第三話「回想~恋衣~」
山北高校、3年A組の教室にチャイムが鳴り響くと、生徒たちは一斉に弁当を広げ始めた。賑やかな空気が満ちる中、千秋がA組の扉を開け、教室を見渡す。窓際で外をぼーっと見ていたハルに気づくと、彼は手を振って呼びかけた。
「よっ! 昼飯食おうぜ!」
「千秋。さっきの時間、体育だったのに、もう来たの?」
ハルが静かに尋ねる。
「もち! 当たり前だろ! だってよ~」
「早菜に会いたいから」
千秋の言葉に、ハルが重ねるように同じ言葉を紡いだ。
「なっ!?」
不意を突かれた千秋が声を上げると、ハルはフフッと楽しげに笑う。
「行動は時に雄弁なんだよ」
「どういう意味だ!? てか、その早菜は?」
「先生に呼び出され中。委員長って本当に大変そうだね」
「すごい他人事だな……。じゃあとりあえず、先に二人で食うか!」
千秋の誘いに、ハルは小さく頷いた。
◇◇◇
ざあざあと降り続く雨が、屋上の屋根を叩く。通り雨だろうか、やがて止むことを願って、千秋と雀部は屋根のある扉の前で昼食をとっていた。
「通り雨かな……」
雀部がぽつりと呟いた。
「その内止むだろ。てか、ハル! その豪勢なお弁当なんだよ!?」
千秋は、雀部が広げた重箱弁当を見て目を丸くした。彩り豊かに詰められた料理は、まるで料亭のお弁当のようだ。
「女将が毎日張り切っちゃって」
雀部は照れたように笑う。
「へぇ。愛されてんな」
千秋は感心したように頷いた。
「愛……? これが?」
雀部は自分の弁当に視線を落とし、不思議そうに首を傾げる。
「それ以外何があんだよ。海老天もらいっ」
千秋は、重箱の中から迷わず海老天をかっさらった。
「学校、大丈夫か? 人苦手なんだろ」
「うーん、そうだな……。早菜が可愛いから楽しいよ」
雀部の答えに、千秋は「お前!」と声を荒げた。千秋の反応を見て、雀部は楽しげに目を細めている。
「そういえば、早菜遅いね」
「学校祭近いからじゃね?」
「千秋ってさ、なんでそんなに早菜にこだわるの? 全然見向きもされてないのに」
雀部の核心を突くような問いに、千秋は一瞬言葉に詰まった。
「みむ……な、なんでもいいだろ、そんなこと」
千秋は口ごもり、視線を泳がせる。その様子を雀部は見逃さなかった。
「あっ、何か隠してる顔してる」
「へっ!?」
「千秋は顔に出やすいんだよ」
雀部の言葉に、千秋はさらに焦りの色を濃くした。
「いや、だから、その……」
「ふーん。早菜に言っちゃおうかな。千秋が何か隠してるって」
雀部の茶目っ気たっぷりな脅しに、千秋は慌てて叫んだ。
「ばか! やめろ!」
余裕綽々といった様子の雀部に、千秋はため息をついた。
「あー……くそ、お前には敵わねぇな……絶対早菜には言うなよ」
「うん」
「つうか、口で説明するより、見てもらった方が早いわ」
千秋は諦めたようにそう言い、両手で印を結んだ。
「見る?」
雀部が訝しげな顔で問い返す。
「いくぞ……陰影秘法……影繋ぎ!」
千秋の言葉と共に、彼の足元から淡い光が広がり、地面に陰陽陣が描かれる。その光は瞬く間に千秋とハルを包み込み、周囲の景色は一変した。
◇◇◇
眼前に広がるのは、白い空間だった。無数の召喚符が宙に浮かび、静かに揺蕩っている。
「ここは……?」
ハルが呆然と呟いた。
「俺の記憶の中だよ」
千秋は、どこか懐かしそうに空間を見渡す。
「式神の召喚符だらけだ」
「この空間に何があるかは人に寄るんだ。俺は邪慳を倒すために沢山修行したから召喚符ってところだな」
「邪慳って確か、前鬼女に聞いてた」
ハルは、以前耳にした話を思い出した。
「ああ」
千秋は一枚の召喚符を手に取った。
「まずは、これを見てくれ」
「見る……?」
千秋は召喚符をハルの目の高さに合わせ、「解」と呟いた。すると、白い空間は一変する。
◇◇◇
光景は、あした幼稚園の砂場に変わった。そこには、5歳になったばかりの千秋と、同じく5歳の早菜がいた。二人は砂場で、おままごとをしている。
「はい、あなた、ご飯ができましたわよ」
早菜が千秋に差し出したのは、ぐちゃぐちゃの泥団子だった。
「う、うん……」
千秋は引き気味にそれを受け取る。
「ほら、食べて?」
早菜はにこやかに促す。
「うん……もぐもぐ……おいしい」
千秋はなんとか形だけは食べてみせるが、早菜は納得いかない顔で首を振った。
「いや、そうじゃなくて。た・べ・て?」
「はあ!? おっ、俺を殺す気かあ!?」
千秋は思わず叫んだ。
「愛があるなら食べれるわよね? ね、あなた」
早菜は、なぜかお姉さん言葉で問いかけてくる。
「やめろよその喋り方! きっ、気持ち悪いんだよ!」
千秋はそう言い捨てると、その場から走り去ってしまった。
「あっ、千秋……早菜……きもち……悪いの……? 」
早菜は目に涙を浮かべながら、懸命に堪える。そして、自分の頬をパンパンと二度叩いた。
「だめよだめ。こんなことで泣くようじゃ、春夏冬家の奥さんにはなれないわ」
早菜の視線は、千秋に踏んづけられた泥団子へと落ちる。
「気持ち悪いんだよ!」
その言葉が、まるで呪縛のように、早菜の心に突き刺さる。じわじわと涙がこみ上げてきて、やがて彼女はわっと泣き出した。
「うわーん」
「早菜ちゃん、どうしたの?」
先生が駆け寄ってくる。
「ひっく、ひっく、千秋が、千秋がぁ」
◇◇◇
場所は変わり、さくら組の教室。千秋と早菜は、先生と向き合って座っていた。
「それで、千秋くんはなんで気持ち悪いなんて言っちゃったのかな?」
先生が優しく問いかける。
「だって! こいつ前まで普通の喋り方だったのに、突然!」
千秋はぶっきらぼうに答えた。
「千秋くんは早菜ちゃんの喋り方が嫌なのね?」
「まあ……」
千秋はしぶしぶ頷く。
「でも気持ち悪いって言い方は良くなかったんじゃないかな? お友達を傷つけてしまう言い方だよね?」
「はい……ごめんなさい」
「わかればいいのよ! で、早菜ちゃんは何で最近お姉さん言葉にはまってるのかな?」
「そ、それは……」
先生の問いに、早菜はもじもじと身をよじる。
「それは、なにかな?」
先生がさらに問い詰める。
「早く素敵なお姉さんにならないと、千秋が他の女の子に取られちゃうから」
早菜の衝撃発言に、千秋は「は、はぁっ!?」と顔を真っ赤にした。
「婚期は6才までに掴めってママが……」
「えっ!? 早菜ちゃんのお母さんそんなこと言ったの!?」
先生は驚きの声を上げる。
「そう、そうしないと先生みたいに婚期逃すよって」
「先生みたいに!? えっ、私!?」
先生の反応に、千秋は思わずクスクスと笑ってしまった。
「千秋くん、笑うところではありませんよ!」
先生に窘められながらも、早菜は話を続ける。
「それでね」
「まだあるの!?」
先生は呆れたように聞き返した。
「春夏冬家はゆうしょ続くおっきな家だから、千秋はちょっと馬鹿だけど、嫁ぐにはいいところって」
「おい、いま馬鹿っていったな!?」
千秋がムッとした顔で反論する。
「なによ! 千秋は馬鹿じゃない!」
「あーはいはい! ケンカしちゃいけません!」
先生が慌てて仲裁に入った。
◇◇◇
再び、白い影繋ぎ空間に戻る。千秋とハルの間に、一瞬の沈黙が流れた。
「すごい……千秋、こんなこともできたんだ」
ハルは感心したように千秋を見つめる。
「まあな」
千秋は照れたように頬を掻いた。
「小さい頃は早菜が千秋を好きだったんだね」
「俺も好きだったよ……ただまあ、なんつうか、素直になれなかったっていうか」
千秋は遠い目をして、幼い頃を振り返る。
「お年頃だったのかな」
「まあ。そんなもんだ。でも、失ってから気付くってよくいうよな」
千秋の言葉に、ハルは神妙な顔つきになった。
「なにがあったの?」
千秋はもう一枚の召喚符を手に取った。
「次いくぞ」
「うん……」
◇◇◇
光景は、あした幼稚園のさくら組教室。園児たちが、それぞれ思い思いに絵を描いていた。
「ここをこうして、こうして」
早菜は、まだおぼつかない手つきで絵を描いている。その絵は、正直言ってあまり上手とは言えない。
「あら? 早菜ちゃん、これは何かな~?」
先生が早菜の絵を覗き込む。
「えっとね! こっちが千秋で、こっちが妖怪! 妖退治してるの!」
早菜は得意げに説明した。
「え!? 俺!?」
千秋は自分の名前が出てきて驚く。
「へぇ。早菜ちゃんは本当に千秋くんが好きなのね」
「うんっ! 早菜、千秋だいすき!」
早菜は満面の笑みで答える。その言葉に、千秋は顔を赤らめた。
「でも、その……これじゃどっちが妖怪がわからないじゃんかよ」
千秋は、絵の出来栄えに不満があるようだ。
「そんなことない! こっちが千秋! すっごくかっこいいでしょ!」
早菜は千秋を褒めちぎる。
「実際の俺はもっとかっこいいんだよ!」
千秋は少し自慢げに言った。
「じゃあ、早菜も連れてって! 妖退治!」
早菜は、目を輝かせて頼み込む。
「だーめーだ! 遊びじゃないんだ。お、お仕事なんだぞ」
千秋は、少し誇らしげに胸を張った。
早菜は頬っぺたを膨らませた。
「じゃあ、もういい! 千秋なんて知らないっ!」
早菜はそう言うと、さくら組教室を飛び出していった。
「あっ! おい! 早菜!」
◇◇◇
園庭では、先生が早菜を探していた。
「早菜ちゃん! こんなところにいたのね」
先生が早菜を見つけた。早菜は俯いたまま、何も答えない。
「さあ、教室に戻りましょう。千秋くんも待ってますよ」
「早菜ちゃん?」
「ねえ、先生……好きな人にすきっていってもらうにはどうしたらいいの?」
早菜は、小さな声で先生に尋ねた。
「そうねぇ。押して駄目なら引いてみろ、かな?」
先生は、少し考えて答えた。
◇◇◇
千秋の目の前に立っていたのは、早菜と、その手をつなぐユウタだった。同じさくら組の園児、ユウタは額に大量の汗をかき、おどおどと視線を泳がせている。
「早菜、ユウタくんとお付き合いするの」
早菜は、千秋の反応をうかがうように、どこか挑発的に言った。
「そ、そうかよ」
千秋は、動揺を隠せない。
「ご、ごめん、千秋くん」
ユウタは、申し訳なさそうに千秋に謝った。
「さっさと早菜にすきって言わないから! でも、まあ、今すきって言ってくれるなら、ユウタくんとはお別れしてもいいわ」
早菜は、千秋に最後のチャンスを与えるように言った。
「早菜ちゃん!?」
ユウタは驚き、早菜を見つめる。
「す、す……」
千秋は、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「す?」
早菜は、期待に満ちた目で千秋を見つめた。
「知るかっ、ボケー!」
だが、千秋が口にしたのは、幼い頃の悪態だった。千秋はその場から走り去っていく。
「あっ! 千秋! もう……」
早菜は、不服そうにムッとした顔で、千秋の後ろ姿を見送った。
◇◇◇
森の中。早菜は小さな椅子に本を載せ、それを運びながら歩いていた。本のタイトルは『こどものためのれんあいますたー』。
「うかうかしちゃいけない。ちゃんと勉強して早く千秋のお嫁さんにならないと」
早菜は、ぶつぶつと独り言を呟きながら、森の奥へと進んでいく。
「あっ!」
不意に、千秋と早菜は鉢合わせになった。
「おい! 早菜、なんでこんなとこにいるんだよ!」
千秋は、早菜がいることに驚き、声を荒げた。
「なんでって、なんでもいいでしょ」
早菜は、千秋の質問には答えようとしない。
「よくない! ここは危ないんだ!いますぐ帰れ!」
千秋は、強い口調で早菜に忠告する。
「いや! だって……」
「だって、なんだよ」
千秋が問い詰める。
「ひ……秘密基地があるから……」
早菜は、小さな声で打ち明けた。
「はあ!? いつの間に! あー……わかったよ。その秘密基地まで護衛してやる。用が済んだら帰れよ」
千秋は呆れたようにため息をついたが、結局早菜を放っておくことはできなかった。
森の中を、千秋と早菜が並んで歩く。千秋は早菜が持っていた椅子と本を抱えていた。
「お仕事ってことはここ妖が出るの?」
早菜は、千秋に尋ねた。
「うん。俺が任されてるのはまだ初級の妖だけど……初級でも悪い妖は危ないんだよ」
千秋は、真剣な顔で答える。
「妖ってどうやって倒すの?」
「ん? そりゃ、俺の冷水秘法熱爆弾でイチコロさ!」
千秋は、得意げに胸を張る。
「ほんと馬鹿ね、それじゃ冷やしたいのか熱したいのかわからないでしょ」
早菜は、呆れたように千秋を見つめた。
「か、かっけーからいいんだよ!」
「それを言うなら、しょきゃく秘法だよ」
「しょきゃく秘法……熱爆弾? うわあああ、かっけー! それもらったぜ!」
千秋は、満面の笑みを早菜に向けた。
「ねぇ。千秋は早菜のこと好きだよね」
早菜は、不意に千秋に尋ねた。
「は!? なんだよいきなり」
千秋は、突然の問いに動揺する。
「すき、だよね?」
早菜は、千秋の目を見つめ、もう一度問いかけた。
「……」
千秋は、言葉に詰まってしまう。
「ゲームしようよ」
「ゲーム?」
「今日、千秋が妖退治に失敗したら、早菜が千秋に好きって告白する。でも、もし千秋がちゃんと退治できたら、千秋が早菜に告白するの」
「おい、それ逆じゃないか!?」
千秋は、思わず叫んだ。
「当たり前じゃん。好きって言うのは、男の子からでないと」
早菜は、小声で呟いた。
「ん? なんか言ったか?」
千秋は、早菜の言葉が聞き取れなかったようだ。
「 着いた! ここが私の秘密基地!」
早菜は、嬉しそうに叫んだ。そこには、穴の開いた木があり、その中に本や調味料が置いてあった。千秋は、本と椅子を置いた。
「なんで塩と醤油があんだよ……」
千秋は、呆れたように呟く。
「いつかここでお料理するの! さ! 妖退治にいこう!」
早菜は、目を輝かせながら言った。
「本気で言ってたのか!? だめに決まってるだろ!」
千秋は、慌てて早菜を止める。
「なんで!? 初級の妖怪なら倒せるんでしょ!?」
「だーかーらー」
千秋が言いかけたその時、早菜の影が不気味に動き出した。影の中から、ぬっと舌が伸びてくる。
「あぶないっ!」
千秋は、早菜の手を引っ張り、舌をかわした。
「な、なに!?」
早菜は、何が起こったのか分からず、呆然としている。
目の前に現れたのは、二足歩行で、蛇のような顔をした邪慳だった。その頭には複数の口があり、それぞれがもごもごと不気味な言葉を発している。
「むすめ……うまそうだ……あれはうまいよ……うまそう……うまい……!!」
千秋の心臓が、嫌な音を立てる。
(やばい……こいつはやばい!)
千秋は、早菜に叫んだ。
「おい! 早菜!」
早菜は、震えながら後ずさりする。
「早菜! こいつは上級以上だ! 戦ったら死ぬ! 逃げるぞ!」
「ごめん……千秋……足が……」
早菜は、恐怖で足がすくんでしまっていた。
「くそっ! おい妖怪! こっちにこい!」
千秋は、邪慳から早菜を遠ざけようと、自分を囮にする。
(今は早菜からあいつを遠ざけるのが先だ!)
千秋は走り出すが、邪慳はついてこない。
「え?」
邪慳の視線は、早菜に固定されていた。
「弱い者から食う……弱い者どこ……弱い者はこの娘……食う……食おう!!!」
邪慳の舌が、早菜に向かって一直線に伸びる。
「あぶない!!!」
千秋は、早菜を庇うように飛び出した。邪慳の舌が、千秋の腹部を貫通する。千秋は、その場に倒れ込んだ。
「ち……あき……? 千秋!」
早菜は、信じられないものを見るかのように千秋を見つめる。
「逃げろ……父さん……呼んで……こ」
「千秋!!!」
早菜の悲痛な叫びが、森に響き渡る。
「外した……外した……でもうまい……人間の血はやっぱりうまいね……次は娘の血……どんな味? どんな味かな」
邪慳は、じりじりと早菜に近づいていく。早菜は、穴の開いた木の元まで追いつめられ、木の穴の中にあったものを全て邪慳にぶつけた。
「やめて、こないで、こないでーっ!」
早菜が投げつけた塩が、邪慳の目に入った。
「ギャァァァァァァァァァ!」
邪慳は、その場でもがき苦しむ。
「おのれ、娘……何をしたァ……おのれ娘ェ……」
邪慳は、そう言い残して木の陰の中に消えていった。
早菜は、千秋の元に駆け寄る。
「千秋、ごめん……ごめん、死んじゃ嫌」
早菜の目からは、とめどなく涙が溢れ落ちた。
◇◇◇
場面は春夏冬家。使用人たちが、コソコソと話をしている。
「今日いらっしゃる早菜様って確か千秋様のご友人の……」
「あの場に居合わせたようで、もう食事も食べれなくなってるそうよ」
「お可哀想に……それでご当主様に」
「でもまだお若くてよかったですね。普通なら、仲良かったお友達の記憶を消すなんて……」
春夏冬家、千秋の部屋。大人に連れられ、早菜がやってくる。千秋は、腹部に包帯を巻いていた。
「千秋……」
早菜は、潤んだ瞳で千秋を見つめる。
「よっ、早菜。お前が無事でよかっ」
「ごめんなさい! 私が! 私が千秋のいうこと聞かなかったから!」
早菜は、千秋の言葉を遮り、泣きながら謝罪する。
「違う。俺が弱いからだ。俺が」
千秋は、自分を責めるように言った。
泣きじゃくる早菜に、千秋の父である東司が近づき、優しく語りかける。
「早菜ちゃん、伝えたいことは伝えられたかな。じゃ、いこうか」
大人たちに連れられ、退出しようとした時、早菜は立ち止まって振り返った。右手で左肘をぎゅっと掴んで、早菜は千秋に最後の言葉を贈る。
「千秋、好き。……待ってる。待ってるから」
早菜は、大人に囲まれながら、千秋の部屋を後にした。
◇◇◇
再び、影繋ぎ空間。千秋と雀部の間に、重い沈黙が流れていた。
「まあ、こんなとこか」
千秋が、ぽつりと呟いた。ハルは、複雑な表情を浮かべている。
「俺は意気地なしだ。早菜を追い詰めたのは俺なんだ。そんな奴がまたあいつに関わっていいのか分かんなかった。でも、早菜は言ったんだ。例え記憶が消されるとしても、待ってるって」
千秋は、ぽつりぽつりと過去を語る。
「うん」
ハルは、千秋の言葉に頷いた。
「早菜は優しい奴だから、本能で俺を避けてる。でも俺は早菜が好きだ。だから何度でも迎えにいくんだよ」
ハルは、目を伏せ、悲しそうにフッと笑った。
「千秋には時間がある。応援するよ。また二人が笑えるように」
影繋ぎ空間が解かれる。
ざあざあと降っていた雨は、いつの間にか止んでいた。
「雨あがってるね」
ハルが空を見上げて言った。
「んあ~っ!」
千秋は、大きく伸びをした。その時、屋上のドアが開き、早菜が入ってくる。
「ちょっと千秋! あれなに!?」
3年A組の黒板には、大きく「はやなへ 屋上にいる by俺」と書かれている。
「どこにいるか書いとかなきゃどこにいるかわからないだろ」
千秋は、悪びれる様子もなく答えた。
「あのねぇ、普通メモに書くとかあるでしょ。日直の子、黒板消せなくて困ってたよ?」
早菜は、呆れたように千秋を見つめる。
「早菜、早く食べないと昼休み終わっちゃうよ」
ハルが、早菜に声をかけた。
「えっ!? 今何時!? やば!」
早菜は、慌てて弁当箱を開ける。ハンバーグを見つけると、目を輝かせた。コロコロと表情を変える早菜を見て、千秋とハルは思わず笑みがこぼれる。
「ふっ……」
「ははっ」
「な、なに!?」
早菜が不思議そうに二人の顔を見つめる。
「いや、なんでも」
ハルは、笑顔で首を振った。
「早菜、好きだぜ」
千秋の突然の告白に、早菜は顔を真っ赤にした。
「な、なによいきなり!」
早菜は、照れ隠しをするように反論する。
「ほらいそげって」
千秋は、にこやかに早菜に促した。
青空の下、千秋と早菜の弾む声が響き渡る。希望に満ちた声が風に乗って遠くまで運ばれていく。






