25.共に戻ろう
その晩、わたくしたちは別荘に泊まった。暗くて陰鬱な建物ではあったけれど、意外と居心地はよかった。
「おはよう、コンスタンツェ君。よく眠れたかな?」
ぐっすり眠って身支度を整え、食堂に向かう。そこには、もうユリウスとアンドレアスがいた。
ユリウスは席に着いているものの、テーブルにつっぷしてしまっている。背中がかすかに動いているから、生きてはいる。
「はい。おはようございます、アンドレアス様。……ユリウスはどうしたのでしょうか?」
「ああ、実は私もこの子も、眠っていなくてね」
言われてみれば、アンドレアスの目がちょっぴり赤い。
「あれから、ずっと話し込んでいたんだよ。離れ離れになってから十年の間にあったことを」
寂しげにそう言って、アンドレアスはユリウスにそっと目をやる。
「あの子には、本当に苦労をかけた。でもそのおかげで、あの子はたくさんの出会いを得た。そして、強くなった。十年ただ嘆くことしかできなかった私とは大違いだ」
彼にどう声をかけていいのか分からずに、静かにただ耳を傾ける。
と、アンドレアスがにっと笑った。ユリウスがよく見せているいたずらっぽい笑みとよく似た、そんな笑顔だった。
「……そういえば、君のこともたくさん聞いた。というよりも、途中からは君のことばかりだったな」
「えっ……あの、それはどのような……?」
ぎくりとしながら、そろそろと尋ねてみる。ユリウスったら、アンドレアスに何を吹き込んだのかしら。
「……息子は、ずいぶんと君を気に入ったようだ」
「おい父さん、勝手に余計な事を喋るなよ……ふわああああ」
いつの間に目覚めたのか、ユリウスが顔を上げてこちらを見ている。
ちょっとふて腐れたような、気まずさをごまかしているような、そんな表情をしていたけれど、すぐに睡魔に負けて大あくびをしてしまっている。
「またいずれ、機会があれば話そうか」
「はい、ぜひともお願いします」
「だからあ、勝手に話すなって……ううん」
抗議していたユリウスが、またぺたんとテーブルに突っ伏した。そのままむにゃむにゃと、何やら言っている。
そんな彼を見て、アンドレアスと二人こっそりと笑い合った。
しかしユリウスは、またすぐにがばりと飛び起きる。さっきまでの眠そうな様子はもうなく、目を輝かせている。
「朝飯が来たぞ。ほらコンスタンツェ、あんたも席に着けよ」
「……すっかり目が覚めたみたいですわね」
「当たり前だろ。眠気に負けて飯を食いっぱぐれてたまるか。喋り過ぎて腹も減ってるし」
「たくましいわね。でも、テーブルマナーは忘れずにね? あなたのお父様もいるのだから」
「父さんは別に気にしないと思うけどな。でもまあ、特訓の成果を見せてやるか。父さん、俺の見事な貴族っぷり、見て驚けよ」
「ああ、楽しみにしている」
そう言ってアンドレアスは、幸せそうに笑っていた。
朝食後、わたくしたちはまた馬車に乗ってカスパルのいる屋敷へと向かっていった。往きと同じように、使用人の馬車に案内されて。
アンドレアスが乗った馬車が、わたくしたちの後ろからついてくる。
彼は「逃げも隠れもせぬ、兄上に会ってくるだけだ!」と堂々と主張し、あの別荘から出ることに成功したのだった。屈強な使用人たちも同乗することになったけれど。
帰りの馬車が走り出してすぐに、ユリウスは眠りこんでしまった。わたくしの肩に頭を預けて、ぐっすりと。
ところが途中、馬車が揺れた拍子に、彼はそのままわたくしの膝の上にばたりと倒れ込んできた。それでもやはり、目覚めない。すうすうと、気持ちよさげに寝息を立てている。
「仕方ないですわね……」
くすりと笑って、ユリウスの姿勢を整えてやる。ちょうど、わたくしの足が枕になるように。
かたことという馬車の心地よい揺れ、すぐ下にはユリウスの幸せそうな寝顔。自然と、緊張もほぐれていく。
アンドレアスとユリウスの親子の再会も済んだ。これなら、カスパルも認めざるを得ないだろう。ユリウスが、確かにヘルツフェルトの血を引いているのだと。
だからここで、ユリウスの貴族としての籍を作ってもらう。と言っても、当主たるカスパルに一筆書いてもらえば、それでいい。別に手続き自体は難しくない。
カスパルは、どんな反応をするだろう。もしかしたらあっさり受けてくれるかもしれないし、また何か妙なことを命じられるかもしれない。
でも、何が来ても。わたくしたちなら、きっと乗り越えられる。
ふふと微笑んで、目を閉じた。ユリウスの頭の重みを感じながら。
そうしてカスパルの屋敷に戻ってきたわたくしたちは、またしても応接間に通されることになった。
アンドレアスはわたくしたちと別れ、そのままカスパルのところに案内されていく。彼はこれから、カスパルと話し合うのだ。
「父さん、大丈夫かな……今さら心配になってきたぜ」
応接間に通じる廊下を歩きながら、ユリウスが小声でぼやく。
「アンドレアス様を信じましょう。最初の弱々しい様子はすっかり消えたし、きっと大丈夫よ」
そう励ますと、ユリウスはとても複雑な顔をした。困っているような、ちょっぴりあきれているような、そんな顔だ。
「だからこそ、心配なんだよな。父さん、思い切るまでは腰が重いんだけどさ、いったん思い切ったら勢いで突っ走りがちというか……猪突猛進というか。いつも、母さんが笑いながら止めてたな」
「……ユリウスって見た目はお母様似だっていう話だけれど、中身はお父様似……?」
「認めたくはないが、そんな気はする。でも俺のほうが、ずっと思慮深いからな」
本来のアンドレアスって、どれくらいぶっ飛んだ人なのだろう。そんなことを考えつつ首をかしげていたら、上のほうから小さな叫び声が聞こえてきた。子供のような、甲高い声。
「きゃあっ!」
何が起こっているのか、分からなかった。ただ気がついたら、ユリウスが子供を抱き留めていた。
どうやら、その子供はすぐ近くの階段から落ちてきたらしい。真っ青な顔をしたメイドが、子供を抱えたユリウスのところに駆け寄ってきていた。
その子供はユリウスの胸元に顔をうずめるようにして、ぴくりとも動かない。顔が見えないけれど、あの体格からするとまだ五、六歳くらいだろう。もしかしたら、もっと小さいのかも。
あら、今ユリウスの胸元が光っていたような? いえ、気のせいかしら。
けれどユリウスはそれに気づいていなかったようで、抱きかかえた子供をそっと床に下ろしている。
「大丈夫か、お前?」
ユリウスはかがんで膝をつき、子供に優しく声をかけていた。しかしやけに豪華な服をまとったその子供は、愛らしい顔をとても厳しく引き締めて、じろりとユリウスをにらんでいた。
そうして、子供は何も言わずに去っていく。おろおろした顔のメイドを伴って。
その後ろ姿が廊下の角の向こうに消えていってから、そっとユリウスにささやきかけた。
「ねえ、今の子……やけにあなたを敵視していなかった?」
「だな。もしかするとカスパルの子かもな。だったらあの身なりも、俺を嫌ってるっぽいのも説明がつく」
「でも、あんなに小さいのに……あの表情、あの子には似合っていなかったわ」
「小さくても、親から何か吹き込まれていればああいう態度にもなるさ」
そんなことをこそこそと話しながら、その場を離れていった。ほんの少しだけ、言いようのない不安のようなものが胸の中にわだかまっているのを感じながら。




