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第七話「恋心~青嵐~」

 初夏の気配が漂い始めた玄関ロビー。朝の清々しい空気が窓から流れ込み、千秋とハル、早菜は固唾を飲んで定期試験の結果が張り出されるのを待っていた。千秋はハルの肩に腕を回しながら、悪戯っぽい笑みを浮かべて問いかける。


「おい、ハル。お願いごとはもう決めたのかよ?」


「うーん。どうしようかな」


 ハルは、どこか楽しげに首を傾げた。

 その隣で、早菜は両手を胸の前で合わせ、ぶつぶつと呪文のように呟いていた。


「お願いしますお願いしますお願いします……」


 やがて、凍えるような白い壁に、試験結果が静かに張り出される。


 ハルは、瞳を閉じて神に祈る早菜の姿を、愛おしそうに見つめた。そして、くすりと笑い声を漏らす。


「可愛いね、早菜。一生懸命神頼みしてる。負けてあげればよかったかな」


 早菜が恐る恐る目を開けて確認すると、そこには「一位 雀部ハル700点、二位 如月早菜690点」と、無情な文字が並んでいた。


「ハルの勝ちじゃん!」


 千秋が、ここぞとばかりに声を上げた。

 早菜は、千秋の脇腹を容赦なく肘で突き上げる。


「言われなくてもわかってるよ。もう煮るなり焼くなり好きにして!」


 ハルは、そんな早菜の剣幕に臆することなく、優しい笑みを浮かべた。


「大丈夫。焼かないよ」


 千秋は、まだ少し興奮冷めやらぬ様子で尋ねる。


「で、ハルどうすんだ?早菜にお願いごとできる奴なんて、そうそういねーぞ」


 ハルは意味深な笑みを浮かべたまま、千秋に視線を向けた。


「千秋は、お嫁さんになってくださいって言ったんだよね」

「ああ!もち!」


 千秋は、なぜか胸を張り、得意げに頷いた。


「じゃあ、僕も」


 ハルが、ゆっくりと、しかしはっきりと口にした。


「え!?」


 早菜は、その言葉にピタリと動きを止め、ハルを凝視したまま固まってしまう。


「は!?ちょっと待て!それはなしだろ!」


 千秋が慌てて割って入った。


「ハハッ。冗談だよ」


 ハルは、楽しそうに喉を鳴らして笑う。


「冗談になんねーよ」


 千秋は、額に手を当て、疲れたようにため息をついた。

 ハルは、頬を染めたまま固まっている早菜に向き直り、優しい声で言った。


「早菜、まだ特に思いつかないんだ。もう少し時間もらえるかな」

「い、いいけど……」


 早菜は、ハルの言葉に小さく頷いた。その声は、まだ少し上ずっていた。

 その時、無情にもチャイムが鳴り響く。


「やべ!じゃ、また後でな!」


 千秋は慌てて走り出した。


◇◇◇


 廊下の曲がり角を勢いよく曲がった千秋は、正面から歩いてきたクラスメイトの小室江里と、派手な音を立ててぶつかった。


「きゃっ!」


 江里の小さな悲鳴が上がる。手から滑り落ちたプリントが、床に散らばった。


「あっ、悪い。大丈夫か?」


 千秋は反射的に手を差し伸べる。

 江里の視界は、キラキラとした光に包まれていた。まるで絵本から飛び出してきた王子様のように、千秋がそこに立っている。伸ばされたその手は、まぶしいほどに輝いて見えた。


「あっ、春夏冬くんっ!」

「ほら、手」


 千秋は、江里の手を優しく掴み、そっと立ち上がらせる。


「ありがとう……」


 江里は、俯きがちに感謝を伝えた。その頬は、微かに赤く染まっている。

 床に散らばった原稿用紙が千秋の目に入った。江里は慌ててそれを拾い集め始めた。


「すげー。小室、小説書くの?」


 千秋が率直な感想を述べる。


「わっ、私なんて!馬鹿だし!物も知らないし!語彙力ないし!だからこれは……」


 江里は、顔を真っ赤にして弁解しようとするが、言葉が続かない。


「何恥ずかしがってんだよ。いいじゃん、好きなんだろ?物語書くの」


 千秋の言葉に、江里は耳まで真っ赤に染め上げ、「う、うん……」と小さく頷いた。

 本鈴のチャイムが、廊下に大きく響き渡る。


「あっ、やべーよ!遅れたら中田にどやされる!いくぞ!小室!」


 千秋は江里の手を引くと、ほとんど引きずるようにして走り出した。


◇◇◇


 3年D組の担任中田が、教卓の前に仁王立ちする。


「おーし、HRやるぞー。今日の議題は学校祭の出し物だ。飲食は先生が大変だからなしな。他で決めろ」


 生徒たちから不満げなブーイングが上がる。


「あれ?春夏冬と小室は?」


 中田が教室を見渡すと、ガラガラと扉が開き、千秋と江里が息を切らして滑り込んできた。

 生徒達は一斉にざわめき始める。中田は千秋の方に目をやり、ニヤニヤと口元を歪めた。


「ふうん……仲良いな、お前ら」

「何だよ!ちょっとそこでぶつかってだな!」


 千秋が慌てて弁解する。


「ほら早く席につけ。HR長引いて残業とか最悪だからな」


 中田が軽くあしらうように言う。

 生徒が手を上げる。


「せんせーい!焼き鳥屋さんがいいでーす」

「話聞けー。飲食はなしだ!」


 中田の声が教室に響き渡る。

 千秋の後ろの席に座る木村が、前のめりになって話しかける。


「おい、千秋!俺らの最後の学校祭!メイド喫茶とかどうよ」

「あ?飲食だめって言ってるだろ」


 千秋は呆れたように言う。

 クラスメイトの田橋がニヤつきながら同意する。


「木村氏、メイド喫茶とはお目が高い。日頃思い焦がれるあの子がメイドになったらと思うと……」


(早菜がメイドか……)


 千秋は、脳内で早菜のメイド姿を想像し、口元が緩む。にやけ顔を隠すように、顔を伏せた。


「おい、千秋。戻ってこい!口元にやけてんぞ」


 木村がツッコミを入れる。


「に、にやけてねぇよ!」


 クラス委員長の有川が呆れたように言う。


「ちょっと、そこ!真面目に話してよ!」

「話してるって!」


 千秋は不満げに反論する。

 守本が声を上げた。


「じゃあ、春夏冬くん何か案出してよ」

「はっ!?俺!?うーん」


 千秋は腕を組み、考え込む。その脳裏に、廊下で江里が落とした原稿用紙の文字がフラッシュバックした。


「演劇……とか?」


守本がため息をつく。


「えー……演劇ってあれでしょ。ロミオとジュリエットとかさあ。もう古臭いっていうか……」


「だよな」と、あちこちで生徒たちがざわめき始める。


「ちが!違うんだよ!いるんだよ!書けるやつが!」


 千秋は慌てて弁解する。

 生徒の一人が、興味津々に問いかけた。


「え、誰?」


 千秋は江里の席まで行くと、江里の肩を抱き寄せ、高らかに宣言した。


「小室が書ける!」


教室内は、どよめきに包まれた。


「ま、待って春夏冬くん!違うの!あれは……」


 江里は顔を真っ赤にして否定しようとするが、言葉が上ずってしまう。


「なんだよ。恥ずかしがるなよ!」


 千秋は江里の机の上を見て、目を輝かせた。


「あ!これさっきの原稿?」


江里の机にあった原稿を手に取る千秋。


「あっ!春夏冬くんちょっとまっ……」


「これこれ!えっと、タイトルは……ん?マヨネーズの……王子様?」


 千秋が読み上げると、教室内には徐々に笑いが広がっていった。最初は戸惑っていた生徒たちも、その奇妙なタイトルに興味をそそられたようだ。

 馬場は腹を抱えて笑う。


「なにそれー。超うけるんですけど」


 有川は目を見開いて言う。


「おもろすぎ。逆にありかも」

「だろ!?だろ!?これでいこうぜ!?な!みんなもいいだろ!?」


 千秋は、勢いそのままに畳み掛ける。

 教室中から、賛成の声が次々と上がる。


「でもこれ、使ってもいいの?小室っち大丈夫?」


 守本が不安げに尋ねる。

 江里は俯きがちに「あ、う、うん……」と頷き、震える声で続けた。


「でもこれ、実は……あて書きなの」

「あて書き?」

「えっと、その役を演じる人をあらかじめ決めてから文章を書くことだよ」

「え!?じゃあもう配役決まってるの!?」

「うん……」


 守本の質問に一つ一つ丁寧に答えていく江里の表情は、どこか後ろめたそうだった。

 ちらりと千秋に視線を送るが、彼はその不自然さには全く気づいていないどころか、配役が既に決まっていると聞き、ガッツポーズをした。


「そんなん話し合う時間も省けて願ったり叶ったりじゃん!みんないいな!?恨みっこなしだぞ!じゃっ、小室、名誉あるマヨネーズ役の発表からお願いします!」


 江里は、教室中の熱い視線を浴びて、うつむいたまま「その……」と口ごもる。

 そして、意を決したように勢いよく主役を指さした。


「ごめんなさいっ!」

「え?」


 千秋は、間の抜けた声を漏らした。突然の展開に、彼の思考は停止する。

 江里の指先は、まるで千秋を射抜くかのように、確かに彼を指し示していた。その一点に、教室中の視線が集中する。

 木村がにやにやしながら呟いた。


「恨みっこなしなぁ」


「は!?ちょっと待てよ!あて書きいったろ!?このクラス俺よりもマヨネーズが似合う体型した奴もっといるだろ!」

「文句いわなーい」

「悪口いわなーい」

「投票だ!投票で決めろぉ!」


 千秋の叫びが空虚に響いた。しかし、彼の抗議の声は、すでに決定された運命を覆すには、あまりにも無力だった。


◇◇◇


 授業を終えたばかりの教室は、まだ生徒たちの熱気が残っているが、人影はまばらになっていた。蛍光灯の下、早菜は汚れた黒板を黙々と消し、ハルは教室の片隅で、日誌を綴ることに没頭している。


「あれ?千秋来ないね。今日何も当番ないって言ってたのに」


 早菜が首を傾げる。

 ハルは日誌を閉じながら言った。


「ちょうど日誌書けたからD組覗いてみるよ」

「ありがとう。早く来いって伝えて」


◇◇◇


 ハルがD組の教室を覗くと、中から黄色い歓声が漏れ聞こえてきた。千秋は、机に突っ伏している。


「千秋」


 ハルが声をかけると、千秋はゆっくりと顔を上げた。ハルが教室に足を踏み入れる。


「なんだよ」


 千秋は、まだ少し不機嫌そうだ。


「早菜が、なかなか来ないから早く会いたいって言ってるよ」


 ハルは、悪びれる様子もなく伝えた。


「ま、まじ!?」


 千秋は驚きに目を見開く。その顔には、一瞬で期待の色が浮かんだ。


「うん。まじ」

「だが!だめだ!俺は学祭が終わるまで早菜には会えねぇ!」


 千秋は、再び机に突っ伏した。


「そういえば、千秋のクラス、何することになったの?」

「……演劇」

「へぇ!ちょっと興味あるな。千秋出るの?」

「出ねぇよ!」


 千秋は即座に否定する。その声には、少し焦りが混じっていた。


「ふぅん」


 ハルは、興味深そうに教室を見渡す。黒板に目をやると、そこには大きくこう書かれていた。


「マヨネーズの王子様。主役……春夏冬千秋」

「くそっ!掃除当番ちゃんと消せよ!」


 千秋が地団駄を踏む。


「千秋、主役なんだ。すごいね」

「すごかねーだろ!マヨネーズの王子だぞ!どんな格好させられるか目に浮かぶだろ!」


 千秋は顔を歪める。


「ふふっ、確かに」

「早菜には絶対言うんじゃねえぞ」


 千秋は、真剣な顔で釘を刺した。


◇◇◇


 駄菓子屋「タタンメン」の軒先で、早菜の楽しそうな笑い声が響き渡る。アイスを食べながらベンチに座る早菜とハル。千秋は、バツが悪そうに立ったまま話している。


「ハル!言うなって言っただろうが!」


 千秋が抗議する。


「ごめん、早菜が教えろってしつこいから」


 ハルは、悪びれる様子もなく答えた。


「だって、気になるじゃない!でもマヨネーズの王子様って。今までの学祭の中で一番面白くなりそう!」


 早菜は、まだ笑いが止まらないようだ。


「笑いすぎだろ、ったく」


 千秋は呆れたように言う。


「ごめんごめん。楽しみにしてる」


 早菜は顔を拭いながら言った。その瞳は、まだ笑いの涙で潤んでいた。


「絶対に来るなよ」

「はいはい」


 早菜は、呆れたように、しかしどこか楽しげに相槌を打つ。そして、ふと空を見上げ、吸い込まれるような青さに目を細めた。


「そういえば、もう夏ね。ハルってやっぱり春生まれなの?」

「そうだよ。春生まれだからハル。安直だよね」


 ハルは、穏やかに答える。


「私、自分の名前の由来なんて覚えてないな。安直すぎるくらいがいいんじゃない?といえば、千秋なんて、ね?」


 早菜は、いたずらっぽく千秋に視線を向けた。


「千秋は秋生まれだからじゃないの?」


 ハルが尋ねる。


「違う。俺は名字に秋が入ってないから千秋と名付けられた冬生まれだよ」

「千秋のお父さん、これで春夏秋冬揃ったりー!ってね」

「馬鹿なんだよ。親父は」

「しっかり血を引いてるじゃない」

 早菜がにやりと笑う。


「なんだとぉ!?」


 千秋が早菜に詰め寄る。


「あっ!やば、バイトの時間!じゃあ、先行ってるから!」


 早菜は、慌てて友江旅館へ駆け出した。

 駆けていく早菜の後ろ姿を、千秋は複雑な表情で見つめていた。やがて、ハルに語りかける。


「ハル、最近楽しそうだな」

「うん。なんか吹っ切れたかな」

「そりゃいい。青春は返ってこないぜ。できること全部しとかないとな」


 千秋は、ハルの背中をポンと叩いた。

 ハルは、千秋をまっすぐ見つめた。


「じゃあ、早菜に告白していい?」

「おう!ん?はあ!?ハルお前、ほ、本気か?」


 千秋は、驚愕に目を見開いた。その顔には、焦りと困惑が入り混じっている。


「うん、本気だよ」


 ハルの声は、どこまでも澄み渡っていた。彼の視線は、千秋の目を真っ直ぐに捉え、一切の迷いなく射貫く。二人の間に張り詰めた空気が流れ、まるで時間が止まったかのように、周囲の喧騒が遠のいていく。互いの心の奥底を探り合うかのように、彼らの視線が強く交錯した。


◇◇◇


 蛍光灯の白い光が室内を照らす中休み、千秋はざっとA組の中を見渡した。


「あっ、早菜とハル知らね?」


 千秋が近くの男子生徒に声をかける。

 男子生徒は首を傾げた。


「あー、学祭の買い出しからまだ戻ってないよ」

「まじか。さんきゅ」


 千秋は礼を言うと、廊下に出てふと中庭を覗き込む。すると、ベンチに座って一人昼食をとる江里の姿があった。


◇◇◇


 千秋が江里の元へやってくる。


「よお、小室。お前、昼食一人で食ってんの?」


 千秋が気さくに声をかけた。


「あっ、春夏冬くん!」


 江里は、千秋の姿に頬を染める。


「隣いいか?」

「えっ、うん……」


 江里は、少し戸惑いつつも頷いた。

 千秋は隣に腰を下ろし、昼食を食べ始める。江里は、よそよそしく反対側を向いた。


「小室……なんかよそよそしくね?」


 千秋が不思議そうに尋ねる。


「そ、そんなことない……よ」


 江里は、震える声で答えた。


「学祭の劇……なんか悪かったな。強引に進めて」


 千秋は、少し気まずそうに言った。


「大丈夫だよ……むしろ嬉しかったっていうか」


 江里の言葉に、千秋は少し驚いたようだ。


「そうか、ならいいけどよ」


 千秋は安堵したように、牛乳を一気に飲み干した。


「じゃ、俺いくわ」


 千秋は立ち上がろうとする。


(どうしよう、春夏冬くんがいっちゃう。こんなチャンス……もう二度とないかもしれないのに……)

 江里は心の中で焦り、ぎゅっと手を握りしめた。


「春夏冬くん!」


 江里は、思わず声を上げた。


「ん? なんだ?」


 千秋は、振り返る。


「その……私、実は……春夏冬くんのことが、す……」

「す?」

「す……」


 江里の言葉が詰まる。その時だった。


「千秋―!」


 二階の渡り廊下の窓から、早菜とハルが顔を出す。


「早菜!おせーからもう食べちまったよ!」


 千秋は、不満げに叫んだ。


「ごめん!てか、取り込み中だった?」


 早菜が、少しばつが悪そうに尋ねる。


「あ……すまん、またあとでな」

「はーい」


 ハルが、中庭を見下ろしながら呟いた。


「告白かな?」

「千秋に!?まさか。ただのクラスメイトでしょ」


 早菜は、信じられないといった様子で言う。ハルは、何も言わずに窓の外の千秋を見つめていた。


「で、なんだっけ、小室。……小室?」


 千秋が江里に問いかけるが、江里はすでに別の世界にいた。

 彼女の瞳からは、キラキラとした涙がとめどなく溢れ出している。


「尊いです……」


 江里は、恍惚とした表情で呟いた。


「は?」


 千秋は、理解できないといった顔をする。


「こんな至近距離でツーショットを見れるなんて、今日私は死ぬのか……」


 江里は、まるで夢見心地のように言う。


「し……ん?どうした?」


 千秋は、江里の奇妙な言動に戸惑いを隠せない。


(言おう。今日死ぬのなら、言って死ぬんだホトトギス。小室江里、参る!)

 江里は、覚悟を決める。


「あのね!春夏冬くん!」


 江里の声に、尋常ならざる迫力がこもっていた。


「お、おう?」


 千秋は、その気迫に気圧される。


「すきです!」

「は!?」


 千秋は、息を呑んだ。彼の視界は、江里の真剣な眼差しに釘付けになり、全身が硬直する。


「春夏冬くんのことが大好きです!」


 江里は、さらに畳み掛ける。


「は!?え、えっと……わりぃ、俺には早菜が……」

「それで!如月早菜さん……」


江里は、千秋の言葉を遮った。


「早菜?」


 千秋は、江里の意図が掴めず、首を傾げる。


「すきです……大好きなんです」


 江里は、今度は早菜への愛を叫んだ。


「は?早菜を?」


 千秋は、混乱する。


「私!春夏冬くんと!如月さんの!カップリングが!大好きなんです!」


 江里は、両手を握りしめ、熱く語る。


「カップリング?」


 千秋は、聞き慣れない言葉に目を丸くした。


「あれは小学校の入学式。如月さんと手をつないで入場するのは俺だと、最後まで駄々をこねた千秋くん。小学校の修学旅行、木刀の名前を早菜にして如月さんに怒られる千秋くん。でも私の中の今も忘れられないベストオブカップル賞を受賞したのは、中学二年生の体育祭、借り物競争で如月さんが足を挫いて、千秋くんが飛び出し、お姫様だっこしてゴールイン。俺は一生お前のものだと臭い台詞を言って一刀両断。計五百十二回目の告白……」


 江里は、まるで昨日のことのように、二人の思い出を語り始めた。


「小室……?」


 千秋は、呆気に取られて江里を見つめる。


「ずっと見てきたの……でも最近じゃ、見るのじゃ飽き足らなくて……小説を……」


 江里は、どこか遠い目をして呟いた。


「カップリングってのはよくわかんねーけど、俺のこと応援してくれてたってことか?」


 千秋が尋ねると、江里は首をぶんぶんと縦に振った。


「ありがとな。なんかそうやって応援してくれてる人がいるってだけで心強いわ」


 千秋は、ニシシと照れくさそうに笑った。

 江里は、前のめりになって千秋に問いかける。


「春夏冬くん!雀部くんのことどう思う?」

「ハル?いい奴だぜ?」


 千秋は、不思議そうに答える。


「そうじゃない!雀部くんも如月さんのこと好きでしょ」


 江里の声に、熱がこもる。


「え、あー、まあ、その……」


 千秋は、言葉を濁した。


「雀部くんに如月さん取られちゃってもいいの!?」


 江里は、千秋を煽るように言った。


「よ、よくねーよ!」


 千秋は、思わず声を荒げた。


「私に!協力させてくれないかな!?」


◇◇◇


 学園祭の準備時間。3年A組の教室の前で、千秋と江里が落ち着かない様子で行ったり来たりを繰り返していた。早菜への何らかのアピールであることは確かだったが、その意図は全く掴めない。傍目には、ただ二人で奇妙な行動を取っているとしか映らない。


(ミッション1。まずは如月さんに女の影をちらつかせて気を引くの)

 江里は、冷静に戦略を練る。


 友子が、不審な様子の二人を見て、早菜に囁く。


「ねぇ、早菜……あれ確かD組の小室さんと千秋くんだよね。すごいこっち見ながらA組の前うろうろしてるけど……」


 早菜は肩をすくめた。


「またなんかくだらないことでもしてるんじゃない」


 ハルが、二人の様子をじっと見つめる。


「でも最近あの二人でいるの、よく見るね。仲良いのかな」

「さあ。千秋の考えることなんて、考えたって無駄だよ」


 早菜は、興味なさそうに答えた。


「気にならないの?」


 ハルが、早菜の顔を覗き込む。


「まーったく?」


 早菜は、わざとらしく首を傾げた。


◇◇◇


(ミッション2。突然距離を置いて更に気を引かせる)


 昼休み。早菜がD組の教室に顔を出す。


「千秋―!昼!食べに行こ!」


 千秋は、わざとらしく忙しそうに机に向かい、早菜に背を向けたまま答えた。


「わりぃ……今日はちょっと俺忙しくて……」

「あー、主役は大変ね。がんばって!じゃ、ハルと食べるから」


 早菜はあっさりと言い放ち、踵を返す。千秋の反応を窺う素振りもなく、その場を後にした。


「なっ!?」


 千秋は、予想外の早菜の反応に、思わず顔を上げる。


◇◇◇


(ミッション3。不安の中突然優しくされて落ちない人はいない。とどめの親切コンボ!)


 教室で昼食を食べている早菜とハル、友子。そこへ、千秋が突然現れた。


「早菜、それだけじゃ足りないだろ。これやるよ」


 千秋は、焼きそばパンを早菜の机に置く。

 早菜は、ぽかんとした顔で千秋を見上げた。日が経つにつれ、不審さばかり増していくこの男が何を企んでいるのか、全く読めない。


「じゃあな」


 千秋はそれだけ言い残し、早菜の返事も聞かずに立ち去っていく。


「じゃあなって!お弁当だけで足りるわよ!失礼ね!」


 早菜は、千秋の背中に向かって叫ぶが、その声は空しく響くだけだった。


「ふふっ。千秋、最近何やってんだろね」


 ハルが、楽しそうに笑う。


「ほんと意味わからない」


 早菜は呆れたように言う。


「でもきっと、早菜を振り向かせるためのことだと思うよ」


 ハルが、早菜の顔を覗き込む。


「懲りないなぁ」


 早菜は、呆れたようにため息をついた。しかし、その声には、どこか諦めのような響きも混じっていた。


「早菜……」


 友子が、神妙な顔つきで声をかける。


「ん?」

「私、D組の子から聞いちゃったんだけど……あの二人、本当に付き合ってるらしいよ」


 友子の言葉に、早菜は目を見開く。


「え?」

「聞いた人がいるんだって。千秋くんが小室さんに好きだって言ってるの」


 友子の言葉が、早菜の胸に重くのしかかる。


「そ、そうなんだ……」


 早菜は、俯く。その表情には、はっきりと影が差していた。心臓の奥が、ずきりと痛むような感覚に襲われる。

 そんな早菜の様子を見て、ハルが言う。


 「早菜。千秋に現国の教科書貸してるんだけど、返してきてもらえないかな。僕、このあと進路相談で」

「うん、いいよ」


 早菜は、どこか上の空で頷いた。


◇◇◇


 窓が開け放たれた多目的室。風が吹き込み、窓際には立てかけられた演劇の大道具が微かに揺れる。


「なあ、俺らの作戦、上手くいってるか?」


 千秋が江里に尋ねる。その顔には、焦りが滲んでいた。


「うーん……如月さん、ここまで手ごわいとは……」


 江里は腕を組み、唸る。眉間に深い皺が刻まれていた。


◇◇◇


 早菜が、D組の生徒に何かを尋ねている。その視線は、多目的室の方へと向けられている。


◇◇◇


「失敗だったかなぁ」


 江里がため息をつく。その時、微かに足音が聞こえた。


「なっ!?」


 千秋は、思わず息を詰めた。

 早菜が多目的室を覗き込む。彼女の瞳は、室内にいる千秋と江里を捉えていた。

 千秋が江里に勢いよく言う。


 「おい!好きっていったじゃねぇかよ!この程度で諦めるのか!?俺たち」


 江里もまた、千秋に向かって力強く叫ぶ。


「好きだよ!大好きだよ!」

「じゃあなんで」


 千秋が言葉を続ける前に、江里が「あっ」と声を上げた。

 早菜に気づいた江里。その瞬間、窓から突風が吹き込み、立てかけられていた大道具が、まるで江里を襲うかのように大きく傾ぎ、鈍い音を立てて倒れ込んできた。


「あぶない!」


 千秋は、間髪入れずに江里を抱き寄せ、その身を守った。大道具が二人のすぐ後ろに崩れ落ちる。


「大丈夫か?」


 千秋が江里の顔を覗き込む。


「春夏冬くん……顔、近いよ……」


 江里は顔を真っ赤にして呟いた。

 その光景を目にした早菜は、大きく後ずさりし、その場から駆け去った。彼女の背中は、みるみるうちに遠ざかっていく。


「あっ! 如月さん!」


 江里が叫ぶ。


「早菜!?早菜がいたのか!?」


 千秋は、慌てて早菜の姿を探す。まさか、見られていたとは。


「千秋くん何してるの!これはやばいやつだよ!追いかけて!早く!」


 江里が千秋の背中を必死に押す。


「わ、わかった」


 千秋は、早菜の消えた廊下を駆け出した。


(早菜……!)

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