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飼い子の夢

作者: にや

彼女は思い詰めた表情を気取られぬように、口角をひきつらせながら甘いアイスティーを口にした。それで最後だった。

いつもの帰り道、白い無菌服に身を包んだ男か女かも分からない二人組が突如現れた。彼らがスイッチを押した瞬間、彼女は白目を剥いてその場に倒れこんだ。音もなく、僕のとなりには誰もいなくなった。呆気に取られているうちに、無菌服は高圧洗浄機を過剰にしたような装置を振りかざして彼女を白い煙のうちに覆い隠してしまう。ひんやりと足首を煙が掴む。彼女の睫毛に霜が降りているのが見えたとき、僕はやっと、大切な人が死んだことに気がついた──あれだけ愛を囁いていたのが嘘のようだ。

地面に落ちた鞄から、彼女の学生証を拾い上げた。

彼女は『予備人間』だった。それだけで良かった。即時踵を返し、彼女の亡骸に手も合わせず立ち去る。むっとしてさえいた。狐につままれたような気分だ。

そうして僕は、昼下がりの学生街へと紛れて消えていった。


* * *


赤紙というものが、昔も今もある。

昔のものは戦争の兵士を召集するための紙であったが、今は違う。むしろもっと酷いのかもしれない。この瞬間、ワタシは人権を失ったのだ。

ワタシは抱えていた書類を取り落とした。拾う気もしなかった。いや、拾ったところでもう見ることも、その必要もないのだ。ワタシは赤紙を大切に胸ポケットにしまうと、「お母さん」にその旨を伝えた。お母さんは残念そうな顔をした。ワタシだって同じ気持ちだ。

要するに「貧乏くじを引いた」証であるそれは、今この瞬間からはワタシの宝物であった。

床にはホコリがつもり、敷きっぱなしの布団とワタシが眠るおんぼろソファだけがぽっかりと不自然な塵の穴を形成している。

足跡を辿って部屋の隅に行くと、山積みになったカップラーメンの類いが何知らぬ顔でワタシを出迎えた。

「お母さん、醤油麺食べていい?」

「場所はどこだったの」

「肺だから大丈夫だと思うんだけど」

お母さんはそれを聞いて、頷いた。電気ポットに水道水を注いで、座にセットする。羽虫が換気口から逃げ出ていった。

「もう少し居てくれたらよかったんだけど」

「大卒で就職だもんね、『予備人間』にしては偉いほうでしょ」

湯気がもうもうと立ち上ぼり、やがてポットはカチッと音をたてた。ココココと水泡の音がする。スープと具材の袋を除いた所に、湯を流し込む。箸を文鎮に三分。その間に、赤紙に同封された薬を横に用意する。

「そろそろかな」

いただきます。小さい頃から噛んでボロボロになった箸で、麺を掬う。後ろで母親が、ワタシの部屋のものを片端からごみ袋に突っ込んでいる音がする──。


* * *


「予備人間をかわいそうだと思わないのか!彼らも僕らと同じ人類なんだ!」

国会前で錆び付いた旧式の拡声器を手に、彼は喉よ張り裂けよと叫んでいる。俺は耐えきれず、持っていた手旗を下げて太陽を仰いだ。

彼を中心に熱心に叫ぶ一派は、だがすぐに警察の部隊に鎮圧されていく。統率された彼らの顔には、一片の揺らぎも、恨みも、喜びもなかった。そうすることが最善だと知っていた。

何せ、彼は『真人間』なのだ。勝者であり、許された者。そんな彼がどれだけ叫んでも、所詮、その嘆きは当人たちの訴えほど心に響かない。数の利もない。虚しく握りつぶされていく。

彼は俺が『予備人間』だと知っても付き合うことを止めなかった唯一の友人だ。感謝していないわけがないし、むしろ友好的にありたいと思っている。

ただ、最近、彼との間に奇妙な見えない簾が落ちたような気分がしてならない。理由は分からないが、彼にたいして、どこか雲のを上を見るような気持ちを抱くことがある。

「おまえらはばかだ。人種差別、貧富の差、なんだって今さらそれすらも同じ人間を差別して──」

取り押さえられてもなお足掻く彼。

耳鳴りが琴線のように張りつめた。

「『彼ら』が『可哀相』じゃないか」

……あぁ。

そういうことだったのか。

俺はずっと、夢を見せられていたんだ。

旗を取り落とした。メッキの剥げたアルミの柱が、からんと乾いた音をたててアスファルトを打った。


 * * *


最悪だ。最悪だ。俺はごみ箱に向かって既に無い胃の内容物をぶちまけた。黄色く濁った粘液が唇を伝って落ちる。

俺は悪くない。俺だけが悪い訳じゃなかった。ただ皆でしていた悪ふざけ、そのつもりだった。奴もその気だったに違いない。

およそ一年前、キャンプ場の近くの川で共に遊んでいた友人が死んだ。裁判の結果、俺達に非があるとされ、過失致死の罪で有罪となった。判決は「予備人間付執行猶予一年」。要するに一年間、「全身ドナー」として生きながらに飼い殺される運命だった。

だがこれは別に珍しい措置ではない。むしろほぼ無罪放免に近い措置だと言えるだろう。何せ予備人間は人口の二割もいる。一年間のうちで、内側の臓器を総取っ替えするような手術はそう何件もない。自分がドナーに選ばれる確率など天文学的なものだ。裁判長に泣いて感謝した。

そんな経緯で、俺達五人ともが、予備人間として首筋に即座に断命できるセンサーを埋め込まれている。明日は、それを取り除く、手術の日だった。その、筈だった。

「何で俺だけが……何で」

しかし速達で届けられた赤紙には、本日の夕方に急遽俺が殺される旨が記されていた。

突然の話だが、ドナーの重要な要素である血液型は厳密には八種類あるのを知っているだろうか。

A、B、O、AB。そしてそのそれぞれには、「RH+」「RH-」の二つの型がある。よって合計八種類というわけである。

俺の血液型は「AB型」の「RH-」。AB型が日本の人口の十分の一、RH-が人口の二百分の一であるから、同じ血液型の人がいる割合は単純計算でも二千分の一ということになる。

これを、二千XX年現在の日本の人口一億人に当てはめると、その数は「五万人」にまで絞られる。そのうち二割が予備人間として、一万人。さらにそのうちで青年層となると、選ばれる確率はパーセントで小数一桁まで上昇する。

天文学的な確率なんて、うそっぱちだ。ソーシャルゲームで一番強いカードを当てる確率なんかよりずっと高い確率で、俺は殺される運命にあったのだ。それに今気づいた所で、遅い。

「なあ、なあ、ずるいだろ、何で俺だけが殺されんだよ」

俺は慟哭した。安アパートのボロ壁から、画鋲とカレンダーが落ちる。それらはカランと乾いた音をたて、俺は膝をつく。

そうしている内に、いつか鳴る。聞きなれたノイズ混じりのインターホンが俺を殺しにやって来る──。


『それはなんて喜ばしい事だろう!』


数年前に事故に遭って、俺の体の半分が磨り潰された。

だが心配はいらない。今の日本の技術は素晴らしく、脳ミソさえ生きていればおんなじ人間をそっくり再生できるのだそうだ。珍しい血液型だろうが関係ない。詳しくは知らないが、現に僕の右半身は滞りなく継ぎはがれているのだから大したものである。

かくして、僕は生き返った。今は元気な社会人として、毎日忙しく勤める日々だ。

新築戸建ての玄関をくぐれば、僕には出来すぎた妻と、そしてはしゃぎたい盛りの愛娘が出迎えてくれる。急かされてダイニングに向かえば、そこにはすこし形の歪なハンバーグと野菜片の大きすぎるスープ、そして白飯が並べてあり。「今日はお手伝いして一緒に作ったのよね」と言う妻の声に合わせてふんぞり返る娘の姿がある。

幸せとはこう言うことだ。別に大人数よりずば抜けて恵まれている訳ではない。月給だって人並みより少し多い程度で、自家用車だって軽が限界だ。それでも僕は今、世界中の誰より幸せだ。娘を抱きしめる。微かに柔軟剤の香りがした。


僕は幸せだ。


(それ以外は正直、どうだっていい。)


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