新型戦艦建造
1937年2月 東京
一番艦の細部設計をしている福田大佐の設計室に稲垣鉄郎技師がやってきた。稲垣は造船ドッグの専門家であり、いまから横須賀に行くところなのだろう。「ご用件は何でしょうか?」部屋の主である福田が聞いた。「なに、福田さんが新型戦艦を設計していると聞いて良い知らせをしようと思ったんですよ。おや、それが新型戦艦の設計図ですかな?」
稲垣は良い知らせを持ってきただけあって上機嫌だ。
「そうです。それより良い知らせとは何のことでしょうか?」
稲垣とは違い、福田は設計の邪魔をされ不機嫌そうだ。
「少し前の会議でね、海軍は大艦巨砲主義主導になったそうだ。横須賀に巨大建造ドッグを2つ作るそうだから、その設計図を艦政本部に提出してはどうかね?」福田からすれば願ったりかなったりである。不機嫌そうな顔から一変し、うれしそうな顔で言った。「本当ですか!ではこの部分が終了したら艦政本部長に提出してきます!!」
「ご検討願いたい」福田は豊田艦政本部長の巨体に臆しながらも設計図を手渡した。
1940年3月 東京
「大和型4番艦の建造を中止し、翔鶴型以降の空母の資材と4番艦の資材で新型戦艦の建造を開始する」
航空主義者は鳴りを潜めていて反対意見はでなかった。
こうして新型戦艦の建造が決定した。新型戦艦は2隻建造である。
1隻だと実戦で使いにくいからだ。
この後、天皇に奏上して艦名が決定された。
1番艦 紀伊
2番艦 尾張