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男爵令嬢コンスタンツェは崖っぷち  作者: 一ノ谷鈴
第1章 崖っぷち令嬢と謎の婚約者
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4.相互理解にはほど遠く

「だあっ、もう面倒くせえ!!」


 ユリウスが叫び、銀のナイフとフォークをがちゃんと皿に置く。


「あら、もう音を上げるの?」


 優雅に料理を口に運んで、にっこりと笑ってみせる。


 向かいに座ったユリウスは、たいそう不機嫌そうに頭をかきむしっていた。新しく仕立てた、比較的質素な貴族の略装をまとっている。


 未来の当主としてはちょっと地味な服装だけれど、他ならぬ彼が「過度にごてごてひらひらしたのは苦手だ」と言ったので、こうなった。


「なんなんだよ、貴族って……ただ飯を食うだけで、こんなにややこしい決まりがあるとか、聞いてないぞ」


 ぶつぶつ言いながら、彼はナイフを手に取った。薄切り肉の一枚を器用に突き刺して、大きく口を開けてかじりついている。なんとも豪快だ。ちまちま食べるのに疲れたらしい。


 そんなめちゃくちゃな所作にもかかわらず、肉にかけられたソースを一滴たりともこぼしていないのは、素直にすごいと思う。


「料理は一口大に切って、フォークで口に運ぶ。慣れればどうってことないわ」


「別に難しくないんだけどさ、それじゃあ食った気がしないだろ。別に食べこぼしたりしないんだし、いいだろうが」


「よくないわ」


 ユリウスは今、食事の仕方の特訓をしている。


 こういったテーブルマナー、お茶会や舞踏会でのふるまい、貴族らしい話し方、各種教養。そういった、貴族として暮らしていくのに必要なあれこれを、片っ端から彼に叩き込んでいるのだった。


 もしかしたら仮面夫婦になるかもしれないし、ユリウスはできるだけ人前に出さないようにするつもりだけれど、それでも他の貴族との交流を完全に絶ってしまうことは難しい。


 だから彼には、最低限それっぽくふるまえるだけの知識と技術を身につけてもらわなくてはならないのだ。


 なのだけれど……さすがに苦戦しているみたい。彼は物覚え自体はかなり良い。ただどうも、貴族の感覚そのものに納得がいかないらしい。


 ユリウスはふてくされた顔で頬杖をつきながら、もう一切れ肉を口にする。そして、ふとわたくしを見てにやりと笑った。……なんだか、嫌な予感。


「そうだ、あんたも俺と同じように食ってみろよ。ナイフでこう、ぶすっと。そうしたら俺も、もうちょっと本腰入れて頑張ってやるよ」


「ど、どうしてわたくしが!?」


「相互理解、そういう契約だろ」


「くうっ……」


 反論できない。彼は貴族の世界についてちゃんと学んでいるし、わたくしは彼について知りたい。それは確かだから。……ただ、ナイフで肉を、というのは少々……いえ、かなり抵抗がある。


「ほら、どうした?」


 ユリウスは、やけに楽しそうな声で追い打ちをかけてくる。


「俺にとっては、これくらい普通のことなんだよなあ……ちょっとだけ、いっぺんだけ挑戦してみてほしいなあって……な、コンスタンツェ?」


「や、やればいいのでしょう!?」


 こうなったら、覚悟を決めるしかない。右手のナイフをくるりと回して、ペンのように優雅ににぎり直す。できるだけ小さな肉を選んでそっと突き刺し、そろそろと口に運び……。


「……肉が大きいわ」


「だったら、口をもっと大きく開ければいいだろ。で、食いちぎればいい」


「はしたないし、恥ずかしいわ」


「見てるのは俺だけだし、別にいいだろう? 俺はあんたの将来の夫なんだから」


 彼の言う通り、今この食堂にいるのはわたくしと彼の二人だけだった。


 本当なら、貴族が食事する場にはメイドたちがつきっきりになって、あれこれと細かく世話を焼く。


 しかしユリウスは、料理を運んでくる時以外は食堂の外にいてくれとメイドたちに頼んだのだ。


 給仕がそばにいると、食った気がしないんだよ。貴族の流儀に慣れていない彼は、さらりとそう言っていた。


 そんな訳で、ちょっとくらいはしたない真似をしても、メイドたちに見られる心配をしなくてもいいのだった。


 悩みに悩んで、大きく口を開ける。ユリウスから視線をそらしつつ、どうにかこうにか肉を一口かじり取った。


 これだけ大きな肉の塊をかみしめるのは初めてで、ちょっと食べにくい……あら、これはこれで悪くない、ような……気のせいかしら、おいしいわ……?


 わたくしの表情が変わったのに気づいたのか、ユリウスがにやりと笑いかけてくる。


「そういう食い方も、いいもんだろ。肉の味をしっかり感じられてさ。こんないい肉、きっちり味わってやらないとかわいそうだろ」


 どうにかこうにか口の中のものをのみ込んで、ふうと息を吐く。


「…………まあ、斬新ではありましたわね」


「素直になれよ。持って回った言い方ばっかりして、貴族ってのは面倒だな」


「あなたも、いずれは貴族の一人になるのだけれど……?」


「ま、他人の前ではそれっぽくふるまうさ。あんたの婿になり、リルケの家の当主となる。それが、オットーとの取引だしな」


 オットーについて話している時のユリウスは、ちょっと不思議な表情をしていた。オットーに親しみを感じているような、でも敬遠しているような。彼らは一体、どんな関係なのかしら。


 頑張ってユリウスと仲良くなって、いつか彼の口から教えてもらうんだから。


 決意を新たにしていると、ユリウスはさらにつぶやいた。今度は行儀よく、料理を食べ進めながら。


「まあ、こうなってみればあんたとも契約しておいてよかったかもな。貴族の作法を学ぶのは思った以上に面倒だし、その合間にあんたをからかえるって楽しみがないと結構きついぜ」


「え……からかうって? もしかして、さっきのお肉のこと? わたくしは本気で、相互理解のために頑張ったのに」


「おっとしまった、本音がつい」


「ちょっとユリウス!」


「ははっ、悪い悪い。でもあんた、やっぱりそうやって怒ってるくらいのほうが生き生きして可愛いぜ」


 全く悪びれることなく、ユリウスは笑う。わたくしは怒った顔の引っ込めどころを失って、ちょっとむくれたまま食事を続けることになった。


 一方のユリウスはずっと愉快そうな顔で、鼻歌交じりに食べている。そのくせとても上品で、優雅な手つきだ。


 彼は手先が器用だし、賢い。教えたことは、みなあっさりと身につけている。ただ、やる気のほうにむらがあるようだけれど。


 それに、彼が何を考えているのかさっぱり分からない。妙なところでふてくされ、妙なところで喜ぶし、たぶん根本的に価値観が全く違う。


 間違いなくユリウスは、今まで出会ったことのないたぐいの人間だった。リルケの家が傾くことがなかったら、一生縁がなかっただろう。


 お互いを理解したい。わたくしはそんなことをさらりと言ってしまったけれど、もしかするとそれは、とても困難なことだったのではないか。今さらながらにそんな気がした。


 などと考え込んでいたら、能天気な声がした。


「ん? あんた、それ食わないんなら俺にくれよ」


「マナー違反ですわ! ……あ、でも、実はこの野菜、ちょっと苦手なの……オットーに見つかる前に、こっそり食べてもらえると助かるわ……」


「よし、もらった。ありがとな」


 わたくしが苦手な苦い野菜を皿から器用にかすめとり、満足げに食べているユリウス。しかし次の瞬間、ユリウスはまじまじとこちらを見てきた。


「しかし、好き嫌いしていると大きくなれないぞ?」


「……わたくしはあなたと同じ十五歳。だいたい成長は終わりましたわ。別に小さくもないでしょう?」


「小さいな。横幅が。もっと食ってもっと太ったほうがいいんじゃないか?」


 彼の視線は、わたくしの腕に、肩に、胴に注がれている。


 確かにわたくしはちょっと細めのほうではあるけれど、太れと言われるほどではない。


「貴族の令嬢なら、これくらいの体形は珍しくもないわよ」


「でもなあ……それじゃあ、ろくに動き回れなさそうだしさ」


 ユリウスはとても不服そうだ。妙なことを気にしているなあと思いつつ、さらに言い返してみる。


「そもそも令嬢は、さほど動き回りませんもの。そうね、体を動かすのは舞踏会の時くらいかしら?」


「……面白くないな」


 短くつぶやいて、ユリウスは口をつぐむ。何かを考えているような顔をして。


 どうしたのだろう、と彼を見つめていると、その口元にふっと大きな笑みが浮かぶ。


 どうも、何かを企んでいるような気がしなくもない。彼は、それはもう楽しそうな顔をしているし。


 ……何が起こってもいいように、心構えだけはしておきましょう。そっと口をナプキンで拭いながら、そう覚悟を決めた。




 そして、その数日後。その心構えが、悲しいくらいに見事に的中してしまった。


「まさか、こんなことを企んでいたなんて……」


「面白いだろ?」


「面白いかどうか、まだ分かりませんわ。それよりも、なんだか視線が刺さっているような……」


「あんたのその格好が浮いてるんだよ」


 そう言って、ユリウスは満足げに笑った。最初に会った時と同じ、平民の格好で。


 通りすがった人たちが、不思議なものを見るような視線をちらちらとこちらに投げかけていた。

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