不屈のスナイパー
成宮と会ったのはゴルフがきっかけだった。
私はそのころ上司に誘われゴルフに頻繁に顔を出すようになっていた。
年上の男性のグループに咲かせる一つの花でいることはそんなに悪い気分じゃなかった。
気を使わないといけないことも多いけれど、私はそれをうまく泳ぎ切る自信があったし、なによりも職場で贔屓にされるのは便利だったからだ。
私はそうやって男性たちの視線を受けながら生きていくことに、気後れをしない性格だ。むしろ、利用してやろうとすら思う。
だからこそ、ゴルフウェアも品がありながらも華やかなものを選んでいたし、紫外線対策もしっかりとして肌の手入れも欠かさなかった。
そんな時に、出会ったのが成宮だった。
上司を通じて紹介された「有望な若いやつ」。彼はとある一流企業の営業マンだった。一方私は「気の利く女性」と紹介された。私は前夜に美容液がたっぷりしみ込んだパックをしていてよかったと密かに胸をなでおろしていた。
こうして、私は完璧な姿で彼と出会うことができたのだ。そして、彼も同じく完璧だった。
彼は当然のように、私に視線を絡ませてきた。
彼はにこにこと笑いながらも、その視線は私の全身に注がれていた。
私はもちろんのこと、その合図を見逃さない。予定調和といえるほど、期待した通りのことだった。
この視線は彼にとって宣戦布告のゴングに違いない。そういう私も心の中で胸が高鳴るのを感じた。
それからというもの彼の仕草、言葉、視線は私にとって全て合図だった。
彼が手で煽ったら、モバイルファンをとりだして「使う?」と聞く。
彼が作業中に貧乏ゆすりを始めたら、「お茶でも飲もうか」と言って気分転換に誘う。
そうやって私は彼の「いいな」を獲得してきたのだ。たくさんの小さな「いいな」を集めて、私は今、彼の隣で恋人になっていた。そして、恋人になってそろそろ半年が過ぎようとしている。
だから、思う。最近、マンネリしている。
人によっては、「マンネリ」とは心地よくまどろむような関係の証だからいい兆候だと言うかもしれない。もちろん、私もその意見には賛成だ。
だが、彼はそうじゃない。彼は私をすっかり自分の領分に入れ込んでしまえたと、傲慢ともいえる油断を最近見せているのだ。
恋人を軽んじ始めた男がやることなんて昔から決まっていた。なにせ、彼には彼を狙う恋愛市場の女たちがうじゃうじゃといるのだ。
そんなジャングルに「成宮」という虎を放つことをこの私が良しとするはずがない。
だから、私はここで先手を打つ必要があるのだ。
私は、落ち着いてもう一度的を見た。
的は相変わらず何も穴があけられていない。もしこれがゴルフであるのなら、高く高く玉を飛ばすことを意識するだろう。だけど、これはゴルフじゃない。目の前の的を打ち抜くことを目標に据えるのだ。
だが、的を真っすぐ見て、銃口を合わせるだけでは不十分だった。
さて、一体何が原因か。私はぼんやりと発砲の衝撃で震えた自分の手を見つめた。
・・・きっと筋力だ。
銃が発砲する時に銃口をそのまま的に合わせておくだけのゆるぎない筋力が必要になるのだ。
先ほどの手に走る衝撃からするに、私は狙いを定めきることができていないようだ。
引き金を引くときに走る衝撃によって、おそらく弾の軌道がずれてしまっている。
そう原因がわかってしまえば簡単だった。
私は先ほどの的をもう一度見つめた。自分の狙いはわずかに上に行っていたようだ。
その証拠に、狙いを定めたはずの頭の上の土壁に穴が開いている。
私には狙いを定めきるほどの筋力が無いし、それを今からつける時間はもちろんない。
だったら、やることはひとつ。衝撃を計算して狙いを定めればいいだけだ。
私はわずかに銃口を下へと向けた。
ダアン!!!!
私は引き金を引いた。衝撃とともに銃が揺れるのを感じる。
火薬の匂いが一瞬したかと思うと、弾はもうすでにあるべきところに到達していた。
…10点。きれいに頭を打ち抜いていた。
私はチラリと成宮を見た。成宮が「ヒュウ」と口笛を吹いたのが聞こえたからだ。
それでも彼は納得しないだろう。相変わらずの笑顔でにやついている。その笑顔が目じりにこびりついているかのようだ。
きっと、これはまぐれだって彼が言うだろうとは想像がついていた。
ここに立つ、私だけが私を信じている。
そう思うと、先ほどの隣の銃声も不思議と気にならなくなってきた。
大きな音に驚いていた先ほどの自分が信じられないくらいだ。
私はもう一度、狙いを定めた。私の前には、的だけが前に立ちはだかっている。
私は嘘のように、冷徹にその的を見ていた。
きっと、今ならこの銃を「商品」だとは誰も言わないだろう。
今、これはまちがいなく私の「武器」になっている。
ダアン!ダアン!ダアン!
そう言って連射をした。銃声が何度も何度も皆の鼓膜を震わした。
成宮は必死になってその穴がどこを貫いたか確認する仕草をしている。
そんなこと、確認なんかしなくてもわかり切っているというのに。
私は静かに冷徹な心のままそう思った。立ち込める火薬の匂いを嗅ぎながら、静かに銃をおろした。
「いやあ、真里にこんな才能があったなんて!」
そうやって感嘆の表情を露わにして、成宮は言った。
狙撃が終わった直後、彼は舌を巻いていた。的の頭にたくさん撃ち込まれた穴を見て、呆然としていた表情をしてからよほど驚いたらしい。
「私もびっくり」
そう言ってにこりと笑いかける。
もちろん、笑ったのは表情だけだし、「びっくり」もしていなかった。
こういう時、とりあえず謙遜することはもう習慣として沁みついていた。
こういうところはいつもの「日本」から解放しきれないみたいだ。
私は尊敬のまなざしを向け始めた彼に、慎ましい女神のように笑いかけるよう努力していた。
「オリンピック、狙えるんじゃないか?
ゴルフもいい腕しているんだし真里はやっぱり最高だな!みんなに紹介してもはずかしくないや」
そう言って、帰った後もおいしい干物でも食べたように何度も後味を噛みしめていた。
射撃場にいた現地の人や西洋人が私に賞賛の声をかけてくれたことがよほど自慢に思えたらしい。
きっとこれから行くバーでもお酒を飲みながら、またこの干物の味を楽しむつもりだろう。
私は少し呆れた様子で彼を見つめた。
そんな彼は私の気持ちをよそに、その魅力的な出で立ちで、余裕たっぷりにこの異国の街を歩いている。
歓楽街には夜の匂いがし始めていた。
派手なネオンが光りはじめ、夜に働く女の子がふりまく香水の匂いが、ツンと鼻を刺激する。
けれども、彼は今夜は私のことしか目に入らないようだった。
まったく、ゲンキンな男。私はそっと腕を組んで彼の肩にすり寄った。
彼は私が何も言わないままでいるのを見て、少し不安に思ったのかこちらを見つめて冗談を言った。
「…ねえ、もし俺が真里にひどい事したら、あんなふうに銃で俺のこと撃たないでな。あれじゃ、どうやっても勝てん」
何を思ったかそう言って笑いかけてきた。
「そう思うなら、ひどいことをしないようにまず自分が努めるべきなんじゃない?」
そう言って、私はさらりと冗談を受け流した。
その時、私だけが知っていた。
あの銃を連射したときと同じように、この歓楽街にいる私だけが確信している。
たとえ彼が私にひどいことをしたとしても、彼は私からは逃れられない。
いつでも彼の心を打ち抜き続ける、そう覚悟を持った私に、彼はきっとときめき続けるのだ。
そんなのわかりきっていることだった。確認すら、必要がないことだった。
「ねえ、あのバーに入らない?」
そう言ってあえて女の子もいそうなお店に誘った。
女の子たちはきっと横にいる彼を羨ましそうに見るだろう。
もしかしたら、彼もその女の子を見つめ返すかもしれない。
別にそれでもよかった。私はその横で、しずかに逆三角の形をしたグラスのお酒を飲もう。
そして、ついてきた真っ赤なチェリーを口づけをするように食べるのだ。
きっと、私の魅力はもう隠しきれないのだから。