36.そうしてお祝いを
それからわたくしたちは、日常の執務をこなしつつ、準備を進めていった。わたくしたちの、結婚式の準備を。
山と積み上がった手紙を確認していたユリウスが、眉をひそめてぼやいている。
「……元リルケの親類縁者って、結構面の皮が分厚いやつらばっかりだな。あんたが家を守り切ったと知るや、手のひら返してすり寄ってきた」
かつてわたくしを見捨てて、あちこちへ離散していったリルケの親戚たち。最近、こうして彼らからの手紙が舞い込むようになっていた。
「ひとまず、当たり障りのない返事をしておくことにするわ」
「……あんた、まだ怒ってるな」
「もちろん」
一応世間体というものがあるから、無視はしない。この上なく礼儀正しく他人行儀な返事をするだけだ。
「それより、ルイーゼからまた手紙が来ているのだけれど……」
どうやら一目でユリウスにのぼせあがったルイーゼは、いまだに彼のことをあきらめていないらしい。こうして時折、手紙をよこしてくる。とはいえ、もう彼も既婚者なのですけれど。
「こりないなあ。……おい、『火遊びに興味はありませんか』だとよ」
ルイーゼからの手紙に目を通したユリウスが、まずいものでも飲み込んだような顔をする。
「……あんたにならって、礼儀正しく返事をしておくか……いっそ、思い切りはねつけられれば楽なんだが……貴族って、面倒だな」
「そこのところは同意するわ」
そんなことを話しながら、せっせと手紙の山を片付ける。と、扉がこんこんとノックされた。
「旦那様、コンスタンツェ様、今よろしいでしょうか」
やってきたのはオットーだった。一緒に仕事をしているわたくしたちに、うやうやしくお辞儀をしてくる。
「前の呼び方のままでいいよ。俺にとってあんたは従者で、でも同時に大叔父なんだからさ。……って、このやり取り何度目だ?」
「ふふ、お二人にはいずれ、新しい呼び名に慣れていただかなくてはなりませんから」
「ところでオットー、どうしたのかしら」
いたずらっぽく笑うオットーに声をかけ、言葉を遮る。
彼ときたら、このところ事あるごとに「お二人のお子が見たい」などとほのめかすようになってしまったのだ。気持ちは分からなくもないのだけれど、少し待って欲しい。
「準備が全て整いました旨、報告に参りました。予定通りの日程で執り行えます」
「そうか、ありがとう」
ユリウスが穏やかにうなずく。それからこちらを向いて、優しく笑いかけてきた。
その数日後、隣の町にて。
孤児院の前の広場に大きなテーブルがいくつも並べられ、素朴だけれどおいしそうな料理が並んでいる。わたくしとユリウスは、孤児院の二階の窓からそれをそっと見守っていた。
わくわくした顔で料理の皿を眺めて……というかつまみ食いしようとしている小さな子供たちを、グスタフが苦笑しながらなだめている。
「はい、追加の料理できたよ!」
普段着のカミラが、楽しげにそう言いながら皿を運んできた。マルコとフランクも、料理を運ぶのを手伝わされている。近所の人たちも次々と料理を運んでくるので、テーブルの上はもういっぱいだ。
今日ここで開かれるのは、わたくしたちの結婚を祝う宴だ。コンスタンツェ・リルケとユリウス・ヘルツフェルト・リルケのではなく、コニーとユリウスの。
きちんとした結婚式は、後日改めて挙げる。そちらの準備も進んでいる。
でもそれとは別に、ここの人たち――ユリウスの大切な人たち、でも貴族たちの結婚式には参列できない人たち――にも祝って欲しかったのだ。ユリウスが長い時間を過ごしたこの場所で。
宴の準備は、カミラたち三人が孤児院の子供たちや町の人たちの手を借りて整えてくれた。もちろん、かかるお金は私たち持ちで。
わたくしとユリウスの正体は、子供たちや町の人たちには伏せたままだ。貴族、というかこの地を治める領主夫婦だって知られたら、間違いなく距離を取られてしまうから。
だからわたくしたちは、裕福な商人の家の者ということになっている。ユリウスはともかくわたくしは、ごく普通の平民のふりは難しいし。
そのせいで準備が面倒になってしまったけれど、おかげで楽しい宴になりそうだ。
少し離れたところでは、オットーとアンドレアスが和やかに話し込んでいる。この二人も平民の普段着だ。
執事服以外のオットーを見るのは初めてかもしれない。けれどこうしている彼は、その辺を歩いている気のいい老人にしか見えなかった。リルケの屋敷でいつも見せている、執事の鑑のような姿とはまるで違う。
この宴を開くにあたって、一応アンドレアスにも声をかけた。そうしたら「万難を排してでも必ず行く!」という返事がきたのだった。全力で平民のふりをするから、という言葉を添えて。もう一つの結婚式にも、きちんと招待しているのですけれど。
そして今日、彼は平民の格好で、アンディと名乗って現れた。前にヘルツフェルトの別荘で会った時よりも生き生きとしていることもあって、こちらもごく普通の平民男性に見えてしまう。
こっそりとそんなことを考えていたら「あれで父さん、五年以上平民のふりして暮らしてたんだからな」とユリウスがこっそりささやいてきた。
ユリウスは彼について、孤児院の子供たちに「生き別れだった父さんと、最近再会できたんだ」と説明していた。
彼の実の親であるアンドレアス、育ての親であるグスタフ、大叔父であり彼に新しい人生をもたらしたオットー。
三人とも、ユリウスの人生に深く関わった、大切な人たちばかりだ。そんな人たちがみんな笑顔でいることが、嬉しい。
すると、グスタフが顔を上げて、ちらりとこちらを見た。合図するように、笑顔で小さくうなずいている。
「……そろそろ、俺たちも行くか」
その視線を受けて、ユリウスがこちらを見る。いつもの貴族の服装ではなく、平民のおしゃれ着をまとった彼は、でもやっぱり魅力的だった。
そうして二人手を取り合って、広場にいるみんなのところに向かう。
「さあ、花婿と花嫁にみんなで祝福を!」
グスタフの軽やかな号令に続き、子供たちが花びらをまき散らす。今朝からみんなで集めてきてくれたのだ。
おめでとう、二人とも素敵だね、そんな祝福の声の中を、ユリウスと並んで歩く。
「……リルケの家を救ってくれと、オットーに土下座された時は本当に驚いたが……あの願いを聞き入れて良かったって、心からそう思う」
みんなの歓声の中、ユリウスのそんなささやき声が聞こえてきた。
「似合ってるぜ、コンスタンツェ」
わたくしにだけ聞こえる声で、彼はつぶやく。そんな彼に、そっと微笑みかけた。あなたが来てくれてよかった。そんな思いをのせて。
わたくしたちがテーブルのところまでたどり着いたら、グスタフが祝福の言葉を述べる。それが済んだら、いよいよ宴の始まりだ。
ずっとそわそわしていた子供たちは、ようやくごちそうにありつけて大はしゃぎしている。大人たちはそんな子供たちの世話をしながら、和やかに歓談していた。
わたくしとユリウスも、それぞれ思い思いにふらふらしていた。ユリウスはちっちゃな子たちに連れていかれた。みんなユリウスと遊びたくてたまらなかったらしい。
広場の一角でわいわいと遊び始めたユリウスたちをのんびりと眺めていたら、アンドレアスがそっと声をかけてきた。
「ありがとう、コンスタ……コニー。君のおかげで、ユリウスは幸せをつかめた」
最初に会った時の悲壮感はすっかり薄れ、彼もまた幸せそうに笑っていた。
「いえ、彼はきっとわたしと出会わなくても、幸せになれたと思います」
貴族たち相手に堂々と渡り合うユリウス、子供たちと無邪気にたわむれるユリウス。まるで違う二つの顔は、けれどどちらも彼の一部だ。
「彼はあなたと引き離され、エミーリアさんに先立たれて、ここに来ました。でもそのおかげで、グスタフさんやたくさんの仲間たちと出会いました」
さらに次の皿を運んできたカミラたち三人が、わたくしたちに軽く会釈する。彼女たちの顔も、明るく輝いていた。
「オットーという縁があって、彼はリルケの家に来ることになりましたが……とても熱心に、貴族の社会について学んでいました。わたしが驚くくらいあっという間に、貴族らしくふるまえるようになってしまって」
ルイーゼに招待されたあのお茶会でのことが、頭によみがえる。あの時は本当に、ものすごく驚かされた。
その驚きが顔に出てしまっていたのだろう。アンドレアスが、おかしそうに目を細めた。
「はは、あの子はやると言ったらきちんとやり遂げる子だった。変わっていないな、そういうところは」
昔を懐かしむような目で遠くを眺めていたアンドレアスが、ふっとこちらに向き直る。
「コニー。いや、コンスタンツェ。……ユリウスを頼む。あいつは責任感が強く、おまけに少々格好をつけたがるところがある。だから、君のようなしっかりした女性がついていてくれれば安心だ」
「格好つけ……そうかもしれません。もしかして、昔からそうだったのですか?」
「ああ。あれは、あいつが三歳の時のことで……」
アンドレアスは声をひそめて、昔話を始める。彼の記憶の中のちっちゃなユリウスは、今のユリウスと同じように軽やかで格好良くて、生き生きしていた。
自然と、笑顔になってしまう。もっと話してくださいと頼むと、アンドレアスも楽しそうにどんどん話し続けた。
「お、おい、父さん、コニー! 何話してるんだよ!」
そんなわたくしたちに気づいたらしく、ユリウスが顔色を変えている。彼の周囲の子供たちは、わくわくした顔でそんな彼を見ている。
「何、気にするな」
「ちょっとした内緒話よ」
「それ絶対、俺に関係してるよな? あ、分かった、俺が小さな頃の話だろう!」
「さあ、どうだかな」
「どうかしらね」
「もう、やめてくれよ二人とも!」
心地の良い昼下がり、明るい光に満ちた広場に困ったようなユリウスの声が響く。
お父様、お母様。リルケは大丈夫です。この頼もしい、愛おしい夫と共に、わたくしがきちんと守っていきますから。
誰にも聞こえないように、口の中だけでそっとつぶやいた。
ここで完結です。読んでいただいて、ありがとうございました!
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