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男爵令嬢コンスタンツェは崖っぷち  作者: 一ノ谷鈴
第5章 ちょっとした大騒動
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30.みんなで進もう

「いいかラファエル、俺は指輪そのものには興味はない」


 突然ユリウスが、そう言い切った。予想もしていない一言だったらしく、ラファエルがぽかんとしている。


「俺はコンスタンツェの力になりたい。そのために、『俺が貴族の血を引いているという事実』が必要なんだ。あの指輪があれば、そのことが証明できる」


 そう言って彼は、わたくしに目配せをした。手にした指輪を差し出すと、彼はその石に触れる。


 ほんわりと優しい光を放つ石。ラファエルは戸惑ったような表情を浮かべたけれど、すぐに顔を引き締めた。


「ほら、俺もヘルツフェルトの血を引いてるんだ。お前と同じようにな」


 ラファエルは何も答えない。ただじっと、光る石をにらみつけている。


「このことさえ認めてもらえば、指輪はもういらない。ヘルツフェルトの家とも関わっていくつもりはない。俺はこいつと結婚して、リルケの家を守っていくから」


 それでも、ラファエルは動かない。どうしたものか、困っているような顔だ。


 そのまま部屋に、沈黙が流れる。立場としては使用人でしかないカミラ、マルコ、フランクは慎ましく口を閉ざしているし、わたくしは何を言ったらいいのか悩んでいた。


 ユリウスは穏やかな目でじっとラファエルを見ているし、ラファエルは視線を落としてそわそわしている。


「ラファエル。……どうか、力を貸してはもらえないだろうか」


 と、アンドレアスがそっとささやいた。ラファエルがはっと顔を上げ、アンドレアスを見る。突然のことに驚いたのか、あどけなく目を真ん丸にしていた。


 そんな彼に、アンドレアスはさらに話しかけている。とても穏やかに、親しげに。


「私もまた、ユリウスの願いをかなえようと、お前の父カスパルと話した。だが彼との話は、未だ平行線のままなのだ。おそらく彼は、ユリウスやコンスタンツェの話にも耳を傾けはしないだろう」


 一気にそう言って、彼は深々と頭を下げる。自分の息子よりもさらに年若い、幼いラファエルに向かって。


「お前の力が必要なのだ。私たちが頼れるのは、もはやお前しかいない」


 ラファエルは、ただ戸惑い続けている。おそらく、年配の人物にこんな風に頭を下げられたのは初めてなのだろう。


「俺からも頼むよ、ラファエル。この指輪を持って、一緒にお前の父親のところに行ってくれ。そうして父親を説得するのを手伝ってくれよ」


 続いて、ユリウスも頭を下げる。それにならうように、カミラたちも。


 そんなみんなを見てから、わたくしもラファエルに呼び掛けた。


「……わたくしのリルケの家は、このままだと滅んでしまうの。ユリウスはそれを防ぐために、婿としてリルケに入ろうしてくれているのよ」


 本当は、もうリルケの存続にはそこまでこだわっていなかった。


 もちろん、やれるところまであがくつもりではある。でももし、そこまでやって駄目だったとしても。


 わたくしは、その現実を静かに受け入れられるような気がしていた。ユリウスがいてくれれば、わたくしは何度転んでも立ち上がれる。そう確信していたから。


「だから、わたくしからもお願いするわ。ラファエル、わたくしたちに力を貸して」


 ゆったりと言い終えて、みんなと同じように頭を下げる。自然と、笑みが浮かぶのを感じながら。


 そうしてそのまま、待っていた。


「……その、わかった。ゆびわをかえしてくれるというのなら……てつだおう」


 そろそろと顔を上げると、困り果てて頬を赤らめているラファエルの姿があった。カミラが「やだ、かっわいい……」とかすかな声でつぶやいているのが、わたくしのところまで届いてしまっていた。




 それからすぐに、みんなでぞろぞろと部屋を出てカスパルの部屋に向かう。先頭を歩くラファエルは、ちょっと不安そうだった。


「……ぼくは、まだこどもだ。こういったことに口出ししていいのかな……」


「大丈夫、あなたは賢くて度胸のある子だもの。あなたのお父様も、分かってくださるわ」


 そう言って、空いた左手でラファエルの手を握る。すぐに彼はうなずいて、自信たっぷりにまた歩き出した。


 わたくしの右手には、ラファエルから渡されたあの指輪。うっかり落とさないように、指輪に通してある紐をしっかり指にからめておいた。


 この指輪を交渉の道具として、なんとしてもカスパルに一筆書かせる。ユリウスはまぎれもなくヘルツフェルトの一員なのだと、そう認めさせるのだ。心から受け入れてもらえなくていい、ただ書類上だけでいい。


「そう緊張するなよ、可愛い顔が台無しだぜ?」


「ユリウス……わたくし、そんなに緊張していました?」


「してたな」


「そう……駄目ね。どうなろうと受け入れるって覚悟は決めたのに、まだ力んじゃってるみたい」


「あんたは固っ苦しいから、ちょっと気を抜いてるくらいでちょうどいいさ」


「ふふ、心がけるわ」


 そうやってユリウスと話していたら、下のほうから感心したような声が聞こえてきた。


「二人はとてもなかがいいのだな。ええと、なんと言ったか……ああ、連理比翼、だ」


 発言したのはラファエルだった。彼はその幼い顔にはまるで似合わない、小難しい言葉を堂々と口にしている。それはそうとして、その言葉の意味は。


「……ラファエル。その言葉、誰に教わったの?」


「兄上だ! ヘルツフェルト家の男子たるもの、おさないうちからさまざまなしょもつにしたしむべし、と言って、兄上はぼくにたくさんの本をよみきかせてくれているのだ!」


 ラファエルはとっても得意そうだ。この子、話し方は大仰だけれど、表情に全部出ているあたりは年相応だ。


 で、そちらはまあ可愛いからいいとしても。


「……それで、そんな古めかしい言葉が出てきたのね。でも、くすぐったいわ」


「そうだな。なんというか、ちょっと落ち着かないな」


「あら、ユリウスは嫌なんですの?」


「嫌じゃないさ。ただ、照れくさいだけで」


 突然持ち出された言葉に、わたくしとユリウスが二人そろって照れる。もうラファエルったら、何て言葉を持ち出してくれたのよ。


「なんか、二人とも様子が変じゃなあい?」


「さっきの……れんりなんとかってのを聞いてからだよな。なあフランク、お前は意味が分かるか?」


「いえ、あいにくと僕も分かりません。……なんとなくの見当ならつきますが」


 すぐ後ろから聞こえてきたそんな声に、今度は二人してはっとする。


 連理比翼。おそらく平民にとってはなじみのないその言葉は、貴族として生まれ育ったわたくしと、貴族として必要なことを学んだユリウスにはすぐに理解できた。だからこそわたくしたちは、こうやって照れているのだし。


 でもカミラたち三人には、何のことか分かっていないらしい。でも薄々気づいているのか、妙に楽しそうな声だ。


 フランクはともかく、カミラとマルコにばれたら、間違いなくからかわれる。それはちょっと困る。


 よし、このまましらを切りとおすぞ。ユリウスの目が、そんなことを言っている。


 もちろんよ。わたくしも視線だけで、そう応える。


「あー、それはだな」


「ええっとね、それは……」


「連理比翼。この上なく仲睦まじい夫婦を指す言葉だな」


 ユリウスとわたくしの言葉にかぶせるようにして、別の声が……ああ、アンドレアスですわね……。ずっと静かにしていたから、存在を忘れかけていましたわ……。


「二つで一つの存在、そんな架空の生き物になぞらえて、二人の仲を褒めたたえるものだ」


「父さん……なんでここで説明するんだよ。俺とコンスタンツェがごまかそうとしてたの、気づいてただろ?」


 とても優しい声で語るアンドレアスに、ユリウスが食ってかかっている。なんだか微笑ましい……じゃなくて、どうしてアンドレアスが口を挟んだのか、わたくしも聞きたいですわ。


「ああ、気づいていた。お前たちの仲睦まじい姿が、本当に……嬉しかった」


 そう答えるアンドレアスの声が、ちょっぴり震えている。自然と、わたくしたちの足は止まっていた。


「あの小さなユリウスがこんなに大きくなって、素晴らしい伴侶に巡り合って……それだけで、私の今までの苦しみが、報われたように思えるのだ……」


「父さん……」


 ユリウスが、アンドレアスの肩にそっと手を置く。そうしてそのまま、たたずんでいた。二人とも何も言わずに。


 わたくしたちは、そんな二人の邪魔をしないように、やはり無言でじっとしていた。ユリウスたちの事情をほぼ知らないだろうラファエルも、神妙な顔で二人を見つめていた。




 ……と、そんな一幕もあったものの。


 わたくしたちはじきに、カスパルの部屋の前にたどり着いていた。うう、やっぱり緊張しますわ。最悪、この指輪だけは死守しなくては。


 指輪を両手でしっかりとにぎりしめて、ラファエルに続いて部屋へと入っていった。

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