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男爵令嬢コンスタンツェは崖っぷち  作者: 一ノ谷鈴
第3章 過去があっての今
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17.舞踏会だって全力で

「やっぱりこの正装ってのは、肩がこるんだよな……」


「しっ、ユリウス。……肩がこるという意見には、大いに賛成ですけれど」


 またある日、わたくしとユリウスは思い切り着飾って出かけていた。


 ここは、とある令嬢が主催した舞踏会。彼女の誕生祝いを兼ねたこの場には、あきれるほどたくさんの人が招待されている。


 そしてわたくしたちにも、声がかかった。ぜひお二人でいらして、という言葉を添えた招待状が届いたのだ。


 その令嬢と、ほとんど面識はない。けれどその舞踏会は、わたくしたちにとっても好都合だった。


 ユリウスの顔を見たがっている貴族たちからの、様々な招待状たち。せっせと断っているうちに数は減ってきたものの、それでも完全になくなるということはなかった。


 だったらこの機会に便乗して、ユリウスをもう一度おひろめしてしまおう。前の、ルイーゼのお茶会なんて目じゃないくらい、たくさんの人たち相手に。そうすれば、招待状も少しは減るだろう。


 わたくしたちはそう考えて、この舞踏会に出席することを決めたのだ。


 しかしユリウスは、以前よりさらにきらびやかになった服が、どうにも気に入らないようだった。


「貴族の普段着は、もう慣れたんだがなあ」


「それでもまだ、控えめなほうなのよ。……よく似合っているわ」


「ありがとな。あんたも可愛いぜ」


 そんなことをひそひそと話していたら、さっそく貴族たちが近づいてくる。


「こんにちは、コンスタンツェ殿。そちらが噂のユリウス殿かな」


「ええ、こんにちは。はい、彼がわたくしの婚約者、ユリウスですの」


「ご紹介にあずかりました、私がユリウスです」


 とっても優雅に、上品に微笑んでユリウスが進み出る。声をかけてきた貴族たちは、そんな彼のふるまいに感心しているようだった。


 前のお茶会の時と同じように、静かに微笑んでユリウスを見守る。けれどどうにも、顔が笑いそうになって仕方がなかった。


 優美で礼儀正しく、非の打ちどころのない、麗しい貴公子。でもこの貴公子は、ついこないだイノシシを解体していたのだ。そうして、無邪気に焼肉を頬張っていた。


 振り払っても振り払っても、あの日の記憶がよみがえってしまう。おいしかった、あのイノシシの味も。すると自然と、笑みが浮かんでしまうのだ。


 わたくしがそうやって一人で悪戦苦闘していると、ユリウスがうまいこと話を切り上げてくれた。


 色んなことを経験しているからか、彼は話術にも結構長けている。適当に相手に話を合わせ、満足させてそっと追い返すのは、わたくしよりうまい。


 そうして彼はわたくしの手を取り、壁際に寄っていく。


「妙に静かだったが、どうした? 具合でも悪いのか?」


 彼はいつも通りの口調で、わたくしの耳元でそっとささやいてくる。はた目には、恋人たちが甘く語り合っているように見えなくもない、そんな姿勢だ。


 ちょっとどきりとしたのを隠しながら、やはり小声で答える。


「いえ、その……振れ幅が大きすぎて」


「振れ幅?」


「だって、こないだはイノシシを解体していたのに、今は立派な貴公子にしか見えなくて……あまりにも違いすぎて、何だか笑えてきてしまって」


「そこ、笑うところか?」


 ちょっぴり気に障ったのか、ユリウスがすっと眉をひそめた。


「だって、嬉しかったんですもの。この場の人たちは、あなたのことを貴族の令息としか見ていない。でもわたくしだけは、あなたのもう一つの、もっと魅力的な顔を知っている」


 そう答えて意味ありげに微笑むと、彼もまたご機嫌な視線を返してくれた。


「確かにな。俺たちだけの秘密、か。悪くない」


 ところがそうしていたら、空気も読まずに令嬢たちがわらわらと寄ってきた。みんな、ユリウスだけをじっと見つめている。


「はじめまして、ユリウス様」


「私たち、あなたとお近づきになりたくて」


 そんなことを言い出したかと思ったら、彼女たちはあっという間にわたくしとユリウスの間に割り込んできた。一斉に、きゃあきゃあと騒ぎ立てている。


 彼女たちに受け答えするはめになったユリウスの顔が、ちょっぴり引きつっていた。さすがの彼も、これだけの数の令嬢たちを一度に相手にするのは大変らしい。


 どこかで口を挟んで、ユリウスに加勢するべきかしら。そう考えて、令嬢たちの言葉に耳を傾ける。


 彼女たちは、とにかくユリウスに興味があるらしい。


『今度お茶会をするんです。珍しい茶葉が手に入りましたから、ぜひ来てください』


『ミンチパイはお好きですか、我が家の料理人の得意料理なんです』


『高名な歌姫が、私の屋敷に滞在しているんです。あの見事な歌声を、聞きにこられませんか』


 そんな感じの言葉が、次々と聞こえてきた。……要するに、彼女たちはユリウスを誘っているのだ。すぐそばに、婚約者たるわたくしがいることなどお構いなしに。


 ちょっといら立ちを覚えたその時、さらに図々しい声が耳に飛び込んでくる。


「ユリウス様、どうしてコンスタンツェなんかと婚約されたんですか? リルケの家に入っても、落ちぶれるだけですのに」


 わらわらと群がっている令嬢の、誰がその言葉を口にしたのかまでは分からなかった。けれどそれを合図にしたかのように、ユリウスの目つきがすうっと変わった。


 きっと、令嬢たちは気づいていなかっただろう。でもそこそこ付き合いのあるわたくしには、すぐに分かった。


 ユリウスは怒っている。それもかなり。……ここからどうするつもりなのかしら。


 固唾を呑んで状況を見守っていると、ユリウスはすっと進み出て、わたくしのすぐ前までやってきた。令嬢たちをかき分けるようにして。


 そうして彼はわたくしの肩を抱いて、しっかりと抱き寄せた。そのまま、令嬢たちに向き直る。


「あなたたちの誘い、とても嬉しく思いますよ。けれど」


 違うわね。彼はこれっぽっちも嬉しく思っていない。だって今、かすかなかすかな舌打ちの音が聞こえましたもの。


「私には、コンスタンツェという大切な婚約者がいますので。私は彼女以外の女性と婚約するつもりはないのです」


 令嬢たちはあからさまにがっかりしている。そこに、ユリウスがさらに追い打ちをかけた。


「彼女の家、リルケ家が存亡の危機にあることは事実です。だから私は、そんな彼女を支えていきたい。そう思っているのです」


 そしてユリウスは、すぐ近くでわたくしを見つめてきた。甘く優しく……と見せかけて、令嬢たちに見えないようにしていたずらっぽく笑っている。


 リルケの事情は全部分かった上で、それでもこの家に入ることを選んだのだと、彼はその言葉で、態度で表明している。


 わたくしたちの関係は、取引と契約から始まったもの。それが分かっていても、彼がわたくしを擁護してくれたのが嬉しかった。


「ああ、音楽が始まりましたね」


 こっそりと感動しているわたくしに、ユリウスがすっと手を差し伸べてくる。


「踊りませんか、私の姫君?」


 その仰々しい動きに、またぞろ笑いがこみ上げてくる。本当にもう、ユリウスといると飽きないわ。


「ええ、もちろんですわ」


 令嬢たちのじっとりとした視線を感じながら、ユリウスの手を取った。そうして二人一緒に、会場の真ん中に進み出る。


「……ど真ん中ですわよ、ここ」


「いいんだよ。あの女たちに……この場の連中みんなに、見せつけてやりたいからな」


 かすかな声でそう答えながらも、ユリウスはすっとわたくしを抱き寄せ、ダンスの体勢を取る。


「……見せつけるって、どうしてですの」


「あいつら、あんたのことを馬鹿にしてたからな。……そのくせ、自分の言葉で俺を口説こうとはしない。茶葉だの料理人だの歌姫だの、遠回しだよなあ」


「……わたくしも、お金で釣りましたけれど……」


 ゆったりとステップを踏みながら、ぼそりと答える。ユリウスのリードはとてもうまくて踊りやすい。イノシシと戦えるだけあって、彼の運動能力は高い。


「でも、あんたは自分の望みをはっきりと口にしただろ? 俺のことを理解したい、って」


「そういうものかしらね?」


「そういうものさ。とにかく貴族の、特に令嬢って生き物は、言ってることが回りくどくってなあ。性に合わないんだよ」


 くるりと回って、ユリウスが耳元に唇を寄せてくる。


「……そういう意味では、あんたは普通の令嬢とは違う」


「そ、それって褒めてますの!?」


「ああ。さっきも言った通り、俺はあんた以外の令嬢と婚約するなんざごめんだな」


 そうしているうちに曲が終わり、次の曲になる。


 ちょっと速めの、跳ねるような旋律。上級者向けの曲だ。そんなこともあって、踊っていた人たちがゆったりと、会場の端のほうに移動していく。残ったのは、わたくしたち他数組。


「ユリウス、わたくしたちも下がりましょう」


「やなこった」


 心底おかしそうに笑うと、ユリウスは踊り出した。わたくしをしっかりと支えて。


「ちょ、この曲は難易度が高いって教えましたわよね? あなた、まだそこまでダンスに慣れてはいないでしょう?」


「できるさ。俺たちならな。俺はあんたと、この曲を踊りたい。それとも」


 とても無邪気に、彼が微笑む。思わず見とれそうになるような、そんな透明な笑みだった。


「俺のリードが、信用できないか?」


 一瞬あっけに取られて、すぐに首を横に振る。


「いいえ。あなたのことは信用しているわ」


 ……ただ、何か企んでいるように見えるんですのよね。わたくしのそんな言葉を封じ込めるようにして、彼は明るく言い放つ。


「よし、じゃあ任せとけ」


 なんと彼はいきなり、わたくしを振り回すようにして思いっきり踊り始めた。普通の令嬢なら、すぐに転んでいただろう。それくらいに激しい動きだった。


 しかしわたくしはユリウスに付き合って町歩きやら森歩きやらをしていたせいか、割と体力がついていたようだった。それに彼は、わたくしが吹っ飛ばないようしっかりと支えてくれていた。


 そんな訳で、ぎりぎりではあるものの彼と一緒に踊ることができていた。ぐるんぐるん、ぴょんぴょん。これ、もう普通のダンスではありませんわ。


 こないだマルコが、町の子供たちと遊んでやっているのを見ましたけれど、あれに近いですわね。こう、相手を抱きかかえてぶんぶん振り回す、あれ。


 ふふ、なんだかおかしい。豪華なドレスをまとって、こんな無茶苦茶な動きをすることになるなんて思いもしませんでしたわ。


 そうして気がつけば、もう曲は終わっていた。あれだけわたくしを振り回していたというのに、ユリウスは涼しい顔をしている。むしろわたくしのほうが、息が上がってしまっていた。


 そして、気づいたことがもう一つ。どうやら今の曲を踊り切ったのは、わたくしたちだけのようだった。


 難しさに離脱した、というよりも……みんな、ひときわ派手に踊るわたくしたちを眺めていたいと、そう考えていたみたいで……。


 会場は、静まり返っていた。……そして次の瞬間、一斉にわき起こる拍手喝采。


 わずかに息を弾ませながら、そっとユリウスにささやきかける。


「……この上なく目立ってしまいましたわね。あれだけにぎやかに踊ったのですから、当然かもしれませんけど」


「こういうのも、いいんじゃないか? みんな面白がってくれてるし、俺はとっても楽しかったぜ」


「……そうね。わたくしも、楽しかった」


 ちょっと照れくささを感じつつ、それでも誇らしい思いで割れんばかりの拍手の音を聞いていた。

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