混沌の糸
………。
…………。
……………。
「………あれっ?ここは…天界?」
カナル・ティディオは辺りを見回しながら、誰にともなく呟いた。
見渡す限り、真っ白な無風の空間。
久々に来たそこは、妙に懐かしい気持ちを思い起こさせた。
「カナル…か?」
前方からフードを脱いだ死神が歩いてくる。
緑に近い青髪、オレンジ色の瞳…。
アルフレッド・フィアラ、その人だった。
「あ…兄さん!久しぶりだね。」
カナルは、にこりと微笑んでアルフに駆け寄る。
「一年ぶりだな。受験生で忙しかったのだろう?」
「うん…それもあるんだけど…。」
「それ以外に来れない理由があったのか?」
「うん…。実は…僕…」
カナルが、頬をかきながらぽつりと話し始めた時。
「アルフーっ!カナルーっ!」
上空からイリアの呼び声が聞こえてきた。
「あ…イリア、久しぶり。今、兄さんと話してて…」
「久しぶりの再会を祝っている場合じゃないのっ!大変なのっ!二人とも…すぐ来てっ!」
イリアは雲の地面に降り立つと、早口に言った。
「イリア…落ち着いて話せ。何があった…?」
「リアゼの奴がいなくなっちゃって…って、それはどうでもいいのっ。とにかく、みんなが居るとこに行かなきゃ!」
「リアゼがいなくなった…?みんな…?」
「うー…話してる暇ないのっ!」
カナルとアルフは不思議そうに顔を見合わせた。
それから、慌てるイリアを先導に、三人は北の方へ飛び立ったのだった。
天界中央公園。
「話って何だ、リアゼ?それも…アルフや嬢ちゃんには知らせられねえようなことなんだろ。」
噴水に軽くもたれかかり、けだるそうに欠伸をしながらシークが尋ねた。
「忙しいのに、呼び出してすまないっす。けど、どうしても話したいことがあって…」
答えたのはリアゼ。
シークの正面に立ち、困ったような笑みを浮かべている。
「前置きはいい。さっさと話しちまいな。」
「はいっす…。シーク…あんたはわかってたんすね、こうなることが。」
リアゼの顔から笑みが消え、厳しい目つきに変わった。
「………お前にしちゃあ、不躾な質問だな。こうなることって…どうなることだ?」
「しらばっくれても無駄っすよ。あんたの同志…セズリカから聞いたんすから。消滅試合のことも、あんたがオリジナルだってことも…何もかも全部。」
「…アルフと違って、口軽ぃな、あいつは。」
シークは苦笑しながら、リアゼの方に歩み寄る。
「セズリカに話を聞いたっつうことは、リアゼ…お前もオリジナルなのか?」
「元々はコピーだったけど、今じゃオリジナルっすよ。…あんたはどっちに荷担するんすか?」
「………その質問、まるごと返すぜ。」
「俺は…オリジナルとして戦うつもりっすけど。あんたの答えが訊きたいんすよ…。」
シークは、さあどうすっかなと呟いただけで、質問には答えなかったのだった。
天界の一端で灼熱の世界、地獄。
「ふむ、ご苦労じゃったな、ザルメス。」
閻魔は、自慢の髭を右手で撫でながら言った。
彼の前に立ったイリアは、どーいたしましてっと笑顔で返す。
「閻魔…様。あの件で再び呼んだのか?」
つい一分前に到着したばかりのアルフが尋ねる。
同じく先ほど来たばかりのカナルは、落ち着かないようにキョロキョロと辺りを見回している。
それもそのはずで、辺りには共同で働かないはずの四種族が集まっていたからだった。
死神…神…悪魔…天使…。
総数は五十人ほどか。
「そうじゃ。わしの予想以上に事態は深刻になってきていてじゃな…最高神力者が倒れた今、収拾が難航しているのだ。」
「アルフ…あの時、疑ったことは謝るよ。許してくれないかもしれないけど…協力してほしいんだよ。」
閻魔に付け加えるように、エマが頼んだ。
「本当は他の種族となんか組みたくないんだけどねえ…仕方なく力を貸してやるぜ。」
「…ハッシェ(注:『レクイエム』参照)。」
「わかってるって。要らぬ口は慎め、だろ。」
上から目線で暴言を吐く神を、先輩の神がたしなめる。
「ハッシェ…だと?」
「よお、フィアラ。天界戦争以来だな。」
「………。」
アルフは、ハッシェと呼ばれたその神をキッと睨みつけた。
「おー、怖い怖い。そんなに睨むなって。」
「………。」
「今は非常事態なんだぜ?私怨は忘れて協力し合わねえと。」
アルフは睨み続けていたが、ハッシェはニヤニヤと笑い返しているだけである。
「フィアラ…ハッシェ・トリミンと因縁があるのはわかっておるが、今だけは忘れるがよい。他の種族も状況を理解し、協力…」
「…気が乗りませんね、粗雑な神と組むのは。」
閻魔の言葉を遮ったのは、怪訝そうに眉を潜めている青年悪魔だった。
灰色でサラサラした髪には、牛のような角が二本が生えている。瞳は赤色。
背中の下部には長く細い尻尾、中部には小さな黒い翼。
「ラトラ・アイヌダだっけか、あんた?悪魔風情がそんな口聞いていいと思ってんのかよ?」
「悪魔風情とは、失礼ですね!…これだから神は嫌いなんですよ。」
ラトラと呼ばれた悪魔は、腕組みをしてふんっと顔を背けた。
「どーでもいいんだけど、早く作戦立てようよ。私、忙しいんだけど。」
「そうせっつくな、ナレミ・ビバルディ。物事には順序というものがあるのじゃ。」
ナレミというらしい女性天使は、耳にタコーと言葉を流した。
茶色いウェーブ髪に、黄緑色の瞳。
やる気が無いのか、ふわあと大きな欠伸をしている。
「作戦…?」
「共同作戦じゃ、フィアラ。四人一組で戦う。」
「あの…そもそも、何と戦うの?僕が来れなかった間に、天界で何が起きているの…?」
怪訝顔のカナルに、それはねとエマが答える。
「オリジナルとコピーの消滅試合が始まっているんだよ。」
「消滅試合…?」
「ここに集まっている者達がコピーで、自分達が戦う相手がオリジナル。」
「うーん…?」
さっぱりわからないよとカナルは首を傾げる。
「難しいかな。じゃあ…趣向を変えよう。カナルは“自分とそっくりな者が世の中に三人は居る”っていう話を知ってる?」
「うん、それなら知ってるよ。」
「つまりじゃな…」
「それはなんでかというと、元々“オリジナル”と呼ばれる生命体が居て、その被験体から“コピー”が三人生まれるからなんだって。」
閻魔は間に入って説明しようとしたが、すぐエマの声に消され失敗に終わった。
「えっ…じゃあ、僕達が戦おうとしている相手って…僕達の元に当たるってこと?」
「そういうこと。自分達はオリジナルさえあれば、いくらでも作ることができる。オリジナルはたった一人。それにも関わらず、オリジナルよりもコピーの方が優秀に作られ、有名になってしまうことがあるのさ。そうなった時、オリジナルは…」
「自身の存在の意味を失い、コピーに嫉妬する。それが溜まり、統括者が消えた時に爆発する現象が消滅試合というわけか。」
アルフが簡潔にまとめた。
そして、
「あの時、フィル・ティディオは“主を倒してはいけない”と言いたかったのか…。」
誰にも聞こえないような小声でぽつりと呟いた。
「あー…おっほん!子細はプルリエとティディオとフィアラの申した通りじゃ。では、組分けをする。」
閻魔はそう言って、何も無い空間から大量の箸が入った箸立てを取り出す。
「箸?わんこそば大会でもやるんですかっ、閻魔様?」
「…くじをやるんじゃよ、ザルメス。ほれ、縁日などでやっておるじゃろ?同じ番号の付いたくじを引いたら、商品がもらえるというやつを。この箸には、先端に番号を振っておる。同じ番号を引いた者同士で組むのじゃ。」
閻魔は呆れたような口調で言って、箸入れを高く掲げる。
「順番などは無い。取りたい者から早い者勝ちで…おおっ!?」
彼の言葉が言い終わらない内に、その場に居た全員が箸入れに殺到した。
あまりの押し合いに、閻魔はボンッと中から弾き飛ばされる。
「イーリアちゃん、五ばーん!!相手は誰っ?」
閻魔の隣に居たイリアは、一番先にくじを引いて全員に向かって訊いた。
僕ですねと手を挙げたのは、ラトラ・アイヌダだった。
「粗雑な神とではなくて、幸いでした。死神のイリア・ザルメス…ですよね、よろしくお願いしま…」
「えー!?なんで、アルフでじゃなくてあーんたみたいな弱そうな奴なのよっ!イリア、すっごく不服ー!!」
ラトラの挨拶は、イリアの絶叫にかき消されてしまった。
「俺は…っと。十一番だ。相手は誰だ?」
「………私だ。」
ハッシェ・トリミンの問いかけに答えたのは、アルフだった。
ハッシェは、これは傑作だぜと大笑いしてみせた。
「何の因果なんだろうな、この結果は。」
「………。」
「ま、コンビになっちまったもんは仕方無いからな。一つよろしく頼むぜ!」
手を差し出すという友好的な態度を見せる彼とは反対に、アルフは敵対するような冷たい眼差しを向けていた。
「自分は五十番。相手は?」
不穏な空気を察し、エマがわざと大声で言った。
だが、
「………。」
その場に居る者達は、誰一人として手を挙げない。
「………二人一組じゃなかったっけ?どうなっているのさ、閻魔様。」
「ふむ…どうやら遅れているようじゃ。もうすぐ来るはずなのだが…」
閻魔が長い髭を撫でながら言った時、北の方からタタッと走ってくる影が見えた。
「おお!ギリギリで間に合ったようじゃな。」
「あの人が、自分の相棒…?」
エマは走り来る影に、よく目を凝らしてみる。
そして、
「えっ!?」
と、彼女にしては珍しい驚きの表情を見せた。
「あっ…あれってもしかして…」
「ルティーナ…プルリエ(注:『レクイエム参照』)!?」
「レクイエムの予言者…。本物なのか…!?」
続いて、天界人の数人がざわつき始める。
「えーっ!?ルティーナさんも、参加するのっ?」
「ルティーナ・プルリエ…って、誰?」
「あっ…そっか、カナルは知らないんだよねっ。数年前のレクイエムで、力を貸してもらった天界の予言者。天界人だけど、下界で暮らしているのっ。」
首を傾げているカナルに、イリアが説明する。
そうこうしている内に、ルティーナ・プルリエは皆の前に姿を見せた。
バレッタでまとめた長い黒髪と、整った顔立ちは変わらない。
レクイエムの時とつだけ違うことは、口をキュッと結び、紫色の瞳は固い決意に満ちていることだった。
「エマ・プルリエ…そなたの相棒は彼女じゃ。緊急事態ということで下界から呼び戻した。」
「よろしくね、エマ。」
ルティーナは、エマの前に立つとにこりと笑いエマの両手を握った。
エマは目をぱちくりさせながらも、よろしく…と返した。
「えっと…僕もまだ組む人を聞いてないんだけど…。」
カナルが遠慮がちに手を挙げながら言った。
「カナル・ティディオか。何番じゃ?」
「七十九番です。」
「あー…私も七十九番だけど。」
閻魔とカナルの間に割って入って答えたのは、ナレミだった。
「あ…よろしくお願いします、ナレミさん。」
「うん。てきとーに頑張っとこうねー。」
変わった人だなと思いながら、カナルはナレミの隣まで歩いて行った。
その後も、順調にコンビは決まっていく。
閻魔は、頃合いはよしと集まった者達の注目を促した。
「この戦いは、各々の存在を懸けた試合じゃ。そのことを肝に銘じ、尽力するがよい。…では、行ってまいれ、コピーの天界者達よ!」
その声に反応し、集まっていた天界人全てがバッと一斉に飛び立ったのだった…。
下界、とある街路。
「ミトゥ、シス…元気だったかい?」
散歩中の人間形態のミトゥとシスに、一人の死神が声をかけた。
シスはそちらに視線を向け、あっと声を上げる。
「フィル様!お久しぶり!」
「フィル様ー。どうかしたんですかー?」
二人の言葉通り、死神は消滅したはずのフィル・ティディオだった。
フィルは名前を呼ばれると、わずかに口元をほころばせた。
「主様が復活するまでの空白の時間に…少し手伝ってほしいことがあってね。」
「手伝ってほしいこと、ですか?」
「そう…簡単な手伝いをね。」
天界北西部。
ザシュという鋭い斬音が数度響いた。
「が…はっ…。」
「我ら…オリジナルが………偽物に…やられ…………な…ん……て…。」
低い呻き声を残し、二人の天使は砂状になって消えた。
それを冷たい瞳で見下ろしていたのは、二人の死神。
「なかなか気が合うんじゃねえのか、俺達。」
「…合ってほしくはないがな。」
ハッシェとアルフだった。
「へっ…生贄の儀式のことを、まだ根に持ってんだろ?」
「…それだけではない。人を小馬鹿にするような奴は、元々好きにはなれないたけだ。」
「へえ…?だったら、ここで決着つけとくか?」
ハッシェは、スッと大鎌を胸の前に構える。
アルフは、やめておこうと軽く首を横に振った。
「私とあんたはコンビだ。争うのは得策ではない…。」
「へっ…俺のことを嫌ってる割にはそのくらいの理性はあるんだな、フィアラ。」
「…ただならぬ気配を感じるからな。嫌いだという感情を、理性で抑えつけてしまえるというものだ。」
そう言うと、アルフは胸の前に大鎌を構える。
「そいつには、俺も同感だぜ。隠れる場所なんか無えから、さっさと出て来な。」
「………。」
ハッシェの声に応じ現れたのは、一人の死神だった。
右に流れるようにセットされた黄色い髪、憂いの込められた黒い瞳…。
「リアゼ…!」
アルフは思わず、その死神の名を呼んだ。
ハッシェが、知り合いかと尋ねる。
「………共に戦い、絆を深めてきた仲間だ。罪深い私を“兄貴”と呼んでくれている。」
「すまないっす…兄貴。」
リアゼは本当に申し訳無さそうにうなだれていた。
しかしすぐに、キッと顔を上げ険しい顔つきで小鎌を数本構える。
「リアゼ…私達と戦うというのか?」
「………。」
「お前は…オリジナル側、か。絆よりも地位を選んだのだな…。」
アルフは悲しげに眉を下げた。
「地位とかオリジナルとか、どうでもいいじゃねえか。敵はあいつ一体だけ…好機ってやつだろ?」
「ハッシェ…何を…?」
決まってんだろうがと、ハッシェは不敵な笑みで返す。
「敵は…遠慮無く消してやんだよ!…はあっ!!」
一番に動いたのは、ハッシェ。
リアゼの真前へスッと移動すると、面食らっている彼に向かって杖を振り上げる。
「止めろ、ハッシェ…!」
「止めねえよ!…毒膜!」
杖からはシャボン玉のような膜が出現する。
そしてそれは、
「うわっ!」
リアゼの体をスッポリと包んでしまう。
ハッシェはその様子を確認すると、サッと離れた。
「毒膜…名前通り、その膜に包まれた奴は毒に犯されていく。たっぷり苦しんで消えな!」
「リアゼ!…ハッシェ、やりすぎではないか?」
「へっ!やるかやられるかって時に、手加減なんかできっか…」
彼の言葉が終わらない内に
「木の葉乱舞!!」
威勢の良い声がして、リアゼを包む膜がパンと割れた。
ヒューと口笛を吹くハッシェ。
「フィアラ…お前の仲間っつうだけあって、やるじゃねえか。あ、元仲間だったっけな?」
アルフは返事を返さず、きつくハッシェを睨んだ。
「やる気か、フィアラ?たった今、俺とは戦わねえって宣言したばかりじゃ…おっ!?」
「兄貴を愚弄するな!!」
「ちっ…。」
ハッシェの笑みを消させたのは、リアゼの小鎌だった。
リアゼが放った三本小鎌は、ハッシェの服をわずかに斬って彼の手元に戻る。
「リアゼ…。」
「ふん…二人で俺を倒そうって魂胆かよ?すっかり騙されちまったぜ、フィアラ!」
ハッシェは杖を高々と上げ、
「麻痺撃!」
と叫んだ。
白い雷光がリアゼを直撃かと思われたが…。
ガーンッ!!
「………っ!?」
「兄貴!」
そうではなかった。
リアゼに向かって放たれたはずの雷光は、彼の体をかすりもせず、ぐるりと周りを回る。
そして、本当の狙いであったアルフへと直撃したのだ。
不意打ちをくらった彼は、ドッと雲の地面に倒れ、うっ…と苦しげな声を上げた。
リアゼはアルフに駆け寄らんばかりに翼を広げたが、自分の立場を思い出しその場に留まった。
「そっちがそのつもりなら、こっちも好きにさせてもらうってもんだ。リアゼとかいうオリジナル!お前も当然手伝うよな?」
ハッシェは悪意に満ちた笑みを浮かべ、杖をリアゼに向けた。
「お前…!!よくも兄貴を…!」
「おおっと…あんまり粋がんなよ、リアゼ。俺はただ、手を貸してやっただけだぜ?お前ら、オリジナルの望みなんだろ。」
「なっ…。」
「否定はしねえんだな…。面白い展開だが、俺はいち抜ける。フィアラを消すなら今の内だぜ?どうするか…お前次第だけどな!」
悔しげに拳を握りしめるリアゼに向かってハッシェは言い放ち、高笑いしながらスッと姿を消した。
後には、リアゼと麻痺状態で無防備なアルフが残る。
リアゼは、兄貴…と呼びかけながらアルフに近付く。
「……っ…リアゼ…。」
「………。」
雲がポヨッポヨッと何度も揺れる。
視界がややかすんでいたアルフにも、彼がどんどん近付いてきていることがわかった。
「くっ………。」
「兄貴…ごめん…。」
リアゼは伏しているアルフに向かってぽつりと言った。
「俺のこと…恨んでいいっすから。さよなら…兄貴。」
それから、小鎌を一本取り出し、アルフの背中目掛けて思い切り振り下ろしたのだった…。
天界南部。
「そんな…。嘘でしょ…?」
イリアは両手の大鎌を落とさないばかりの衝撃を受けているようだった。
琥珀色の瞳は大きく見開かれ、口は半開きである。
「嘘なんかじゃ無えさ、嬢ちゃん。俺ぁ…おまえさん達の敵だ。」
イリアの問いかけに答えたのは、一人の死神。
燃え盛る炎のように赤い髪…黄色い瞳…見た目の割に年老いた口調…。
純粋な死神、シーク・ルスタリィだった。
「知り合いですか…?」
ラトラが訝しげに目を細める。
「………うん。」
「ああ、嬢ちゃんと俺ぁ、確かに知り合い…いや、仲間だった。だが、戦場じゃ敵は味方になるし、味方は敵にもなる。」
「シーク…。」
「なごなごしてる暇は無えんだ、嬢ちゃん。そっちが来ねえなら…こっちから行かせてもらうぜ?」
シークは宣言すると同時に、ラトラの目前に移動する。
「なっ…!?」
「嬢ちゃんも消すが、おまえさんが先だ。」
シークはラトラを薙ぎ払うように横に大鎌を振る。
「くっ…甘く見ないで下さいよ!」
ラトラは、とっさに後ろに身を引く。
対象を斬り損ねた大鎌は、ヒュッと空を斬った。
「次はこっちの番です。…はあっ!!」
今度は、ラトラが三叉槍(先端が三つに分かれた刃を持つ槍)でシークを突く。
「うおっと!…やるな、あんたも。」
シークは大鎌の柄で、攻撃を防いだ。
ガチッと擦れたような音が響く。
「シーク…ラトラ…。あたし…どっちの味方をすればいいのっ?」
イリアは、雲の地面の上で双槍を構えオロオロしていた。
シークはかつての仲間、ラトラは今の相棒…。
どちらを選んでも、どちらかが傷つくことはわかっている。
彼女が考えている間にも、シークとラトラは火花を散らしながら攻防戦を繰り返していた。
「たかが悪魔と思っていたが…なかなかやるな、おまえさん。」
シークは体勢を整えるために、一度ラトラから離れた。
「…そのセリフ、そっくりそのまま返させてもらいますよ。」
ラトラはチャンスとばかりに、一気に間合いを詰める。
「これで終わり…っ!?」
槍を大きく振り上げたラトラは、苦しげに後ろによろめいた。
「ラトラ…!?あんた…その傷…」
「…っう…。」
ラトラの肩には、いつの間にか無数の斬り傷が付けられていた。
いずれも致命傷には満たないが、かなりの深手を負っている。
「悪ぃな…とある奴から俺ぁペテン師って呼ばれてんだ。“後斬り”の力のせいでな。」
「…っ…ペテン師…?」
「恨みは無えんだが…消えてもらうぜ、ラトラ・アイヌダ!」
ザシュと、シークは何の躊躇もなくラトラの方から腹部を斬る。
「ラトラ!」
「僕の…っ…完敗……です…ね……。」
イリアは彼を助けようと飛び出していたが、わずかに間に合わなかったのだ。
見る見る内に、ラトラの体は細かい粒子となり消えていったのだった…。
「ラトラ…。」
「次は嬢ちゃん、おまえさんの番だ。」
両手に鎌を構えたままうつむくイリアに、シークは大鎌の矛先を向けていたのだった。
天界、場所不明。
「えっと…言いにくいんだけど…。」
鼻歌を歌いながら前を飛ぶナレミに、カナルが声を掛ける。
「んー?」
「僕達…一体どこにいるんだろう…?」
「さあ、知ーらない。」
訊かれたナレミは、どーでもいいんじゃないと投げやりな言葉を返した。
彼らが居る場所は、俗に無の世界の入り口と呼ばれる場所。
灰色の霧が立ち込め、大きな黒い渦があった。
「なんか…来ちゃいけない場所のような気がするんだけど。」
ナレミはクルッと半回転し、カナルの方を向いた。
「男の子ならー、細かいことは気にしない、気にしなーい。せっかくだからー、観光しよっ。」
「観光…。あの…ナレミさん?僕達、閻魔様にオリジナルに対抗するよう言われたの忘れてない?」
「………忘れてたかもー。」
呑気な調子のナレミと反対に、カナルはハアと深いため息をついた。
(そもそも…ナレミさん、なんでこの戦いに参加したんだろう?こんなにやる気無いのに…。)
「何か理由が…?」
「んー?何?」
カナルの方を振り返って、ナレミが不思議そうに首を傾げる。
「へっ…?」
「へっ…じゃないよ。そっちが質問したんでしょー。…何の理由を訊きたいって?」
「えっ…あ、ごめんなさい。な、何でもないです。」
どきまぎしながら、言葉を返すカナル。
ナレミは変なのーと呟き、また歩き始めた。
「彼女の戦いの理由…それは、私だ。」
「えっ!?」
不意に質問に答える声が背後から聞こえた。
振り返ろうとしたカナルだが、
「うわっ!?」
声の主にガッシリと彼の体を羽交い締めされ、身動きができなくなった。
「セズリカ・ミルハ…。」
ナレミは声の主をジッと見つめ、何の感情も込めずに言った。
カナルが捕らわれたというのに、特に慌てている様子は無い。
「ナレミ・ビバルディ…久しいな。」
セズリカと呼ばれたのは、真っ黒のフードコートを羽織った死神。
ピンク色の瞳は、捕らえているカナルではなく、真っ直ぐナレミを見返していた。
右手に持った大鎌の刃は、カナルの喉元に当てられている。
「兄…さん…?」
カナルは恐々とセズリカを見上げた。
「…悪いが、私は女だ。君が言っているのは、アルフレッド・フィアラのことだろ?」
「えっ…」
「私は彼の…っ…!?」
セズリカは口を閉じ、サッと左へ動いた。
「うわっ!?」
捕まっているカナルの体も、左へと引っ張られる。
「ちっ…避けられちゃったかー。油断しているからチャンスと思ったのにー。」
「ナ、ナレミさん!僕まで危ないんだけど!!」
前方を見たカナルの目には、左手に硝煙を上げる銃を構えたナレミの姿が映った。
まるでカナルの姿は見えていないように、セズリカだけを見据えている。
その口元には、悪意と憎しみに満ちた不気味な笑顔があった。
「…この少年まで殺す気か?君の獲物は私だけだと思ったが。」
「さあねー。私は、セズリカ…あなたを消せれば十分だから。他のことは…どーでもいいんだよ。」
「どうでもよくないよ!!」
カナルは、顔面蒼白になってジタバタと暴れ出す。
「…暴れるな。死にたくなければな。」
「じっとしてても、死んじゃうってば!」
セズリカは宥めているつもりだったが、却って興奮させてしまったようだった。
カナルは、ますます激しく暴れる。
「カナルの言うとーり。二人とも、消えちゃうんだよ?大人しくしてても抵抗しても。」
ナレミは間延びした声で言うと、銃の狙いをセズリカの顔面に定める。
「ナレミさん!二人ともって…僕は敵じゃな…」
「運が悪いと思って諦めてねー、カナル。」
「「助けて…兄さーん!!」
カナルが叫ぶ中、ナレミはキュッと引き金を引いた。
パーン!パーン!パーン!
三発の銃声が響き渡り…やがて、その場の物音が全て消えた。
天界中央部、広場近く。
「姉さん…。」
雲のイスに座って、ぼんやりと遠くを見つめるルティーナの肩を、エマがポンッと叩いた。
「………。」
『何もかもわかってて…それでもこの戦いに参加したんだよね?』
エマはポケットサイズのメモ帳に言葉を書き、ルティーナに見せる。
「…もちろん、そう。」
『姉さんはそれでいいの?』
「…わからない。だけど、これは私がけじめをつけること。ここで待っていれば…きっと明らかになる。何もかもが…。」
ルティーナは弱々しく微笑んでみせた。
「もうすぐ…現れるわ、エマ。混沌の糸を絡ませている者が…。」
襠にある天界相談所、最上階。
アルコールランプだけが灯りとして存在する薄暗い部屋には、二人の人物が居た。
「ご満足ですか?」
大鎌を床に突き立てた青年死神が言った。
「…いいや、まだだ。」
答えたのは、立派な装飾がされた木のイスに座る人物。
質問をした青年ではなく、ランプの灯りをじっと見つめている。
「そう、ですか…。よほど壮大な夢を抱いているとお見受けしましたよ。」
「壮大な夢…?そんな物は持っていない。ただのエゴだ…。人間も死神も同じようにエゴという醜い欲を持っている…それだけさ。」
「エゴですか…。」
「そう…ルティーナを…彼女を葬り去りたいというエゴさ。」
そう説明すると、青年の前に座る者はフードを被せた顔を上げニヤリと笑ったのだった………。
-To be continued…-