27.失くし物はどこへ
「…え?」
指輪がなくなった。突然のことに耳を疑ってぽかんとしていたら、ユリウスが小声で説明してくれた。
彼はついさっきまで、湯あみをしていたのだそうだ。そうして湯あみを終えて服を着ようと思ったら、指輪だけがなくなっていたのだとか。
「……客間から湯殿までの間に落とした、とか……?」
「あんたも知ってるだろ。俺、今夜は湯殿の向かいの客間をあてがわれてるんだよ。そんな短い間に落としたら、さすがに気づくさ」
ユリウスの部屋の扉を開けて、ものの三歩で湯殿の扉にたどり着く。そしてここの廊下には、じゅうたんも装飾もない。廊下でうっかり落として見失う、というのは除外していいだろう。
「それに、湯殿の脱衣所で服を脱いだ時はまだあった。奥の間で湯を使って戻ってきたらなくなってた」
「じゃあ、手伝いをしていたメイドがくすねたとか……?」
「それもない。俺はあんたの屋敷でそうしているのと同じように、一人で風呂に入ってる。知らない女性の前で脱ぐの、抵抗あるんだよ」
「だったらやっぱり、湯殿にあるのかしら……」
「何べんも探した。で、今カミラたちにも探してもらってる」
そう言って息を吐くユリウスは、明らかに落ち込んでいた。あの指輪は彼にとって重要な切り札で、父親からもらった大切なものだ。
「その、指輪がなくても、アンドレアスさんがいるのだし……」
「いいや。カスパルのやつ、俺のことずっとうさんくさい目で見てたしな。おおかた、母さんが平民なのが気に入らないんだろ」
ひとまずそうやって励まそうとしたら、ユリウスはふてくされた顔でそうつぶやいた。
「もしかしたらあいつ、俺が父さんの子じゃない! とか言い出すかもな。だから、あの指輪はどうしても必要なんだよ」
「まさか、そこまで……」
「そこまで言う可能性は高いと思うぜ。俺もあんたに付き合って貴族の世界を見てきたからな」
「となると、何が何でも指輪を見つけないといけないのね」
「ああ。俺の見落としで、湯殿のどこかにあるのならいいんだけどな」
二人で顔を見合わせた時、ノックと同時にがやがやと三人が入ってきた。メイド服のカミラ、使用人のいでたちのマルコ、執事の制服を着たフランク。
「駄目。何にもなかったよ、あそこには」
「というかあの風呂場、そもそも物が隠れそうな暗がりや隙間がないんだよな」
「隠し通路の存在も疑いましたが、今のところないようです」
三人の報告を聞いて、ユリウスが苦虫を噛み潰したような顔になった。
「そうなると、俺が湯あみのために湯殿の奥の間にいた隙に、脱衣所に誰かが忍び込んで盗っていった……ってことか? なあお前たち、不審者とか見てないか?」
その問いに、カミラとマルコが同時に視線をそらした。
「あたし、自分の部屋でくつろいでたから……」
「おれ、もう寝てたんだけど」
ちょっぴり申し訳なさそうに答えるカミラとマルコ。と、フランクがふと何かを思い出したような顔になった。
「足音などは聞いていませんが……あっ」
「どうした、何かあったのか?」
「そういえば少し前に、がたんという音を聞いたような……ちょうど、ユリウスの部屋のほうから」
その言葉に、わたくしも思い出したことがあった。
「あ、ばこん、っていう感じの音よね? わたくしも聞いたわ。ずっと静かだったのにいきなり音がしたから、驚いたわ」
そうして、ユリウスをちらりと見る。
「……ユリウスが何かしているんじゃないかって思ったから、放っておいたのだけれど」
湯殿の真向かいの部屋が、ユリウス。その両隣の数部屋が、それぞれわたくしと、カミラたちに用意されていた。
ここは屋敷の奥まった一角ということもあって、めったに使用人たちも通らない。足音一つしない中、その音ははっきりと響いてきた。
「あんたなあ、俺のことを何だと……。まあいい。その音がしたのって、いつぐらいの話だ?」
ユリウスにせかされるまま、記憶をたどる。窓の外の星を見て大まかな時間を伝えると、ユリウスは難しい顔になった。
「……ちょうど、俺が湯あみをしている間だな」
「だったら、あなたの部屋を調べてみない? あの音が、何か関係しているかもしれないし」
わたくしのその提案に、四人は同時にうなずいていた。
そうして、ユリウスの部屋にみんなで集まる。
「……特に、湯あみに行く前と変わったところはなさそうだが……」
「でも一応、調べてみましょう」
わたくしとフランクが聞いた音は、木の板がぶつかるような音だった。その音を思い出しつつ、かがんであちこちのぞいてみる。
机、椅子、寝台、飾り棚。上も下も横も裏も見てみたけれど、特におかしなところはない。
「他に、木を使ったもの……壁くらいかしら」
壁の上半分には白い壁紙が貼ってあるけれど、下のほうは板張りになっている。一応触れてみようと手を伸ばした。
「あら?」
その時、床で何かがきらりと光った。壁のすぐ近くに、小さなものが落ちている。
「これ、貝の……ボタンかしら。綺麗ね」
わたくしがそれを拾い上げると、全員がわらわらと寄ってきた。
「えっ、これボタンなの!? あたし、ブローチかと思った」
「おれも。お嬢様やユリウスの服についてるやつより豪華だよな」
「……確かに、見事な細工です。どうして、こんなものがここに落ちているのか……」
カミラたちが思ったことを口にすると、ユリウスがぎゅっと眉を寄せた。
「ここは客間だから、以前の客が落としたもの……の可能性もあるにはあるが」
「家具の影ならともかく、こんな何にもない壁の前に落ちていたら、掃除のメイドが気がつくわ」
「だよなあ。それに、湯あみに行く前はそんなもの落ちてなかった……と思う」
ユリウスと顔を見合わせていたら、すかさずカミラとマルコが口を挟んできた。二人とも、目を輝かせている。
「あやしいわね、それ!」
「だな!」
フランクがそんな二人に、困ったように呼び掛ける。
「僕たちは指輪を探さなくてはならないのであって、そのボタンの謎は後回しにしておいたほうが……」
「何言ってるのよフランク、きっと全部関係あるのよ、さっきあんたが聞いたっていう音とこのボタン、そしてなくなった指輪!」
「あの、カミラ、声が大きいですよ」
「でも、おれもカミラと同意見だな。わくわくするぜ!」
「落ち着いてください、マルコ」
ひそひそ声で二人をまとめようとしているフランクに、そっと声をかける。
「苦労してるみたいね、フランク。ありがとう」
「いえ、恩あるお嬢様のためですから」
ちょっと緊張した面持ちで、フランクがぺこりと頭を下げる。その拍子に、彼の体がすぐ隣に立っていたカミラを押しのけてしまった。
「あ、わっ、何すんのよフランク……って、ええ!?」
カミラがよろめいて、さっきボタンが落ちていた辺りの壁に倒れかかる。白い壁紙に手をついて、壁板を蹴っ飛ばして。
ばこん。そんな音と共に、壁板が外れた。




