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男爵令嬢コンスタンツェは崖っぷち  作者: 一ノ谷鈴
フィナーレ そうして、一歩前へ
34/36

34.ようやく丸くおさまって

 真っ暗……で、やけに温かい。頬に何かが触れている。ほっと落ち着く、いい匂い。


 落ち着くのは匂いだけではない。ことん、ことんとかすかに聞こえるこの音も、わたくしの背中に回された腕も……うで?


「なっ、ちょっ、ユリウスっ」


「お、もう我に返ったか」


「我に返ったか、ではないでしょう!? い、いきなり抱きしめるなんて、どういうことですの!?」


 彼はいきなり、わたくしを抱きしめていたのだ。それも、ぎゅうっと。わたくしの目の間にあるのは、彼の胸だ。


「でも、こういうのも悪くないだろ?」


「悪いとか悪くないとか、そういう問題ではありませんわ!」


 実のところ、悪くないと思ってしまっていた。いいえ、結構素敵かもと思ってしまっている。なんだか幸せな気分で、頭がふわふわして。


 でもでも、さすがにこの状況は恥ずかしいですわっ!!


「……とか言いつつ、抵抗しないのな」


 うう、痛いところを突かれてしまいましたわ。


「そ、それより! さっき『平民流』とか言っていたでしょう!? それとこれと、どういう関係があるんですの!?」


「そのまんまだよ。貴族がどうやって求愛するのかはよく分からないけどさ、俺たち平民はこんな感じ。……って、ああ、忘れてた」


 いつも通りの軽い声ですらすらと話していたユリウスが、突然何かを思い出したかのように言葉を切った。


「考えたら、婿だなんだという話ばっかりしてて、大切なことが抜けてたぜ」


「大切なこと?」


「そうさ。……愛してるぜ、コンスタンツェ」


「ふわっ!?」


 いきなり甘い声でささやかれ、びっくりし過ぎて奇妙な声がもれる。


「なんだよ、気に入らないのか? 俺なりに、勇気をふりしぼったんだぞ」


「き、気に入らないとかそういうのではなくて、その、逆ですわ!」


 ユリウスの胸元に顔をうずめたまま、そろそろと言葉を続ける。


「ただ、あなたからそんな言葉をかけられるなんて思いもしなくて……」


「どうしてだ? きちんと言ったのは初めてだけど、あんたへの好意を隠した覚えは……あ、まさか、あんたまだ俺たちのなれそめのこと気にしてんのか!?」


「……そうかもしれない」


 わたくしと彼の間には、確かな絆がある。そのことには自信があった。


 でも、その絆が夫婦としてふさわしいものなのかということについては……まったく、これっぽっちも、自信がなかった。


「あーもう、あんたときたら真面目で不器用で、面白いなあ本当に。うん、可愛い」


 あっけらかんと、彼は答えた。わたくしが抱えている複雑な思いを吹き飛ばすように。そうして腕を緩めて、真正面からわたくしの顔をのぞき込んできた。


「気にするなって言っても無理そうだし、こうなったらあんたが気にしなくなるまで、これでもかってくらいに教えてやるよ。俺の、あんたへの思いを」


「って、ちょっと、頬ずりしないでくださいまし!」


「嫌か?」


「そんな訳ありませんわ! 恥ずかしいんですの!!」


「ここ、俺とあんたしかいないんだけど」


「まだ真っ昼間ですわ!」


「分かった、夜ならいいんだな?」


「心の準備が、ってあなた分かってやってますわね!?」


 わたくしを抱き留めて、すぐ近くで笑っているユリウス。彼の目は、笑いをこらえているように見えた。


「ばれたか。あんたが表情をくるくる変えるのが可愛くて、つい」


「つい、じゃないですわ! ……どきどきしてしまって大変なんですから」


「……どきどき、って……うん、やっぱり可愛い」


 ユリウスは吐息交じりにそう言って、またぎゅっとわたくしを抱きしめてしまった。わたくしはやっぱり抵抗することも忘れて、そのままじっとしていた。




 そうして、わたくしたちはすぐに書類を王宮に送った。返事が戻ってくるまでの日々は、とても落ち着かない、そわそわするものだった。


 しばらくして、返事がやってきた。とても豪華な装飾が施された、二通の書状。王宮からの重要な書類であることを示す、特別な印が押されたもの。


『コンスタンツェ・リルケとユリウス・ヘルツフェルトの婚姻を認める』


『ユリウス・ヘルツフェルト・リルケを、リルケ男爵家の当主として認める』


 先日と同じようにソファに並んで腰かけ、ユリウスと二人してその書状をじっと眺める。


 婿入りして当主になる場合、元の家の名も同時に名乗るのが通例なので、彼の名は『ユリウス・ヘルツフェルト・リルケ』になるのだ。


 もっともユリウスは、公的な書類以外ではこの名を使うつもりはないらしい。カスパルが嫌がるだろうから、ただリルケの家名だけを名乗るよ。そう言っていた。


 でもわたくしは、いつか彼がきちんとヘルツフェルトを名乗れるようになるといいなと思っていた。あれこれ行き違ってしまっているものの、彼もまたヘルツフェルトの一員で、家族なのだから。


 そんな思いを胸に秘めて、そっとつぶやく。


「……これで、わたくしたちは本当に夫婦になったんですのね」


「ああ。そして、あんたの大切なリルケの家は守られた」


 ユリウスも、とても感慨深そうな声で応えてくれた。


「『わたくしの』ではなくて、これからは『わたくしたちの』ですわよ」


「だな。当主なんてがらじゃないけど、あんたのためだから精いっぱい務めるさ」


「わたくしも力を貸しますわ。二人一緒に頑張っていきましょう」


「ああ、当てにしてるぜ」


 ほっとしたような、それ以上に高揚した気分で、隣のユリウスを見つめる。彼もまた、幸せそうな笑みをこちらに向けてくれた。




 とまあ、これでめでたしめでたし、わたくしたちの平穏な暮らしの始まり……となるはずだった。


 少なくともわたくしは、そう思っていた。たぶんユリウスも。あとオットーとカミラとマルコとフランクも。さらにグスタフも。結婚報告のために孤児院を訪ねたら、彼は涙ぐみながら喜んでくれたのだ。


 でも、それはちょっと考えが甘かった。そのことを、じきに思い知らされることになった。




「……視線を感じますわ」


「だな。前以上に、注目されてるみたいだ」


 わたくしたちはこの日、若者たちの舞踏会に顔を出していた。


 多少減ったとはいえ、相変わらずお茶会やら舞踏会やらへのお誘いの手紙がわたくしたちのもとに届き続けているので、たまには顔を出そうということになったのだ。


 それに、ユリウスをリルケの新たな当主として社交界に紹介しておくべきだし。


 そんなこんなで、わたくしたちは結婚して初めての――ああ、結婚という言葉にまだ慣れませんわ――舞踏会に出ていたのだけれど。


 なんだか、周囲の様子がおかしい。みんなわたくしたちを遠巻きにして、ひそひそこそこそと話しているのだ。


 もっともそこに悪意とか敵意とか、そういったものは感じられなかった。単純に、注目されまくっているだけのようだった。


「あなたがヘルツフェルトの縁者だってばれた、とか……? 噂の貴公子が由緒ある家の出だったってことが知られたのなら、あの態度も分かるけれど……」


「いや、それはないだろう。カスパルは周囲の者たちにきっちり口止めをするだろうし、父さんも余計なことをべらべら喋るような人じゃない」


 顔を寄せ合ってそんなことをささやき合っている間も、周囲からはたくさんの視線が向けられ続けている。というか、その視線がさらに温かくなったような……?


「分からん……どういう状況なんだ、これ?」


「わたくしもさっぱりですわ」


 二人して難しい顔を寄せ合っていた、その時。


「あの、コンスタンツェ様とユリウス様ですよね!?」


 わたくしたちより少し若い、まだ社交界にデビューしたてとおぼしき令嬢が三人、目をきらきらさせながら歩み寄ってきた。

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