26.頑張る父と、息子の危機
そして応接間に通されたわたくしたちはそのまま、ひたすらに待ちぼうけを食らうことになった。どうやら、アンドレアスとカスパルの話し合いが長引いているようだったのだ。
仕方がないので、今日はこのままカスパルの屋敷で一泊することになった。メイドたちに案内されて、客間に向かっていく。
前のメイドに聞こえないように、小声でユリウスが話しかけてくる。
「……妙に奥のほうに連れていかれてるのは、気のせいか?」
「わたくしも、そう思うわ。それはまあ、屋敷の奥に客間があること自体は、別に珍しくはないけれど……そういう場所に招くのは、まず例外なく親しい人たちよ」
「俺はあんたの屋敷の一番奥の客間をずっと使ってるけどな」
「それは、『親しくなりたい人』だったから。……ともかく、何か妙なことに変わりはないわ」
「だな。あのカスパルが、一転して俺を身内として歓迎するなんて、どう考えてもあり得ないし」
「一応、警戒しておきましょう」
そんなわたくしたちのささやき声を、石の床に響く足音がかき消していった。
◇
アンドレアスは、焦っていた。
どちらかというと貴族の中では型破りなところのある自分と違い、兄カスパルは貴族の中の貴族といった人物だ。
良く言えば、由緒あるヘルツフェルト家の当主を務めるのに向いている。悪く言えば、融通が利かない。双子だというのに、まるで似ていない。
そんな兄を説得するのは、予想していたより難しかったのだ。
まずアンドレアスは、今までの自分の心情についてつまびらかに語った。そうして、「これからは心を入れ替え、ヘルツフェルトの一員として表舞台に戻りたい。できるならば、兄上の補佐として」と願ったのだった。
もちろん、カスパルはアンドレアスの意図をあっさりと見抜いていた。
ユリウスの望みをかなえ、ユリウスをヘルツフェルトの一員として認めさせ、そして彼の後ろ盾となる。そのためには、父である自分が表舞台に戻っておいたほうがいい。アンドレアスは、そう考えていたのだ。
そしてカスパルは、その願い自体は受け入れてもいいと思っていた。
そもそも彼がアンドレアスをあの別荘に軟禁していたのは、由緒あるヘルツフェルトの家に生まれながら平民と駆け落ちし、連れ戻してからもずっとめそめそしている弟にあきれかえったからだった。
その弟が貴族としての誇りを取り戻し、責任を果たそうというのならむしろ歓迎だ。
ただ。
カスパルには、一つ解決しておくべき問題があった。代々当主に伝わる、あの指輪のことだった。
かつて二人の両親は反目し、父は弟のアンドレアスを、母は兄のカスパルを味方に引き入れ、ヘルツフェルト家はさながら内乱のような状況になっていたのだ。
そのせいで先代当主である父は、あの指輪を弟のアンドレアスに渡してしまった。それも、秘密裏に。
そして先代当主亡き後、新たに当主となったカスパルはその母と共に、指輪を譲れとアンドレアスに迫った。
二人は力ずくでアンドレアスから指輪を奪うことは考えていなかった。力でアンドレアスをねじふせるのではなく、アンドレアスの心を屈服させようと考えていたから。
それにあの指輪自体に、そこまで価値がある訳でもない。一族の血に反応して光るという不思議な性質があるが、同じような性質を持つ宝物なら他にもある。宝物庫の奥深くにしまわれているから、アンドレアスは知らないだろうが。
そしてその重圧に耐えかねたのか、アンドレアスはあのメイドと駆け落ちしてしまったのだ。
その知らせを聞いた母は驚きのあまり倒れ、そのまま帰らぬ人となった。カスパルは実のところ母を持て余していたから、正直ほっとしていたのだった。
そんなことを思い出しつつ、カスパルが重々しく言い放つ。
「アンドレアス。願いにはそれ相応の対価が必要だ。あの指輪を渡せ」
「だからそんなものは持っていないと、ずっとそう言い続けているだろう」
アンドレアスは揺らいでいた。指輪を持っていないのは事実だ。ヘルツフェルトの家に連れ戻される少し前に、ユリウスに譲り渡していたから。
でもおそらく、カスパルはそこまで気づいている。きっとユリウスを自分のもとにやったのも、再会の喜びのあまり指輪のことを喋りはしないかと、そんなことを期待してのことだったのだろう。
その上でカスパルは、ユリウスからあの指輪を受け取ってこいと、そうほのめかしている。アンドレアスはひっそりと、奥歯を噛みしめていた。
彼が指輪についてしらを切りとおすのは、それが先代当主であった父の、たっての願いだったからだ。
父はカスパルが己の跡を継ぐことをよしとしていなかった。それは、上の息子だけを溺愛する妻への反感によるものでしかなかったが。
けれどこうして、カスパルが次の当主となった。ならばせめて、もう一つの願いだけでもかなえてやりたいと、アンドレアスはそう思っていたのだ。
それにもう一つ。あの指輪は、いずれユリウスがヘルツフェルトに加わりたいと考えた時に、きっと力になってくれる。
しかし今、ユリウスの願いをかなえるためには、亡き父に折れてもらう必要がありそうだった。
父上、息子のために私はあなたの願いを裏切ります。アンドレアスが決意を固め、口を開こうとしたまさにその時。
「お前はユリウスをもヘルツフェルトに引き入れるつもりだろうが、あれは本当にお前の子か?」
カスパルが不意に、そんなことを言った。アンドレアスがまた口を閉ざし、兄をじっと見つめた。不審げな表情で。
「あれはお前と少しも似ていない。案外、お前と駆け落ちした女が、よそでこしらえた子ではないのか?」
「カスパル……言っていいことと、いけないこととがあるだろう!!」
開きかけたアンドレアスの心の扉が、ばたんと荒々しい音を立てて閉じる。彼はいつになく怒りをあらわにした様子で、カスパルに食ってかかっていた。
久方ぶりの兄弟の、和やかさとは無縁の話し合い……口喧嘩は、もうしばらく終わりそうになかった。
◇
「結局、カスパルと話せるのは明日になりそうですわね……」
今日の宿となる客間で、ふうとため息をつく。
きっと、アンドレアスがカスパルを説得してくれる。明日になれば、ユリウスはヘルツフェルトの一員として、貴族の籍を手に入れることができる。
そう自分に言い聞かせてはみたものの、どうにも心は重かった。
正直、この屋敷もカスパルのことも、あまり好きにはなれそうにない。ここに留まっているだけで、何だか憂鬱な気分になるのだ。
「明日に備えて、早めに眠っておきたいのに……」
夕食も湯あみも済ませたから、あとはもう寝るだけ。なのに、あきれるくらいに目がさえてしまっている。
いっそ、ユリウスを誘ってお喋りでもしようかしら。彼はさんざん昼寝していたから、眠れないだろうし。
そう思っていたら、いきなり客間の扉が開いた。
「おい、ちょっとまずいことになった」
そう言って駆け込んできたのはユリウス。ただ服の前がはだけていて、目のやり場に困る。
「ど、どうしたんですの、そんな格好で」
さっと目をそらしてそう尋ねると、ユリウスは器用にも声をひそめつつ叫んだ。
「指輪が、失くなった!」




