購入した家は幽霊屋敷だった? 3
虫と幽霊。どちらがマシかと訊かれれば、俺は即答で後者を答える。
同じ質問を、アシンが問われれば、きっと即答で前者を答える。
そんな、他者にはどうでもいい悩みを、俺は王に話していた。
「そんなわけでさ。デミゴーストをどうにかして捕まえられねえかな」
「難しいですね。デミゴーストはあくまでも魔物ではありませんので、結界をすり抜けられますし、かといって物理攻撃は通用しない。倒すには、どうにかしてデミゴーストそのものを滅するか、デミゴーストが依代としているものを破壊するしか……」
依代って、多分あの屋敷そのものなんだよなあ。デミゴーストは依代から約五メートル以上離れられねえ。だがアシンの部屋と風呂場は、五メートル以上は確実に離れている。
今はいつもの森に緊急避難しているものの、それでは俺がもたない。というより森がもたない。俺が森を焼き尽くして生態系をぶち壊す前に、何とかしてデミゴーストを滅さなければならない。
というのに、一週間以上経っても何の打開策も見つかっていない。これは非常に由々しき事態だ。
「何か、視えないものを視えるようにする魔術とかねえの?」
「あるにはありますが、それをひとりで使えるのは永遠の魔女だけでしょう」
あいつか……。あいつなら確かに使えねえ魔術はねえだろう。魔術でできることなら何でもできるのがあいつだ。だが、俺はあいつが苦手で、あいつは俺が大好きだ。会いたくねえし、どこにいるのかが分からねえならわざわざ探す必要もねえ。
魔力的にはどうとでもなるだろうが、技術が圧倒的に足りない。供給できる魔力は不老不死のこの体と、諸刃のオーバーロードで実質無限にしても、俺は〈我が身映す姿違えし鏡〉以外に技術を要する魔術をほとんど使えない。
仮に、滅茶苦茶な技術力を持っている奴がいるのなら、そいつに手伝ってもらえるが……そんな奴がいるのだろうか。
ダメ元で王にそんな騎士がいるのか尋ねてみると、
「いますが……無口で……」
滅茶苦茶歯切れが悪かった。
「無視をされても構わないのであれば、彼女を遣わせます」
■
待ち合わせ場所に着くと、ひとりの少女が立っていた。黒髪赤目のその少女の風貌は非常に騎士らしくなかった。
服装は騎士団指定の服ではなく完全に私服。曲がりなりにも仕事だというのに、この少女からは規定を守ろうとする気概すら感じられない。
「お前が庄司幸か?」
王に紹介されたこの少女の名前は庄司幸。姓名からして特に高い階級の出身ではない。にもかかわらず騎士団に所属しているということは、実力は確かなのだろうが如何せん態度の悪さが滲み出ている。
幸の半分しか開いていない赤い瞳が俺を捉え、そして視界から外す。
「…………」
「…………」
沈黙。正確に言うならば無視が一番だろうか。とにかく、俺と幸の間には静寂があった。
「小金村真空?」
「ああ。で、お前は庄司幸なのか?」
「行こ」
俺の言葉をガン無視して、知りもしない屋敷に向けて先行する。それはこの少女が庄司幸だと判断するに十分だった。
にしても、こんな少女が本当にあいつと並ぶような技術力を持っているのか甚だ疑問だ。
城から俺の屋敷は近からずも遠からずだ。一応幸の歩く速さに合わせて、いつもよりゆっくりとやって来たがそこまで時間はかからなかった。
屋敷の前には既にアシンが待っていて、俺の姿を確認すると即座に駆け寄って来た。
「本当に幽霊を倒せるの?」
「こいつの実力が本物ならな」
わざと煽るように言ってやると幸は眉をひそめた。どうやら実力を非難されることは嫌いなようだ。
まあ、王からの推薦である以上、実力が嘘であるはずはない。これは俺なりの激励みたいなものだ。
「早く」
さっさと終わらせて残りの今日を休暇にしたいのか、俺の背を押して急かしてくる。されるがままに前へ進んで行く俺を、幸は屋敷の五メートル手前辺りで止めた。
「結界を張るから、よろしく」
「よろしく」というのは魔力の供給のことだろう。言葉ではなく、幸の隣に並び立つことで応じる。
魔力とは、空気中に存在する有毒なマナを、皮膚に存在する変換基盤と言われる器官で無害なそれへ変換したもののことだ。普段は体内にある魔力路に蓄えられ、魔術を発動する場合などに応じて再びマナへ変換される。
魔力路は種族ごとに太さや長さは変わるが、種族内での個体差はよっぽどの突然変異でもない限り存在しない。
だから、本来人類が一人で使える魔術には限界がある。
その例外がオーバーロード。大気中のマナを変換することなく体内に取り込み、そのまま魔術として放つ魔術の奥の手。しかし、猛毒のマナはどれだけ短い時間であろうと体内を汚染する。使えば使い手は死ぬのが世の常だ。
俺はその反動を、それがどうしたと言わんばかりに跳ね除けることができる。死ぬほど辛い思いはするだろうが、死なないなら結果オーライだ。
俺が行うのは魔術を発動するために必要な、魔力及びマナの供給。幸が展開した魔術式に、それを注ぐことが俺の役目だ。
今回のような大掛かりな魔術は、総じて発動する際に魔術式が視認できる形で現れる。理由は大人数で発動することが前提だからだ。
ちなみに、個人で発動するような魔術では、魔術式が現れるようなことはない。んなもんが一々出てたら、発動するのに時間がかかるからな。
俺の隣で幸が詠唱を始める。それと同時に、屋敷の真上に屋敷が収まるほどの大きさの魔術式――あっちで言うところの魔法陣――が現れる。
俺は今からやってくる地獄に備えて、大きく息を吸った。
「やるか」
既に覚悟完了している俺はまず、魔力路に蓄えられていた魔力をすべてマナに変換して注ぐ。たった二人で屋敷ひとつ分の魔術式が必要とするマナを賄えるはずがない。だから俺は、オーバーロードを使う。
辺りに、風が吹き始めた。
「……? この風……」
「!? あんた、何やって……!」
俺の周りに風が奔る。その動きはマナの奔流そのものであり、この現象はオーバーロード使用時特有のものだ。
魔力路はもちろん、筋繊維、血管、神経系に無理矢理マナをぶち込んでは吐き出していく。マナの毒性にやられ、体の至るところから出血が始まる。
「ぐ、う……やっぱ、えげつねえ……」
オーバーロードが始まってから、数十秒も経たないうちに全身が悲鳴を上げる。内側から体が破壊されていくのが分かるのは、想像以上に精神にくる。
激痛からか、それとも体が立っている状態を維持できなくなったからなのか、俺は膝から崩れ落ちる。それでも、この魔術を完成させるために途中で持ちこたえる。
意識が飛びそうだわ、全身が痛いわで、自己を見失いそうになる。
「い、ぎぎ……あ、ぐ……う」
最早人語ですらない呻き声を上げながら、魔術式の完成を急ぐ。早くしないと、本当に俺の精神が壊れてしまいそうだ。
壊れては修復し、修復してはまた壊れ。その繰り返しが、俺の体の中で数え切れないほど行われている。そのせいで痛みに波が生まれ、慣れるということを許さない。
「〈我が目に映るはこの世すべて〉」
目の焦点すら合わなくなってきた頃、魔術式に十分なマナが注がれたようで、幸が魔術の名を口にした。それを聞いた俺は、糸の切れた人形のようにその場に倒れた。
何とか意識を保っちゃあいるが、二度とこんなことはしたくねえ。これは人間がやることじゃねえってことを身を以て知った。
魔術が成功したことを確認した幸が俺の顔を覗き込んでくる。その表情はさっきまでの無表情とは違い、少しだけ微笑んでいた。
「結界は最低一か月は持続する。わたしの出番はこれまで」
そこで一旦言葉を区切った幸はアシンがいる方へ視線をずらした。
「だから、頑張って」
そう言い残して幸は屋敷から遠ざかって行く。幸と入れ違いになるように、今度はアシンが俺の顔を覗き込んだ。
「……なんで、こんなに頑張るのよ」
「ただの、礼だよ」
アシンは幽霊が苦手なのに、泣いたのに、それでも俺と一緒にいてくれている。それだけで俺が身を張る理由には十分だ。俺はアシンみたいな、馬鹿にし合えるような友達が欲しかったんだ。
だから、俺は今、そこそこに満足している。
「あたしは、ただ、あんたの強さを利用してるだけなのに」
「じゃあ、利用し続けろ。ずっと、死ぬまで」
怪我が完治したことを確認して立ち上がる。流石は悪魔の祝福だ、あれだけ無茶をしたのにもう痛みが消えている。
肩を回してみたり、軽く跳んでみたりして、体の調子も戻っていることを確認した俺は、罰の悪い表情をしているアシンの肩に手を置く。
「さあ、俺たちのゴーストバスターを始めよう」
決め顔で言ったらビンタされた。