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大艦巨砲主義,日本  作者: Iowa
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大艦巨砲主義

  1939年5月  クレムリン

「ルーズベルト大統領から入電です。(我がアメリカ合衆国は対日戦計画を延期する)とのことです!」ソ連外相のモロトフが焦りながらスターリンに言った。「...ルーズベルトに返電しろ。我が軍はいつでも対日戦を決行する用意がある。返答次第でその軍備が貴国にも牙を剥くこととなろう!!」


  1936年10月  東京

霞ヶ浦、赤煉瓦の建物でこの日、大日本帝国海軍の運命を決める会議が開かれていた。

「空母はまだ実戦を経験しておらず、戦力となるかは未知数である。よって空母の生産を翔鶴型空母までとし、今後の空母生産を打ち切りにすべきである」こう発言したのは嶋田繁太郎中将である。

「空母は戦艦の射程外からの攻撃が可能である。魚雷と爆弾の連続攻撃に耐えうる戦艦は存在しないだろう。よって、戦艦の生産を中止し空母の量産に切り替えるべきである」

予想どうり、山本五十六中将が航空主義者らしい発言をした。

「大和型は対水雷防御もしっかり考慮して作られておる。それでも不安ならばもっと強力な戦艦を建造すべきである」

嶋田中将は山本中将と同期で何かと敵対視することが多い。

軍令部、福留繁中将は嶋田中将に賛成し、海軍省、米内大将は山本中将を賛成した。

そして、航空主義者と大艦巨砲主義者で小競り合いが起きそうになったとき遂に艦政本部長の豊田副武中将が口を開いた。

「航空機戦では質ではなく量の戦いとなる。そうなれば物量に乏しい日本がアメリカに勝つことは不可能だろう。よって、嶋田中将の意見を採用し空母の生産を翔鶴型までとする。なお、大和型の後継艦建造のため横須賀海軍基地に新たな大型ドッグを建設する」

こうして大日本帝国の運命を分けた会議は終了した。


  1936年12月 東京

都内のとある旅館で海軍設計士2人が秘密の会談をしていた。

「...一番艦の主砲には20インチ(51cm)砲三連装砲四基搭載し、全長354m、総排水量12万8000トンという規格外の大きさの戦艦となります」

福田造船大佐は目を爛々と光らせて説明している。

「そんな重さで浮かぶのかね?」そんな福田大佐が話しているのは軍艦設計の神様、平賀譲である。

「大丈夫です。艦幅は余裕をもって作られています。しかもこれを見てください。大和型で使われた蜂の巣甲板です。これを張りめぐらすことによって、大幅な軽量化を実現しました」

「...水雷防御はどうなっている?」

「大丈夫です。この艦には対51cm砲の装甲が全周を覆っているのです。しかもその内側にはスポンジ層があります。防水区画も大和型より細分化します」福田大佐は自信を持って回答した。

「速度はどれくらいのかね?」

「タービンを増やしたので32ノットはでます」

「素晴らしいものだ!」滅多に褒めることがない人から褒めてもらい、福田は感激極まっていた。

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