1.崖っぷち令嬢の決意
「……つまり、わたくしは何としても婿を探さなくてはならない。そういうことね」
深々とため息をついて、視線をさまよわせる。
生まれ育ったリルケの屋敷、ここはその居間だ。腰かけているソファも、すぐそばにあるテーブルも、小さな頃から慣れ親しんできたものだ。わたくしの大切な場所。
でもこのままでは、この場所はなくなってしまう。それだけは、なんとしても阻止しなくては。
かたわらに控えた執事のオットーが、いたましそうにうなずいてきた。彼は白髪の老人ではあるけれど、姿勢はよく立ち居ふるまいも若々しい。
「はい、コンスタンツェお嬢様。このリルケ男爵家に残っておられるのは、もはやお嬢様ただ一人」
「親戚の者たちは、みんなさっさとわたくしを見捨てていったものね。沈む船から逃げる、ネズミのように」
かつてリルケ男爵家の当主であったお父様の、とんでもない行い。それにより、我がリルケ家は滅亡の危機を迎えていた。
領地はほとんど没収され、リルケの名誉は地に落ちた。親類たちはリルケと縁を切ると宣言して、逃げていってしまった。
そうして後には、呆然としているわたくしだけが残された。まだ十五歳の、たった一人のリルケの人間。
この国では、女性が当主になることは認められていない。だからリルケの家を存続させるためには、わたくしが婿を取って、その婿を次の当主にするしかない。
「このようなことにならなければ、お嬢様のもとに来てくださる婿殿はすぐに見つかったのでしょうが……」
オットーが決まり悪そうに言葉を濁している。
それもそうだろう。今のリルケは、貴族たちの社会ですっかり孤立してしまっているのだ。こんな状態では、婿になってくれる者など見つけようがない。
でもわたくしが婿を取れなければ、リルケは終わる。何とかしなくては。
そうしてわたくしとオットーは、毎日のようにこんなことを話し合っているのだった。けれどそうしていても、少しも問題は解決に向かっていかなかった。むしろ、絶望が深まるばかり。
「婿……さすがに、そこらの人間を適当に捕まえてくる訳にはいかないし。ただの婿ならともかく、男爵家の当主となってもらわないといけないのだから……」
「はい。少なくとも、いずれかの貴族の家に属する者でなければなりません」
貴族にこだわらなければ、婿を探すことも可能だろう。でも平民には、貴族の家を継ぐことは許されていない。少なくとも貴族の養子となり、貴族としての籍を手に入れる必要がある。
「親戚たちには縁を切られたし、友人たちも疎遠になってしまったし。『わたくしの婿にしたいから、この方を養子にしていただけないかしら』なんて頼める相手が、もういませんもの」
わたくしが養子を取って跡を継がせる、という手もあるのだけれど、その場合養子が当主となるには貴族の伴侶が必要だったりする。平民上がりが一人で家を牛耳らないように、こうなっているのだとか。
「……結局、どこかよその貴族に協力してもらうほかないのよね……」
ソファの背もたれに行儀悪くどっかりともたれかかって、深々とため息をつく。
「もう誰でもいいから、捕まえられないかしら……素行が悪くて持て余している人間の一人や二人、どこの家にでもいるでしょう」
最悪の場合、婿がどうしようもなく無能でも、その場合はわたくしが当主としての執務を肩代わりすればいい。とにかく必要なのは、貴族の血だ。
「いえ、それは賛成しかねます、お嬢様」
「あら、どうして?」
「お嬢様はとてもしっかりしておられますが、まだ齢十五の可憐な乙女。そういった不埒な輩と縁組などすれば、お嬢様が不幸になってしまわれます。それでは、本末転倒にございます」
オットーは真剣な目で、そう言い切った。自分のことを心配してくれている人がいるのが、とても嬉しい。
「ならば、大きく年の離れた相手というのはどうかしら? いるでしょう? 四十を超えてまだ独り身の方とか……」
「そちらもお勧めしかねます。いい年をして未婚の男性というものは、えてして問題のある人物のことが多いのですよ。そうでなければ家族なり友人なりが、つり合う相手を見つけて、若いうちに家庭を持たせますから」
その言葉に、つい自嘲の笑みがもれてしまう。
「わたくしも、ある意味問題のある人物ではあるのだけれどね。滅びかけた家の、最後の一人なのだし」
「それは、お嬢様のとがではありません。お嬢様は不幸な出来事に翻弄され、けれどその中でも立派に前を向いておられる。とても、素晴らしいお方です」
「オットー、褒めすぎよ」
生真面目なオットーの過剰な褒め言葉に照れ臭くなり、苦笑する。オットーもかすかに口元をほころばせていたが、彼はまたすぐに真顔に戻った。
「そして、年少の者ですが、こちらも難しいでしょう」
「あら、どうして?」
「婚姻そのものは、赤子であっても認められるでしょうが……未来ある子供を、リルケ存続のために差し出す家が、果たしてどれだけいるでしょうか」
「そうね……現状を考えると……よほど訳ありの立場の子供だけになるでしょうね」
「ことによると、金銭とひきかえに……となる可能性もあります。そうすると、年端もいかぬ赤子を金で買ったという、そんな悪評が立ちかねません」
ほんの少し気まずそうに声をひそめていたオットーが、悲痛な顔をして息を吐いた。
「せめてもっと時間があれば、あれこれと手も打てたのでしょうが……」
当主の座が空席のまま三年経てば、問答無用でその家は取り潰される。この国では、そういう決まりになっている。
そしてわたくしたちに残された時間は、あと二年しかなかった。手をこまねいていたら、あっという間に終わりが来てしまう。
もしリルケの家がなくなってしまったら、わたくしはどうやって生きていけばいいのだろう。
令嬢としてのたしなみなら、自信がある。当主としての執務もそれなりにこなせる。でも家がなくなって平民になったら、そんな知識が役に立つとも思えない。
かといって、こんなわたくしを嫁にもらってくれそうな人もいない。こんな、醜聞まみれの落ちぶれた令嬢を。
どうにも行き詰ってしまったものを感じ、ふうとため息をつく。
「正直、もう八方ふさがりなのかしらね。最後の最後まで、あがいてみようとは思うけれど……もし、駄目だったら……」
「お嬢様」
わたくしの弱音を、オットーが厳しい声でかき消す。そうして彼は、難しい顔をして唇を引き結んだ。
「……一人だけ、当てがあるかもしれません」
思いもかけない言葉に、立ち上がってオットーをまっすぐに見つめる。彼は重々しく、言葉を続けた。
「ですがその当ては、とても頼りなく、不確かなものなのです。お嬢様には苦労をかけることになりますし、うまくいくとも限りません。ですがもし成功すれば、リルケ男爵家は救われます」
どうやらオットーの言う『当て』とやらは、中々に気難しいか、あるいは不安定な立場にいる人物なのかもしれない。
けれどオットーが見込んだのであれば、そう悪い人物ではないのだろう。
長くリルケ男爵家に仕えてくれているオットーは、ずっと使用人たちを束ねているということもあって、人を見る目は確かだ。
「……そう。だったら、その方に会ってみたいわ。手はずを整えてちょうだい」
だからためらうことなく、そう答えた。オットーはいつになく真剣な顔のまま、きびきびと礼をして、部屋から出ていった。
「……あんたが、俺を必要としてるっていうお嬢様か」
そうしてわたくしの屋敷にやってきたのは、不敵な笑みを浮かべた少年だった。