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男爵令嬢コンスタンツェは崖っぷち  作者: 一ノ谷鈴
フィナーレ そうして、一歩前へ
33/36

33.二人の覚悟

 そうしてわたくしたちは、大急ぎで書類を作り上げた。


 まずはカスパルに書いてもらった書面を添えて、ユリウスに貴族の籍を与えるための書類を。


 そしてわたくしとユリウスの婚姻を申請する書類と、ユリウスをリルケの次の当主とする旨の書類。


「できたわ……! ここまで、長かった……」


「これのために頑張ってたんだなあって思うと、なんだか感慨深いぜ。ま、最初は金のためだったんだが」


 わたくしたちの前には、結婚に際して必要な書類一式がずらりと並んでいた。それを前に、ユリウスと感想をささやき合う。


「お金……そういえばそうだったわね。そんなことを忘れそうになるくらい、色んなことがあったから」


 ユリウスは孤児院の資金を稼ぐため、わたくしに婿入りするという話に乗った。


 しかし今では、わたくしが個人的に孤児院の支援をしている。わたくしが孤児院に支援をして、ユリウスはオットーやわたくしとの契約で得た金を孤児院に回し。


 しかもこれからは、ユリウスが当主として堂々と孤児院の支援をすることができる。何なら、孤児院があるマディセスの町そのものにも支援をしてもいいし。


「もう、契約とかどうでもいいくらいに孤児院に援助してもらってるしな。俺個人としても、このままあんたと一緒になることに異論はないし」


「ええ、わたくしもよ。……こうなると、最初の取引のことが気になるのだけれど」


「俺とオットーの間の取引だな。あの時に受け取った金、あいつの蓄えから出てたし、その分を返そうかと言ったものの……」


「なのにオットーったら『いえ、それは私のけじめにございます』とか何とか言って、受け取ってくれなかったのよね」


「というか、あいつ結構裕福だったんだな。俺にあんだけ払って、まだ余裕があったんだから。あんた、知らなかったのか?」


「……オットーはものすごく勤勉で、堅実だから……たぶん貯金はしてるんだろうな、ってところまでは」


 そうしてまた、二人で笑う。オットーは若い頃からずっとリルケに仕えてくれているけれど、その間の給金のほとんどを貯金していたのだ。


 彼の妻はシトーの街で、裕福な商人の家を渡り歩き家庭教師をしていた。そういった家の娘がいずれ良い家に嫁いでいけるように、行儀作法を仕込むのだ。


 夫婦そろって稼いでいるおかげで、彼ら夫婦はお金には困っていなかった。しかも妻の仕事が縁で、彼らの一人娘がとびきり裕福な商人のところに嫁いでいたのだ。


「その気になれば、ちょっとした屋敷を買って暮らせるくらいに貯め込んでたなんてなあ……」


「ええ、わたくしも驚いたわ。だったらどうして、こうしてリルケに仕えていてくれるのかしら、ってオットーに聞いたら『まだまだ現役ですぞ』って返されてしまったし」


「まあオットーは、引退したら一気に弱りそうな気がするから、あれでいいのかもな」


「でも彼、わたくしたちの子供の世話をする気満々よ。奥さんまで呼んで」


「……にぎやかになりそうだな。カミラたちも子供の扱いは得意だから、その分俺たちは楽できそうだが」


 ふっと視線を宙にそらして、想像してみる。


 もうちょっと年を取ったわたくしとユリウス、その周りではしゃいでいるカミラとマルコ、そんな二人をたしなめているフランク。そして、オットーとその奥さんがちっちゃな赤子の面倒を見ていて。


 もしかしたら、アンドレアス――あ、お義父様って呼ぶべきかしら――が顔を出してくれるかもしれない。グスタフにも来てもらいたいわ。彼も、ユリウスにとっては父のようなものなのだし。


 ヘルツフェルトとの関係いかんによっては、ラファエルなんかもやってくるかも。


 きっとわたくしたちの子は、たくさんの人に祝福されるのでしょうね。


 そう考えたら、かっと耳が熱くなった。ついうっかり想像してしまいましたけれど、子供だなんて……ま、まだ心の準備ができていませんわ。


 ふわふわとした甘い空想についてはいったん忘れることにして、目の前の書類にもう一度触れる。『コンスタンツェ・リルケとユリウス・ヘルツフェルトの婚姻を申請する』……余計に恥ずかしくなってきましたわ。


「それはそうとして、この書類どうしましょう?」


「どう、って? 王宮に提出するんだろう?」


 わたくしが恥じらっていることにまるで気づいていないのか、ユリウスがあっけらかんとそう答えた。


「でも、提出してしまったら、あなたはリルケの当主に……もう少し自由にしていたいとは、思わない?」


「何言ってんだ、今さら。覚悟ならとっくに決めてるよ。指輪の時みたいに、どっかにいったら大変だろ」


 それを言われると返す言葉もない。できることなら一刻も早く、手続きを終わらせてしまいたい。そうしないと、安心できない。


 けれどやっぱり、まだ踏み切れない自分がいた。


 わたくしがユリウスを縛り付けていいのか。本当に、わたくしでいいのか。そんな迷いが、どうしても消えない。


「……なあ、コンスタンツェ」


 黙り込んでいたら、ユリウスがひどく優しい声で言った。


「あんた、俺が婿じゃ不満か?」


「そんなことないわ!」


 自分でも驚くほどするりと、言葉が出ていた。


「……むしろ、あなたじゃないと嫌」


「だったら、いいじゃないか。俺も、あんたじゃないと嫌なんだからさ」


 そうして彼は、晴れやかに笑う。


「前に言ったこと、忘れたか? 俺はあんたを、よその男になんて渡したくないんだよ。それに、俺だけがあんたの大切な家を守れるなんて、最高じゃないか」


 ためらうことなくそう言って、ユリウスはすっとわたくしの手を取った。


「……これからもよろしくな、コンスタンツェ。ずっと、いつまでも」


「……ええ、よろしく。ユリウス……」


 もっと色々言いたいことがある気がするのに、どうにもうまく言葉にならない。


 もどかしく思いながら言葉を探していたら、ユリウスが不意ににっと笑った。


「それは、いいとして」


 突然雰囲気の変わった、いえどちらかというとこちらがいつも通りなのですけれど、そんな彼の様子に思わず目を丸くする。


「貴族って、政略結婚とか多いよな? 俺たちの出会いも、そんな感じだったし」


「え、ええ。多い……かもしれないわ」


「ところが平民は、好いた相手と結婚するのが普通でさ」


「そ、そうなのね」


 何だろう。ユリウスがやけに手際よく畳みかけてくる。彼の狙いは何だろう。


「で、あんたには平民の世界を知ってもらうって話になってたよな」


「そうね、たくさんのことを教えてもらったわ」


「という訳で、ちょっと平民流でいってみようか」


「はあ!?」


 何が『という訳』なのだろうか。わたくしは何をすることになるのか。


 そんな質問を口にしようとしたとたん、目の前が真っ暗になった。

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