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男爵令嬢コンスタンツェは崖っぷち  作者: 一ノ谷鈴
第2章 歩み寄っていく二人
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10.婚約者の意外な一面

 ユリウスがいら立った表情で、それでも丁寧に手紙を開けた。真っ白い便せんに目を通して、思いっきり眉をひそめている。


 手紙の差出人はルイーゼ。絶対にこの手紙は、ろくでもないものに違いない。できることなら見なかったことにしたいのだけれど、そうはいかない。


 とっても重い気持ちで、自分の分の手紙を開封する。彼女の上品で気取った、そして繊細な文字が目に飛び込んでくる。


『今度、年の近い令嬢や令息を招いて、親交を深めるお茶会を開こうと思いますの』


 そんなあいさつに続いて、お茶会の日時と場所が記されている。さらにその下に、少し大きめの字でこう書き添えてあった。


『絶対に、絶対に来てくださいましね? 婚約者様も連れて、お二人で。しらを切っても無駄でしてよ? あなたの屋敷にずっと謎の客人が滞在していると、噂になっていますのよ』


 噂って……どこからもれたのかしら。使用人とか、出入りの商人とか……? まあ、そちらを気にしても始まりませんわ。ともかく、ルイーゼをどうにかしなくては。


「ルイーゼ、何がなんでもあなたの顔を見たいんですのね……」


「前の時もそうだったが、本当にしつこいのな、あいつ。暇なのか? ……それで、どうする?」


 わざとらしく肩をすくめて、ユリウスがこちらを見た。首をかしげて視線をそらし、ため息交じりに答える。


「招待を断ることは可能だけれど……でもそうしたら、彼女がどんな行動に出るか分かったものじゃない。もしかしたら、面倒な噂が立ってしまうかもしれない」


「確かに。あのルイーゼだったら、むしろ積極的に噂をでっちあげるくらいやりそうな気もするんだけどさ」


「……あり得るわね、それ」


 つまり今後のことを考えると、素直にユリウスをお茶会に連れていくのがたぶん正解なのだろう。


「でも……わたくしは、あなたに恥をかかせたくはないの。きっとお茶会にあなたが姿を現したら、陰口を叩く者も出てくると思うの。あれは誰だ、本当に貴族か、とか……」


 どんな手を使ってでもわたくしに勝ちたいルイーゼは、きっとユリウスに難癖をつけてくるだろう。どれだけ彼が貴族らしく立派にふるまったとしても。


 そしてわたくしは、彼のことを守り切れそうにない。そもそもリルケ自体が既に悪評まみれだし、擁護しようにもわたくしはユリウスの事情についてろくに知らないし。


 ああ、悔しい。彼は確かに出自不明ではあるけれど、信頼に足る人物なのに。


「だから、あなたは欠席したほうが……ルイーゼの相手は、わたくし一人で頑張るわ」


「気遣い、ありがとうな。でもせっかくだし、顔を出してみるよ」


 決意を込めていった言葉を、あっさりとユリウスはひっくり返しにかかってしまう。


「え? で、でもあなたは、ああいう場は苦手でしょう? それに、間違いなくルイーゼが根掘り葉掘り聞いてくるわ」


「ああ、そうだな。でもだからこそ、早いうちに体験しておきたいんだよ」


 そう言って、ユリウスはにやりと笑う。どうやら彼には彼なりに考えがあるらしい。だったら、その意思を尊重しよう。何かあったら加勢できるように、心の準備だけしておいて。


「分かりましたわ。それでは、気合いを入れて準備をしましょうか」


 まるで戦場におもむくような心持ちで――本当に戦場に行ったことなんてありませんけど――わたくしは、ユリウスにうなずきかけた。




 そうして、ルイーゼのお茶会、当日。


 わたくしとユリウスは、二人で馬車に揺られていた。きちんと着飾って。


「なあ、さっきからやけに静かだな?」


「……その、あなたの雰囲気が普段とまるで違うから……どうしていいか、分からなくなってしまって」


 向かいに座るユリウスは、麗しかった。彼がリルケの屋敷にやってきた直後に、彼に合わせて晴れ着を作らせておいたのだけれど……その晴れ着は、恐ろしいくらいによく似合っていた。


 彼はやはりひらひらごてごてしたものを好まないということもあって、少し地味ではある。けれどそのすっきりした感じが、彼にはこの上なくぴったりだった。


 そして衣装のせいなのか、彼の雰囲気までもがすっかり変わってしまっていた。いつもの軽やかでいたずらっぽいものから、ゆったりと落ち着いたものに。


 彼は明らかに、いつもよりずっと上品にふるまっていたのだ。礼儀作法は一通り教えたけれど、ここまで見事に身につけているなんて思いもしなかった。


「そんなに違うか? ただ、今まであんたたちに教わったことを実践してみただけなんだが」


「ええ、違うわ。これで口調を改めたら、もう立派な貴公子そのものよ」


「あんたにそこまで言われるとは思わなかったな」


「褒めているのよ、一応言っておくけれど」


「ああ、分かってるよ。どうにもくすぐったくてたまらないけどな」


 そんなことを話していたら、ついにルイーゼの屋敷についてしまった。馬車を降り、会場の入り口で待ち構え……出迎えていたルイーゼの前に二人一緒に進み出る。


 ルイーゼはわたくしの隣に立つユリウスをちらりと見て、口元に笑みを浮かべた。獲物をいたぶろうとしている時の顔ですわね、あれ。


 たっぷりともったいをつけて、ルイーゼが口を開く。


「ようこそいらっしゃいました。コンスタンツェと……お名前をうかがっても?」


「初めまして、私はユリウス、コンスタンツェの婚約者です。以後よしなに」


 優雅に微笑んで、ユリウスが答える。噂が流れてしまったということもあるし、わたくしたちは正式に婚約者を名乗ろうと決めていた。きちんと届を出す必要がある婚姻と違って、婚約は口約束でも成立するし。


 いえ、それはそうとして。彼は今、なんて言いました!? 何ですの、あの口調は!?


「うふふ、ご丁寧にありがとうございます。コンスタンツェにこんな素敵なお知り合いがいるなんて、存じ上げませんでしたわ。お二人は、どのようにして知り合ったんですの?」


 ルイーゼは礼儀正しそうな口調で、しかしずけずけと尋ねてくる。わたくしを無視して、ユリウスをまっすぐにとらえながら。


「私は彼女に拾われたんですよ。それまでは貴族とは名ばかりの、つましい暮らしをしていました」


 真実とはかなり違うけれど、かといってまるきりの嘘でもない。そんな言葉を、ユリウスはすらすらと口にしている。


「あらまあ、それではあなたは、コンスタンツェに頭が上がらないんでしょうね。おかわいそうに」


 そしてそこに、ルイーゼが食いついた。してやったり、みたいな顔をしている。腹立ちますわ、あの顔。


「いえ、そうではないのです。彼女はとても聡明で、いつも私のことを気遣ってくれています。私は彼女に出会えてよかったと、心からそう思っているのですよ」


 ユリウスはさわやかに笑って、そっと隣のわたくしを見た。思わずどきりとしてしまうような、色っぽくてかつ慈愛に満ちた、そんな目つきだった。


「まあっ、ユリウス様……」


 そしてルイーズも、彼のそんな表情に目を引かれたらしい。急にしなを作って、目をぱちぱちさせ始めた。……たぶんあれは……わたくしからユリウスを強奪しようとしている、のかしら。


 しかしその時、次の招待客がルイーゼにあいさつするためにやってきた。わたくしたちにとってはありがたいことに、ルイーゼにとってはありがたくないことに。


 ルイーゼがそれ以上何かを言うよりも先に、ユリウスがすっと会釈する。


「ああ、あなたを独占してしまいましたね、ルイーゼさん。それでは私たちはこれにて。素敵なお茶会、存分に楽しませていただきますね」


 そうして彼は、わたくしを伴って会場の奥に向かっていく。人ごみにまぎれるようにして。


「……ユリウス、今のって……」


「見事だったろ? 俺、やればできるんだよ」


 小声で尋ねたら、やはり小声で返ってきた。


「予想を大幅に超えていましたわ……まだ、自分の目と耳が信じられないくらい」


「ははっ、じゃあもっと驚かせてやろうか」


「え?」


「よし、行くか」


 ユリウスはにやりと笑い、わたくしを連れて進み出た。ちょ、ちょっと、何をするつもりですの。そんな抗議の声を、見事なまでに無視して。


 彼が何をしようとしていたのかは、すぐに明らかになった。


 彼は上品な好青年そのものの態度で、他の招待客と交流しまくったのだ。にこやかに話しかけて、仲良くなって、また次の人に声をかけて。


 お茶会が終わる頃には、もうユリウスはすっかりみんなと親しくなってしまった。こんな素敵な方が婚約者だなんてうらやましいわ、などと何度言われたか。


 ふと会場の隅に目をやったわたくしは、恐ろしいものを目にしてしまった。ものすごく恨めしげな目で、ルイーゼがわたくしをにらんでいたのだった。


 彼女はきっと、このお茶会でわたくしに大いに恥をかかせるつもりだったのだろう。


 落ちぶれたわたくしと添うことを決めた婚約者など、ろくな人間ではない。そのことを、他の招待客に見せつけようとしていたのだろう。


 けれどユリウスは、品性と教養を身につけ、周囲の人間を惹きつける、そんな人物だった。


 ルイーゼはさぞかし悔しがっているのだろうな。でもある意味自業自得のようなものだし。そう考えていたら、あることに気づいた。


 彼女は、わたくしを見ている時は恐ろしい目つきをしている。けれどユリウスを見ている間は、全然違う表情をしているのだ。うっとりしているような、目が潤んでいるような……?


 ……これ以上、考えるのはやめておこう。これ以上彼女に関わったら、面倒なことになりそうな気がひしひしとする。


 彼女から目をそらし、そっとユリウスを見上げる。やはり優雅に他の客とやり取りしていた彼は、ちらりとこちらを見て、目だけでおかしそうに笑ってみせた。

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