1 とりあえず整理しよう
以前別れたターミナル駅にある駅ナカの和食屋で私達は向かい合っていた。お互いに現状を整理する為だ。
「改めて自己紹介させて下さい。『アカディア』では『ユリウス』となってる荒井慶太です」
「私は『アカディア』では『マルゴ』の日向ゆりです」
あのバーベキューで出会ってさっさと別れた私達は、あの夜、ユリウスとマルゴとして再会した。勿論当初は互いのことなど気付く由も無い、それどころか再会した世界を眠ってる間の夢としか考えていなかった。ただ随分リアルな夢と感じ妙な疲労感は覚えていた…
もしかして夢ではなく別世界なのでは、そして眼前にいるのは現実の知り合いなのでは、と私ゆりが思ったのは、件の夢を見始めて二週間くらい経った頃だと思う。夢とは思えぬほど、とにかく記憶がはっきりしていたからだ。
その頃から、ゆりとしての視点を失わないよう注意しながら夢を見て、マルゴとしての生活も送り始めた。マルゴの周囲にいる人も注意深く観察するようにした。と同時に、自分は心療内科でも受診した方がいいのか?と、こちらの現実世界では悩み始めた。しかし診察を受けたところで何と説明したらよいかわからないし、テキトーにあしらわれてテキトーに投薬されるのがオチだろうとも思って、そのまま今日になったという訳である。
お店の人がオーダーを取りに来たので、ユリウスこと荒井さんは唐揚げ定食を、マルゴこと私ゆりは刺身定食を頼んだ。お冷をグッと一口飲んで、荒井さんが私に向き直る。
「あんな目に遭っているのが自分一人じゃなかったというだけで随分心強いです」
「私もです。荒井さんと気付くことができて本当に良かったと思っています」
「それにしても考えましたよね、見た時驚きましたよ」
私は『アカディア』で出会った『ユリウス』にその場で書いたメモ紙を見せたのだ。メモの中身は私の名前『日向ゆり』と現在の西暦『二〇一八年』だった。これに反応したら現実世界で知ってる誰かだろうと思ったのだ。見当違いだったとしても、アカディアでは日本語は単なる記号にしか見えないはずなので、すっとぼければいいと思い実行したのだが一人目でヒットした。『ユリウス』は目を真ん丸にして、手近にあった筆記具を取ると私の見せたメモ紙に『荒井慶太』と書いたのだ。
「はじめはただの夢だと思っていたんです。でも夢にしては淡々と日常生活をおくるだけで、突飛な展開も荒唐無稽でもなくて。夢を見始めた頃は、あの世界ではマルゴとしての人格しかありませんでしたが、そのうちゆりの自我にも気付いたんです。それからは周りを注意するようにして『もしかしてユリウスは私のような人なんじゃ…』と思うようになったんです」
私の言うことを荒井さんは、お冷の氷を見ながら聞いていた。
ユリウスとはずいぶん違うな――私はそう思っている。ユリウスは誰が相手でも、その相手の目をじっと見て会話をする人だ。愛想もよくて、誰とでもすぐ親しくなるタイプ――それこそこちらの世界なら合コンが好きそうな人だった。でも眼前の荒井さんは、先だって出会った合コンでもそうだったが、挨拶はしても他人との距離をすぐに近づけられるタイプではない。先にユリウスと親しくなれていたからこそ、今こうして荒井さんにも話しかけられるのだ。
「だってユリウス、あんな落書きしてるんですもの。典型的な萌絵じゃないですか。アカディアにあんな絵は存在しませんよ」
私は笑いながら言った。そうなのだ、アカディアにも絵画はあるが、それは主に記録を目的としたもので、必然的に写実的に描かれる。もっとも遠近法などの技法が意識されているわけではないので、私や荒井さんの目から見たら写実的とはとても言えないのだが、それでも今時のイラストとはわけが違う。
やがて私に刺身定食が、荒井さんには唐揚げ定食が配膳された。一旦会話を中断して食事を始める。ふと荒井さんが言った。
「アカディアでは肉料理が食べられないんですよね」
「それ言ったらお刺身もないですよ。あそこは河川と湖はありますが海は遠いみたいだから」
「水があるだけいいんでしょうけどね、農業ができるから。それに一応魚料理もある。ただ肉は…」
「お肉は貴重品ですね、こちらでいうところのジビエしかないもの」
「僕たちのような庶民は口にできないですね、あそこでは。王宮料理ならあるのかな」
そうなのだ、アカディアは王政なのだ。天皇はいても選挙権を持つ日本国民である私達二人には正直ピンとこないのだが、王家が存在し、内政外交ともに貴族階級が要職を占めている。庶民であっても幼少期に優秀さの片鱗を見せていれば、地域を管轄する役人などの推薦により学問ないしは軍事の教育機関に推薦され、そこで頭角を現すことにより出世をすることは可能だが、大抵は親の家業を継ぐ者が多い。そして国の方向性は上意下達で示されるだけで、庶民の意見を反映させる機会はない。要は民主制や共和政ではなく君主制というだけなのだが、幸い庶民の間に不満は溜まっていない。他の世界、価値観を知らないと言ってしまえばそれまでの話だが。
そして、アカディアでの私達の立場はと言うと、マルゴは工房の親方の娘で、ユリウスは学問所で学ぶ庶民出身の学生、つまり幼少期から優秀で領主の推薦を受けている立場だ。
マルゴの父親は、領主の屋敷や神殿に出入りする工房を経営しており、日用品の類から彫像まで製作して納入している。私ゆりはその様を「昔習った家内制手工業みたいのもの」と認識していた。工房で働くのは、下働きから見習い弟子、職人にいたるまで男性ばかりである。マルゴの母が唯一の女性で、ゆりの感覚でいえば「総務・経理」を一手に引き受けている状況だ。両親の間には、マルゴを筆頭に五人の子供がおり、娘はマルゴだけ、他の四人は全て男の子ばかりで、そのうち上の二人は下働きと一緒に工房で働いている。マルゴの父親は、十歳を超えたら子供達にも工房への出入りを許していて、自然と家業を身につけられるようにしていた。ただ娘のマルゴだけは、出入りを許されてから最初の二年くらいは下働きをしていたが、弟達のように職人の弟子になるルートではなく、母親の手伝いを求められるようになっていた。彼女としてはその状況はあまり面白いものではなく、できることなら弟達のように製作の現場にいたかったが、現代の日本のように機械や道具の類が充実しているわけではなく、危険な場面も多いことから諦めるよう両親に説得されたのだった。
もっともそれは、ゆりとしての自我に気付く以前の出来事であり、ゆりとしてのマルゴに気付いた時には彼女は十五歳であり、工房に家事にと母親の手伝いをする毎日だった。
そんなマルゴとユリウスの接点は、十一歳のマルゴが商品を納入する父親と一緒に赴いた学生寮だった。
学問所で学ぶ学生の大半は貴族の子弟で、大半は自宅ないし所有する最寄りの別邸から通っており、学生寮の利用者はユリウスのような庶民か、貴族子弟でも爵位だけは持ついわゆる貧乏貴族ばかりであった。寮には役所から派遣された責任者や学生たちの世話をする寮母はいたが、実務面では基本的に人手不足で、必然的に寮の運営は学生達が行うこととなり、当時十歳だったユリウスも搬入される食材などの受け取りを任されていた。そんな中で二人は出会った。
学問所に女子学生はいない。当然ながら学生寮も男子学生ばかりであるから、たまに連れて行かれるマルゴはとても可愛がられた。弟のいるマルゴは男子と遊ぶのもお手の物で、ごく自然にユリウスと仲良くなっていった。
そして十五歳と十四歳になった今も、寮へ納品する時だけだが会えば親しく会話が弾む。
「ごちそうさまでした」
唐揚げ定食を食べ終わった荒井さんが手を合わせた。
「急がなくていいですよ、ゆっくり食べて下さいね」
「すみません」
私は軽く会釈して食事の続きに取り掛かる。荒井さんがお冷を飲んでふと呟いた。
「なんか不思議な感覚ですよね。アラサ―の意識があるまま中学生をやり直している感じで。しかもユリウスとしての記憶もちゃんとあるわけで、別にユリウスの人格を乗っ取ったという訳でもなさそうだ」
私も食べながらうなづいた。荒井さんが続ける。
「日向さんも同じなのかなとは思うんですが、少なくとも僕の場合には僕の意識のないユリウスもちゃんといるんですよ。僕の夢がユリウスの人生全てではないのは確かなんですよね。僕が夢で経験していない事をユリウスは経験していて、そのことは次に夢を見た時にちゃんと頭にあるんです」
「あ、それは私も同じです。だから必ずしも連続した夢を見てるわけじゃないですね。前回の夢は夏だったのに今回の夢は秋でした…みたいなこともありました」
「やっぱりそうですよね。だからユリウスやマルゴとしての人格もちゃんとあるはずなんです。確かめようはないけれど、日向さんや僕の経験を彼らが夢として見ているかもしれない」
「もしかして、私達が夢を見ていないタイミングで、ユリウス達も今のような話をしていたりするんでしょうか」
「……いや、それはないんじゃないですか。それなら少なくともその会話をしたとの記憶が僕らにあるんじゃないですかね。でも少なくとも僕にはそんな記憶はないです。日向さんにはあるんですか?」
「いえ、ないですね……というか、私と荒井さんの夢の中での時間経過は同じなんでしょうか、そもそも」
「昨夜はどんな夢でした?」
「昨夜は寮母のタニアさんに壺を届けに行って、ユリウスと話してますよ」
「どんな話でした?」
「専門を決めないといけないと言ってました」
「僕の昨夜の夢と同じです。ほぼ同じ時間経過でしょうね。日向さんと僕で睡眠時間が一致してるとは限らないから多少のずれはあるはずですが」
「私が夢でマルゴになっている時は毎回寮に何かしら納品に行ってます。もしかしてあの二人が会うタイミングで私達はアカディアに行くんでしょうか」
「……どうでしょうね」
そろそろ結論の出しようがない話になってきた。お互いに自然と言葉少なになる。
「ごちそうさまでした」
私も食べ終わった。ややあって荒井さんがスマホを取り出した。
「日向さん、連絡先を教えて頂いてもいいですか?」
「はい、勿論」
前回の合コン擬きの際には当然ながら連絡先の交換などしていなかった。今日のアポは職場のアドレスでのやり取りの結果だ。私のメモを見て『荒井慶太』とユリウスが書いてきた直後に、『yuri_hyuuga@社名』とその場で書いたのだ。ユリウスはそれを見てうなずくと『覚えました』と小声で返事をして、目覚めて出社したらメールが届いていたという訳だが、荒井さんも多少は警戒していたのだろう、そのメールにはプライベートの連絡先は一切書かれておらず、私にもそれを聞いてくることもなく、ただ都合の良い日時と『このうちいつならお会いできるでしょうか?もし良ければ一度話を整理しませんか?』とあるだけだった。
私は彼に渡されたスマホの連絡先に自分の名前と番号、アドレスを打ち、それを受け取った彼がワンギリして空メールを送った。それを確認して私も彼を自分のアドレス帳に登録し、その日は別れた。