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男爵令嬢コンスタンツェは崖っぷち  作者: 一ノ谷鈴
第1章 崖っぷち令嬢と謎の婚約者
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3.リルケの家の裏事情

「……契約?」


 わたくしの言葉がよほど意外だったのか、ユリウスは目を真ん丸にしてわたくしを見つめてきた。さっきまでのふてぶてしい態度が、すっかり鳴りをひそめてしまっている。


 そして彼の後ろでは、オットーも同じように目を丸くしていた。二人の表情がよく似ていて、うっかり笑いそうになる。


 顔を引き締めて、上品で澄ました表情を作り、優雅に答える。


「ええ、そうよ」


 ユリウスはわたくしのことを警戒しているような気がする。今の彼に情で訴えかけても、たぶん聞いてもらえない。だったら、情以外のところからつついてみればいい。


「わたくしは、あなたを婿とする。その代わり、互いを知り、互いに歩み寄る努力をする。そういう契約よ」


 そうしてとっさに編み出したのが、こんな契約だった。


「リルケの家が取り潰されるまであと二年。あなたの貴族としての籍を整え、わたくしたちの婚姻届と当主変更届を出すまで、それだけの時間があるの」


 ついさっきまで、あと二年しかないと思っていた。でも今は、まだ二年もあると思えてしまう。どうやらわたくしは、ユリウスの出現で自覚していた以上にほっとしていたらしい。


「その時間を使って、歩み寄ってみるのも悪くないんじゃないかしら」


 涼しい顔でそこまで言い切ると、ユリウスがゆっくりと首をかしげた。


「……なんだってあんたは、そこまで俺を気にしてるんだ?」


「そうね、ううん……気になるから、かしら」


 ついさっきまでのわたくしは、最悪、というかたぶん、仮面夫婦になるのだろうなと覚悟はしていた。でも今のわたくしは、もうちょっと欲張りに、わがままになっていたのだった。


 わたくしの言葉を聞いたユリウスは、どうにかこうにか胸を張った。あのふてぶてしい態度、もしかしてわざとやってるのかも。


 さっきからの様子を見るに、素はもっと素直で朗らかな人なんじゃないかという気がしてならない。


「とりあえず、あんたの言いたいことは分かった。俺はあんたの提案通りに努力する。ただその分の見返りが欲しいんだが」


「見返り……何がいいかしら。ユリウスは、何か希望はあるの?」


「金」


 あら、即答ですのね。彼、そんなにお金に困っていたのかしら。


「分かったわ。……このまま何もせずに仮面夫婦になるのもどうかと思うし、面倒だろうけれどこれからよろしくね」


「まあ、いいさ。オットーとの取引と、あんたの契約。二つ合わされば、さらにお得だしな」


 堂々と言い放つユリウスに、笑顔を返す。彼の表情をちょっぴりまねて。


「ふふ、そうなの。……いつか、その取引について教えてもらえるくらいに親しくなれるよう、わたくしも努力するわね」


 あ、またユリウスが目を丸くしましたわ。彼の反応、ちょっと面白いですわね。


「そうか。……まったく、妙なお嬢様だよ。思ってたよりは悪くないけどな」


 そうやってユリウスは肩をすくめた。ひとまず、これで話もまとまった。




  わたくしはこれからユリウスと共に過ごし、いずれは夫婦となる。このリルケの家を守るために。


 きっと、色々な困難が立ちはだかるだろう。でも、手詰まりの状態からは抜け出すことができた。そのことは、素直に嬉しかった。




 その日の夜、わたくしは自室でくつろいでいた。ユリウスはひとまず、客間に泊まってもらっている。これからしばらく、彼はそこに滞在するのだ。


「……いずれ彼は、当主のための部屋……かつてお父様が使っていた部屋に移り住んでもらうことになるんですのね」


 椅子に腰かけて、ぼんやりとそんなことをつぶやく。実のところ、まだちっとも実感がわいていない。


「……ユリウスは、リルケの家の醜聞についてどこまで知っているのかしら。オットーが、全て話したとは思えないけれど……」


 リルケの家を、わたくしをここまでの苦境に追い込んだ、お父様の不祥事。


 あれは一年前のこと。お父様はわたくしとお母様を捨てて、嵐の夜に出ていってしまった。


 なんとお父様は他家のご婦人に懸想して、手に手を取って駆け落ちしてしまったのだった。わたくしもお母様も、そしてオットーも、見事なまでに寝耳に水だった。


「……お父様があんなに夢見がちだったなんて、思いもしませんでしたわ。お母様やわたくしよりも大切な人を見つけてしまった……そういうことなのかしら」


 愛とは、人に力をくれるものだと聞いている。だからといって、その行いを許せはしませんけれど。ええ、お父様はわたくしとお母様を捨てたのですから。


 お父様はその女性……確か、ローザとかそんな感じの名前の、由緒ある家のご婦人だった……と、馬車に乗ってひたすらに逃げたらしい。


 どうも二人はこの国を出て、新天地でやり直そうとしていたのだろうということだった。お父様は家宝の宝石をいくつか持ち出していたし。


 けれど結局、二人はそのまま帰らぬ人となってしまった。


 それは、馬車が山道を走っていた時のことだった。大雨で緩んでいた道が崩れ、馬車は土砂とともに谷底へと落ちていったのだ。お父様とその女性を、乗せたまま。


 その谷はあまりに険しいところだったので、下に降りて捜索することはできなかった。けれど同時に、そこから上がってくることも不可能だ。だからお父様もその女性も、死んだものとみなされた。


 その知らせに、既に憔悴しきっていたお母様の心が限界を迎えた。お母様は倒れ、そのまま寝付いてしまった。結局、それから数か月と経たぬ間に亡くなった。


 そうして、リルケは滅亡への道をひた進むことになってしまった。


 悪いのはお父様と相手の女性だけで、でもその二人は既にこの世にいない。


 わたくしはどこにも怒りをぶつけることができずに、リルケの立て直しという困難な問題に立ち向かうことになってしまったのだ。親族からも、友人たちからもそっぽを向かれて。


「……お父様……どうしてこんなことを……」


 深々とため息をついたその時、控えめなノックの音に続いてオットーが入ってきた。


「お嬢様、就寝前のハーブティーをお持ちしました」


「ありがとう、オットー。……あなたがいてくれて、本当に良かった」


 温かな湯気を上げているカップを受け取り、その優しい香りに目を細める。


「……ねえ、オットー。あなたはユリウスと、どこで知り合ったの?」


「申し訳ありません、お嬢様。それは秘密にございます。ただ、後ろ暗いところはないと、それだけ申し上げておきましょう」


「あら、そうなの。あなたとユリウスの間の取引については、聞いてはいけなさそうだし……あ、でしたら」


 オットーは、ユリウスについて何か知っている。なんでもいいから、少しだけでも聞き出せないか。一生懸命に考えて、一つの問いを口にする。


「だったらあなたは、ユリウスのことをどう思っているの?」


「……そう、ですね……私はあの方のことを信頼したいと、そう思っております」


 どうやらオットーも、さほどユリウスと親しい訳ではないらしい。ううん、この二人の関係がどんどん分からなくなってきましたわ。


「それなら、わたくしの判断は正しかったのね。彼について理解して、きちんと仲を深めていこうという」


 オットーは、人を見る目は確かだ。彼がこういうのなら、間違いはない。


「……お嬢様があの契約を持ち出された時は驚きましたが……うまくいくことを、私もお祈りしております」


「ええ、応援よろしくね。わたくし、頑張りますから」


 そう答え、ハーブティーを一口飲む。飲みなれたそのお茶は、いつも以上に優しく体と心を潤してくれているように思えた。

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