表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
男爵令嬢コンスタンツェは崖っぷち  作者: 一ノ谷鈴
第1章 崖っぷち令嬢と謎の婚約者
6/36

6.お邪魔虫が深めた仲

 それからわたくしとユリウスは、二人一緒にリルケの町を歩いていた。


「あなた、もしかしてこの町の出なんですの?」


 わたくしは、今までに何度もこの町に来ている。といっても、毎回馬車で来ていたから、特定の店以外はほとんど知らない。


 ところがユリウスは、慣れた足取りで町中を歩き回り、次々と店をのぞいているのだ。そういえばさっきも、まっすぐに古着屋に向かっていった。


「いや、この辺りは俺も初めてだな」


「え? だったらどうして、そんなに迷わずに歩けるんですの?」


 思わずぽかんとしてしまったわたくしに、ユリウスはにっと笑った。いたずらが成功した子供のような顔で。


「あんたの指示で、俺はあちこちの地方の色んな町について学んだだろ?」


「ええ、そうね。領地を統治するには地政学も必要だから」


「で、その知識と町の風景を重ね合わせたんだよ。そうすれば、ある程度見当がつく。どこにどんな店があるか、とか、どこなら治安がよさそうだ、とか」


 その言葉に、またしてもぽかんとする。


 わたくしも、かつて学んではいる。様々な町の歴史と、その構造について。でもその知識をこんな風に活かそうだなんて、考えもしなかった。


「……ユリウスは、賢いんですのね」


 もっと他に、適切な褒め言葉があるように思える。でも悔しいことに、わたくしの頭に浮かんだのはこんな言葉だけだった。


 これでは、きちんと伝わらないかも。もしかしたら、皮肉ととられてしまうかもしれませんわ。ああ、どうしましょう。


 しかしわたくしの心配をよそに、ユリウスはさわやかに笑った。まるで、今日の空のように。


「ああ、ありがとな。褒めてもらえて嬉しいぜ」


 そしてわたくしは、何も言えずに彼の顔を見つめていたのだった。




 それからというもの、わたくしたちはまあまあ平穏に日々を過ごしていた。毎日一緒に勉強して、気晴らしと称してユリウスにあちこち連れ回されて。


 もっとも、町の外の草原まで連れ出されるとは思いもしませんでしたわ。それも、徒歩で。おかげで、すっかり外を歩くのに慣れてしまったけれど。


 そんなある日、思いもかけない来客があった。


「あら、みなさま。おそろいでどうしたんですの?」


 突然屋敷を訪ねてきたのは、友人……と呼ぶにはちょっと微妙な間柄にある令嬢と、その取り巻きだった。


 なんで彼女たちが、それも招いてもいないのにやってきたのかしら。不審に思いつつ、涼しい顔で出迎える。


「ごきげんよう、コンスタンツェ。元気そうで安心しましたわ」


 来客たちの中心人物である令嬢、ルイーゼが優雅に答える。


 彼女は子爵家の娘で、わたくしとは古い付き合い……というか、腐れ縁というか。相手にしたくないのに勝手に近づいてくるというか。リルケは男爵家で彼女の家より格下だから、むげに追い払うこともできないし。


 そしてなぜだかルイーゼは、昔から一方的にわたくしに対抗心を燃やしているようだった。


 家の格、資産、友人の数。そういったささいな事柄を持ち出しては、勝ち誇った笑みを残して去っていく。それが、いつもの彼女のやり方だった。


 わたくしにとって、そんな彼女の言動は全く理解できないものだった。だからいつも、適当に相づちを打ってやり過ごしていた。


 けれど一年前にリルケが悲劇に見舞われてから、彼女からの連絡はぱったりと途絶えていた。


 きっと彼女は完璧にわたくしに勝てたと思っているのだろう、だからもう関わる必要を感じていないのだろうなと、そう考えていた。


 そんな彼女が、どうして突然やってきたのかしら。それも、手下を引き連れて。


 当たり障りのない言葉を交わしながら、頭の片隅で考える。


 もしかすると彼女は、我が家の危機を改めて笑いにきたのかもしれませんわね。わたくしが苦悩するところを直接見たかった、とか。彼女ならありえますけれど……どうして今頃?


 するとルイーゼは、興味を隠せない目で唐突に切り出した。


「……ところで、あなたに婚約者が見つかったという噂は、本当ですの?」


 思いもかけない一言に、ぐっと言葉に詰まる。


 ユリウスのことは、まだ公に発表してはいない。


 彼がもっと貴族の風習になじんで、あまり苦労せずに他の貴族たちと関われるようになれるまでは、彼を表舞台には出したくなかったから。


 それはわたくしの、リルケの名誉を守るためというよりも、ユリウスに恥をかかせたくないための判断だった。


 だからもちろん、彼をルイーゼに会わせるつもりはない。それにしてもルイーゼは、いったいどこで彼のことをかぎつけてきたのかしら? 


 なんだか腹立たしいものを覚えつつ、言葉を返す。にっこりと、この上なく上品に微笑みながら。


「いえ、わたくしはどなたとも婚約していませんわ」


 これは事実だった。ユリウスはわたくしの婿となるべく日々勉強に励んでいるのだけれど、まだ正式に婚約はしていなかったから。


 婚約については、彼が貴族としての籍を得る前でも構わない。婚姻届を出す時に、彼が貴族であればいいのだから。


 ただこちらについても、彼が他の貴族と対等に渡り合えるくらいに力をつけてからにしようと、ユリウスやオットーと話し合ってそう決めていた。


「あらあ、そうですの? おかしいですわねえ、確かな筋からそう聞きましたのに」


「きっと、何か勘違いが起こっているのでしょうね」


 なおも食い下がってくるルイーゼをあの手この手でなだめて、言いくるめようと必死になる。


 今ユリウスは、屋敷の奥のほうで勉強中だ。彼は賢いから、この場に無防備に顔を出すことはないと思うのだけれど。


 どうか、今は来ないで。そう祈りながら、さらにルイーゼと話していた。




 しとやかな押し問答はさらに続いたものの、やがて決着がついた。ちょっと不服そうな様子で帰っていくルイーゼたちを見送って、元の部屋に戻ってくる。


 ああもう、疲れましたわ。ソファに倒れ込むように腰を下ろし、深々と、それはもう深々とため息をつく。


 すると、奥の扉が突然開いた。


「なあ、さっきの女、ずいぶんと失礼だったな? うわべだけ友人っぽく喋ってるのが気持ち悪かった」


 そんな言葉と共にふらりと姿を現したのはユリウス。さっきの女……ルイーゼのことですわね。彼が彼女のことを知っている、ということは。


「もしかして、立ち聞きしていたの?」


「当たり。実は、この扉の向こう側にいたんだよ。割と最初のほうからずっと聞いてた。出てはなりませんってオットーに言われたから、頑張って気配を消してたけどな」


「……まったく気づきませんでしたわ」


 だったら『婚約者などいない』というわたくしの言い訳を、彼も聞いてしまっていたのだろう。彼が気を悪くしないといいのだけれど。


 そんな心配とは裏腹に、彼はどちらかというとわたくしを気遣うような目をこちらに向けてきた。


「あんた、あの女のこと苦手だろ。あんたにしては珍しく、妙に言葉を濁してたし」


「ええ、ルイーゼは色々と……そう、厄介なんですの」


 ちょっとだけためらって、小声で打ち明ける。陰口のようになってしまうけれど、彼に話すのなら構うものか。


「……彼女は昔からああやって、わたくしを下に見ているの。どんなささいなことであっても、わたくしに勝ちたくてたまらないみたいね」


 わたくしの説明に、ユリウスが露骨に顔をしかめる。わたくしの気持ちを代弁してくれたようで、ちょっとすっとする。


「だったらなんで、あんたはそんなのと親しげに話してたんだ? 嫌だって言って、さっさと追い払えばよかっただろ」


「むきになると、余計に面倒なことになるから……ああやって適当にあしらっておくに限りますわ。それに貴族の社会では、下手に事を荒立てるのはよくないんですの」


「貴族って面倒なんだな、やっぱり」


「……そう、ですわね。上品な笑顔の下では腹の探り合い。それが当たり前で」


 説明しながら、申し訳なく思ってしまった。自由きままなユリウスを、わたくしは窮屈な貴族の世界に引きずり込もうとしている。そう、感じてしまったのだ。


「ところであのルイーゼ、今日は俺をだしにしてあんたを馬鹿にするつもりだったんじゃないか? 婚約者がどうとか言ってたし。だからオットーが、俺を引き留めたんだろうな」


 まずいものでも食べたような顔で、ユリウスがぶつぶつとつぶやいている。


「悲惨な状況のリルケの家に、まともな婿がくるはずがない。普通はそう考えるから。……ま、来たのはこの通りろくでもない俺だから、当たってなくもないか」


「あ、あなたは!」


 ユリウスの言葉にむきになってしまって、つい声を張り上げる。


「ろくでもないなんて、そんなことないわ!」


 わたくしの剣幕に驚いたのか、ユリウスが目を真ん丸にしている。


「確かにお行儀はよくないし、考えもふるまいも普通の貴族とはまるで違う。わたくしを町に連れ出して、さらにその外にまで連れ出してしまう。そういう意味ではとんでもないわ」


 彼と暮らすようになってから、毎日驚いてばかりだ。でも、彼のことをろくでもないなんて思ったことはない。むしろ、逆だ。


「……でも……あなたはまとも。誰がなんと言おうと、わたくしはそう思う」


 それを聞いたユリウスが、きゅっと切なげに目を細めた。つられてわたくしも、ちょっぴり泣きそうになってしまう。


「……だからこそ、あなたがルイーゼに会わなくてよかった。彼女なんかにあなたを馬鹿にされなくてよかった。……わたくしが馬鹿にされるのは、どうとも思わないのに……」


 ゆっくりと深呼吸して、気持ちを落ち着ける。それからまっすぐにユリウスを見つめて、はっきりと言い切った。偽りのない、本心を。


「あなたが来てくれてよかった。だから冗談でも、自分がろくでもないなんて言わないで」


 ユリウスはまた目を丸くして、それからふっと優しく笑う。


「そっか。ありがとな。……貴族って、さっきのルイーゼみたいに偉そうで自分勝手なやつらばかりだと思ってたけど、そうでもないみたいだな。あんたみたいな変わり者もいるし」


 まあ、からかわないでちょうだい。そういつものように反論しようと思ったけれど、できなかった。


 穏やかに微笑んでいるユリウスの顔から、目が離せなくて。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ