11.貴族でいるのも楽じゃない
「ああ、面白かった。たまにならこういうのもいいかもな」
「わたくしは驚きすぎて、まだ頭がこんがらがっていますわ……」
お茶会から帰る馬車の中で、ユリウスは無邪気に笑っていた。いたずらに成功した子供のような笑顔だ。
……いたずら、で合っているのかもしれない。リルケにやってきた正体不明の婚約者について、今頃みんな大騒ぎしているだろうし。どうしてあんな好青年が、滅亡寸前のリルケに入ろうとしているのか、って。
招待客たちのあの驚いた顔、思い出しただけでくすりと笑えてしまう。
そんなことを考えていたら、ユリウスがふっと目を細めてわたくしをまっすぐに見つめてきた。
「ルイーゼの思惑も叩き壊してやれたし、俺とあんたについて悪い噂が立つこともなさそうだし。それなりにうまくいったと思っていいんじゃないか?」
「『それなりに』じゃなくて『かなりよ』。落ちぶれたリルケの家に、素晴らしい好青年が入ることになったって、きっとそんな噂が立つわ」
「今日のお茶会にいた人数はそう多くなかったから、そんな噂が立ったところで大して変わらないんじゃないか?」
「貴族たちの間では、噂はあっという間に広まるから。一か月も経たないうちに、国中の貴族に知られるでしょうね」
「ふうん。やっぱ暇なんだな、貴族って」
「否定はしませんわ」
そうして、二人で笑い合う。ユリウスが普段とまるで違う口調で話し始めた時はびっくりしたけれど、今日のことはいい思い出になりそうだ。そう思いながら。
ところが、この騒ぎは次の騒ぎを呼んできてしまった。
「お嬢様、ユリウス様、また手紙が届きました」
笑いをこらえたような顔で、オットーがうやうやしく手紙を運んでくる。
「またですの!?」
「……これで何通目だ?」
そう返すわたくしたちの前には、既に手紙の山ができていた。
わたくしが予想した通り、ユリウスの存在は貴族たちの間ですっかり噂になってしまったようだった。……それだけなら、何も問題はなかったのですけれど。
暇を持て余した貴族たちは、どうやらこう思ったらしい。そのユリウスとかいう青年に、一度会ってみたい、と。
あのお茶会からしばらくして、毎日のように手紙が届くようになったのだ。お茶会やら舞踏会やらの招待状が。
「さすがに、多すぎるだろ……前みたいに猫かぶってるの、結構疲れるんだぞ」
「そうでしょうね。わたくしとしても、あなたに無理はさせたくないし。ひとまず全部断っておきましょうか。リルケの復興に専念したいからとか何とか、そんな感じで」
「その気持ちはありがたいんだが、断りの返事を書くだけでも一苦労だ」
二人でぼやきながら、せっせと返事を書いていく。そうしていたら、ちょっと毛色の違う手紙が出てきた。
「ユリウス、これあなたあてだわ。他のはだいたい、わたくしとあなたの両方の名前が書いてあるのに」
「ふうん、妙だな? 俺、今こっちの返事を書いてるところだから、あんたが開けてくれ」
「ええ、分かったわ」
そうして手紙を開封して、中身を広げて、あわてて閉じる。
「ね、ねえユリウス、これわたくしが見ていいものじゃありませんわ」
「お? なんだなんだ」
急いで手紙をユリウスに押しつけると、彼はのんびりとそれを開いて、じっくりと目を通して、それから肩をすくめた。
「へえ、恋文か。婚約者のいる男にこんなもん送ってくるなんて、何考えてんだか。俺のほうから断っておくよ」
さらりとそう答えたユリウスに、ちょっとためらいながら尋ねてみる。
「その……あなたは、気になりませんの? 差出人のこととか」
「ん? 別に。この文章を読んだ限りだと、面倒くさい貴族のお嬢様の一人でしかなさそうだしな。あんたのほうがよほど面白い」
彼は即座にそう言い切って、ふと目を見張る。
「というか俺、あんたと結婚することになってるんだぞ。今さらよその女の誘いになんか乗るかよ」
「ええ、そうね。でもちょっと、気になったの」
彼の言葉が嬉しかった。彼がここに来たのはオットーとの取引によるもので、こうしてわたくしと過ごしているのはわたくしとの契約によるものだ。
でも今の彼は、わたくしと結婚すること自体に前向きになってくれているように感じられる。
「何にやにやしてるんだ?」
「……レディに対して『にやにや』って……もう少し言葉を選んでちょうだいな」
「いいや、さっきのは間違いなく『にやにや』だった」
「もう、ユリウスったら」
そうやってわいわいと騒ぐわたくしたちを、オットーはとても優しい目で見守ってくれていた。
それからも、二人がかりで返事を書き続けることしばし。どうにかこうにか、今ある分だけは片付いた。
「はあ、やっと終わりましたわ……」
「だが油断していたら、また次の手紙がくるような気がするんだ……」
「奇遇ですわね。わたくしも同感ですわ」
ソファにぐったりともたれかかりながら、そんなことをだらだらと話す。
「……よし、逃げよう」
「えっ、ユリウス!?」
「大丈夫だよ、逃げるってのは言葉のあやだからな。毎日手紙の返事書きに忙殺されるなんて冗談じゃないし、数日間ここを離れてのんびりするんだ」
彼の提案は、素敵なもののように思えた。正直わたくしも、あの手紙の山がまた来たらと思うとうんざりしてしまう。
「じゃ、そういう訳だから。オットー、『コンスタンツェお嬢様とその婚約者のユリウスは、二人仲良く遊びにいきました』って他の連中には答えておいてくれ」
善は急げ、とばかりにユリウスが立ち上がり、わたくしに手を差し出す。わたくしを引っ張って、部屋から出ていこうとした。
そこにオットーが、ゆったりと声をかける。口調こそ事務的だったけれど、その目はとってもおかしそうに微笑んでいた。
「ユリウス様、滞在先について教えてはいただけないでしょうか。お二人が留守の間に何かあった場合に備えて」
「……俺の大切な場所。今のこいつなら、もう見せても大丈夫だろうし。俺も、見てもらいたいって思ったからな」
「なるほど、あそこでございますね。了承いたしました」
わたくしを置き去りにして、二人だけで話が進んでいる。
少しは説明して欲しい……いえ、いずれ明らかになるのだからおとなしくしておくべきかしら。ユリウスもオットーも、二人してわたくしを驚かそうとしているみたいだし。
「いってらっしゃいませ、お嬢様。ユリウス様との休暇を、どうぞ楽しんでくださいませ」
オットーが開けた扉から、ユリウスがわたくしを連れ出した。そっと、手を引いて。
それからしばらく後。わたくしたちは馬車に乗って、野原の中の街道をひた走っていた。
「てっきり、リルケの町に行くのだとばかり思っていましたけど……お忍び用の、平民の服に着替えてこいだなんて言うから」
わたくしもユリウスも、いつもの貴族の平服ではなく、いつも町に遊びにいく時の服を着ていた。前にもらったあのスカーフを、ふわりと肩に巻いて。
「町に行くっていうのは合ってるな。……っと、ここで止めてくれ」
ユリウスは突然御者に呼びかけて、馬車を止めさせた。野原の中にぽつんと生えた大きな木のそばで。
ちょっと離れたところに、町の姿が見えている。あれはマディセスの町、我がリルケ家に残された数少ない領地の一つだ。でもそれ以外、何もない。ただの草原にぐるりと囲まれている。
「さあ、行くぞコンスタンツェ」
「行くぞ……って、どこに?」
「あの町。マディセス。こんな身なりの俺たちが、町中で貴族の馬車から降りたら目立つだろ。だからここで降りて、あそこまで歩く」
にっこり笑って、ユリウスが手を差し伸べてくる。
「リルケの町でさんざん一緒に遊んだし、町の外の野原にも出かけただろ? ここからあそこまで歩くくらい、いまのあんたなら楽勝さ」
「まあ……そうですわね。知らない町というのも面白そうだし」
「よし、決まりだな」
ユリウスは満足げに笑うと、馬車の御者に話しかけ始めた。マディセスの町に数日合流するから、どこそこの宿で待っていてくれ、とかなんとか、そんなことを。
そうして馬車が一足先に町に向かって走っていく。それを見ながら、わたくしたちも歩き出した。二人並んで、しっかりとした足取りで。




