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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

やけっぱちビターもしくはスイート

作者: スイセイ


 受験、終わった。

 厳密に言えば全日程を終了したわけじゃないけど俺にとっては終わった。古いネットスラングで言うところのオワタってやつだ。自己採点を待つとかそんなレベルじゃなく試験中からもう白昼夢の中にいるみたいだった。え、なにこれ。俺今なんでこんなとこいんの。今何が起こってんの。これ、ゆめ?

 そんな感じで、呆然としたまま二月の十三日まで過ぎた。

 気づいたら俺は、チョコレートを作っていた。




 自由登校日の午後四時だ。教室どころか三年の階丸ごと、人の気配なんかまるでない。こんな日だからって浮かれたカップルが思い出作りになんかしらやってるかとも思ったけど。みんな真面目だね。俺だって真面目だったんだ、共通試験の日までは。

 とは言えもちろん他の学年はまだ授業の真っ最中。グラウンドからは時々笛の音と、声とも環境音ともつかない小さなざわめきが聞こえる。薄暗い教室。窓の外には冬の高い空と、トラックをまばらに走っていく青ジャージ。なんだかこことあそこじゃ全然別の時間が流れてるみたいだ。実際、そうなのかもしれない。高3の二月半ば。一日一日が人生を左右する大事な時期だとかなんとか。一年くらい前に聞き流した、教師か誰かの説教が今更刺さる。

 廊下の方から、教室に向かって足音が近づいてきた。ドアのすぐ外で音が止まったかと思うと、一瞬後にガラガラと引き戸が開く。見慣れた顔が教室内を見回した。クラスの女子が少なくとも四人惚れてる程度にはイケメンで、一見堅物っぽいけど実はお人好しな眼鏡野郎。どれくらいお人よしかって、自分が推薦で合格したその後に、同じ大学目指してるクラスメイトの勉強に連日ガチで付き合ってくれるくらい。

 その男こと、俺が呼び出した張本人である東 京一郎に向かって、俺はひょいと片手を上げた。


「よ、東。久しぶり」

「……能海」


 逆光で影になった顔が僅かに曇る。窓際の席で机に足を投げ出した俺に対し、いかにも何か言いたげな態度だ。つかつかと寄ってきたかと思うと、隣の席を引いて腰を下ろす。相も変わらず、嫌味なくらい背筋がぴんと伸びている。


「話って、なんだよ。今こんなことしてて大丈夫なのか」

「別に、一日くらいいいだろ」

「試験のことは、その……。でもまだ終わったわけじゃないんだし、二次試験までには全然」

「わーかってるよ、うるせーな。なら早く用件言わせろよ」


 じろりと睨み上げると、奴はやれやれと言わんばかりに鼻でため息を吐いた。ムカつく。やさぐれ故の発言も慣れない虚勢も通り越して、心の底を見抜いてますよ、みたいな態度に腹が立つ。いつもこうだ。俺のことなんて全部わかってるみたいな面しやがって。俺らがまともに話し始めたのなんて半年かそこら前、俺が本気で受験に焦り始めた頃のことじゃねえか。そこからのたった半年が、俺たちにとっての全部だ。親と教師に明らか追い詰められて死にそうな顔してた俺に、よかったら勉強見ようかなんてお前が声かけてくれて始まった付き合いも、トウキョウイチロウくん、って名前弄りにそれ百回言われたわって渋い顔してたお前も、息抜きと称した興味本位で、連れ立って生まれて初めて食べたクリーム山盛りパンケーキも、もう駄目だって潰れかけた俺の部屋に来て朝まで励ましてくれた記憶も、全部、その半年の中にしかなかった。

 ああ、もう、いい。その余裕顔も今日でしまいだ。今からの俺の行動を目の当たりにして、正気でいられるわけがない。この手で恐怖のどん底に叩き落としてやる。ざまあみろ。今日までの何もかもが、これでおしまいだ。

 乱暴に机の中に手を突っ込んだ。自棄と悪趣味な冗談で過剰なラッピングを施したチョコを、奴の顔面に向かって突きつける。戸惑ったような表情がピンクの巨大なハートに隠れた。ほんと、我ながらアホみたいなもんを作ってしまった。


「……え」

「チョコ」

「え?」

「チョコだよ。受け取れ」

「え、え……?」


 おそらく反射的に、東の両手がチョコレートを受け止める。ゆっくりと下ろされたハートの後ろから、混乱と困惑を露わにした顔が現れた。わかってる。当たり前だ。そんな顔をされるだろうとは予想していた。とは言えリアルに目にしてみると、なんか結構、思ったよりも、刺さる。

 人気のない教室の、冷えた空気を深く吸い込んだ。鼻の奥がつんと痛くなる。背けた俺の顔と手の中の鈍重なチョコを、東の視線が交互に行き来している。


「……な、何、なんだよ、これ」

「だからチョコだって」

「いやチョコはわかるよ。そうじゃなくて、意味……チョコの、意味が」

「そこはわかれよ。今日チョコ渡す意味なんていっこしかないだろ」

「……ええ……?」


 目の端に映る表情はまだ事態を飲み込み切れてないって感じだ。この先の予測なんて楽勝だ。こいつはもうすぐ困ったように眉を下げて、罪悪感でいっぱいの面をしてごめんって言うんだ。東が悪いことなんか一つもないのに。俺の身勝手を跳ね除けるだけのことにさえ、勝手に責任感じて落ち込むんだろ。そういう奴だ、こいつは。無駄かつ無意味に優しくて、そのせいで面倒なもんをしょい込むから。例えば、俺とか。

 でも逃げ道は残ってる。俺とこいつは恐らくもう、同じ大学には通えない。高校を卒業したらそれでさよならだ。たかだか半年の縁なんて、切ろうと思えば簡単に切れる。そうじゃなかったら俺だってこんな真似はしていない。ああ。そう思えば結果的には、これが一番よかったのかもな。こいつの人生における汚点にも、友達面した卑怯者にもならなくて済む。なんだ。いいことずくめじゃねえか。俺にとっても、東にとっても。

 だから最後に一発、これくらいの爆弾は許してくれよ。

 喉に落ちる痛みを飲み込んで、窓の外に顔を向けた。直視する勇気がなかったから、瞳だけでちらりと東の表情を窺った。

 瞬間、ぎょっとした。

 右手でチョコを握りしめ、左手で口元を覆った東は、大きな手の隙間からでも容易にわかるほど、顔面全部を真っ赤にして俯いていた。


「え……な、何」

「……っ、ごめ、俺……なんか、こんな」

「は?」

「能海が……っ、苦しい時期なのに、俺だけこんな……、嬉しくて……っ」

「はぁ!?」


 思わず机から足を下ろす。何言ってんだこいつ。事態を把握できない俺の前で、東は嗚咽とも感嘆ともつかない吐息を漏らした。そして突如椅子から立ち上がり、俺の手をがっしりと掴み上げる。


「能海っ、俺……っ、俺も、頑張るから。絶対一緒の大学行こう。絶対!」

「え、え!? ちょっ、何言ってんのお前っ、意味わか、……え……!?」


 展開に頭がついていかない。なんなんだよ、これは。少なくとも想定していたリアクションとはまるで違うことは確かだ。左手でチョコの包みを、右手で俺の手を握ったまま、東は俺を真正面から見つめている。

 しばしの沈黙のあと。その視線がふと、俺の目から外れた。


「こんなこと言ったら……能海は、失望するかもしれないけど」


 俺の手を包む指に力がこもる。一瞬空いた間を見計らったかのように、スピーカーからチャイムの音が鳴り響き始めた。電子音が誰もいないフロアを抜けていく。残響が消えるのを待ってから、東は小さな声で吐き出した。


「……俺だって下心の一つもなしに、ずっと勉強付き合ったりなんかしないよ」

「……っ!!」


 息を呑んだ。

 窓からの西日を受けた東の頬はまだ赤い。だけどその瞳は痛いほど真剣に、まっすぐに俺を捉えている。


「……それ、って」

「うん。まあ、つまり……そういうこと」


 小さな声で恥ずかしそうに、けれど確かに東はそう言った。目の前のリアルがじわじわと脳に滲みていく。俺、振られなかった。それどころか東の方も、そういうこと、って。嘘だろ。けど東はこんなときに嘘をつくような奴じゃない。いいのか。こんな夢としか思えない現実を、現実だと信じても、いいのか。急激に浮き立っていく心の奥底を、ある一点が錨のように引き戻す。

 ああ、でも——そしたら余計に、一緒の大学、行きたかったな。

 ぐっと唾を飲んだ。嬉しいのと悲しいのとふがいないのと安心と、全部がぐちゃぐちゃになって頭がパンクしそうだ。混迷する感情を押し流すように、涙が目の端からぼろりと落ちる。やらかしたあの日から今日までは、不思議なくらい一滴も流せなかった涙が、今になって堰を切ったように溢れ出す。

 東の左手が、机の上にチョコの包みを置いた。持ち上げられた人差し指が、塩辛い目元をそっと拭った。


「……泣くなよ」

「うる、せー……」

「大丈夫だよ、きっと。……大丈夫になるよ、まだ」

「無責任なこと言うなよ……どうすんだよ、大丈夫じゃなかったら」

「そういうのは今考えない方がいいと思うけど、でも」


 少しだけ躊躇うような間のあとに、東の腕が俺の背を包む。


「……だとしても、一緒にいるから」


 柔らかい西日が制服に吸い込まれていく。薄黄色の陽に晒された教室で、東の腕の中は他のどこよりも温かい。明日からも、この先もこいつは俺のそばにいてくれる。そんな未来はまるで想定していなかったけど、でも今は確かに、俺の手の中にある現実だ。

 もしかしたら本当に東の言う通り、もっと良くなることもあるんだろうか。しぼみ切っていた夢をもう一度膨らませ、これ以上の奇跡を望むのは無謀が過ぎるだろうか。どっちでもいい。うまく行ってもいかなくても、どっちにしろ昨日まで想像していた未来よりは、ずっといい。

 小さく鼻を啜って、ブレザーの胸元に顔を埋めた。額を押し付けるようにしてこくりと頷く。背中に回った東の手が、俺の背を優しく叩いた。

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