魔王軍幹部は転生者だった? 2
アシンが帰って来てすぐに、うちに総司がやって来たことを伝えた。それ聞いたアシンの反応は、それはもうキレていた。
初対面の時の王とは違い、憎悪からの怒りではなく、嫌悪からの怒りだったことは、他人に無頓着な幸でも気付いていた。
「殺してやる……! 次会ったら絶対に殺す……!」
物騒なことを呟きながら、机を人差し指で叩いているアシンの心情は容易に察することができる。何があったのか、先日聞いた以上のことを聞くことはしないが、アシンがここまで嫌悪する所以が気になって仕方がない。
クリスタリアも気を遣って、アシンの近くに水の入ったコップをそっと置く。
それを勢いよく飲み干したアシンは、また物騒な言葉を呟く作業に戻った。
「まあ落ち着けよ。しばらく家から出るような用事は押し付けねえから、ほとぼりが冷めるまで家でゆっくりしてろ」
これからしばらく、買い出しはすべてクリスタリアと幸が受け持つことになった。魔王軍幹部がこの辺りに潜伏しているというこの状況で、二人は快くそれを了承してくれた。
「あまり苛立っていては心に毒です。少し、楽しいことを考えてみませんか?」
追加の水を持って来たクリスタリアが名案を提示する。
それを聞いたアシンは指の動きを止めて、首をクリスタリアのいる方へ動かした。
「楽しいこと……?」
「そうです。私の場合は真空様と共にいられることが、この上ない喜びです」
それがアシンに当てはまるかはともかくとして、クリスタリアの案は苛立って仕方がないアシンにはいい薬になるだろう。
マイナスなことばかり考えていると、そういう性格になってしまう可能性が大いにある。最悪を常に考えている奴が、ネガティブな性格になってしまうように、アシンの苛立ちが性格に悪影響を及ぼすかもしれない。
クリスタリアの例を聞いたアシンは正面を向いて遠くを見ていた。
「楽しい、ねえ……」
アシンの今までの半生では、楽しいことは少なかったかもしれない。紫乃との生活は言わずもがな、ストーカーの被害に遭い、変人に行動を制限され、そしてまた再びストーカーの被害に遭っている。
アシンの災難に俺が関与していることは否定しない。最近はよく笑うようになったが、出会った当初は仏頂面か誰かを睨んでいるかの二択だった。
しばらくの間、思い返すように黙り込んでいたアシンは、ぽつりと言う。
「……今……」
「「えっ?」」
思わずその場にいた俺とクリスタリアが同時に聞き返すと、アシンは顔を真っ赤にして俺たちを睨んだ。
「べっ別に、総司に付き纏われてるのが楽しいんじゃなくて! あんたたちと、その……一緒に……」
これはデレ期が来たと見ていいのだろうか。今まで何度かあったアシンのデレ|
らしき(・・・)ものとは違い、俺に実害が出ていない。心が弱っているからと言われればそうだが、心が弱っている時にこそ、人の本音とは出るものではないだろうか。
今の台詞に機嫌を良くした俺はアシンに向かって快活な笑顔を向ける。
「俺も楽しいぜ」
そう言うと、アシンはただでさえ赤い顔を耳まで赤くして、
「うっさい!」
と叫んで二階へ上がって行ってしまった。
魔術は屋内だから撃たないとしても、ボディブローの一発や二発ぐらい覚悟してたんだが、こりゃあ本格的に来たかもしれない。
「可愛い」
「可愛いですね」
クリスタリアも、今の綺麗なツンデレの良さを理解できるようだ。
二人で椅子に着いて、のほほんとした空気の中でしっとりと水を飲んでいると、買って来た荷物の整理を終えたのか二階から幸が降りてきた。
「アシン、どうかした?」
どうやら、階段を駆け上がっていったアシンの姿を見ていたようだ。首を傾げる幸に、今さっき何が起こったのかをかいつまんで説明する。
「ふーん」
幸からすれば素直になれない心境が理解できないのか、説明を終えた後も幸は首を傾げていた。
今日の買い出しの途中で総司に襲われなかったことは不幸中の幸いだろう。万全のアシンなら総司に負けることはないと断言できる。そう、万全なら。
アシンは苦手な相手はとことん苦手で、さっきの苛立ちのように自分を見失ってしまうことがある。
そうなると、大量の竜を相手にするのはいくら紫乃の弟子といえども厳しいだろう。
「真空様は苦手なものなど御座いますか?」
「多足の虫が苦手っつーか、嫌いだな。サーチアンドファイアだ」
蜘蛛や百足やらはどうしてあんなに足が必要かについて、丸一日かけて問い質したい。もしあのフォルムを造形した奴がいるのなら、引きずり出して説得するか暴力に訴えるかしてフォルムを変えさせたい。
俺の多足の虫に対する並々ならぬ嫌悪感がおかしいのか、クリスタリアは小さく笑った。
「すみません真空様。真空様も普通の人のようなところがあるのだと思うと、つい」
「俺だって体はともかく心は普通の人間だ。虫が嫌いだし、嫌いな食べ物だってもちろんあるさ」
俺はニガウリが苦手だ。というより、苦いもの全般が苦手で、特にニガウリだけはできるだけ口にしたくない。
元農家としては野菜の好き嫌いはどうかと思うが、苦手なんだから仕方がない。
クリスタリアと幸を見る。この二人に苦手なものはなさそうだ。
「二人の苦手なものは何だ?」
それでも一応聞いておこうと二人に尋ねる。食べ物に関しては二人とも苦手なものや嫌いなものはなさそうだ。王室育ちのクリスタリアはもちろん、騎士団の宿舎に入っていた雪も、好き嫌いを言えるような環境で育ってはいない。
「私は、そうですね……強いて言えば真空様と同じ、虫でしょうか」
クリスタリアはそこまで虫が苦手ではないのか、逡巡した後の漸く捻り出したという風だった。
「わたしは竜」
遅れて答えた幸の答えは意外にも竜だった。
「でも普通に食べてたよな?」
幸は食べ物を残すようなことをしない。小柄な割にはよく食べる幸は、亜竜の肉が頻出していた時期にもよく食べていたと記憶している。
加えて言えば、亜竜の解体もお手の物といった様子でこなしていた。
幸は珍しく眉をひそめて口を開いた。
「動いてる竜って、気持ち悪い」
最早生理的嫌悪の域だった。動いていると限定しているのなら、解体できるのも、食べられるのも納得だ。亜竜大量発生の際に、一応とはいえ元騎士の幸に声がかからなかったことも、それなら辻褄が合わないこともない。
騎士としては失格に近いかもしれないが、こんなに幼い少女を戦場に出すことからして人としてあれなところがあるのでお互い様だろう。
「なんつーか、こうやって個性を比べてみると……」
個性が濃い面子の中でも、一際強い輝きを放っている少女を見つめる。
「? 何でしょうか」
「お前、すげえな」
炊事洗濯掃除、家事の基本はすべて抑えつつ、苦手なもの、嫌いなものはなし。俺以外の奴らと話している時も、アシンが相手でも丁寧な所作と敬語は決して崩さず、命令でなくとも頼みごとをすれば大抵解決させる。外見も王族なだけあって最高水準だ。
戦闘能力はないと本人は言っているが、それでも一人の人間にしてはできすぎなスペックだ。
俺のもの宣言をした入居初日からメイド服を欠かさず毎日着ているのは、王族としてどうかと思うが。
クリスタリアを褒めた俺の隣で、幸もうんうんと頷いている。
「私には、戦う才能はありませんでしたから」
薄く微笑んだクリスタリアの笑顔は、とても十代の少女のそれには見えなかった。
本当に、何を拗らせて俺に惚れたんだか分からない。異世界の大和撫子と言っても過言ではないだろう。




