22.感動の再会
そうしてわたくしたちはまた馬車に乗り込み、ユリウスのお父様がいるという別荘に向かっていた。
わたくしたちの馬車の前を、もう一台の馬車が走っている。そちらの馬車は、カスパルに仕える使用人が操っている。
さっきわたくしたちが訪ねたヘルツフェルトの屋敷とこれから向かう別荘との間に定期的に馬車を走らせて、手紙やら荷物やらをやり取りしているらしい。その馬車に、道案内してもらうことになったのだ。
閉ざされた箱型の馬車の中で、ユリウスと並んで座る。自然と、ふうと息がもれた。
「やっと一息つけましたわね……さすがにここでなら、周囲を気にせずに話しても大丈夫よね?」
「だろうな。俺たちが乗ってるこの馬車、そっちの御者が買収とかされてカスパル側についていたりしない限り」
「ちょっと、縁起でもないこと言わないで……それでなくても、さっきからずっと緊張しっぱなしだったんだから、ちょっと気を抜きたいわ」
安心したとたん、急に疲れが襲ってくる。さっきのカスパルとユリウスの会話を思い出しながら、軽く肩をすくめた。
「しかし、カスパルの提案……ものすごく気前が良くて、飛び切りとんでもないものだったわね。……白状してしまうと、ちょっとだけ不安だったの」
胸の中に残っていた弱音のかけらをそっとつぶやくと、ユリウスが大げさなくらいに身じろぎした。ちょっとおどけた表情で、首を横に振っている。
「不安って……もしかして俺、信用されてなかったのか!? あそこでカスパルの提案を飲むって思ったとか? 俺、そんな薄情なやつだと思われてたのか」
「えっと、その、信用してないとか、そういうことじゃないの。ただ……カスパルの提案を飲めば、あなたの求めているものはすぐに満たされる。そう考えたら……自信がなくなってしまって」
彼のほうを見ないまま、ぼそぼそと続ける。膝の上で、ぎゅっとこぶしを握って。
「あなたは孤児院を守るために、オットーやわたくしと契約した。わたくしと婚約することと、わたくしと相互に理解を深めることについて。その見返りに、金を得るために」
あれはまだ、半年ほど前のことでしかない。けれど、もう何年も前のことのように思える。
「あなたは貴族としての地位そのものには魅力を感じていない。わたくしにも、それはじきに理解できた。……あなたには、もっと自由に生きるのが似合うもの」
ユリウスと一緒に過ごして、彼のことを知っていくにつれ、わたくしの胸の中に積もっていく思いがあった。堅苦しい貴族の世界に彼を縛り付けてしまって、申し訳ない。そんな思いだ。
いっそリルケの家がなくなってしまえば、こんな風に悩まなくて済むのかもしれない。そんなとんでもないことを考えたこともあった。
だから先日、もしもの時は一緒に商売をしよう、なんてことを口走ってしまったのだけれど。
「あんたさ、今さら何言ってんだよ。ほんっと水臭いなあ」
わたくしの言葉を聞き終えたユリウスは、そう言って深々と息を吐いた。ちょっとあきれているようでもあった。
「普段のあんたは割と強気で、いっそ気持ちいいくらいに押しが強いのに……なんだってそんなことで、令嬢みたく弱々しくなるんだか」
「……わたくし、生まれた時から令嬢ですわよ」
「まあそうなんだが。……あー、褒めてるつもりだ」
「……分かってる」
今度は焦ったように言葉を紡ぎだすユリウス。わたくしがぼそりと答えると、ほっとしたように笑う気配がした。
「いいか、あんたはもう俺の友人で、仲間だ。俺にとってあんたは、大切なものの一つだ」
そこまで一気に言ったユリウスが、不意に言葉を途切れさせる。
「……そして、いつか俺の妻になる人だよ。俺は、あんたのこともきちんと幸せにしたいと思ってる」
ひどく柔らかい声音にどきりとしつつも、小声で反論してみる。
「でもそれって、契約結婚だし……」
「きっかけはな。でも今は、契約抜きであんたと一緒にいたいって思ってるよ。あんたは違うのか?」
「違わない」
「だったらいいじゃないか。なれそめがちょっとめちゃくちゃだったけど、俺たち、結構いい夫婦になれる気がするぜ」
そろそろと顔を上げて、隣を見る。とても晴れやかに、さわやかに笑うユリウスと目が合った。
「な、そうだろ?」
すると彼は、すっとこぶしを胸の高さに掲げてみせる。
「……うん」
わたくしもそっとこぶしを握り、彼のほうに突き出した。そうして二人、握りこぶしをこつんと合わせる。
ユリウスによれば、これは平民たちが親愛の情を表す時の仕草らしい。確かに、こうすると胸が温かくなるように思える。
ただ、先日わたくしたちが同じようにこぶしを合わせているのを見たカミラが微妙な薄笑いをしていたから、たぶん何かがちょっと違うのだろう。
そういえば熱い友情がどうとか、彼女はそんなこともつぶやいていたような。本当のところはどういう意味なのか、それなりに気にはなっている。
でも、今のわたくしの気持ちを素直に表すには、この仕草がちょうどいい。そんな風にも思えていた。
「……ふふっ」
そうしていたら、自然と笑いが込み上げてきた。
「そうよね、弱気になるなんて、わたくしらしくなかったわ」
「ああ。あんたは堂々としてるくらいでちょうどいい。……将来、尻に敷かれそうな気もするが」
「まあっ! あなたこそ、これまで以上にわたくしを振り回すつもりでしょう?」
からかうように笑うユリウスに、大げさにむっとしてみせる。
「まあな。あんたの反応、いちいち面白いから。……だから、余計な心配するな。俺はこの先もずうっと、あんたと一緒だから」
「……ええ」
いつもと同じように和やかに話しながら、ふと窓の外に視線をやる。いつの間にか遠くのほうに、どことなく陰鬱な雰囲気の屋敷が姿を現していた。
やがて、わたくしたちの馬車はその暗い屋敷の前に誘導された。
「なあ、別荘ってこう……のんびりと骨休めする場所だと思ってたんだが」
「一般的にはそうよね」
二人で別荘の前に立ち、戸惑いながらつぶやく。
ユリウスの父アンドレアスが引きこもっているという、ヘルツフェルト家の別荘。
しかしそこは重厚で古めかしくて、そしてどうにも陰気な雰囲気だった。とても骨休めできるような場所とは思えない。むしろ、気がめいりそう。
使用人に案内されて中に足を踏み入れ、さらに困惑する。外観は暗い感じだったけれど、内側はもっと辛気臭かった。
「暗いわ……」
「空気、よどんでないか?」
この別荘、窓が少ないのだ。しかも小さいし。壁はむき出しの岩肌だし……ここって、元々は砦かなんかだったんじゃないかしら。アンドレアスはなんだってまた、こんなところで引きこもっているのか。
奇妙なことはまだあった。ここで暮らしているのはアンドレアス一人だというのに、妙に使用人の数が多い。それも筋骨隆々の、たくましい感じの男ばかり。
ユリウスによれば、アンドレアスが息子ユリウスと妻エミーリアのもとを離れたのが十年前。それからずっと、ユリウスは父がどこでどうしているのか知らなかった。
「なんかさ……これって、引きこもってたというより」
「あなたもそう思う?」
そうして二人、唇の動きだけで話す。閉じ込められてる? と。
二人で首をかしげまくっていたら、前を行く使用人が別荘の奥まった一室の前で立ち止まった。扉をノックし、向こうから男性の声が聞こえて。
そうして部屋に入ったわたくしたちを出迎えたのは、弱々しい雰囲気の男性だった。カスパルとそう年は違わないだろうに、妙にやつれている。
「ああ、ユリウスか……大きくなったな……」
その男性はユリウスを見るなり、いきなり大粒の涙をこぼし始めた。




