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第四話「回想~五月闇~」

 放課後の公園。早菜がピッチャー、千秋がバッター、ハルが外野で、三人だけの野球が始まった。

 早菜の投げた豪速球に、千秋のバットが空を切る。


「うあぁ!打てねぇ!」


 千秋が悔しそうに叫ぶ。


「私の球を打つなんて百年早いのよ!」


 早菜はしたり顔で胸を張る。


「千秋!がんばれ!」


 ハルが外野から応援の声を飛ばした。


「次の一球、打てなかったら私の勝ちね!」


 早菜の言葉に、千秋は気合を入れ直す。


「しゃーっ!来い!」

「いくよ!うらぁ!」


 早菜の腕が大きく振られ、投げられた球は唸りを上げて飛んでいく。千秋のバットは再び空を切り、大きく空振りした。


「やったー!これで私の1000勝0敗1引き分けね!」


 早菜は両手を上げて喜びを露わにする。


「前の件、ちゃっかり引き分けにしてんのかよ!」


 千秋はツッコミを入れながらも、どこか楽しそうだ。外野から戻ってきたハルが、千秋の肩を叩く。


「残念だったね、千秋」

「あー、やめだやめだ!野球でも勝てねぇのかよ!」


 千秋は潔く負けを認め、早菜は得意げに笑った。

 その時、公園の入り口から声が響く。


「はーやなー!」


 振り向けば、犬を連れた友子が手を振りながら近づいてくる。


「友ちゃん!」


 早菜が駆け寄る。


「こんなとこで何してるの?」

「野球!たった今私が1000勝目を飾ったとこです!」


 早菜は満面の笑みでピースサインを向ける。友子は千秋とハルに目をやり、羨ましそうに呟いた。


「春夏冬くんに雀部くん……両手にイケメン……うらやましっ」

「そりゃどうも~」


 千秋が照れ隠しに頭を掻く。


「ハルはともかく千秋は違うでしょ」


 早菜の容赦ない言葉に、千秋が「んなっ!?」と声を上げた。

 その傍らで、友子の連れていた犬のモグが、ハルの足元の砂を掘り始めた。


「あっ!モグ!雀部くんの靴が汚れちゃうでしょ!」


 慌てる友子に、ハルは穏やかな笑顔で答える。


「柿崎さん、僕は大丈夫だよ」

「いやでも……」


 友子が恐縮していると、千秋がしゃがみこんでモグとじゃれ始めた。


「トイプードルか。お前、服、片腕脱げてんぞ。どうなってんだこれ」


 モグの片腕が洋服から脱げてるのを見て、千秋が不思議そうに問う。


「ああ、また。この子関節が柔らかくて。あとちょっとおばか」


 友子が苦笑する。早菜がニヤリと口角を上げた。


「あら、誰かさんに似てるわね」

「な、なんだと!?」


 千秋が色めき立つ。


「千秋のことだなんて言ってないじゃん」


 早菜の意地悪な言葉に、千秋は「ぬわーーーーーっ」と天を仰いだ。

 ハルはそんな二人のやり取りを微笑ましく見守りながら、モグの頭を優しく撫でた。


「モグ?かわいいね」


 ハルの言葉に、友子の表情が和らぐ。


「雀部くん、ありがとう……。私、一人っ子でさ。親が6才の頃に『新しい家族だよ』って連れてきてくれたんだ」

「いいなあ、友子は」


 早菜が羨望の眼差しを向ける。

 その間も、隣で野球に興じていた子供たちが放ったボールがモグの視界を掠め、モグは本能的にリードを引っ張っていた。友子は慌ててそれを抑えつけながら、愛おしそうにモグを見つめる。


「私が悲しい顔してると、いつも側にきてくれるの。犬だけど、そういうのちゃんと分かるんだよ。だからこの子は家族なの」

「優しい子なんだね」


 ハルの言葉に、友子は「うんっ!」と笑顔で頷いた。

 モグはなおもリードを引っ張り続けている。その時、強い突風が吹き抜けた。


「きゃっ」


 友子の手からリードが離れ、隣の野球場では、バッターが大きくスイングし、その打球が大きく高く舞い上がった。


「ワンッ!」


 モグは、風に流され沿道の方へ飛んでいくボールを追いかけて走り出した。


「モグ!だめ!戻ってきて!」


 友子の叫び声が響く中、一台の車が走って来るのが見えた。千秋とハルが同時に走り出す。


「モグーッ!」


 友子の悲鳴が、車のクラクションと重なった。

 モグは路上に横たわっていた。千秋が駆け寄り、すぐにモグを抱きかかえ歩道へ運ぶ。友子と早菜が心配そうに駆け寄ってきた。


「モグッ!」


 友子の震える声に、千秋は顔を歪める。


「だめだ……息してない……」

「病院!病院に急がなきゃ!」


 早菜が叫ぶ。ハルがモグに近づき、そっと心臓近くを触れた。


「死んでる……」


 小声でいうハルの言葉を聞き、千秋は悔しそうに「くそっ!」と拳を握りしめた。

 その刹那、ハルはモグを抱きかかえて立ち上がる。


「おい、ハル!お前まさか……!」


 千秋が咄嗟に止めようとするが、ハルは構わず言葉を続けた。


「少しの間、二人を頼むよ」

「待て!やめろ……!」


 千秋が焦ったように声を荒げる。


「柿崎さんを見てもそう言える?」


 ハルの問いに、千秋は言葉を詰まらせた。


「これは事故だ……お前の出番じゃねぇ」

「いいんだよ。どうせ二年もしないで取られる命。執着なんてない」

「だけど!」


 千秋の制止も聞かず、ハルはモグを抱きしめたまま、その場を去っていった。


「ハル、どこいったの?」


 早菜が千秋に尋ねるが、彼は言葉に詰まる。


「いや……その……」


 友子が号泣している。


「モグ、急いで病院連れてったら助からない!? ちょっと見てくるから、友ちゃんお願い」


 早菜が走り出そうとするのを、千秋が慌てて呼び止める。


「おっ、おいまて!」


しかし、早菜は制止を聞かずに走っていった。


◇◇◇


 その頃、人影のない場所で、ハルはモグをそっと地面に置いた。懐から取り出した帳面に「モグ5年」と書き込むと、眩い光がモグを包み込む。光が消えた後、モグは小さく鳴いて、生き返った。


「わんっ!」

「え?モグ?」


 駆け寄ってきた早菜が目を丸くする。


「びっくりしちゃったのかな。お腹を撫でたら元気になったよ」


 ハルはにこりと笑う。


「うそ……だって千秋、息してないって……」


 早菜はハルの顔をじっと見つめた。


「ハル……なにかしたの?」

「なにも」


ハルの返答に、早菜はますます疑念を深める。


「私にはハルがモグを生き返らせたようにみえた。さっきも千秋とコソコソ話して。私に何か隠し事してる?」


 ハルは沈黙した。


「教えてよ!」


 早菜の強い言葉に、ハルは観念したように息を吐く。


「……わかった。でもその前に柿崎さんを安心させてあげよう」


 モグを抱いたハルと早菜は、友子と千秋の元へ戻った。


「わんっ!」


 モグの鳴き声に、友子が顔を上げる。


「モグ!」

「よかったね、友子。モグ大丈夫だって」


 早菜の言葉に、友子は安堵の表情を浮かべた。


「よかった、よかった……」

「柿崎さん、一応打撲とかしてるかもしれないから、病院に連れてってあげて」


 ハルの促しに、友子は涙を拭い頷く。


「うん!ありがとう!」


 モグを轢いてしまった車の運転手が、友子を病院へ連れて行ってくれることになり、三人は、友子を見送った。

友子の姿が見えなくなり、早菜はハルの方を向く。


「それじゃ、詳しく説明してもらえる?」


 早菜がハルに詰め寄る。千秋が焦ったようにハルを見る。


「詳しくってハル!話したのか!?」

「話したっていうか、見られた?かな」

「はぁ!?」


 千秋の狼狽ぶりに、早菜の疑念は確信に変わる。


「ほらやっぱり!二人で隠し事してる!」

「仕方ないだろ!」

「なんで仕方ないのよ!」


 千秋は早菜を真っ直ぐ見つめる。


「本当のこと言っちまったら、悲しむからだよ!」

「私が!?」

「ああ、そうだ」

「目の前で死んだはずのペットが生き返ってるんだよ。覚悟は出来てる」


 早菜の強い意志に、千秋は言葉を失った。


◇◇◇


「友江旅館?」


 早菜が首を傾げる。ハルは友江旅館の裏庭の方へと歩き出し、そこから続く一本道を指し示した。


「こっちだよ」

「へぇ、こんな道あったのね」


 早菜が珍しそうに周囲を見回しながら歩く。


「ちゃんと前見て歩けよー」


 千秋が注意するが、早菜はへっちゃらな様子だ。


「わかってるよ!」


 しばらく歩くと、小さな祠が見えてきた。


「着いたよ」


 ハルが立ち止まる。


「祠?」

「うんそう。祠。ここ春霞町を守る土地神の」

「えっ!?土地神様って言い伝えじゃないの!?」


 早菜は驚きに目を見開く。千秋が苦笑しながら頷いた。


「それがいるらしいんだよ」


 ハルが口を開く。


「早菜が気になってることから話そうか。さっき僕がモグを生き返らせたのは、僕の命を分け与えたからなんだ」

「ハルの……命を……分け与える?」


 早菜の目が、ハルの言葉を理解しようと瞬く。


「そう。それが(みこと)族の半妖として生まれた僕の妖術なんだ」

「命族?待ってよ!そんなの……じゃあ、ハルはあと一体何年生きられるの?」


 早菜の焦る声に、ハルは淡々と答えた。


「寿命はあと85年くらいかな。でも僕には関係ないけどね」

「関係ない?」


 早菜の疑問に、千秋が重い口を開いた。


「ハルは……二年後……、土地神に命を全て捧げる運命なんだ」

「えっ?」


 早菜は言葉を失った。ハルが、千秋に視線を向ける。


「ねぇ、千秋、前僕にやってくれた術で、僕の記憶を早菜に見せてあげることって出来るかな?」

「できるぜ。早菜、ハル、俺の前に立ってくれ」


 千秋の言葉に、早菜とハルが向かい合うように立つ。


「ここでいい?」

「ああ、いくぞ。陰影秘法・影繋ぎ」


 刹那、景色が歪み、三人の意識は過去へと誘われた。


◇◇◇


 15歳の千秋が、長い廊下を勢いよく走っていた。


「やべー!」


 玄関では、東司とハルが話している。千秋はハルの横をすり抜け、学校へ行こうとするが、東司の声が呼び止めた。


「ちょうどよかった。千秋!」

「んあ?」

「ここにいる雀部ハルくんを命族の村に連れてってやってくれないか?」


 東司の言葉に、千秋は驚きを隠せない。


「はあ!?やだよ!てか俺学校!」

「学校はサボりなさい」

「それでも親か!?」


 千秋が東司に反論していると、ハルと目が合った。その真剣な瞳に、千秋はため息を吐く。


「あー……わかったよ。なんか訳アリっぽいけど……」

「ありがとう。千秋くん」


 ハルの言葉に、千秋は少し照れたように返す。


「千秋でいいよ。ハル」


◇◇◇


 山道を歩きながら、千秋が呟く。


「そろそろだな……」

「そろそろ?何もないけど……」


 ハルが首を傾げたその時、千秋が立ち止まり、呪文を唱え始めた。


「解!」


 すると、それまで一本道だったはずの道が、目の前で二つに分かれた。


「命族はその奇特な妖術から妖怪にも人間にも狙われやすい。それを代々護衛してきたのが春夏冬家なんだ。命族の村に行けるのも春夏冬家の直血とその従者だけだ」


 千秋の解説に、ハルは納得したように頷く。


「だから探しても見つからなかったんだね」

「ほら、いくぞ」


 千秋が先を促し、二人は分かれた道の片方へと進んでいく。


◇◇◇


命族の村の水雲(みなも)家の前まで来ると、源内が出迎えた。


「春夏冬家のお坊ちゃん。よくぞおいでになられました」


 源内は作り笑顔を浮かべている。


「宇天いるか?」


 千秋の問いに、源内は申し訳なさそうに答えた。


「それが宇天様は修行に出られてまして、帰りは一年後かと……」

「げっ、まじかよ」


 千秋が顔をしかめる。


「今日は何用で」

「ああ。こいつ、雀部ハル。命族の半妖らしんだけど、母親探してんだとよ。なんか知らね?」


 千秋の言葉に、源内の表情が一変した。


「半妖のササキベ……?」


 ハルが前に出て、源内に深々と頭を下げた。


「雀部ハルといいます。なんでもいいんです。雀部桜に関することを教えてください」


 源内が小さく舌打ちをした。


「おい、今舌打ちしたか!?」


 千秋が睨みつけると、源内は慌てて笑顔を取り繕う。


「あっ、いやいや。何かの聞き間違いですよ。村長代理の私で良ければお話しましょう。どうぞこちらへ」


◇◇◇


 水雲家の客間で、源内と千秋、ハルが向かい合って座っている。千秋にだけお茶が出された。


「俺、猫舌だからこれやるよ」


 千秋は自分の分の茶をハルに差し出す。


「あ……ありがとう……」


 ハルは俯きながらも、差し出された茶を受け取った。


「で?ハルの母さんはどこにいんだよ」


 千秋が本題に入る。源内は表情を変えることなく答えた。


「死にましたよ。16年前の四月三日、土砂崩れで」

「なっ!」


 千秋が驚きに声を上げる中、ハルは静かにその言葉を受け止める。


「そう……ですか」

「確か君の父君も亡くなったと聞くが」

「はい……父は他界しています。僕はずっと父方の親戚をたらい回しにされてまして」


 ハルの言葉に、源内は鼻で笑った。


「ほう?なんだ、半妖はどこまでいっても半妖か」

「なんだと!?」


 千秋が立ち上がりそうになるが、源内は涼しい顔だ。


「悪く思わんでくれ。命族の者が一介の人間と契りを交わすというのはご法度なんだ。あの男は桜をそそのかしよった。まったく、汚らわしい」


 源内は煙管をふかし、煙を吐き出す。


「でもまあ、桜は雀部の血筋。最後は命族の使命を全うして立派に……」


 ハルが顔を上げた。


「命族の使命……?」


 源内は愉しげに目を細めた。


「命族の使命を知らんのかな。命族は四百年ある寿命の半分を生まれたときに土地神様に捧げるんだ。だが、災害が起きると、それだけでは足りなくなる。その時は村の中から生贄を出すのさ」


 千秋の顔から血の気が引く。


「まさか」

「そう。桜は土地神様に命を捧げて死んだ」


 ハルは膝の上で拳を強く握りしめた。源内はニタァと笑う。


「でも今日君に会えてよかった。知ってるかい?半妖は二十歳になると持ってる命全て土地神様に捧げる掟。いまいくつかな?」


答えそうになるハルを千秋が制止する。


「おい。答えなくていい。源内といったか。悪いが、今日はもう帰らせてもらう」


 源内はハルたちの背中に向かって声を張り上げた。


「使命から逃れることはできん!決して、できんぞ!」


◇◇◇


 影繋ぎが解除され、三人は現実に戻ってきた。


「ハル……」


 早菜が心配そうにハルの名前を呼ぶ。ハルは俯きながら、胸の内を語った。


「僕は土地神に会ったことなんてないし、世界を守るのに自分の命を差し出す勇気もないんだ。土地神に会って母の話を聞ければ、何か変わるのかな……」


「ハル!ハル!」


 女将が裏庭に出て、何度もハルの名を呼んでいる。


「なんか聞こえねぇか」


 千秋が耳を澄ませる。


「女将さんの声がする!」


 早菜が声を上げた。

 三人は友江旅館の裏庭まで急いで降りていく。


「女将さん!」

「あら、如月さん」


 女将は早菜を見て安心したような顔になる。


「どうしたんですか?」


 ハルの問いに、女将は顔を曇らせた。


「ああ、ハル。よかった。それがお客様が全員いなくなってしまって。ハルもいなくなってないかと心配で」

「僕なら大丈夫ですよ」


 その時、前田、佐藤、土井の仲居たちが小走りでやってきた。


「女将ー!」

「やっぱりいません」

「押し入れの中、お手洗い、浴場全て確認しました」

「誰か専門家を呼んだ方が……」


 土井の言葉に、早菜が考え込む。


「専門家ねぇ……」


 ハルは千秋に視線を向けた。


「千秋」

「おう!専門家ってのは俺のことだな?」


 千秋は自信満々に胸を張った。


◇◇◇


 客がいなくなったという友江旅館の鈴蘭の部屋で、千秋はベルトポーチから人型の和紙を取り出し、床に投げた。和紙はゆっくりと部屋の中を徘徊し始める。早菜と雀部が、その様子を固唾をのんで見守った。


「何してるの?」

「妖気を辿ってるんだ。大体はこれで辿り着けるんだが」


 千秋の言葉の途中で、和紙がトイレの前でパタッと倒れる。


「ト……トイレ?」


 早菜が呆然と呟く。室内は静まり返っていた。


「おい!入ってんのか」


 千秋が早菜に声をかける。


「早菜、少し下がってろ」

「う、うん……」


 早菜が頷くと、千秋は勢いよくトイレのドアを開けた。


「は?」


 しかし、中はもぬけの殻だった。


「何よ、誰もいないじゃない」


 早菜が言うと、千秋は顔をしかめる。


「ここで妖気がパッタリ途絶えてる。こりゃ神隠しの類いか?」


 その時、ハルが慌てた様子で鈴蘭の部屋を出て、足早に裏庭の方へ戻っていく。


「ちょ、ハル!どこいくの!?」


 早菜と千秋は慌ててハルの後を追った。ハルは立ち止まり、二人に振り返る。


「土地神が妖を守ってる。土地神の元にいく道が開き始めているのかもしれない」


 千秋がハルの言葉の意味を理解し、声を上げた。


「おい、それって……!」

「土地神に会える」


 ハルの言葉には期待と不安の色が灯っていた。


◇◇◇


 祠の裏から、狸の妖であるたぬ汰が顔を出し、泣きじゃくっていた。ハルがゆっくりと歩み寄り、手を差し出す。


「怖かっただろう。おいで」


 たぬ汰は、ハルの胸に飛び込んだ。


「おとーさんとはぐれちゃってぇ」


 ハルは優しくたぬ汰の頭を撫でる。


「そうか、怖かったね。今から探しに行くからもう少し待てるかな?」


 たぬ汰は首を縦に振った。ハルは早菜にたぬ汰を預ける。


「この子をお願いできるかな」

「え、うん……」


早菜がたぬ汰を抱きかかえる。ハルが千秋に視線を向けた。


「千秋、来てくれる?」

「当たり前だろ」


千秋の力強い言葉に、早菜が声を挟む。


「待って!千秋が行くなら私も!」

「だめだ!」


千秋が即座に否定する。


「な、なんでよ!」

「中にどんな妖がいるか分からない。危険すぎる」


ハルも千秋の意見に同意する。


「早菜、今回は千秋が正しい。それに、お客様のお世話は仲居のお仕事でしょう?」


涙目のたぬ汰を見た早菜は、渋々ながらも納得した。


「でも帰りが遅かったら、探しにいくから」


千秋は早菜の肩にそっと手を置く。


「必ず戻る。待っててくれ」

「わかった。待って……」


 その言葉が口からこぼれた瞬間、早菜の意識は遠い日の記憶へと引き戻された。胸の奥にしまい込んでいた、鮮やかな残像。


「待ってる」


 あの日の自分も、確かにそう言っていた。重なる過去と現在の言葉に、早菜はハッと息を呑む。


「え……?」


 目の前では、祠に置かれた石の上にハルと千秋が手をかざしている。


「千秋、いくよ」

「ああ」


二人の言葉を早菜は呆然と聞いていた。早菜は右手で左肘をぎゅっと掴み、彼らの旅立ちを見送った。

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