南国の射撃場
その日は暑かった。バカンスのために南国に来ているから当たり前かもしれない。
けれど、熱波をぶあっと全身に浴びるとやはり弱音を吐きたくなった。
そして、それがもう一週間も続いているのだ。
だからその日は観光は止めにして、ホテルで一日過ごしていいかと恋人の成宮竜彦に聞いた。
けれど彼はどうしても外に出たかったらしい。ホテルのロビーにあった一枚のパンフレットをもってきて「真里、今日はここへ行こう」と言い出した。
それは、とある射撃場のパンフレットだった。
当たり前だが、日本で銃を撃てる場所はほとんどない。
私はしがないOLだし、成宮は商社に勤めているサラリーマンだ。
彼が一流の会社に勤めてようが、営業成績が社内で一位だろうが、そんなことは関係がない。
私たちは日本の法律に守られているのと同時に、縛られてもいるのだ。
だから、たまにはそのしがらみから解放されてもいいかもしれない、なんて思ったんだ。
南国の熱が人をおかしくするものだと考えれば、むしろ彼の提案は至極真っ当なもののように思える。
だから、私は「いいよ」とすんなり返事した。
それを聞いて、彼は嬉々とした様子で支度を始めた。
「俺、昔漫画で見た銃を一度触ってみたかったんだ」なんて子供みたいに喜んでいる。
私も昔見た少年漫画の一コマを思い出していた。あんな風にかっこよくなれるとは思えないが、まあSNSで栄える写真くらいは撮れるだろう。
成宮の写真の腕は正直信用ならないが、たくさん撮ってもらえば一枚ぐらいはいいものがあるはずだ。
タクシーでホテルから10分。
この観光地で、この立地に立っているということは私たちと同じような客がたくさんいることを意味していた。つまり、射撃とは私たちのような長期間のバカンスに飽きた頃合いに味わう丁度良い非日常、ということだ。
その手軽さと人気の高さに私はワクワクし始めていた。
だが、その気持ちはいざ着いてみると急落した。
射撃場の見た目は素朴でただのガソリンスタンドのようだったからだ。
擦れた観光地によくあることだが、ショッピングモールのように輝き続けることは難しいらしい。
あちこちに草が生え、看板は寂れている。
舗装されていない駐車場とヒールがある靴の相性は最悪だった。
私はこけないように気を付けながら、その射撃場に入った。
中も外と同様だった。
もちろん聞きなれない銃声が「ドオン!」と耳に入っては来るが、それ以外は何の変哲もない。
無駄に効きすぎる冷房と年季が入って剝げた壁。
この空気感はこの国で訪れたゴルフの打ちっぱなし場に似ている。
肝心の射撃する場所も、よく似ていた。
一つの仕切られたコーナーに人が入って、目の前の的を撃つというごくシンプルなもの。
やっている内容もゴルフから銃に変わっただけだ、とさえ私は思った。
「俺、これにするわ」
そう言って成宮は一つの銃を選んだ。どうやらどの銃にするか自分で選べるらしい。
私は店員に差し出された銃たちをしげしげと眺めた。
彼らは無骨で、黒く光っていて、お行儀よく並べられていた。その見た目はとてもじゃないけど人の命を奪うようには思えない。ここではただの商品だった。
彼だってきっとシルバーアクセを選ぶのと同じ感覚で、銃を選んだにすぎないだろう。それは私も同じで、とりあえず写真映えしそうな銃口が長い銃をとった。
そして店員に案内されるまま、一つのコーナーを割り当てられた。私たちはとりあえず交代で入って、互いに写真を取り合う約束をする。
成宮が自分が先に撃つと言ってきかなかった。やる気満々の彼は意気揚々とドアを開いた。私はコーナーがよく見える椅子に座って、ケータイカメラを構えながら彼を見ていた。
彼は緊張しつつ、銃を構えた。
ダアン!!!!
まずは一発、発射させた。
その球は人型の的に当たらず、後ろの土壁にめり込んでいた。
彼は「あれ、意外と難しいな」と言ってもう一度狙いを定める仕草をした。そういう時の彼の眼差しは真剣なのにどこか楽しそうだ。人によってはその笑っている顔にイラつきを覚えるかもしれない。けれど、私はその顔が誰よりも好きだった。
あたろうがあたらまいが、彼は面白おかしく過ごせる気楽さを持つ人だ。
ダアン!!!ダアン!!!
次々と彼は発砲していった。全部で10発。彼の弾はだんだんと的へ近づいていく。人の形をした的はどんどん穴をあけていった。腕、足、肩…ただ「10点」と書かれた頭だけは打ち抜けない。
彼は全ての弾を発砲後、「ありゃりゃ」と言って笑いながらコーナーの外に出た。
「結構難しいよ」
駆け寄った私にそう言った。私は「そうなんだ」とだけ呟くように言った。
彼が撃った的には五つの穴があけられていたが、頭は打ち抜かれていなかった。それを見て、彼は少し悔しそうにしている。薄いその唇を噛んでいた。その表情は、昔テトリスで私と対戦して負けたときみたいだ。
‥‥「もう、一回やりたい」と言いだしそう。そう思って私は成宮が口を開く前に慌てて遮った。正直、たかが10発で三千円かかるのであれば、近くのバーでお酒をおごってもらいたいからだ。
「次、私がやるから」
そう言って選んだ銃を引っ提げて、強引に私がコーナーに入った。
コーナーに入るとなんだか途端に緊張してきた。目の前には人型の的、そして手元には武器だ。私はたしかに非日常を感じていた。ダアン!と隣のコーナーで別のお客が発砲している。
私はその音に少し身を縮めて、思わずガラス越しにいる成宮の姿を探した。
見慣れた成宮の姿が目に入ると、彼は口をパクパクと動かしていた。
「がんばれ」と言っているのだろう。銃声にかき消されていたが、言いたい内容は伝わってきた。
私はフウッと息を吐くと銃を構えた。視線は銃の向こう側の的へ一直線へと注ぐ。
なるべく緊張しないように意識して、柔らかな手つきで引き金を引いた。
ダアン!
今までの人生の中で、一番近い距離で銃声が響いた。弾は一瞬だけ飛んで、土壁に衝撃を与えていた。
土壁の土が一瞬少しだけ舞ったと思うと、一発目はもう終わっていた。
私の手には発砲の衝撃の余韻がビリビリッと残っている。
なるほど。銃とはこういうものなのか。
私は一人で納得していた。チラリと横目で成宮を見ると彼は腕を組んでにやにやと笑っていた。
「言った通り、むずかしいだろ?」と言いたげだ。
私は少し、彼のその表情が気に食わなかった。
その笑顔にふと、出会った頃のことを思い出していた。