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男爵令嬢コンスタンツェは崖っぷち  作者: 一ノ谷鈴
第1章 崖っぷち令嬢と謎の婚約者
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5.とんでもないお出かけ

 思えば、あの食事の時からちょっとユリウスの様子はおかしかった。貴族として暮らすのに必要なあれこれについて、ユリウスはせっせと学び続けていた。……のだけれど。


 気のせいか、彼はいつになくやる気になっていた。その変化には、何か裏があるような気がしてならなかった。


 何を考えているのか気になったけれど、正面切って尋ねはしなかった。きっと彼は、わたくしの問いをするりとはぐらかしてしまうだろうから。


 そうやって悩んでいたら、ユリウスが声をかけてきたのだ。なぜか、平民の格好で。


「気晴らしと相互理解を兼ねて、ちょっと出かけようぜ」


 どこに。何をしに。わたくしがそんな問いを発する暇すら与えずに、ユリウスはわたくしの手を引っつかんで歩き出した。そうしてそのまま、屋敷を出てしまったのだ。


 リルケの屋敷の外には、町が広がっている。リルケのお膝元であることから、リルケの町と呼ばれている町だ。


 わたくしはユリウスに導かれるがまま、リルケの町を歩いていた。


 ……のは、いいとして。わたくしの格好が目立っているんですの?


 ユリウスの指摘に、少しだけ考える。この町に遊びにきたことはあるけれど、その時はいつも馬車だった。こんな風に、自分の足で歩いてきたのは初めてだ。


「……貴族のいでたちで、町を普通に歩いていたら浮いてしまう。そういうことですのね」


「正解」


「それで、わたくしをここに連れてきてどうするつもりなの? 用があるなら、馬車を出せばいいのに」


「いいや、それじゃ意味がないんだよ」


 たくさんの平民が行きかう大きな通りを、こそこそと肩身を狭くしながら歩く。そんなわたくしの隣で、ユリウスは堂々と胸を張っていた。


「お互いのことを知るために、努力する。それが、あんたとの契約だったよな」


 鼻歌まじりに、ユリウスがささやく。とっても愉快そうな声で。


「俺は、あんたの文化、貴族の世界になじむために一生懸命頑張った。そろそろあんたにも、俺が生きてきた世界を見てもらおうと思ってさ」


「だから、こうやって徒歩で来た。平民、それも特に豊かでもない平民は、町の中の移動にいちいち馬車なんて使わないからな」


「そういうことね。……でも、この視線……落ち着かないわ」


「じゃ、まずは着替えるか」


「着替えるって、何に?」


「まあまあ、着いてのお楽しみってやつだな」


 ユリウスに任せておけば大丈夫だとは思う。それでも、不安は拭い切れなかった。わたくし、これからどうなってしまうのでしょう。


 こっそりと神に祈りながらも、ユリウスに手を引かれて町の奥へと向かっていった。




「よし、これで大丈夫だ」


「……その、似合ってますかしら」


 ユリウスはその足でわたくしを古着屋に連れていき、そこで服を買った。似合うかどうかも分からない服に、急いで着替える。


 ちょっと古びた、質素なワンピース。いつも着ているさらりとした絹ではなく、ふんわりと柔らかな綿でできている。


 思ったよりも肌触りは悪くないのだけれど、その、何というか……色がくすんでいる。華やかさのかけらもない。


「……正直言うと、あんたにはあまり似合ってない。というか、そもそも年頃の娘が着るには地味すぎるんだよ、それ」


「だったら、誰かがもっと可愛いものを作って売り出すのではないの? きっと人気になるでしょうし」


 思ったままを口にすると、ユリウスはふっと苦笑した。


「それだと、とても平民には手の出ない値段になっちまう。平民の娘ってのは、金も材料も限られた中、あれこれと工夫をして精いっぱい着飾るんだよ」


 このワンピースでおしゃれをするとしたら、何をどうすればいいのだろう。宝石は合わないし、レースのリボンも浮いてしまう。見当がつかない。いっそ、このワンピースそのものを染め直すとか。


「分からないって顔してるな。ま、あんたは平民の世界を知らないし、無理もないか」


 どこか醒めたようなその笑顔に、距離を感じてしまう。契約により相互理解に努めるということになってはいるものの、最悪わたくしたちは仮面夫婦となる可能性だってある。


 生まれも育ちもまるで違うわたくしたち。本当に夫婦としてやっていけるのか、そんな不安がふっと胸をかすめる。


 けれど素知らぬ顔をして、穏やかに答えた。


「そうですわね。わたくしは屋敷の外のことを何も知らないのだし」


 短くつぶやいて、それからユリウスをまっすぐに見る。


「だからわたくしは、あなたの世界をもっと知りたい。せっかくこうして実際に足を運んだのだし、色々と教えてもらえないかしら」


 思い切ってそう言ったら、ユリウスは目を真ん丸にした。


「いや、その、無理しなくていいんだぜ。これは単に俺の気まぐれ……というか、やや嫌がらせに近かったというか……」


「嫌がらせ?」


 とんでもない言葉につい声を張り上げると、ユリウスは気まずそうに目をそらした。


「俺ばっかり面倒な勉強をやるってのもなんだし、あんたもちょっとくらい困らせてやろうかなって……」


「その気持ちは分からなくもないのだけれど、それを当の本人に言ってしまってよかったんですの?」


「黙っていようかと思ったのは事実だが、結局良心に負けた。残念ながら、俺は善人だったってことだな」


 悪びれることもなくいたって真面目にそう言っているユリウスを見ていたら、自然と肩の力が抜けた。


「それでは、改めて嫌がらせをしてもらおうかしら。わたくしの知らないものをたくさん見せて、驚かせてくださいませ」


 笑いながら、スカートを軽くつまんで会釈する。と、ユリウスが小声で指摘してきた。


「それ、貴族のあいさつだぞ」


「まあ! でしたら平民の娘のあいさつは……」


「こんな感じだな」


 彼は肩の力を抜いてゆったりと立つと、片手を挙げた。そうしてその手を、ひらひらと振ってみせる。


「これは普通のあいさつ。好きな男相手とかだと、もっと雰囲気が変わるな」


「どんな感じに、ですの?」


 気になる。見てみたい。そんな期待を込めてユリウスを見つめると、彼は気まずそうに視線をそらした。


「……見せていいのか、ちょっと悩むが……」


 ユリウスは困ったように首をかしげ、それから息を吐く。


 そうして、彼は両手を胸の前でそっと組み合わせた。それから肩をすくめ、腰をちょっぴりくねらせてしなを作って。


「ちょっとあごを引いて、上目遣いにわざとらしくまばたきをぱちぱちと……おい、大丈夫かあんた」


「だ、大丈夫じゃありませんわ……お、おかしくて、笑いが……!」


 必死に口を押さえて、笑い声を押し殺す。くねくねしなしなしているユリウスは、とってもおかしかった。


 まだ成長し切っていなくて、黙っていれば美少年そのものの彼だから、そういう意味では意外とそういう動きも似合っていなくもない。


 けれど普段の彼のふるまいを知っている身としては、このくねくねとのあまりの落差に笑いが止まらない。


「……まあ、そうなるよな。分かってた」


 くねくねを止めたユリウスが、ちょっぴりあきれたような顔でわたくしを見ている。だがすぐに、何かに気づいたように難しい顔になった。


「……あのさ。おかしいのなら、変に我慢せずに笑っとけよ。俺は別に気を悪くしたりしないから」


「そ、そうですの?」


「だいたい、笑いたい時に笑わずにつんと澄ましているのも貴族流だぞ。ほら、本音を出してみろって」


「え、ええ。……でも、難しいですわね」


 本音を出せって……要するに、大笑いすればいいのでしょうけど……やっぱり本人を前にそれは、少々失礼な気がしてしまって。


「ほら、コンスタンツェ。こっち見てみろよ」


 言われてそちらを見たら、またユリウスがくねくねしていた。さっきよりも激しく、しなやかに。それがおかしくて、思わず吹き出してしまう。


「はは、上出来」


「で、ですから、くねくねしないでくださいまし!」


「でも、割と似合ってるだろ?」


「だから余計に、おかしくて……ふふっ」


 気づけば、明るい声を上げて笑っていた。ユリウスもそんなわたくしを見て微笑んでいる。通りがかった人たちも、温かい目でわたくしたちを見ながら通り過ぎていった。


 お忍びで、それもお付きすらつけずに町に出てきた時は、さすがに落ち着かなかった。周り中が知らないものだらけで。


 でも、ユリウスと一緒に歩いていると、分からなかった世界が少しずつ分かってきた。そうして、面白いものも見えてきた。


 ……ユリウスも、そんな風に感じてくれているのだろうか。わたくしたちが引きずり込んだ、貴族の世界で。


 そうだったらいいな、と思いながら、二人並んで町の中心に向かっていった。

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