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男爵令嬢コンスタンツェは崖っぷち  作者: 一ノ谷鈴
第3章 過去があっての今
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16.遊びも本気で全力で

「なあ、遊ぼうぜ」


 ある日唐突に、ユリウスがそう言った。いつもの勉強が一段落ついた、そんな瞬間に。


「ええ、構わないわよ。ちょうど休憩時間だし……お茶にする? ボードゲームにする? それとも町歩き?」


「お茶はいつも飲んでるし、さんざん頭を使った後だからボードゲームはちょっとな」


 ううんと伸びをしながら、ユリウスがつぶやいている。


「あんたと二人で町歩きも楽しいが、今はこう……みんなではしゃぎたい気分だな。体を動かせれば最高だ」


 その時、こんこんと部屋の扉がノックされる。顔を出したのはフランクだ。真新しい執事の服装が、よく似合っている。


「お嬢様、確認いただきたい書類をお持ちいたしました。今は休憩中なのですね。急ぎではありませんので、後程確認ください」


 そう言って数枚の書類を差し出したフランクを見て、ユリウスがはっとした顔になる。


「あ、そうだ! いい遊びがあるじゃないか!」




 それから一時間後。わたくしたちはみんなで、リルケの町のすぐ外にある明るい森を歩いていた。


 隣にはうきうきした顔のユリウス。そして後ろにはオットーと、カミラにマルコにフランク。


 ユリウスは孤児院仲間のフランクの顔を見た時、いい気晴らしを思い出したのだそうだ。


「森をふらふらして、面白そうなものを持ち帰る。そんな遊びだな。集めるのは薬草とか食べられる木の実とか、変わった石とか。薬草を持って帰ればグスタフが薬を作ってくれるし、木の実はおやつになる。石はいい値で売れることもあるんだ」


「綺麗な石なら売れなくても、ちびたちのおもちゃになるし。ね、ユリウス様?」


 カミラが心底おかしそうに、そう口を挟んだ。


「だから、様はやめてくれって……」


「そうは参りませんよ。貴方はいずれ僕たちの主となる方なんですから」


 フランクがとっても真面目に反論しているけれど、その声には笑いの響きがある。


「よ、ご主人様! なんてな」


 マルコは明らかにからかっている。この三人とユリウス、きっと孤児院でもこんな感じで過ごしていたのだろうな。


 ちょっとうらやましいと思いながら、木々の隙間をすり抜けるようにして歩く。すぐ後ろでは、オットーが周囲を警戒してくれていた。


 ちなみにオットーを誘ったのもユリウスだ。彼は「せっかくだから、あんたにも遊びを教えたいなって思って」と言っていた。


 それにしても、こんな風に森に分け入ったのは初めてだ。右も茂み、左も茂み、とにかくもさもさしていてよく見えないし、どこを歩いていいのか分からない。


 ただユリウスに、獣道の見分け方は教えてもらっていた。茂みが押しのけられたようになっていたり、背の丈が低い草が集まっているところを探すといいらしい。


 獣道。つまり、道なき道を獣たちが力ずくで通り抜けていった跡なのだろう。結構道幅があるのだけれど……こんな道を作る獣って、何かしらね。割と大きいものみたいだけれど。


 そう思っていたら、目の前の小さな草地を何かの影が横切った。


「あら、ウサギだわ。可愛い」


「うーん、ちょっと肉付きが悪いな。狩るのは今度にしとくか」


 思わず声を上げたら、すぐ前のユリウスが妙なことを言った。


「なんだ、久々におれの絶妙な石投げを見せてやろうと思ったのに」


 そんな言葉に驚いて振り向いたら、マルコが準備体操のように肩を回していた。


「……狩る、って……?」


「あ、ごめん。お嬢様には可愛いものでも、あたしたちにはおいしそうにしか見えなくて」


「貴族の屋敷で暮らすのなら、この感覚も改めないといけませんね」


 呆然とするわたくしに、カミラがぺこりと頭を下げ、フランクが考え込むような顔になった。


「ふむ、みなさまはたくましいのですな。さすがユリウス様のご友人」


 オットーはオットーで、そんなことをのんびりと言っている。どうも彼も、ユリウスの近くで過ごすうちに、少々のことでは驚かなくなってしまっているような。


「と、ともかく、今日は狩りはなしということにしましょう!」


「はいはい。相互理解の名目で、強引に押し切ってもよかったんだが……ま、いっか。お嬢様には刺激が強すぎるし」


「あ、ユリウスやっさしー」


「うっわ、かっこつけてるな」


「まあまあ二人とも、お二人は婚約者同士なんですから……」


 軽やかに笑うユリウスに、すかさずカミラとマルコが茶々を入れる。そんな二人を、フランクが苦笑しながらなだめていた。


 そうしてそのまま、みんなで言い合いを始めてしまう。ああ、やっぱり子犬のじゃれあいだわ。ただ今回は、子犬が四頭。


 楽しそうですわねえと、少し離れて四人を見守る。隣ではオットーも、孫を見る祖父のような顔をしていた。


「お前たち、さっきから妙に温かい目でこっちを見てるの、気づいてるからな!」


 そんな風にユリウスが叫んではいたけれど。




 リルケの町のすぐ近くにあるこの森は、結構豊かな場所だったらしい。ほんの二時間ほどぶらついただけで、たっぷりと収穫が得られたのだ。


「こりゃいいな。町からちょっと離れただけで、こんなに色々採れるなんて」


「でも、町の人たちの分の食料を奪ってしまったような、そんな気もするの」


 たぶん町の人たちも、今のわたくしたちと同じように森に分け入り、その恵みを集めているのだと思う。


 食うには困っていないわたくしたちが、それを取ってしまってよかったのか、今頃気になりだしたのだ。


「気にすんなって。ちゃんと、他のやつの分も残したから。それにあんたにも、森のうまいものを食う権利くらいあるって」


「だったら、いいのかしら……?」


 そうつぶやいたら、横から声がした。


「お嬢様、やっさしー」


「おれたちみたいなのを雇おうなんて考えるくらいだからな」


「ええ、素敵な方ですね」


 もうすっかり慣れてしまった、カミラとマルコとフランクの、息ぴったりの掛け合いだ。


 くすりと笑ったその時、視界の隅のほうに何か見慣れないものがあるのに気がついた。何の気なしにそちらを見て、さあっと血の気が引く。


「ん、どうしたコンスタンツェ? って、あれか」


「おっ、いい感じに大物だな!」


「ちょ、ちょっとお待ちになってマルコ!」


 飛び出そうとするマルコを、必死に引き留める。


 いつの間にか、わたくしたちの近くに獣が近づいてしまっていたのだ。実物を見るのは初めてだけれど、たぶんあれはイノシシ。


 たぶん、なんて言葉がついたのは、オットーがとっさにわたくしの前に立ちはだかり、壁になってくれたからだ。


「お嬢様、今のうちにお逃げください!!」


「駄目よオットー、あなたを置いてはいけないわ!!」


 そんなやり取りをしていて、気がついた。さっきイノシシに突進していったマルコだけでなく、ユリウスとカミラ、フランクの姿も見えない。


「みんな、どこに行きましたの!?」


「ここだよ、っと!」


 声を張り上げたら、返事があった。わたくしの目の前に立ちはだかっているオットーの背中の、その向こうから。


「……お嬢様、そこから動かれないほうがよさそうです」


 そして、疲れたようなオットーの声。


「……今、マルコがイノシシを仕留めました。四人がかりで追い回して……見事な連携でした」


「イノシシを、仕留めた!?」


「はい。そして今、ユリウス様とマルコがせっせと解体しておられます……カミラとフランクが、手押し車を取りに町に向かいました……」


「解体!? ユリウス、そんなことできたんですの!?」


「おう。孤児院では、野の獣も大切な食料だからな。さっき言ったろ」


「ちなみにユリウス様は、迷いのない手つきで解体されておられます……」


 そう実況してくれているオットーの声が、困惑に震えている。


「狩るのも解体するのも、グスタフのほうがうまいんだよな」


「だな。力ならおれのほうが上なのに……」


 ユリウスとマルコの声がする。なんだかとんでもないことを言っているような気がする。


 けれどわたくしは、オットーの背中の後ろから出られない。いつしか辺りには、濃い血の臭いが漂っていた。向こう側の光景を、目の当たりにする度胸はない。


「あ、やっぱり怖いか? もう少しの我慢だ。もうじき、血抜きと解体が終わる。今夜の晩飯はイノシシの焼肉で決まりだな」


「あれ、うまいんだよな。カミラが焼くと、特に。なあユリウス、おれたちにも回ってくるよな」


「ああ、これだけ量があればみんなで食える。……コンスタンツェ、貴族のちまちました飯とはまるで違う、面白い飯になるぞ」


 そんなやり取りを経て、大きくて怖いイノシシは、たくさんの肉と毛皮と、あとあれこれ……見たくないのできちんと確認していない……の山になった。


 そうしてイノシシの肉は無事に屋敷に運び込まれ、カミラの手により豪快な焼肉になった。


 わたくしのこぶしよりももっと大きな肉をごろごろと大きなまま金串に刺し、炭火で焼いて塩を振ったもの。ナイフとフォークではなく、串を手で持ってかぶりつく。


 ……とってもおいしかった。


 またイノシシに出くわさないかなと、そんなことを思ってしまうくらいには。

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