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1 別れ

 大陸の隅にひっそりと隠れるようにして存在している小さな島には、ほんの数百人で形作られる、小さくて貧しい国があった。


「ねえねえ、オキ。聞いた?次の人選」

「ん~?知らね」


 興味なさげにバナナの皮を(くわ)えて生返事をした幼馴染に、シヴィはちょっと苦笑した。生まれたのはオキが三日早くても、性格も体格も、シヴィのほうがお姉さんみたいだとずっと言われて育ってきた。別にシヴィが大きすぎるわけでも大人びてるわけでもなくて、単にオキが子供なのだ。


「いちいち気にしてたらこっちの気がおかしくなるもん、知りたくもねー」

「はい、バナナ咥えたまま話さなーい、語尾伸ばさなーい」

「シヴィだって伸ばしてるくせに」

「私はいいの」

「なんでだよー」


 ゆるゆるとした抗議を聞き流して、シヴィはそっとオキの顔に目を向けた。薄い褐色の肌に、きらきら光る金色の瞳。癖ッ毛が多いこの国では珍しい、さらさらとしたまっすぐな髪。


 幼馴染だといわれて、ずっと一緒に育ってきた。口が悪くてわがままなオキに振り回されて泣いたことだって一度や二度じゃない。けれどなんだかんだで二人は一番の親友で、お互いの親からは冗談交じりに「うちの嫁」「うちの婿」なんて呼ばれてもいた。オキはそう言われる度にげんなりした顔で違うと言い返していたが、シヴィはちょっと嬉しかった。だってシヴィは、オキのことがずっと好きだったから。


「そーいえば戸籍乗ったなー、おたがいにおめでとうだ」

「そうだね。おめでとう、オキ」

「ん-ありがとう、シヴィもおめでとう」


 戸籍に乗った、というのはそのままの意味だ。これまで、シヴィもオキも戸籍上はどこにも存在していなかった。少数で医療設備も整っていないこの小さな島では、子供の戸籍が作られるのが十歳を迎えてからになる。理由は二つ、一つは十を過ぎればそう簡単に死ぬことはないから。そして、もう一つは。


「オキ」

「んー」


 気のない返事に、シヴィは微笑んだ。何気ない口調を装って、そっと言葉を紡ぐ。


「あのね。私、選ばれたんだ」

「……はぁ!?」


 一拍おいて、寝転んでいたオキが跳ね起きた。咥えていたバナナの皮を手でもって、驚愕のまなざしをシヴィに向ける。


「何の冗談だ!?おれとおまえ、今十だぜ!?」

「そうだね。十以上の、最初の人が私なんだって」

「なに、言って」


 絶句したオキから目をそらして、あいまいに笑んだ。シヴィだって、なんて言ったらいいかわからないのだ。


 ―――――この国は、貧しい。だから、普通に働いて稼ぐだけでは到底全員が食べていけるだけの収入は得られない。海に囲まれた島で嘗て豊富にとれていたという魚も、近年は大国が全てを掻っ攫っていく。残された魚の数は微々たるもので、それすら年を追うごとに量を減らしていた。


「……だ、だあいじょうぶだよ~」

 

 意識して軽い声を作る。


「平気平気、オキも知ってるでしょ、私滅多に風邪ひかないし、強いし、頭だってたぶん悪くはないし。それに、誰かがいかなきゃいけなかったんだもん、もう悲しい思いはしたくなかったし」

「シヴィ!」


 つらつら言葉をつなげていく途中で、堪りかねたようにオキが叫んだ。宝石みたいだとシヴィがこっそり思っている金色の瞳が、怒りと悲しみに染まっている。


「なんで、おまえなんだ」

「……ほかの人だったらいいってもんでもないでしょ。私で正解だと思うよ」

「正解なんかあるもんか!」


 本気の怒声に、びくりと体が跳ねる。怯えたシヴィにはっと目を見開いて、オキは声を押し殺した。


「……おまえが、奴隷になるのか」


 そう。飢えに飢えたこの国は、数年前に一つの大きな決断をした。幼子たちの生存率は食糧不足のせいで著しく下がっており、三つを迎えるまでに十人いた子供は一人か二人になる。もちろんそこまで無事に生き延びた子供も十まで育つ保証はなく、与えられる十分な食料などどこにもない。


 そんな時、大陸から申し出があった。生まれた子を、奴隷として出荷しないか、と。


 外道の仕業だ。手を差し伸べるといいながら、実体は禁じられている人身売買以外の何物でもない。当然のことながら、民衆は激怒し、王家がこの申し出を一蹴するものと信じて疑わなかった。


「そう。初めての、十歳以上の奴隷にね」


 けれど、彼らの予想に反して。王家は、到底許されざる契約を結んでしまった。撤回を求めて怒り狂う民を前に、王は悪びれもせずに言い放つ。『受け入れられぬならば他国に行けばよかろう』と。


 日々の暮らしにすらあえぐ民衆にそんな余裕があるはずはない。王とて、望んで結んだ契約ではなかろう。王宮にはそのころすでに使用人はほとんどおらず、妃が料理をするほどにまで切り詰めていた。これ以上の困窮となれば、この国は最早国として成り立たない。国民を売ってでも、王は国を守らねばならなかったのだ。


 そしてその年から、生まれた子供の二人に一人は奴隷商に売られていくようになった。誰が選ばれるかは、月に一度、王宮から出される触れによってわかる。当初は父母が子に取りすがって泣き、命を絶とうとするものも次々と現れた。子供が助かった者も、失った者からの恨みを買う。そんな阿鼻叫喚の日々が続いて、―――そしてある日、ぱったりと叫び声が聞こえなくなった。


 もう駄目だと、誰もが悟ったのだ。どれほど泣こうと喚こうと変わらない現実に歯向かうことを、誰もが諦めてしまった。子供を犠牲にした日々の上でしか、もはや自分たちは生きてはいけないのだと。


 奴隷として売られてしまえば二度と会えないし連絡も取れない。生涯生きているのか死んでいるのかも分からないまま、お互いに生きていかねばならない。どうしてこんなことにと嘆いても、ほかに生きていく術はない。


 だけど、悲劇はそれだけでは終わらない。生まれた赤子を売っても売っても財政の改善にまでは至らない。赤子だけではなく、二つ三つの子供も売られていくようになり、二つ三つがやがて七つ、八つになり。


「……人選状にね、書いてあったよ。今回から十歳以上の子供も奴隷に出されることになったって」

「っだとしても、なんでそれがシヴィに来るんだよ!おかしいだろ!」

「オキ、でもね、きっとこれから私以外の子たちも売られていくんだよ。私は大丈夫。大丈夫。…………いつから、この国はこんな国になっちゃったんだろうね」


 信じられないように瞠目していたオキの顔が、くしゃりと歪む。その顔を見て驚いた。だってオキは、人前で泣くのが大嫌いなのだ。私に口で言い負かされても、ガキ大将に挑んだチャンバラで大負けして傷だらけになっても、絶対に誰かの前で泣いたりしないのがオキ。


 そのオキが、目から透明な筋を幾本も流して、ぎゅうっと細くなった目でシヴィを見ている。


「なんでだよ、なんで、どうしてっ…………!」

「オ、オキ、泣かないで」

「じゃあお前が泣けよ!」


 ぼろぼろ涙を流すオキの手が、シヴィに伸びた。反射で身を引くよりも早く、細くてごつごつした指ががっしりと腕を捕まえる。同じようにやせていてもシヴィとは全然違う、強さをまとった男の子の手。


「泣くべきだ、誰かがそうなるとか、誰かはそうじゃないとか、そんなことはどうでもいい、誰かじゃなくてお前なんだよ、今大事なのは!」

「オキ………」

「なあ、頼むよ、シヴィ。こんな時まで姉貴ぶらなくていいんだ、自分は大丈夫なんて、そんな言葉でお前が救われるわけも俺が安心するわけもないだろ!?」


 オキの言葉は、飾り気も優しさもなくて、ただただまっすぐだった。


「……………………っ、せっかく、が、がまん、して」

「するな、我慢なんて」


 ぽろりと、我慢していた一粒が瞼を乗り越えてしまう。――――――そこからはもう、抑えなんて効かなかった。小さな子供のようにオキの服を握りしめて、心のうちからこみ上げる思いのままにわあわあと泣く。


 いやだ。奴隷になんて、なりたくない。絶対になりたくない。このままずっと、この島で生きていきたかった。貧しくても苦しくても、オキと離れることに比べればへっちゃらだった。ずっと、オキと一緒にいたい。離れたくない。どこにも行かないで、ここにいたい。


 友達でもいいと思ってた。オキはずっと、私がお姉さん顔をすると嫌そうにしてたから、きっと私に好きなんて言われても迷惑なだけだろう。でも、それでもいい。友達として、オキの側で笑っていられればいいやって、そう、思っていたのに。


「は、離れたく、ないよぉ!」

「うん」

「私、奴隷になんて、なりたくなくて」

「……うん」

「貧しくても、いいよ。苦しくても、早死にしてもいいよ」

「……」

「でも、この島でじゃなきゃ、嫌だ」


 無茶苦茶に泣くシヴィの背を、オキの手がゆっくりなでる。その手の優しさに、相槌に込められたやるせなさに、シヴィはひたすら泣き続けた。






「…泣き止んだ?」

「……う、ごめん」


 ガンガン痛む頭を抱えて呻くと、頭上からあきれたようにため息が落とされた。


「謝ることなんか何もないだろ、俺が泣けっていったんだから」


 よしよしとなでるその手に、また涙がこぼれそうになる。いままでずっと、シヴィが年上のような役回りだったのに。今はまるで、オキがお兄ちゃんみたいな。


「お兄ちゃんは、嫌だなあ」

「……ん?なんて?」


 ぽつりとつぶやいた言葉に、オキが首をかしげた。声に出すつもりはなかったのに、泣いた後でよほど気が緩んでいたのだろうか。


「な、なんでもない」

「さっきも言ったけどそれ、誰のためにもならないから。ほら、言えよ。何が嫌だって?」


 ぐうっと唇をかんで黙り込んだシヴィの頬を、オキの指がむにっとつねる。ああ、もうこんな風に笑うこともないのかな。奴隷になれば、もう二度とこの島に帰ってくることも、オキに会うこともないのか。


 急にそれらのことが腑に落ちて、シヴィは顔を上げた。


「ど、どうした急に」


 狼狽えるオキの顔をみると、唇がゆっくりと笑みを形作っていく。そうだ。もう、オキに会うことはない。もう、友達ではいられない。


 ―――――――だったら、いいかな。ずっと心の中に秘めていた想いを、さらけ出しても。言っても言わなくても友達ではなくなるんだから、オキに想いを伝えるくらい、許してくれないかな。


「オキ」

「っシヴィ!」


 声が盛大に重なって、シヴィはぱちくりと目を見開いた。見上げた先で、オキも驚いたように瞬きを繰り返している。無言で見つめあって、我に返ったのはオキがほんの少し早かった。


「シヴィ、俺、絶対金持ちになってお前を助けに行く」

「え」

「絶対、何が何でも、助けに行く。だから、待ってて」


 何を言い出すのだろう、と目を瞬くシヴィに向かって、オキは同じことを繰り返す。


「シヴィのことを、きっと迎えに行くから。絶対、奴隷じゃなくて、普通に笑って暮らせるようにするから」

「オ、キ」

「絶対だ、絶対に、迎えに行く、それからはもう一個も辛い思いなんてさせない、だから」


 死なないで。


 消え入るような懇願にシヴィの瞳からまた涙があふれだす。奴隷になった者は、その大部分が数年と持たずに命を落とす。過酷な労働に耐え、主人の不興を買わずに生きていける者などほんのわずかだ。


 死ぬのだと、どこかで覚悟していた。奴隷として売られる以上、もうどうしたって自分はそう遠くないうちに命尽きるだろうと。


 オキの目は、これ以上ないくらい真剣にシヴィを見ていた。


「シヴィ、お願いだから」

「……オキ、ずるいよ」


 小さく呟いたシヴィに、オキがえ?と首をかしげる。ぽろぽろとこぼれる涙を必死に拭いながら、シヴィは心の中でまた呟いた。


 ずるいよ、オキ。私はもう、覚悟決めてたのに。しょうがないって、諦めてたのに。


 ――――だって好きな人にそんなことを言われて、聞けないお願いなんてない。オキの願いなら、なんだって聞く。不可能も可能も関係なしに、やり遂げる。


「そんなこと言われたら、はい以外言えないよ…」


 オキが助けに来てくれるなら、なにがあっても死ぬわけにはいかない。生きて生きて、オキが助けに来るその日まで、生き抜くのだ。


「…………いいんだよ、寧ろはい以外言われたら俺の必死の告白が台無しじゃないか」


 なぜか顔を赤くしたオキが、しばらくしてぼそっと言った言葉に、シヴィは今度こそ目を丸くした。


「え?オキ、今なんて?」

「は!?うっそだろ、通じてねぇ…」


 愕然とした面持ちで見返されて戸惑う。だって助けに行くというのは、友達としてシヴィを助けに来てくれるということで、それがなんで、いやまって、そもそもオキが言ったのを聞き間違っただけかもしれない、そう、独白とか。


「いや、間違ってねえよ」


 声に出していなかったはずなのに半眼で突っ込まれて、シヴィはびくっと身をすくめた。まさか声に出していたのだろうか。


「……あー、もう。なんだってこいつはこんなに」


 深々とため息をついて、赤い顔のままオキはくるりと後ろを向いてしまった。何かをぶつぶつ言っているけれど、よく聞こえない。シヴィが困惑していると、ついには頭を抱えて唸りだした。あーだのうーだの言っている様はいつものオキより随分と挙動不審だ。


「あの、オキ」

「ああああ、もう、知るかっ」


 そっと肩に手を置いた瞬間、それまでで一番大きな声を上げて、オキが勢い良く振り向いた。さらに赤くなった顔でシヴィを見つめて、やけくそのように叫ぶ。


「シヴィ!俺は、お前に惚れてる、好きだ、結婚したい!絶対に迎えに行くから、その時には嫁になってほしい!」


ぽかん、と間抜けに口が空いた。


「……………………へ?」

「へ、じゃなくて、はいかいいえで答えてくれよ。…あ、待て、今のなし、いいえなんてなし!」


 慌てて言うオキの訂正も、金縛り状態のシヴィの耳には全く届いていない。


 ヨメ?


「嫁?」

「嫁!」

「……………………わ、私がぁ!?」


 驚愕とともに上げた悲鳴のような声に、オキは仏頂面で「他に誰がいるんだよ」と返した。


「え、だって、オキ私のこと嫌いなんじゃ」

「なんでだよ!」

「世話焼くなってよく…」

「なにが楽しくて好きなヤツに姉貴面されなきゃいけないんだよ、やっぱ対等でいたいじゃん」


 オキに、嫌われてなかった。どころかどうやら、自分は今求婚をされているらしい。


 言葉の理解がじわじわ進んで、それと同時にとんでもない顔の熱さが襲ってきた。


「……っ」

「おい、シヴィ!?顔真っ赤だぞ!」


 そんなことは言われるまでもなく分かっている。きっとものすごく赤いのであろう顔を火照りを隠したくて、シヴィはさっと下を向いた。


「……私、オキに嫌われてるのかと思ってた」

「……嫌うわけないだろ。物心ついた時からシヴィ以外好きになったことねえよ」


 更に顔が火照る。もう駄目だ、これはきっとしばらく俯いたままでいるしかない。


 そう思ってひたすら下を向いているシヴィの顔を、ふいにオキが覗き込んだ。気軽にひょいっと覗き込まれた(シヴィ)はたまったものではない。悲鳴を上げて隠そうとしたけれど、その手よりもオキのほうが早かった。


「顔隠すはないだろ」

「……っ、隠さないとやってられない」

「確かに見たことないくらい真っ赤だなぁ」


 くすっとオキが笑う。面白がるような表情なのに、それで?と促す声は真剣だ。幼馴染だからわかる、これは、オキの本気の声。


「俺の求婚は、受けてくれるの?」


 ――――――ああ。


 一度目をつぶってから、ゆっくり顔を上げる。オキがいる。金色のきれいな瞳をまっすぐに向けてくる、大好きな人。もう二度と会えなくても、それでもずっと好きでいられる自信があるくらい好きな、最愛の幼馴染。そんな人から求婚されて、


「……迎えに、きて」


 受けない、――――わけがない。


 オキの瞳がふっと笑んだ。


「行く。絶対に、行く。信じて待ってろ」

「うん。うん………」


 ぎゅうっと抱き着くと、オキの手がよしよしと頭をなでてくれる。今日二回目だ。


「ねえ、オキ。さっき対等でいたいって、言ったよね」

「ん?おう」


 頷く気配に、シヴィは今日初めて、、心からの笑顔を浮かべた。


「全然、対等じゃないよ」

「え、それどういう」

「ふふ。教えてあげない」

「はあ!?」


 急に狼狽えだしたオキにぎゅっとしがみついてくすくすと笑った。絶対に教えてあげない。


 ――――狼狽えてるオキも可愛い、なんて。こんなに骨抜きにされてるシヴィが、オキと対等なわけがないことなんて。


 くすくす、くすくす。楽しくて、幸せで、幸せで。


 だから、笑い続けるシヴィの瞳に張っていた涙は、きっと気のせいだと思うことにした。
















 




 


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