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男爵令嬢コンスタンツェは崖っぷち  作者: 一ノ谷鈴
フィナーレ そうして、一歩前へ
35/36

35.新たなおとぎ話として

「ええ、わたくしがコンスタンツェ・リルケ。こちらは夫の」


「ユリウス・リルケです。どうぞよろしく」


 さっきまでいつも通りの口調でつぶやいていたユリウスが、一瞬で態度と表情を改める。何度見てもこそばゆい、上品そのものの立ち居ふるまいだ。


「あの、私たち、お二人とどうしても話したくて」


「今話題の、リルケ夫妻に」


「うわあ、噂よりもずっと素敵な方々……」


 わたくしたちに近づいてきた令嬢たちは、思い切りはしゃぎながらそんなことを口々に言っている。


 ……気のせいかしら。その噂、たぶん前に流れていたものとは違っているような。


 かつてユリウスは、ルイーゼの仕掛けた罠を逆手に取るようにして、とても見事な社交界デビューを飾った。そのせいで彼のことが噂になり、彼を一目見たいという貴族たちからの招待状が殺到した。


 でも目の前の令嬢たちが語っている噂には、どうもわたくしのことも含まれているような……?


 首をかしげていたら、ユリウスがさわやかな笑顔で口を開いた。


「お褒めいただいて光栄です、お嬢さんたち。ところで、その噂とやらがどのようなものなのか、よければ教えてもらえませんか。最近、ずっと妻と過ごしているせいで、社交界の動向にはうとくなってしまって」


 くすぐったいくすぐったいくすぐったい、ですわ! ユリウスが上品に喋っていると、前以上に違和感を覚えるようになってしまったのはなぜかしらね。


 それはそうと、ユリウスのその問いかけは効果を奏したようだった。令嬢たちは互いの言葉を補い合うようにしながら、一生懸命に説明してくれたのだ。


 そしてその噂は、思わず赤面せずにはいられないくらいに照れ臭いものだった。




 かつて滅亡の淵に立っていたリルケ男爵家。その家が、不死鳥のごとくよみがえった。最後の最後まで家の存続をあきらめず努力を続けた令嬢コンスタンツェと、彼女を献身的に支えた青年ユリウスによって。


 今まで誰にも存在を知られていなかったこの青年は、とある家の隠し子であった。彼は偶然出会ったコンスタンツェに恋をし、彼女を支えるために表舞台に出てきたのだった。


 彼は家の者たちと粘り強く交渉し、自分の存在を認めさせた。そうしてようやっと、愛しいコンスタンツェと結ばれ、リルケの家を守ることに成功したのだった。


 相思相愛の二人が、手を取り合って幸せをつかんだ素敵なこの話は、現代のおとぎ話としてあちこちで語られている。羨望のため息と共に。




 そんな話を、どうにかこうにか澄ました顔で最後まで聞く。ものすごい恥ずかしさに耐えながら。


 それからユリウスの腕をひっつかんで、いったん令嬢たちから離れた。壁際で二人、こそこそと声をひそめる。


「……ちょっとばたばたしていた間に、すっかり妙な噂になってるわね……みんなの視線がおかしい理由が判明したのはいいけれど……」


「道理で、やけに優しくて温かい視線が向けられると思ったよ」


 そうして秘密話をしながら、そっと横目で周囲をうかがう。ああもう、みんなとっても嬉しそう! あれですわね、噂の二人が仲睦まじくしているのを見られたからですわね。


「どうしましょう、この噂……」


 困り果てながらそうつぶやくと、すぐ近くでユリウスが答える。顔が近い。


「……というか、推測だらけのはずの噂なのに、そこそこ当たってるのが恐ろしいよな。さすがに具体的な家までは当てられなかったみたいだが」


 感心したようにそう言って、ユリウスが首をかしげる。


「放置でいいんじゃないか、面倒だし」


「面倒って、身も蓋もない」


「だって、面倒なのは事実だろ。それにこういう噂って、変に否定すると余計に広がるんだよ。しかも余計な尾ひれがついて」


「……そうなの?」


「ああ、たぶんな。俺は貴族の社会にはそこまで詳しくない。でもな、貴族も平民も同じ人間だ」


 すぐ近くにいるわたくしにぎりぎり聞こえるかどうかのかすかな声で、ユリウスが付け加える。


「……そしてもしかしなくても、貴族って噂好きだろ。退屈してる分、お茶会だのなんだのって集まって、噂を交換して……」


「その通りですわね。要するに暇なんですの」


「で、その過程で噂がどんどん面白おかしくなっていく、そういうことだ。俺も、マディセスの町のおばちゃんたちがそうやって噂を育てていくの、何度も見たからな」


「分かったわ。だったらもう気にせずに、堂々としていればいいのね」


 彼がよく見せている不敵な笑みをまねて、にやりと笑ってみせる。すると、おかしそうな笑みが返ってきた。


 ちょっと離れたところから、きゃあと歓声が聞こえてきた。




 それからわたくしたちは、周囲の視線を気にせずに舞踏会を楽しむことにした。色んな人と話して、祝いの言葉をもらって。


 ほとんどが初対面の人たちだったけれど、みんなリルケの家が守られたことと、わたくしたちの結婚を祝ってくれたのだった。噂、予想以上に広がってしまっているみたいですわね。


 でも、気にしない。わたくしたちは今幸せだ、その事実は間違っていませんから。


「じゃ、そろそろ踊るか。どうもみんな、俺たちのダンスを待ち望んでいるみたいだし」


「ええ、受けて立つわ」


 他の貴族たちと話す時は優雅で丁寧な口調になるユリウスは、わたくしと話している時だけこっそりいつもの口調に戻る。そんな隠し事が、とてもうきうきする。


 それはそうとして、久々に彼とダンスだ。きっと前の時のように、思いっきり振り回されるに違いない。


 こんなこともあろうかと、ひそかに体を鍛えていた。ユリウスが勉強やらなんやらで忙しくしている隙に、屋敷の裏庭で走っていたのだ。


 だから、前より激しいダンスだってこなせる自信がある。胸を張って答えると、ユリウスはわたくしの手を取って、くすりと笑った。


 あら、意味ありげな表情……と思った時には、抱き寄せられていた。


 人前ではれんちな! と言いかけて、少し遅れて気づく。抱き寄せられていたのではなくて、これ、きちんとダンスの構えになっていますわ。距離が異様に近いだけで。


「もう夫婦なんだし、こういうのもありだろ?」


 前の時とは打って変わってゆったりと踊りながら、ユリウスが耳のすぐ近くでささやきかけてくる。


「あ、ありかなしかで言ったら…………あり、ですわね」


 ぼっと頭に血が昇る。必死に冷静なふりをしながら、大あわてでそう答えた。


「素直でよろしい」


 彼がくすくすと笑うと、吐息が耳をくすぐる。それが嫌じゃないのだから、わたくしも相当彼に参ってしまっているらしい。


 そもそもは、リルケの家を守るための政略結婚でしかなかった。貴族の男であれば相手はもう誰でもいいと、かつてのわたくしはそこまで思い詰めていた。


 そうしてやってきたユリウスは、今まで見たこともないような人物だった。態度も口調も、何もかも。


 だからなのか、彼のことを知りたいと思った。思えばあの時から、彼のことが気になっていたのかもしれない。一人の人間として、男性として。


「どうした、考え事か?」


 そうささやくユリウスは、とても楽しそうだ。


「ええ。……あなたを連れてきてくれたオットーには、感謝しないとね。そして、互いに歩み寄ろうという契約を持ち出したあの時のわたくしにも」


「それを言うなら、俺にも感謝してくれよ。俺、あんたのところに来てからずっと頑張ってたんだぜ?」


「もちろんよ。……今だから言うけれど、あなたがここまで見事に貴族に化けるなんて、思いもしなかったの」


「化けるってなんだよ。俺、一応貴族の血を引いてるんだぞ」


 わざとらしく傷ついたような声音で、ユリウスがすねてみせる。彼のリードでゆったりとステップを踏みながら、そっと答えた。


「前のあなたは、貴族らしさのかけらもなかった。わたくしにとってはとても新鮮な存在で、そして……魅力的に映った、のだと思うわ」


「そこは断言してくれよ。でも、だったら今の俺は、魅力半減だったり?」


「しないわ。倍増よ」


 きっぱりと答えると、頬に柔らかな感触。


「ありがとな」


 またしても少し遅れて、何が起こったのか理解する。い、今のって。


「ちょ、ちょ、ちょっと人前で」


「いいだろ、夫婦なんだし」


「もうっ!」


 しれっと笑うユリウスの顔をぐいっと引き寄せて、その頬に唇を寄せた。


「お返しですわ!」


「ほんっとあんたって、負けず嫌いだよな……そういうところが、いいんだけど」


 もう、周囲の人たちの視線も、少しも気にならなくなっていた。

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