息をつく。
「これで終わっちゃうんだね……」
女子生徒が、名残惜しそうに呟いた。
お姫様役の理子が、ステージへと続く階段を上がっていく。
「暗いから足元気をつけろよー」
中田先生の声が響く。
「わかって……きゃっ」
理子は、ドレスの裾を踏んで転倒してしまった。
「理子!大丈夫!?」
女子生徒が、慌てて駆け寄る。
「いたた……あれ、ごめん……これやばいかも」
理子は、顔を歪めながら言った。
◇◇◇
千秋が、堂々と台詞を続ける。
「猿も犬も従者もみんな仲良しだ!残るは姫と共にマヨネーズ星に帰るのみ!」
ステージの端からは、他の生徒たちが小声で「繋げ繋げ」と合図を送っている。
◇◇◇
「ど、どうするよ……」
男子生徒が、焦ったように言う。
「ラストシーン、姫の台詞はマヨネーズ王子にプロポーズされて、ハイと答えるだけ。代役を立てましょう」
江里が、冷静に提案する。
「代役って言っても誰を!?」
女子生徒が、戸惑う。
「ちょっとまってて!」
江里は、そう言って走り出した。
◇◇◇
千秋は、アドリブで時間稼ぎをしていた。
「あー、そろそろマヨネーズ星に帰らないといけないなあ」
(くそ、繋ぐたって限界があるぞ!)
千秋は、心の中で悪態をつく。
「姫はどこにいるんだろう。あー姫に会いたいなあ」
(もう無理だ!幕下ろせ!幕!)
千秋は、ステージ端にいる生徒を睨みつける。
すると、生徒は千秋に「後ろ!」と合図を送った。
「あら、お呼びかしら。マヨネーズ王子」
その声に、千秋はハッと振り返る。そこにいたのは、紛れもなく早菜だった。ドレスを纏い、まるで本物の姫のようにステージに現れた早菜に、観客席からどよめきが起こる。
「は、早菜!?」
千秋は、素で叫んでしまった。
早菜は、小声で言う。
「ばか!姫でしょ!姫!」
「姫……」
千秋は、呆然としながらも台詞を続ける。
早菜は、まだ笑いを堪えているようだったが、千秋に小声で促す。
「はい……ほら!台詞!」
千秋は、意を決したように叫んだ。
「俺と!俺と付き合ってください!」
静まり返る体育館。マヨネーズの着ぐるみに身を包んだ千秋を、早菜はじっと見つめる。
「ふふっ……ふふ……あはは!ごめん、やっぱ無理!だって、こんな姿で告白されたって」
早菜は、ついに笑い出してしまった。
観客席の生徒たちからは「ですよねーーーーー」と、同意の声が聞こえてくる。
千秋は、早菜に近寄り、早菜が「ん?」と首を傾げた瞬間、ひょいと彼女をお姫様抱っこした。
「な、なに!?」
早菜は、突然のことに驚き、声を上げる。
「必ず迎えにいく。待っててくれ」
千秋は、早菜を抱き上げたまま、ステージの袖へと向かった。
体育館は、一瞬の静寂の後、大歓声に包まれた。
「幕下ろせー!」
男子生徒の声が響く。
◇◇◇
早菜を抱き上げたまま、千秋が階段を下りてくる。
「ちょっと!いい加減下ろしてよ!」
早菜は、千秋の腕の中でバタバタと暴れた。
「おう……」
千秋が、渋々早菜を下ろす。
「早菜!千秋!」
ハルが、駆け寄ってきた。
「ハル、見たか!俺の雄姿!」
千秋は、得意げに胸を張る。
「うん。かっこよかったよ。早菜も可愛かった」
ハルは、微笑んだ。
「へへっ。ありがとう」
早菜は、照れくさそうに言う。
「それじゃ、着替えて片付けにいこうか」
ハルが、二人に声をかける。
「うん」
「あっ!花火!花火見ような!」
千秋は、慌てて早菜に言った。
「もちろん」
ニッと笑う早菜。
「おい、春夏冬―。演劇組は大道具の解体あるから毎年花火は見れねーぞ」
男子生徒が、千秋に現実を突きつける。
「なっ!?それ早くいえよ!」
千秋は、絶叫した。
「じゃあ、二人で見ようか、早菜」
ハルが、早菜の顔を覗き込む。
「うーん、そうね。頑張って!千秋!」
早菜は、ハルに微笑み、千秋の肩を叩いた。
「はあ!?うそだろ!?」
千秋の叫びが、体育館に虚しく響き渡った。
◇◇◇
校内アナウンスが、澄み切った夜空に響き渡る。
「これにて第六十八回山北高校学校祭を終了します。本校生徒はこの後打ち上げ花火がありますので、校庭または屋上にお集まりください」
蒸し暑かった昼間の熱気が嘘のように、屋上には乾いた夜風が吹き抜けていた。フェンス越しに見下ろす校庭は、片付け作業の明かりがまばらに灯り、学園祭の余韻を微かに伝えている。ハルと早菜は、隣り合って夜空を見上げていた。分厚い雲一つない、吸い込まれるような闇が広がり、やがて始まる光の祭典を予感させる静けさに包まれていた。
「今日の図書室でのことだけど……」
ハルが、早菜に切り出した。
「えっ、ああ、うん……」
早菜は、少し戸惑ったように答える。
「遊びじゃないよ」
ハルの言葉に、早菜は「えっ……」と小さく声を上げた。
その瞬間、夜空に大輪の花が咲き、鮮やかな光が二人を包み込んだ。
「……綺麗」
早菜の瞳が、花火の光に照らされて輝く。
「うん、綺麗だね」
ハルも、穏やかな笑顔で夜空を見上げていた。
◇◇◇
千秋が、廃材を持とうとしたその時、江里が駆け寄ってきた。
「春夏冬くん!?何してるの!?」
「なにって片付けだよ。俺だけ抜けるわけいかねぇだろ」
「それ貸して」
江里は、千秋の手から廃材を奪うように取った。
「小室……?」
「私がやる!いって!」
江里は、千秋をまっすぐ見つめて叫んだ。
「でも……」
千秋は、躊躇する。
「春夏冬くんの中にはいつも如月さんがいて、私が春夏冬くんを好きになってもいいんだなんて思わせないくらい春夏冬くんは一途で、だから私はそんな春夏冬くんがすき!春夏冬くんに後悔してほしくないの!だから、いって!走れ!春夏冬千秋!」
江里の言葉には、熱い想いが込められていた。
「小室……わりぃ!いってくる!」
千秋は、江里に感謝を告げ、屋上へと走り出した。
◇◇◇
花火が打ち上がる夜空の下、早菜はハルの様子をチラチラと伺っていた。
千秋は、屋上へと続く階段を駆け上がっていく。
早菜は、ゆっくりと、しかし確実にハルの方へ手を近づけていく。
「……」
早菜は、無言のままハルを見つめる。
「でも……」
ハルが、何かを言いかけたその時、早菜の手がハルに触れた。
早菜は、そのままハルの手をそっと握りしめる。
千秋が、屋上のドアノブに手をかける。
「でも?」
早菜は、ハルの言葉の続きを促した。
「…………ごめん、なんでもない」
ハルは、小さく呟いた。
「あっ……」
ハルは、早菜の手を握り返す。早菜は、耳を赤くして俯いた。
千秋は、屋上の入り口から、その様子を静かに見つめていた。
「前見てないと折角の花火が勿体無いよ」
「そうだね……」
早菜は、顔を上げて、再び夜空を見上げた。
その瞬間、千秋の姿は、屋上から消えていた。