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男爵令嬢コンスタンツェは崖っぷち  作者: 一ノ谷鈴
第4章 こんがらがった因縁
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21.不機嫌な当主

 わたくしたちを見据えているのは、ヘルツフェルト伯爵家の当主、カスパル。そろそろ四十歳になるくらいか、男盛りで立派な風采の人物だ。


 彼は髪の色も目の色も顔立ちも、何一つユリウスと似通ったところがない。表情は険しく、目つきも鋭い。そして、まとっている雰囲気がものすごく重々しい。


「以前から話には聞いていたが、気味が悪いほどあのメイドにそっくりだな。忌々しい」


 あのメイド、つまりそれは彼の母親でありオットーの姪であるエミーリアのことだろう。


「お前が平民としておとなしくしていれば、こちらとしても放置しておいてやるつもりだったのだが……」


 カスパルは心底疲れ切ったように眉を寄せて、深々とため息をつく。


「こともあろうに、お前は社交界に突然姿を現した。正体不明の、貴族の傍系などと名乗って」


 今のところユリウスは、自分がどこの貴族の血を引いているのかについては黙っていた。わたくしだって、ついこないだ知ったところですし。


「となると、いずれお前は私のところを訪ねてくるに違いない。そう思ったから、こうして先に呼びつけることにした。問題はさっさと片付けておくに限るからな」


 そしてカスパルはすっと目を細めた。まるでこちらを射抜くような強い視線に、思わずたじろいでしまう。


「回りくどいのは好かない。だから問おう。ユリウス、ずっと平民として暮らしていたお前が、なぜ貴族の世界に入ってきた?」


 そんな視線を全身で受け止めるかのように、ユリウスは堂々と立っている。少しも気後れのしたところのない声で、ゆったりと答えた。


「あんた相手に取りつくろっても意味がなさそうだ。だから俺は、俺の言葉で答える」


 ユリウスの凛とした声が、部屋に響く。


「俺は恩ある孤児院のために、金が必要だった。リルケの者たちは、俺が貴族として婿入りするなら金を出すと言った。だから俺は、自分の中に流れるヘルツフェルトの血を利用することにした。それだけだ」


 初めて彼と会った日のことを思い出す。わたくしとの契約の対価として、迷うことなく金を要求してきた彼。


 あの時は面食らったけれど、その金の使い道を知った今では、彼の言葉に反感は覚えなかった。


 そうやって過去に思いをはせていると、カスパルの低く重々しい声が割り込んできた。


「……ならば私は、リルケがお前に払った倍……いや、十倍の金を用意しよう。だからお前は二度とヘルツフェルトに関わることなく、ただの平民として過ごすがいい」


 カスパルがふっと表情を変えた。聞き分けのない子供をなだめているかのような、薄い笑みを浮かべたのだ。


「足りなければ、もっと出してもいい。孤児院を丸ごと改修し、お前と孤児院の人間たちが一生裕福に暮らせるくらいの。悪い話ではないだろう」


 あまりにもとんでもない提案に、わたくしは何も言えずにいた。


 カスパルの提案は常軌を逸してはいるけれど、けれどユリウスの望みをかなえるには十分すぎるものなのだ。グスタフはもう資金繰りに頭を悩ませなくて済むし、子供たちももっと豊かに暮らせる。


 ユリウスは、どう思っているのかしら。不安を覚えながら、隣のユリウスをそっと横目で見つめる。彼の横顔は、とても厳しく引き締められていた。


 けれどやがて、ユリウスはふうと息を吐いて、また口を開いた。


「あいにくと、それはできない」


 その一言でほっとしてしまって、思わずよろめきそうになる。


 駄目よ、こらえなさいコンスタンツェ。ここでわたくしが弱々しいところを見せたら、話がどう転ぶか分かりませんもの。


「俺は先に、リルケの者たちと契約した。それをほごにするような不義理はできない。そしてそれ以上に……俺は、こいつの力になりたいと思っている」


 その言葉に、カスパルがちらりとわたくしを見て、またユリウスに向き直る。ほんの一瞬なのに、なんだかずいぶんと肝が冷えましたわ。


「……コンスタンツェ・リルケか。滅亡寸前の男爵家の最後の一人。そうまでして守るべき家とは思えない。それに、金があれば彼女の力になってやることもできるだろう?」


「そうだな。こいつは貴族とは思えないほどたくましくて、芯が強い。こいつなら、家がなくなったとしても生きていけるだろう」


 ユリウスは堂々と話していた。年も立場も違うカスパルと対等のように思えるほど、立派に。


「だがそれでも、こいつの根っこは貴族なんだ。できることなら、そんなところも守ってやりたい」


 まあ、そんなことを考えてくれていたの。彼の気持ちがひしひしと伝わってきて、嬉しくもあり、恥ずかしくもあり。


「俺がヘルツフェルトの一員だと認め、貴族の籍を作ってくれるだけでいいんだ。じきに俺はリルケを名乗るようになるから、あんたたちに余計な迷惑をかけることもない。この家とのつながりは、可能な限り伏せる」


 その言葉を最後に、部屋に静寂が満ちる。ただの静けさではない。肌がぴりぴりするような緊張感に満ちた、恐ろしい静けさだ。


 やがて、カスパルの感情のない声がその静寂を打ち破った。


「……ひとまず、お前が考えていることは分かった。どうあっても引き下がるつもりはないということも」


 この淡々とした感じが、どうにも薄気味悪い。そう思っていたら、彼は妙なことを言い出した。


「ユリウス。アンドレアスに会ってこい。お前が真にヘルツフェルトの血を引く者だというのなら、あれはお前を息子だと認めるだろうからな」


「なんだ、やっぱり父さんはここにいたのか。十年ぶりの再会だな」


 アンドレアス。それが、ユリウスのお父様の名前。カスパルはその名前を、大変汚らわしいもののように発音した。


「あれは別荘に引きこもっている。屋敷の者に案内させよう」


 カスパルはそこまで言うと、話は終わりだとばかりに背を向けた。仕方なく、そのまま引き下がる。ひとまず、ユリウスのお父様に会ってこなければならないらしいし。




 そうして部屋から出たわたくしたちは、使用人に案内されて応接間に向かった。準備が整うまで、ここでお待ちください。そう言って、使用人は応接間から出ていった。


 ふかふかのソファに腰かけて、ユリウスが長々とため息をつく。


「しかしいきなり父さんに会え、とはな。もしかして……俺が替え玉である可能性に賭けた、とかか? まさかなあ」


 さっきの緊迫した掛け合いの時とはまるで違う、いつも通りの軽やかな口調だった。苦悩しているというよりも、ぼやいている。


「替え玉って……だったら、あのゆびふわっ」


「しっ、静かに」


 彼がヘルツフェルトの血を引くことを証明したいのなら、ユリウスが今も服の下に着けている指輪を引っ張り出せばいいだけの話だと思う。


 そう言おうとしたのだけれど、途中で口をふさがれてしまったのだ。


「あれについては、うかつに口にするな。どこで誰が聞いているか分からない。ましてここは、ヘルツフェルトの屋敷だしな」


「もごっご」


 ユリウスの手でがっちりと口をふさがれたままなので、そんな返事しかできない。その時、応接間の扉がノックされた。


 その時ようやく、ユリウスは気づいたらしい。わたくしを黙らせようとしたせいで、しっかりとわたくしを抱きかかえた上に手で口を覆ってしまっていることに。


「あ、ごめん」


 彼はぱっとわたくしから離れ、やってきた使用人にそつなく受け答えをしている。


 でも、その耳がちょっと赤かった。

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